89年4月から97年9月末まで、日吉に住んでいた。東芝日吉寮という古い独身寮があって、そこに暮らしていたのだ。6畳に2人というおよそ今では信じがたい住環境ではあったが、同室の相棒はいいやつだったので、それほど軋轢も無く日々を過ごしていた。そのうちバブルがはじけて不景気になり、東芝も新人をあまり採らなくなったので、2人1室制が緩み、後半3年くらいは1人で1部屋になっていた。97年10月から岩手東芝への出向を命じられ、良くも悪くも住み慣れたこの地を去って、もう5年半が過ぎた。出向から帰任してからは鶴見区に移ってしまったためしばらく東横線沿線からは遠ざかっていたので、久しぶりに日吉の町を歩いてみたくなった。
東急東横線 日吉駅日吉駅のオブジェ日吉駅は、渋谷と横浜(桜木町)を結ぶ東急東横線の半ばにある。95年ごろだったか、大改装を実施して東急百貨店が出来て、駅舎はモダンになった。左の写真のように、改札(写真の左手になる)を出ると吹き抜けの広場があり、向かい側が百貨店だ。広場中央には銀色の球体があって、待ち合わせの人が触ったり、映っている自分を眺めたりしている。この球体、以前は掃除する人もいたのだが、いや今もいるだろうが、かなりキズが入り、汚れてしまった。それでもやはり、改札を出ると目立つ物体であることに変わりは無い。
なお、改札を出て右に行くと綱島街道に出て、渡って向かい側が慶応大学である。従って、慶応大学の学生に言わせると、日吉駅前の商店街は「ひようら」となる。バブル華やかなりしころ、この「ひようら」の外れの住宅街にはいろいろなブランドの高級車が違法駐車され「塾生の駐車を禁止する」などと看板が立っていたのを思い出すが、今はどうなのだろうか。今日は日曜なので車もあまりいなかった。
まずは「浜銀通り」をしばらく歩く。この先に初めて自分の金でレンズを買ったカメラ屋があるのだ。OMズイコーの28mmF2.8という地味なレンズなのであるが、以来、ずっと重宝している。残念ながら、行ってみると「日曜定休」とあった。うむ、定休日を忘れるとは、ヤキが回ったものだ。しかし未だ店は続いているらしい。ここから「普通部通り」まで円弧を描く道路を歩くのだが、店が変わっているところもあり、そのままのところもあり、年月の移り変わりを感じる。古本屋はほぼ健在で、なじみとまでは行かなかったが何度か足を運んでいた店に入ってみる。路地にてレイアウトも、品揃えもあまり変わっていない。古書店とはそういうものなのだろうか。音楽書のコーナーにエルヴィン・デルンベルク著「ブルックナー その生涯と作品」(和田 亘 訳)なる本があったので購入。3000円?高いなと思ったら定価が6200円だった。原語版は60年、訳書の初版が67年、そしてこの本は99年の復刊とあるから情報としては40年前のものである。その後の研究で否定されている記述などもあるかも知れないが、私はブルックナーのことをほとんど知らないので、まずは読んでみることにする。
思わぬところで荷物が増えてしまったが、何とか鞄には入ったので、散歩を続ける。今日はオリンパスM-1、50mmF1.8と21mmF2という軽量な組み合わせである。軽快だし、作動音が静かで、撮っていて気分が良い。いつも歩いていた路地で、時々撮らせていただいていた花壇で1枚撮る。この家も変わってないなあと思いつつ住宅街を後にして、普通部通りに戻ったら、電気店(エル商会)は撤退していて、貸し店舗になっていた。ここは時々使っていたのだが、小物を買うだけで大して売上に貢献してはいなかった。場所もよくないし、当時からガラガラだったから止むを得ないか。ここから日吉台小学校を右手に見ながら歩いて急坂を下る。ここは通勤・通学の人が自転車で下って事故を起こすことが多くて、今も目撃者を求める看板が立っていた。日吉台小学校の脇の道路が狭くて危ないからか、朝は自動車が通れないようになっていて、坂を登りたくない人は別ルートを運行する乗合タクシーを利用する。その裏道は日吉台小学校近くの道路よりさらに狭いのだから何だか訳がわからない話だが、まあ通学路は避けて通っているという理屈だろう。
左手は森だったのだが..マンション建設坂を降りると、左側が大きく変わっていた。ここは鬱蒼とした森だったはずだが、工事中で、見ると斜面を削ってマンションを建設しているようだ。近くの住宅には「マンション建設反対」とあり、その横断幕はかなり古びているから、かなり前から対立しているのかと思う。しかしこんな斜面をぼっこりと削ってまで、いま価格が下がりまくっているとしか言いようの無いマンションを建設して、元が取れるのか心配だ。それに、この現場までの道路がとにかく狭い。どうやって資材を運んでいるのだろう。他人事ながら、ちょっと心配である。この坂の終わり、右手にかなり馴染みだった中華料理屋があって、ここで昼食でも食べようかと思っていたが、廃業していてクリーニング屋に変わっていた。残念。しばらく数軒の店があって、この先のY字路が特に狭く、トラックなどは通れないところなのだが、ひときわ「マンション建設反対」の表示が多くなっていて、どうやら周辺にかなり迷惑をかけて建設しているのかも知れない(事実関係を確認したわけではないが)。ここを右に進むと金蔵寺というところで、幼稚園が併設されている。ここは全然変わっていない。向かい側にどこかの会社の寮のようなものがあったはずだが、これは瀟洒な低層マンションに建て変わっていた。金蔵寺金蔵寺金蔵寺は、古いカメラを入手するたびに、試写するのに使わせていただいた場所である。実に懐かしいのであるが、適度に古びていながらも新緑が綺麗で、今日も何枚か撮ってしまった。人が全然いないけれど、荒れたところではなく、こぎれいで良い寺だと思っている。

金蔵寺にて金蔵寺にて
金蔵寺にて

色はずいぶん褪せてしまった。日吉に住んでいた頃にはピカピカだったのだが、この6、7年でずいぶん変わったようだ。



金蔵寺を後にして、もと来た道を引き続きまっすぐ歩く。交差点を右に行くと先述の乗合タクシーの乗り場があるはずだ。どこかの駐車場を転回場にして、次々とタクシーが走っていくのは壮観だが、近隣の人にとってはかなり邪魔だったろうと思う。交差点を直進して、造園業者の用地に突き当たる。以前より木々が高くなったようだ。ここも続いているようで、ホッとする。その先が少し変わっていて、なにやら工事中になっている。見ると、横浜市営地下鉄4号線(日吉−中山)の日吉本町駅(仮称)の予定地なのだそうで、こんな住宅地のど真ん中に、地下鉄駅というのも何だかヘンな気もする。私が仮に日吉に住んでいたとして、使うかどうかはかなり疑問だ。JR横浜線に接続するから、新幹線に乗るには便利になるかも知れない。平成19年開業予定で、リニアモーターを使うというから、どんなものかいずれ見に来たいとは思う。しかし、横浜市交通局の高速鉄道事業は補助金を58億もらいながら87億円の赤字(平成15年度)。こんな経営で新線建設というのもどうかな、と思わざるを得ない。
なんだか妙な話になってしまったので、元に戻ろう。この日吉本町駅予定地から南日吉団地の方角に歩くと、明治製菓の社宅があって、その脇にいつも通っていた床屋がある。しかし廃業していた。ご主人はそんなにお年でもなかったのだが、どうしてしまったのだ東芝日吉寮ろう。信号の東芝日吉寮ある交差点を渡った先に、東芝日吉寮がある。これは健在であった。左に写っているのがC棟・D棟で、私はD棟の一番左上、501号室で会社生活を始めた。玄関から一番遠く、疲れて帰ってきた足にはたかが5階とはいえ階段がきつかった。今時珍しい鉄のサッシで、冬は隙間風が吹くという恐ろしい建物である(なぜかA・B棟はアルミ)。入居した89年夏にエアコン工事が始まり、夏の間にエアコンが間に合わないというのも間抜けな話であるが、未だバブル絶頂期、社員寮のエアコンより外販が優先なのは当然か。寮長も替わってしまったので、知り合いは居ないから特に挨拶などもせず、外を見るだけにとどめた。ここもいずれ売ったりするのだろうか。
帰りは坂を登るのが億劫になったので、東急バスに乗る。南日吉団地循環という路線があって、行きと帰りというのではなく、日吉駅発日吉駅行きのように運行している。その循環路線の中に東芝独身寮前というバス停があり、そこからバスに乗る。バスのルート沿線はあまり変わっていなくて、大きく変わったところといえば、東横線が高架になったことだ。東横線の踏切の手前がカーヴで見通しが悪く、列車が過密な時は綱島街道との交差点の信号機のタイミングもあって全然進まないことがあり、イライラするところであった。しかし今は高架になって、綱島街道の信号だけで動きが決まるようになり、混雑が緩和されたようだ。これは良かった。駅にはすぐ着いて、ここで帰るかというと、実はもう一つ、寄るところがある。原田写真工房だ。行きに浜銀通りから普通部通りへと大回りし原田写真工房たため、ここを通らなかったのだ。日吉時代、重要な写真のプリントは常にこの店に依頼していたのである。店主の次男(?)は世界的なオンド・マルトノ奏者の原田節氏(詳しくはご本人のHP参照。http://mirabeau.cool.ne.jp/onde/)。舞台写真のプリントではずいぶんとお世話になったもので、ある管弦楽団の舞台写真は必ずここで焼いてもらっていた。一度言った注文が必ず次回以降反映されていて、何も言わずとも好みの写真が上がってくる、良い店であった。いや、「あった」などと過去形で書いてはならない。ちゃんと、現在も営業していた。店の雰囲気が変わったので一瞬躊躇してから店に入ってみたら、2代目(?)店主と奥様はちゃんと覚えていてくれて、ひとしきり懐かしい話をした。店は改装して、壁を変えてあった。現像・焼付けの装置から出る汚れで店内が汚くなったので改装したのだという。当時の現像・焼付け装置も健在で、デジタルプリンターも導入したが、ほとんどの依頼で旧装置(光学式)を使ってしまっているという。デジタルプリンターはコントラストが強すぎ、諧調がなくて平板な写真になるからだそうで、全く同感である。また今度、大事な写真はここに依頼しようと思う。当時愛用していた無地に近いポケットアルバムはもう入荷しなくなっていて、買えなかったのは残念だ。最近不景気なのと、カメラ市場がデジタル化して写真屋さん業界の需要は減っているようだが、うちは昔からほとんど、普通のお客さんの依頼がなかったので、全然変わってないですね、とのこと。つまり、私は普通ではなかったのか..まあいい。今後もお世話になろう。
証明写真の依頼が入ったので、無駄話はやめにして、駅に戻ってきた。日吉は変わったようで、変わっていないようで、懐かしかったり安心したり、面白い散歩だった。


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03年5月25日 日吉 (横浜市港北区)
(拡大する写真には枠が付いています)