私のホームページをご覧になっている方々には薄々(?)感じられているのではないかと思うのだが、私は乗り物、特に鉄道が好きである。万世橋にある交通博物館が閉館するとあっては当然、行っておかねばなるまい。幸か不幸か、インフルエンザの流行でスキーの企画が中止になったので、万世橋に出かけ交通博物館ることにした。
何年ぶりになるのだろう。おそらく、中学生の頃行ったのが最後ではなかったか。であれば二十数年ぶりということになる。当時は国鉄の末期ではあるものの、今に比べれば優等列車のヴァリエーションも多かった。私は時刻表を見て、旅するでもなく計画ばかり立てている少年であった。そのころに比べると国鉄は分割されて長距離列車は減り、新幹線を建てては在来線を地元に押し付けて、どうも幹線の大都市間輸送ばかり便利になっているようで、鉄道ファンとしてはあまり面白くない。とはいえ、それと博物館とは別の話で、来年10月に鉄道博物館としてリニューアルすることは歓迎したい。そういえば、交通博物館という名前の通り、自動車、船舶、航空機の展示もあるわけで、それらはどうなるのだろう。他の施設に引き取られて行くのだろうか。それらの鉄道以外の展示物についてもよく見てこようと思う。
秋葉原駅から南へと歩き、万世橋を渡ると右に交通博物館がある。万世橋から見えるレンガの構造物は旧万世橋駅の遺構で、いま交通博物館から特別の見学ツアーが出ている(要予約)。それは予約していなかったので、とりあえずは通常の展示物を見る。自販機で310円のチケットを買い、入場する。ジオラマには黒山の人だかり現在、閉館キャンペーンで硬券(といっても分からないか..昔の厚い紙の切符)を復刻したものを先着順で配っているらしい。先着ゆえ今日の分は既に終わっていて、さすがに午後では無理か。もっとも私などは硬券が現役の頃に自分の旅行先の入場券や特急券などはコレクションしており、行ったことも見たこともない場所の切符は要らないのである。さて、入って左から熱気が伝わってくるのは、ちょうど15時の鉄道模型の運転をやっているからで、たしかに、遠目に見てもジオラマはよく出来ている。以前、私もHOゲージをやろうと少しばかり集めていたが、鉄道模型というのは、規模が大きくなると場所を取る。しかもHOでは模型が大きく場所を取る上に、高いという深刻なデメリットがあった。Nゲージにしておけばよかったと思いつつ、だんだん熱意がなくなってしまったのであった。ここの模型運転は、列車が多数同時に走っていて、それぞれを放送で解説しながら運転しており、凝りに凝っている。子供たちは食い入るように見ているが、脇のお母様は疲れてぼんやりしている。中には、隅の方で寝ている方もいらっしゃった。C57の動輪
右の方は、大きな吹き抜けになっていて、蒸気機関車が2両、C57と9850型が展示してある、その部屋の左の壁には蒸気機関車のプレートがびっしりと貼り付けてある。奥には新橋−横浜間開業時の1号機関車がある。9850型はマレー式といって、シリンダーが2組装備されているものだ。日本では珍しいタイプで、構造が複雑なので整備が困難であったという。なお、マレーとは人名である。C57は急行旅客用として多く使われていた形式だが、なぜここにあるのかと思っていたら、このC57135は昭和50年に最後の旅客列車を牽いた機関車なのだそうだ。きれいに塗り直されているが、近くで見ると方々凸凹があって、機関座席の展示車の部品というのが非常に大柄であることに驚かされる。一個ずつ、微調整をしながら組み上げているという印象だ。
9850型の向こうには、明治時代からの座席(3等)の変遷が見られるようになっている。明治の座席にはクッションがないから、この座席で長距離、とくに夜行だと大変だったろう。私は、昭和初期の背もたれが木製167系修学旅行用電車のものは実際に乗った経験があり、一番ポピュラーで現在でも基本的な形状が残っている昭和30年代以降のものは中学・高校時代の旅行でなじみがある。展示には、それ以降の特急用の座席はなく、特に期待していたのは以前あったはずの特別2等車のリクライニングシートだったのだが、これはなくなっていた。残念だ。座席のコーナーから中央を進むと、正面に修学旅行用電車が展示されている。いまやこういう専用車両は成り立たないとは思うが、長距離の旅=鉄道が当然だった時代の象徴の一つであろう。座席には大型のテーブル、しかも座席への出入りが難しいほどのものが設置され、スピードメータが出入り口についていて、出入り口の扉の部分には大型の飲料大正時代の客車の様子水のタンクがあるあたり、当時としては子供向けの充実装備であろう。この修学旅行用車両の周りには時代を反映してか、シミュレータが置いてある。これは人気の展示で、「一人一駅」と大きく表示され、駅に着くと次の人に交代して下さいとアナウンスが流れていた。模型のコーナー
さらに奥に進むと、模型のコーナーがある。模型は現在、入口近くの部屋で特別展示があるが、ここの模型はなかなか凝っていて面白い。1等展望車はソファが通路を挟んで向かいあって並んでいる。見ていて、これで果たして快適だったのかと思ってしまう。当時の乗務員の話を鉄道雑誌で読んだことがあるが、客は当然各界の名士たちで、忙しい合間の移動のせいか、ほとんど寝ていたとのこと。なるほど。ヘッドマークのローマジは今主流のヘボン式ではなく訓令式だ。富士が'HUZI'と表記される。ヘボン式は米国人が考案しそれが何となく国際的に通じると信じられているようだが、実際には英米人にも正確に日本語の音を再現できるものではなく、特にCHIのような表記は国によって全然違ってしまう。どちらかというと訓令式の方がいろんな国の人が発音しても似たような音になるように思うのだが。まあ、今更ヘボン式から戻そうとしても無理だろうけど。
模型コーナーを見て、御料車の展示を見る。このコーナーは意図的に暗くしてあって、荘厳を通り越して不気味なほどである。1号御料車のソファは破れがあって、さすがに重要文化財だから直せないのかな。
第1号御料車アプト式電気機関車の模型弊社製








幻のJALコンコルドここから別の通路を通り、入口近くの特別展示を見る。ここは特別なので、1階(鉄道の階)だが航空機模流線型蒸気機関車型などもある。コンコルドのJAL塗装模型があった。仮発注までしていたという。オイルショックでそれは白紙になってしまったそうだが、コンコルドが日本に就航して果たしてどうなっていたか。あまり変わらなかったのでないだろうか。何しろあれは定員が少なく、ほんのごく一部の人しか恩恵に与れないと思う。入口近くに行くと、流線型の蒸気機関車C55型20号機の模型がある。表面が凸凹していて、塗装も一部塗り直したりしているのだが、それがかえってホンモノの自動車のコーナーような質感に見えておもしろい。
2階に移動する。ここは自動車・船舶の展示コーナーだ。ここと3階は以前来たときの記憶が全くない。私の興味が鉄道本位だったからであろう。中央吹き抜け部分がないため、スペースは少ない。K.ベンツの、世界で最初の自動車のレプリカ(しかも動態)があるのには驚いた。国鉄バス1号車や鉄道連絡船などは新しい博物館に移動するかも知れないが、他の展示などはどうなるのだろう。しかるべき他の博物館に引き取られるのだろうか。船舶は大きさの都合から、模型の展示のみになる。とはいえ精緻に作られており、数は少ないが良い展示だ。
オート三輪、懐かしいベンツ・パテント・モートルヴァーゲン国鉄バス1号車








3階は航空機、未来の交通の展示。航空機はエンジンの現物と、航空機模型が展示されている。日本の航空史となると、どうしても軍事関係の話が入ってしまうのでなかなか展示を充実させられないの2階から吹き抜けを撮影か、別の部屋はJALの機体の一部(のようなセット)が設えてあるだけであまり面白くはなかった。未来の交通はほとんど見るべきものがなく、映写のTVモニターも壊れていたりして今ひとつ。さっさと通り過ぎてしまった。
というわけで、全ての展示を見たがやっぱり1階の鉄道に熱心になってしまうのは否めない。その鉄道にしても、来年の鉄道博物館がどのような規模になるかは分からないが、もう少し展示を増やしてほしいところだ。期待して待つことにしよう。




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06年2月10日 交通博物館
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