管理人の独り言
11年1月-3月
★11年3月27日 午前中だけでオワタ
今日は午前がYCSの練習、そのあとすぐにひまオケの練習。前に書いたとおり、ひまオケは本来夜の練習ですが、節電のための自粛【要請】を受けて午後一に変更しています。
で、表題はと言うと。 YCSの練習にトロンボーンのエキストラさんたちがいらっしゃいました。ラッパの出番は10:40から、トロンボーンの出番は11時から、となっており、実質練習の最後だけ吹くのですが、まあなんつーか激しい練習でした。元々指揮者が「金管あるところ=激しい」というタイプなのですが、なにせ「音を割れ」ってそんな指示するかねえ(笑)。地獄落ちのところだけど。
しかし、エキストラさんの魅力はそんなところではなく、ppでの音・ハーモニーの美しさにあります。こりゃやばいわ、私ごときだとこれはプレッシャー(笑)。んでもって、そのきれいな音のままffまで行っちゃう。
精進します..ってもう練習回数あまりないけど。2幕最後、体力もたないなあ。前後半でパート交替せにゃならんか?
YCSの練習後、もうこれでオワタと思いつつフジスーパーで弁当を買ってひまオケの練習場へ。ひまオケは午後の練習の場合、14時タクトダウンが慣例ですが、なにせ時間が無いので今回は13:30としており、昼食も慌しく済ませました。
指揮者は常任さんの御父上。地震の影響で2週練習を中止したこともあって、皆さん曲をすっかり忘れていてなんかひどかった..ま、この2週間たしかに音楽どころじゃなかったとは思うのですが、それにしても忘れすぎ(笑)。ドヴォ7はこれほどマイナーなのかと痛感しました。それぞれの音は、全然手も足も出ないほどテクニック的に難しいわけではないのに合奏がバラバラで、アマチュアによくある、聞き覚えに頼っているのが原因なんでしょうか。ま、しかし時間はまだある、と思いたい。
午前中でもう体力的に終わりかと思いつつ、ドヴォ7は何とかやれたのですが、後半のチェロ協奏曲はすっかり疲れてしまって1楽章最後では音がバリバリ割れてしまいました。なさけないなー。
終了後、上永谷駅まで歩いて、地下鉄とJRを乗り継いで川崎に。現像依頼している写真屋さんに向かいましたがBeの営業時間が18時までとなっていて間に合わず。日曜くらいもうちょっと営業していていもいいんではないかと思いますが。
仕方ないので、週末撮ったポジの現像依頼をヨドバシに出して帰ってきました。
★11年3月26日 デマかと思ったら
本当だったんだ..横浜市教育委、なに考えてんだ。それで被災地に何かプラスになるのかな。
授業減らしてクラブ活動中止して、生徒の何の役に立つんだろう。
★11年3月21日 3連休
土曜日。
長男Sが熱を出したので、基本的に外出はせず、自宅にて過ごしました。先日の昼間の停電(予定)のときに再開した子供のアルバム作りを継続すべく、08年7月〜12月の写真をセレクト。今頃かよ、と自分に突っ込みながら。
それをやったら、プリントに出したくなって、夕刻に川崎駅まで散歩。川崎Beに行ったら18時閉店とかで、閉店7分前にとりあえず写真屋さんにデータを渡しました。しかしまあなんだ、休日の電力ってそんなにやばいんだったっけ?18時で閉店しなくても、と思わないでもなし。
日曜日。
YCSの練習に向かったら、ひまオケの方から自宅に電話があったとのこと、午後の計画停電はなくなったから練習会場は使えるという伝言。とっくに練習中止を決定していたので、もう当日にやっぱやりますとも言えまい、ってことでそれはあまり慌てず、YCSの練習の休憩中にひまオケのコンミスR子さんに伝言(元々この日弦分奏だったから)。結局、個人練習に使うのみ、としました。
YCSの練習はできて良かった。日曜午前中、電力の心配が比較的少ない時間帯であることもあって(結果として、だが)開催には最も条件が整っているオケでもあるでしょう。もっとも、今後合唱やソロとの合わせ練習は夜間が予定されており、これは市の節電方針によってかなり変更を余儀なくされそうです。
練習後は近くの蕎麦屋で昼食。今日は、というより最近もっぱら鉄道利用なので、ビールを2杯ほど飲みました。14時前だったかに配偶者Sの実家に到着、長男Sの熱は少し下がっているもののやはりまだ高いので、その後はずっと家で過ごしました。
翌日仕事なので夕食後、私だけ帰宅。そうそう、この日は少し写真を撮りました。ライカIfにコシナフォクトレンダーのヘリア50/3.5で。
月曜日。
本社で打ち合わせ。昔、岩手東芝に出向していたので、今回の震災対応についての協議。限定されたメンバーとの触れ込みだったのに、行ってみたら20人くらい居て驚きました。最初の会議がかったるい始まり方だったのですが、その後は分科会のようになってそれぞれの分野に分かれて協議し作業をしたので、まあまあ捗ったかな。具体的な話が出来たのは出向当時やはり同じ部に居た設計課長で、お互い知識を補完できたのは大きかったです。それでも、結局1日かかってしまいましたが。
終わってから都内の中古カメラ屋を冷やかしてから帰るかと思ったら、今日が祝日であることに気付き、カメラ屋がそもそも営業していないことを思い出してがっかり。加えて、土曜に出したプリントと現像が引き取れない時刻になっていました。ま、急ぐ案件もないので、いいや。
★11年3月19日 中途半端
選抜高校野球、予定通り開催だが、ブラスバンドや鳴り物禁止、チアはやっていいがポンポンはダメとか。
いやまあ、その、野球は静かに見ようよという昔からの課題もあるんだけど、それは議論が混乱するからおいといて、なんでこんな中途半端なことにしちゃんだろう。被災地への配慮?いや、ブラスバンドがなければ被災地の何かの役に立つ、ならいいんですが..吹奏楽部員のバスの分の燃料は節約できるでしょうが、全体から見たらたいしたことはないし。
単に、プロの日程と合わせるために予定通りやるしかないから、華美だと怒られないように規制掛けちゃえ、くらいなところ?(むろん憶測)
ちなみに、私自身は、どっちかというと「静かに観戦したい」派です。でも、鳴り物応援を否定はしないし、昔2試合だけだけど吹いたこともあります。私が言いたいのは、応援の形態とか、そういうのをお上が指示することじゃないのでは、ということ。哀悼の意を表するのは、ブラスバンドの中止やポンポン使用禁止で行うのではなく、他にもやりようはあるでしょうから。
★11年3月18日 停電2回目
昨日今日と、連続で停電となりました。
今日は15時20分から。昨日より早いので、会社の動きは尚更慌しく、12時前から立ち下げている装置もあり..困りますねこれ..
15時頃にはデスクトップPCはオフし、モバイルに切り替えました。15時半ごろブチっと停電。ネットワークが切れているので、PCはスタンドアローン状態。一応その状態でも仕事すべきネタはありますが、皆、だらっとしてしまうのは否めません。電灯は既に朝から全消灯なので明るさは変わりませんが、エアコンが切れたのでかなり静かになりました。
1件だけ、明日から休暇になる部下からのデータをもらおうとしていたのが停電に間に合わず、部下のPCと私のを並べて、エクセルの数字を1セルずつ転記。原始的だけど仕方なし。USBメモリとか使えば、という方もいらっしゃると思いますが、昨今、こういう小さなメモリにデータを入れて紛失したり、Winnyを入れてたのを「知らなかった」という人もいるんで、各PCには強烈なセキュリティがかかっていて、汎用のメモリには接続できなくなっています。
そんなことをして、停電後も2時間近く粘っていましたが、フロアには10人くらいしか居なくなり、ここでやったって帰宅後にやったって同じだし、ということで帰宅することにしました。
会社も自宅も同じグループなので、停電しているところから停電しているところに向かうことになります。途中、川崎のヨドバシに寄ったら、ここは停電していないのでフィルムを買い、そこからまた歩いて帰ってきました。日が落ちて暗くなった街には街灯も家の明かりもなく、いつもの明るさに慣れているとこれは不安になりますね。昔行った、タンザニアのダルエスサラームとか、ペルーのリマとか、暗いところは足元が全然見えず怖かった。リマじゃ犬のうんこ踏んだし..
と、脱線しそうなので帰宅ということで..
ちょうど自宅前の交差点を渡るところで通電再開となりました。国道1号線の信号は発電機で動かしていました。なるほど、停電2日目ともなると手慣れてきますね。
帰宅すると、通電しているというのに、ろうそくつけていました。私に見せたいからそのままにしていた由。ならば撮影しておきましょう。
★11年3月17日 初停電
ずっと停電したり断水している方には申し訳ないと初めに謝っておいて..
で、今日初めて、停電となりました。
会社に行って、今日は夜まで停電はなさそうだ、という話があったので同グループの家のほうも一安心かと思っていたら、「夜まで・・」がガセだったのか、あるいはそれに油断して皆が電力を使ったからなのか、経済産業大臣談話が出て、15時前に会社のいろんなサーバをダウンさせるとの通知が出ました。もともとの予定時刻よりダウンが大幅に早く、どうしたんだろうと思っていたら、17時退館の通知。慌てて電源を使っている作業を終えて、帰ってきました。
17時40分過ぎに帰宅したら、家族は既に風呂を済ませて、食事の準備中。では私も入っておこうとざっとシャワーを浴びて食事。食後に食器を洗って、コーヒーを作ったところで停電となりました。長男Sはアンパンマンを見ていたところで、不満を言うかと思ったら、そうでもなくて、やはり一瞬で真っ暗になったので驚いたようです。
外がけっこう明るいので全暗黒というわけではありません。まず南西にJRの変電所があるのでそこが明るいのと、マンションの階段に非常灯がついたのでそこもうっすら明るい。東の川崎側はずっと暗いので、その方角は相当の戸数が停電したのでしょう。また、道路にはパトカーが止まっていて回転灯が目立っていました。
私はiPhoneの懐中電灯アプリを使ってそれを天井に向けて置いて、部屋をうっすらと照明することにしました。オリンパスの防水カメラにもLEDランプがあるので、それも使えるのだけど、シャッターを半押しし続けなければならないので使いにくい上、長男Sがイタズラして写真を撮ってしまうので今回は停電時には使用せず。天井に映った丸い明かりに向かって影絵をする配偶者Sと長男S。次男Mにも大うけでなかなかいいですね。
その後はニンテンドーDSで太鼓の達人。ベト7を「おならの音」Verでやって大いに笑いました。
わりと、暗い中でも怖がらずに過ごせたのは良かったかな。むろん、こういうのは前提として待てば回復すると分かっているから大して危機を感じない、というのがあるだろうから、被災している方に比べて恵まれているのを忘れてはいけませんが。
息子たちにとっては初の停電体験。これからも何度もあるでしょうから、息を押し殺して過ごすだけではいかんと思って、初日ははしゃいでみました。
★11年3月14日その2 NHK_PR ツイッターにて
NHKの番組宣伝・広報のアカウントが番組の宣伝をつぶやくと、「何考えてんだ」的なコメントがつくらしい..たしかに今は非常時だけど、それぞれの持ち場を守るべきじゃないかと。だれもが災害のことをつぶやく必要はない。
こうした、意味のない他人への矯正(強制)指導的な雰囲気は日本人の弱点ではなかろうか。ぜいたくは敵だと称して、使える服を使えなくしていたのと大差なし。
そういう意味で、教育TVが子供向け番組を再開したことは支持したい。もう一歩進んで、津波映像を少なくして、孤立した避難所の情報などを流したほうがいいと思うけど。と思ったら教育TVでは安否情報と生活情報の番組を交互に組んでいるんだな。
先ほど、学生オケの同期が勤める気仙沼市立病院が映ったときは、実質意味はないのかもしれないが少しホッとした。むろん、その同期のK君が無事であることの確証にはならないのだが。それでも、何が不足しているとかのアピールがなされていたから、補給路がつながっていれば良い方向に向かうと思いたい。
明日は午前が休業で午後出社。夜の電力は大丈夫だろうか。開発を遅らせず、損益を確保し復興の支援ができるようにがんばりたい。
★11年3月14日 休業決定
会社は本日終日休業決定。
家から近いので歩いて会社に。
すると、入口に「終日休業決定」との張り紙。緊急以外は入構しないようにとのこと。
で、緊急と称して入室しました。
職制が通勤中で休業決定を知らないと見て、緊急連絡網で電話連絡しました。上の階層は電話が通じず、とりあえず担当者に連絡したところで、会社の災害通知システムから休業の連絡ありました。しかしこれは人によって届く時間がマチマチのようで、先ほど出社した上司2人のうち1人には未着。携帯メイルはこういうときにバラツキ出ますね…
とりあえず今、せっかく入構出来たので、事務所PCのデータをモバイルに移しています。
それが終われば帰宅します。
それにしても間抜けなのは会社の空調。タイマー通り動き始めちゃった。誰か止めないと…
★11年3月13日 明日は午後休業
輪番停電の通知が会社にあったらしい。私の職場は午後1:50から停電ということで、午後は休業だ。
で、家の地域が何時なのか問題だが。ツイッターでグループ分けの表が出ているが、自宅の地域はリストアップされていなかった。しかし同じ町内でグループが分かれていたり、こりゃ相当混乱しそうだ。明日はアナウンスのための車が出るらしい。原始的だが、それもまたアリかとも思う。
というわけで、7時くらいには事務所に入るべくがんばろう..
停電や節電には協力しつつ、あまり過度の自粛モードや、他人を指弾する「不謹慎」といったキーワードはやめたい。いま、被災地以外の地域が停滞すると、復興も滞る。
被災直後、日本での統制された冷静な対応が賞賛されたが、統制が行き過ぎると停滞する。それを止めて被災地域の役に立つのか、あるいはいまの自分たちのリスクを減じることができるのか、ということを考えないと。リスク管理は重要だけど、最悪の事態だけを挙げて何もしないのは、リスク管理ではないと思う。ま、これは会社の仕事でも最近感じることだから地震の件とはまた別の思惑が働いているのは否めないが。
ともあれ、やれることはとにかくやろう。
★11年3月12日 しばらく離れるか
フジテレビだか、総理の記者会見場で私語している声が入った映像を見た。
程度が低すぎる。そもそも記者会見場で私語自体いけない上に、内容もひどい。
とりあえず、家にずっといてこうしたことを見るばかりでは精神的に問題がおきそうなので、明日はTVやPCの前を離れて、活動します。
何か支援、とは思うけど、いま時点、できるのは義捐金くらい。交通事情からして個人が手伝いに行くわけには行かないし。昔いた岩手の職場の状況は全く伝わらず、しかしここは我慢。通信負荷になる余計な連絡はしないに限る。
★11年3月11日 無事を祈る
宮城には4年、岩手には4年半いました。仲間の無事を祈ります。
ツイッターの威力はすごいな。あれが一番安否確認に確実みたいで。ただ、流言がRTされたりという負の面もやはりあるわけで、ほんと、こういう災害のときって難しいです。
私は17時20分ごろに会社を出ました。ほとんどの人は交通機関が止まっているため会社に残っていました。たぶん泊まる人も多数いるでしょう..私は幸いにして会社から徒歩35分くらいのところに家があるので、徒歩で帰ることができましたが、配偶者Sの実家(港南区)は停電中で、義母は家に帰れたけど義父は大田区にいるので帰れない模様(電話・メイルは通じない)。何とか鶴見区まで来ればうちに泊まってもらえるのですが、なにしろ連絡がつかないのでどうしようもありません。
地震が起きた時は事務所で執務中でした。机の下に潜りましたが、最近のオフィス机は袖引き出しが移動式なので、それが左右にぐらんぐらん動いて、ぶつかりそうになりました。その後15時から会議でしたが、会議中に余震が来て会議は中止。
職場のTVはゆれのためにアンテナが不安定になったのか、地上波デジタルがまともに映らず、そこらの社員の持つワンセグ携帯が情報を流していました。私はiPhoneでRadikoを聞いたり、ツイッターを見たり。
会社の事務所からうちのマンションが見えるのですが、17時ごろに見たらマンションの電気が消えているみたいだったので帰ろうと決意、仕事はほっぽって帰宅しました。川崎駅周辺はものすごい人混みで、ラゾーナ川崎も閉鎖、少し迂回して帰宅しました。家族は全員無事で、長男Sは地震のとき保育園で昼寝中で、気付かなかった由。大物だな..
家の中は一応地震対策で本棚やCD棚には処置をしてあるので大丈夫でしたが、防湿庫は心配でした。しかしこれもセーフ。とりあえず安心。
明日の会社のオケの練習は中止に。たしかにこの交通機関では明日まともに行動できるとも思えないし、賢明な判断でしょう。明後日の練習はどうするか。関係者にメイルしようかどうかと思いましたが、今日はやめときます。回線を少しでも空けないと。
と書いていたら、義父が到着!
17時に蒲田を出て、いま到着だそうです。お疲れ様でした。
★11年3月10日 テデウム大貧民
月曜、長男SにiPhoneのゲームをやらせていました。大貧民は、ルールを知らなくても、出せないカードは暗転して選べないようになっているし、全部出せなければ自動的にパスしてくれるので、幼児でもできないことはない。しかも、たまに平民をキープしていたり、富豪になってエースを貧民に上げてたりして、びっくり。
で、このゲーム、BGMが選べる。ゲームのオリジナルのと、iPodに入っているのと。それで月曜には長男Sはブルックナーの「テ・デウム」をかけて大貧民してました。
「ねえねえ、なんかうたがはじまったんだけど。」
「そうだなあ、だってテ・デウムだから。」
「・・・・・」
「すまん、もっとまともな答えをすべきだったな」
★11年3月7日 コンサートへ
配偶者Sが、ですが。
今日は、昨年ひまオケにロココ変奏曲を弾きに来ていただいた横山 桂さんのリサイタルへ行くことになっており、私は会社を16:40に出てラゾーナ川崎で息子たちを引き取り、帰宅。しばらくテレビを見たりボールで次男Mと遊んだりしてのんびり過ごしました。
夕食は配偶者Sが用意してくれたマーボ豆腐など。ついでにインスタントのタンタン麺も作ったら、息子たちが大半を食べました。
19時半ごろ、次男Mが風呂場まで行って中を指差すので、じゃあ風呂入るか、ということに。長男Sは部屋でミニカーを並べて遊んでいたので、次男Mが風呂場で眠くなってしまい、ちょっとタイミングが悪いことになってしまいました。なので長男Sはさっさと洗って退出。
その後はiPhoneでYoutubeの動画などを見つつ、ゲームなどもしたりして過ごしましたが、20時ごろには早くも次男Mが眠さの限界に達し、その後2時間半、ずっと泣きっぱなし。その間、私もずっと抱いていたので左手と左耳がなんだかヘンになってしまいました。配偶者Sは22時半ごろ帰宅。ドアのカギが開く直前に次男Mは寝入ったのですが、ドアの音でガバっと起きて「う、だー」と玄関を指差し。そこでようやく配偶者Sに引き継ぎました。
演奏会は非常に良かったとのことです。ピアノの方も素晴らしかった由。ラフマニノフのチェロソナタのCDを今度買おう、ということに。
その後、私は自由時間になったのでバリ島3日目の記事など作業して、これから寝ます
★11年3月5日 保育園、そして府中へ
土曜日は保育園の入所説明会。次男が4月から入るのです。配偶者Sは会社のオケの弦分奏なので練習に行き、私が説明会に出向きました。他には父親だけで参加というパターンは全くなし。うーむ。そういや保護者会に参加したときも一人だけで、園長さんの挨拶とかで「お母様方、本日はお忙しい中お集まりいただきまして・・・」って、お父様もいるんですが、とつっこみたくなったこともありました。
で、つぶやきにも書いたけど、説明がダラダラと長い。しかも覇気なく配布資料をそのまま読んでいるだけ。それじゃだめでしょう。
その説明も1時間で終わり(それでも長いよな)、今度は面談へ。面談といっても、主としてだれが送り迎えするか、何時ごろを考えているか、とか食べ物の好き嫌いはあるか、といったことです。それと、棚やタオル掛けに表示する子供の写真を撮る。それだけなのに、なんだか世間話モードになって面談が長すぎる!ここは育児相談のコーナーじゃないぞ!(面談も待機も同じ部屋だから内容も筒抜け)
と文句もいいたくなってツイートしたら次に呼ばれました..誰か見てた?(笑)
で、質問事項にサクサク答えていたら2分で終了。質問をしている先生方がなんか苦笑いしている。まあ前の人が長かったからねえ。でも笑うとこじゃないでしょ。
次男Mは待ち時間が長かったためすっかり寝入ってしまい、写真撮影は後日と相成りました。
園庭で遊んでいた長男Sと合流して、一旦帰宅。リュックと帽子を買ったのでそれを置きに戻り、次男M(保育園を出たところで目が覚めた)のオムツを換えて、府中の私の実家に向かいました。
府中ではまずレゴでタワーを作り、昼ごはんを食べて、配偶者Sが練習から帰宅してこちらに向かうのを待って、郷土の森というところに行きました。最近の春先では定番です。私は健康のために先に徒歩で向かい、親が配偶者Sを駅に迎えに行って後から合流、の予定でしたがやっぱり車のほうが速くて、私のほうが3分くらい遅かった。距離は2kmくらいだからたいした散歩ではありません。
郷土の森には古い建物がいくつか移築されていて、ただの森だけではないのが良いところです。ひな祭りは終わっていますが古い商家の中に立派な雛飾りがいくつか展示されていました。
梅はちょっとシーズンを越しているような気もしましたが、それでも熱心に写真を撮っている人も多く、夕方近くだけどわりと賑わっていました。
帰りも散歩。故意に遠回りして3kmくらいは歩いたと思いますが、やはり大した距離ではないですね..
実家に戻り、夕食をいただいてから、私は帰宅。翌日午前からYCSの練習があり、府中からだと2時間以上かかるので。
と、そういう理由で帰って来たはいいが、バリ島の旅行記編集をして夜更かし。翌日寝坊する羽目になりました..
★11年2月27日 週末いろいろ
簡易に。
土曜は会社のオケ。個人的に調子はイマイチ。また、練習がわりとチマチマしたところでつかまえていたことから、異様に押し気味で進行し、メインの交響曲の時間が1時間しかなくなってしまった。もうそろそろ、譜読みめいた指摘は受けちゃいかんと思うなあ。
そのオケの練習時、長男Sが転んだ拍子に足を痛めたようで、左足が動かないという。オケに産業医がいるので、診てもらったら、左足の筋がちょっと張っているようなので、整形外科にみてもらったほうがいいとのこと。そこで、配偶者Sは同期会をキャンセルし、私も練習後の飲みには不参加となって急遽帰宅。飲むつもりで車で来なかったから抱いて帰るのがキツい。
帰宅後、休日診療の案内に電話して整形外科のある病院を紹介してもらったら、先日次男Mが椅子から落ちて目の上を切ったときに行った病院と同じだった。比較的近いし、何より場所が分かっているのはありがたい。結果は、正常な範囲でしょう、すぐ歩けるようになると思います、で終了。事実、今日には歩けていたので、良かった。
ところが今日は..その長男Sが38度を超える熱を発してお腹が痛いという。そこで今日の練習(YCSとひまわり)をキャンセルしてまたも休日診療案内の電話に..今日は小児科の救急がある川崎の病院を紹介された。病院は非常に混んでいて、待っている間に嘔吐もして、看護士さんに拭いていただきました..すみません。自分のトレーナの左手側も嘔吐物で濡れてしまった。
30分以上待って診察を受けたところ、発熱が分かってから数時間なので、まだインフルエンザの検査はできない、よって解熱剤と嘔吐感を抑える薬を出すから様子見、という診断。薬局でもかなり待たされて、私自身もヘトヘトになり、頭痛が..これはヤバイ..
帰宅後はひたすらノンビリ。配偶者Sが買い物に出るときに長男Sがどうしても一緒に行くと大泣きしたけど、当然連れて行くわけには行かず、部屋で不貞腐れ状態。そこにピンポンとだれか訪問が。配偶者Sが鳴らしたのと思って、長男S「あんなの行かなくていいの!」と言うのだが、玄関に出てみたら同じ保育園のkokoちゃんがお土産を持っていらっしゃったのだった。とりあえず、病気なので挨拶は遠慮ということで誤魔化す。
解熱剤で多少落ち着いたのか、長男Sがぽつぽつ話をするようになったので、iPhoneでYouTubeの新幹線通過シーンなどを見つつ過ごす。
配偶者Sが買い物から戻ったあと、私は単独で川崎まで出て、バリ島の写真のプリントを引き取り、アルバムを購入。
夜には長男Sは平熱近くまで下がっており、どうやら問題なさそう。
★11年2月13日 帰国
バリから帰国しました。帰りの夜行便、直前まで息子たちは起きていてくれて、空港でずっとダッコというパターンにならず、楽ができました。しかしやっぱり、エコノミークラスで夜行はつらい。もう無理が利かないね。
★11年2月9日 ナチュラルトランペット グループレッスン
何ヶ月かに1回、TNさんの主宰でナチュラルトランペットの勉強会が開催されているのですが、今回はビッグな講師が!バッハ・コレギウム・ジャパンの演奏会に出演するために来日しているジャン=フロンソワ・マデゥフ氏(と共演の2人)が登場。前にも書いた通り、音程補正孔を使わない、厳密な意味でのナチュラルトランペットで、完璧な音程で吹いてしまう世界的な名手です。むろん、音楽は音程だけじゃないですから、すばらしいのは氏の奏でる音楽であるのは言うまでもありません。
今日のレッスンも、音程がどうとか高い音をどうして当てるとか、そんな話は出ません。口先でこうやればこうなる、という次元じゃないんですね。フィジカルな部分が決まれば、あとは音楽を奏するミュージシャンとしての自分が、フィジカル部分を気にせず歌いだす、とおっしゃっていたような。
どうしても「この音、フレーズ苦手」とか「マッピがへんなとこにズレちゃった」とか「息足りねー」とか、日々是その場のことばかり考えているヘタレアマチュア奏者にはそうそう真似できるものではありませんでしたが、しかし思ったのは、普段オケでやっているときに、力任せに楽器に息を押し込んで、何とか音を「出してもらっている」状態ではダメなんだということは理解できました。それはがんばっているように見えて、じつは能動的な音楽にはなっていない。
ベンディング(唇や息の状態で音程を補正する)について質問されていた方への解説では、マウスピースだけの状態で音程が自由に出るから、そのままのを楽器で増幅している、という感じで吹いていらっしゃいました。だから、ナチュラルトランペットなのに、半音階までできてしまうのです。もう、唇のところで、音程が完全に出来ていて、楽器は自然倍音(自然数に比例する振動数)に関係なく、ただ共鳴している、という。うーん、なんと言っていいのやら。
それに、何よりも、しゃべるように音が流れ出る、あの雄弁な音楽には形容しがたい感動を覚えます。BCJ演奏会でも堪能しましたが、1.5m先でそんな音がしているのですから、圧倒されました。
教育がのびのびになってしまって遅刻したのが悔やまれますが、あの音を聴けるだけでも幸せですね。実に良い体験ができました。TNさんありがとうございました。
★11年2月5日 東京室内歌劇場 シューマン「ゲノフェーファ」
掲題のオペラを観劇しました。
元々は昨年のシューマン生誕200年の企画だったのではないかと思いましたが、なんかこの時期にずれた、というような話だったような。ちょうど家族が出かけている時期なので結果として好都合だったんですが、しかし折悪しく腰を悪くしたので、こちらは結果として最悪。±ゼロかな(違
あらすじはごく簡単に言うと、
ジークフリート伯爵が戦地に赴くことになった。夫人ゲノフェーファを残していくにあたって、伯爵は信頼している騎士ゴーロに城の留守を託す。ゲノフェーファが、伯爵を見送ったあと悲しみのあまり失神してしまうと、ゴーロは夫人の美貌に惹かれ、ついキスをしてしまう。
城の夫人の居室で、ゴーロは得意の歌を歌うのだが、その歌詞に興奮してゴーロは夫人に好きだと言ってしまう。しかしゲノフェーファは拒絶し、言い争いになる。ゲノフェーファが思わず口にした差別的な言葉にゴーロは逆上し、ゲノフェーファに復讐すると言い放つ。
ゴーロの乳母であったマルガレータは以前何かの問題で城を追い出されたことから、伯爵に仕返しがしたいと思っている。伯爵が出征している間に、ゲノフェーファと城を奪ってしまえばいいとゴーロをそそのかす。ゴーロは重臣ドラーゴに、何か夫人が悪いことをしているようだと伝え、夫人の部屋に隠れて監視することを勧める。そこに、別の部下たちを急襲させ、ゲノフェーファとドラーゴが密通しているとしてその場でドラーゴを殺害してしまう。
いっぽう戦場近くでは、マルガレータが看護師に変装してジークフリートの看護をしている。薬の代わりに毒薬をつけているのだが、ジークフリートは弱る気配がない。そこにゴーロが「ゲノフェーファとドラーゴが不義を働いた」と司祭が書いた(偽の)手紙を持って現れる。ジークフリートは怒り狂い、マルガレータが魔法の鏡を使って見せる(偽の)映像を見てゲノフェーファを死罪にすると宣告する。ところが、映像の中に出ていたドラーゴが幽霊となって現れ、マルガレータに「真実を語らねば火あぶりだ」と脅し、マルガレータは炎の中で苦しむことを想像してもだえる。
城の近くでは、ゲノフェーファは処刑のために山に連れて来られている。ゴーロが現れ、私と逃げれば助かると言うが、それも拒絶され、ゴーロは悄然と去る。役人が処刑をしようと刀を振り上げたとき、マルガレータに連れられたジークフリートが現れ、誤解が解けて許される。
って、ごく簡単ではないですね..
で、この配役たちですが、マルガレータとゴーロはシューマンの心のドロドロしたところを表現しているような気がします。「あんた病気じゃない?」「ああ、病んでいるとも」みたいなセリフはいかにも自分を嘲笑しているような感じがしますし(このオペラ作曲の数年前から精神病の兆候が出ていた)、なんといってもゴーロの優柔不断というか未練がましいというか、揺れ動きすぎの、つまりドイツ人の求める騎士像としては完全に落第であるゴーロにシューマンはたくさんの時間を割いています。もっとも、正義と貞淑の象徴であるはずのジークフリートとゲノフェーファも少し陰があり、ジークフリートは取り乱して妻を殺せと言うし、ゲノフェーファも上に書いたとおり、かなりどぎつい言葉でゴーロを責めたりします。ここらへんはシューマンさんもうちょっと区別しておけばなあ、と思わないでもないです。(台本もほとんど自分で書いたらしい)
ただ、出征の場面や大団円、といったところは端正な音楽でまとめられていて、みじんも揺らいだところはなく、ちょっと繰り返しが多いかなというくらい念押しをされておりました。観客をホッとさせるところも必要ってことでしょう。
音楽は、非常によく合っていたと思います。揺れ動く心情に、シューマンのシンコペーションってピッタリですね。ここぞというときに出番のあるトロンボーンやピッコロ、ヴィオラの低音の刻みなど、オーケストレーションはむしろ冴えていると思えるほどです。1幕最初や4幕の最後には長いコラールがあり、金管は荘厳でカッコイイ。1幕はトロンボーンかなりきつそうでしたが、そのために序曲の最後で登場して音出しさせているんだなあ、と勝手に納得しました。4幕のフィナーレではトランペットのキラリとした合いの手がすばらしい。また、ホルンはシューマンらしく要所要所で活躍していて、やりがいありそうですがたいてい4人でソリになって音符も細かくて大変ですね。ま、これは既に序曲で予告されているわけですが。
そんなわけで、非常に楽しめました。歌のソロも上手かったですが、城の人、街の人である合唱もきれいで存在感も適切。
舞台装置は簡素でしたがイメージはよく分かったし、たった2日で終わるのはもったいない感じでした。唯一ちょっとねえ、と思ったのはマルガレータの衣装かな。黒魔術にのめりこんでいるという設定なので、もっとおどろおどろしい服装が良かったのでは。普通にオシャレしている感じだし、歌い手さんがかわいい感じの方なので、なんかちょっと軽く感じてしまいました。歌い方は良かったと思うのですが。
楽しめたんですが、腰は調子がいまいちで、2幕後の休憩と、終演後、立ち上がるのに5分くらいかかりました。長い間座っていると、筋肉が固まってしまうようです..こんなんで、来週7時間半(帰りは9時間)も飛行機乗れるのだろうか??
帰りに、今日会社のオケのコントラバスの指導をいただいていたMPOのNFさんと渋谷で待ち合わせ、会食をしました。遅れてTrbのTY氏も合流。楽しく語らっていたら腰の調子が良くなりました。少し安心。
★11年1月26日 実現するか、義父同行
家族がバリから帰るのは2月中旬ですが、それに合わせて帰国支援で私も飛ぶことになっています。帰りが夜行便なので、搭乗するまでのダッコ要員、ってことはもう書いたか。
で、今週日曜に義父を誘ったら、行くという決断。早速旅行会社にアクセスするも、電話に出ない。担当者の携帯電話に電話しても出ない。平日定休とは聞いていないんですが..
というわけでもう直接航空会社に、とガルーダ・インドネシアのwebサイトにアクセスしたところ、満席で取れない!キャンセル待ちをするにはオンライン担当までメイルを、とあったので希望の便と義父の名前をメイルで送信しました。するとほどなくして返信があり、行きがキャンセル待ちで帰りは確保とのこと。残念ながら格安の購入期限は明日で、明日までに確保できる見通しはないとのことなので、PEX運賃になりそうです。PEXも割引といえば割引ですが、15000円ほどアップします。燃油SC入れたら96000円くらい。
さて、行きがOKになるかどうか、これからしばらく気になる日々ですね。
そういや、ガルーダ・インドネシアってリコンファームが必要な会社なんですな。珍しいのでは。私は到着後72時間以内に出発なので不要ですが、配偶者Sは必要です。旅行会社経由で買ったチケットは旅行会社でやれとあるのだけど、上記のごとく、旅行会社が電話に出ないとなるとちょっと困ります。自分が出国するまでに、一度航空会社に電話しておくべきだな。
★11年1月24日 1934年生まれ
私の母ですが。
先週は家族のバリ行きに付き合ってくれて息子たちと一緒に遊んでくれました。水曜には帰国したので、来月の私の帰国支援と同じく2泊4日機中1泊です。
その母が、なんとmixiに入会して配偶者Sのバリ日記を読んでいるらしい..昔はパソコンなんて、と言っていた母ですが、何時の間にか分からないことは自分で検索しているし、配偶者Sがmixiに日記を書いているというと、そこに参加して活用を始めたわけです。(ちなみに私のところには足跡すらついていませんでした(笑))
ちなみにカメラは私が上げたE-500に18-180mmズーム。これも、何年か前に見たら、弟の娘を運動会で撮っていてその写りがかなり良いのでビックリ。それまでカメラは私の父か私が担当だったんですが、これまた何時の間にか使いこなしているのです。
年寄りのアクチビチー、なかなか侮れません。
★11年1月23日その2 いろいろ
家族がバリに行って1週間。
驚くことに、自分の予定を一瞬思い出せないことがありました。今朝、YCSの練習があることを失念していたのです。
ふだん、週末予定は配偶者Sにはまとめて渡しているんですが、だから今日はなんだとか朝起こしてくれるとか、そういうことはなくて、勝手に練習に出かけるだけなんです。だから家族がバリに行っていても淡々と練習に行くであろうと思ったら、忘れていた。不思議だ。配偶者Sに予定表を出すという行為が、適度なレヴューになっていて予定が頭の中に残りやすいということかもしれません。
で、YCSですが、トランペットの出番は後半に集められていて10:45からなので、朝気付いても間に合いました。もっと早く着いたのですが、練習用ミュートを忘れたので、練習場の片隅で音出しをするわけにも行かず、練習場の近くを散歩しました。日曜の朝とあって付近の住宅街は静かで、ぶらりと寄ってみた日枝神社には誰もいなかった。しばらくすると路上にちょっと怪しい改造を施したワゴン車が停車して、中から若い女性が2人。ちゃんと参拝していました。しかし車は鳥居の脇に路上駐車。信心深いのに、マナーはなってない。なんだかよーわからんな。
事前に連絡されていたYCSの出番は1幕のオケつきレチタティーヴォとフィナーレ。いずれもC管のみです。一通り練習が終わったら、指揮者が急に「序曲もやりましょう」と。うげ、D管出してない!待ってくれ〜(と声には出さないですよもちろん)、慌てて換装して間に合いました。
終了後、YCSに入ったひまオケの2人と、途中合流した1人とで昼食。ゆっくりと食事したので、終了は14時を回っていました。こういう時間は楽しいですね。
夜はひまオケの練習。今日は常任指揮者のお父上の練習で、ドヴォルザークのチェロ協奏曲のみ。わりと良いペースかと思ってましたが、2楽章以降でかなり時間を使って、最後は駆け足でした。相変わらず熱くゆるぎない信念と推進力に満ちたご指導には感謝です。
夕食は配偶者Sの実家に。子供を預けていないから、私がノコノコ行ってごはんを頂くのはどうかと思っていたら、先週遠慮しちゃだめ、とメイルが来たので、早速お言葉に甘えに..
しかしごはんを食べるだけでは能が無いので、iPhoneのSkypeでバリの配偶者Sにつないで、孫たちの様子を見せました。ちょうど子供たちがナシ・ゴレンを勢い良く食べているところが映し出され、これには非常に喜んでました。iPhoneだとそんなことができるのか!なに!TV電話が無料?と機種変しに行きそうな勢いだったので、いやこれは元々パソコンでやるものなんですと解説しておきました。解説になってないような気もしつつ。
で、ついでに2月中旬の帰国支援に付き合いませんかと提案、義父はすっかりその気に。義母は現役で教諭しているので試験があって無理。義父は休暇が取れそうとのことで、今週中に判断予定です。実家ではじーじの子分のようになって遊んでいる長男Sは喜ぶだろうなあ。これは楽しみです。
★11年1月23日 ちょっと違わないか?
7割ちょっとなんだから「完全に理解できる」はないだろうに…
以前出張に行った韓国のある会社では、営業の人は出勤前に英会話学校に行っていて、新卒は900点とか言ってた…
〜〜
■新卒採用、TOEICは730点以上…武田薬品
(読売新聞 - 01月23日 03:05)
★11年1月22日 バッハコレギウムジャパン演奏会
ミューザ川崎にてBCJのバッハ管弦楽組曲全曲演奏会を聴きました。
管弦楽組曲 第1番
管弦楽組曲 第4番
(休憩)
教会カンタータ 第42番より シンフォニア
管弦楽組曲 第2番
管弦楽組曲 第3番
弦楽器はヴァイオリンは3人ずつ、ヴィオラ2人、チェロ2人、ヴィオローネ(コントラバスに相当する音域)1人、これにチェンバロ、オーボエは2-3人、ファゴット1人、トランペット3人(組曲2・3番)という編成で、組曲第3番はフラウト・トラヴェルソ(横笛)のソロを目立たせるためか、弦楽器は1人ずつでした。
こういう人数で演奏する団体なので、ミューザ川崎はちょっと容積が大きいかも、と思って座席は2Cブロック3列目中央を確保。ロマン派以降のフル編成オケだと、この席はちょっとうるさい感じなのですが、今日はちょうど良かったと思います。
全体を通じて、均整の取れた、透明感がある響きと、流れる音楽が良かったです。
木管は組曲第1番のOb2+Fgの合奏がすばらしい。柔らかい音だけど、ゆるぎないテンポ感と推進力。こういうバランスって難しいんではないかと。それはトランペットが入る曲でも同じでした。
トランペットはこの団体のメンバーではなくて、以下の3名が担当しました。
ジャン=フロンソワ・マドゥフ
ジル・ラパン
ジョエル・ラーエンス
この方たちは、厳密な意味でのナチュラルトランペット、つまりヴァルヴなしの長管トランペットでかつ、音程補正孔なしで全てをやり切るのです。大雑把に言うと、記譜ファが高く、ラが低く、という自然倍音の音列を唇と息の流れで補正して吹くのです。自然倍音は、周波数が自然数に比例するから、オクターヴの間隔を2の12乗根で半音ずつに割り振った平均律には合わないのです。ナチュラルの真似事をしている私には、それを補正孔なしでやることの至難がよく分かります。
なんといっても、マドゥフ氏の音を聴きたくて行ったのですが、想像を超えて素晴らしかった。音の高低に影響なく、すらすらと流れるように奏でられる音楽。しゃべっているように自然ですねこの方は。音がきれいでストレス無くよく響き、頭をきつく当てない高音は余人の追従を許さないと思います。(って、全然業界に詳しくないけど)
良い演奏会でした。
1/27、2/10のカンタータも聴きたいなあ。しかしいずれも平日。最近仕事がちょっとやばいので、抜けられないかも知れない..しかし何とかしたい。
★11年1月19日 家族がバリに居る間に
土日のどこかで家飲み、いつものごとく13時から22時まで、とかをやりたいと思って手帳を見たら..
1/16 日 出発の日:夜 ひまオケ初練習
1/22 土 午後:バッハ・コレギウム・ジャパン演奏会(川崎)
1/23 日 午前:YCS練習、夜:ひまオケ練習
1/29 土 午後:会社オケ練習
1/30 日 夜:ひまオケ練習
2/5 土 午後:東京室内歌劇場 シューマン「ゲノフェーファ」(初台)
2/6 日 午前:YCS練習、夜:ひまオケ練習
2/10〜13 バリに帰国支援で飛ぶ
土日全部空いてない..
バッハとシューマンの後で飲みに行く人いないかな。
でも、家飲みは無理ですね。初台なら新宿で飲むだろうし。
★11年1月16日その2 ひまオケ初練習
初練習でした。曲は
モーツァルト/ドン・ジョヴァンニ 序曲
ドヴォルザーク/交響曲第7番
同上/チェロ協奏曲
です。交響曲はやったことがないので、いつかはと思っていた曲です。
序曲ではなんかおかしなところで外してしまいました。YCSでやっているナチュラルトランペットのほうが確度が上ってのもヘンな話です。ナチュラルには指遣いが関係ないから雑念が少ないのか?(笑)。
交響曲は、いやー、これは全然通りませんね。これはアマチュアにおける「有名係数」からすると厳しいのは予想していましたが、それにしても厳しすぎる。トランペットは、ドヴォルザーク特有の、意味のない調性指定、やたらに多い2パートユニゾン(そして、それはメロディをたいてい邪魔している)、まあなんというか、イメージが掴みにくいです。それもまたこの作曲家らしくていい?でも、好みとしては同じ邪魔(笑)ならシューマンのほうがいいと思ってしまう私..
協奏曲は、ソロがないのに、交響曲よりは通りが良かった気がします。むろんまだまだですが。トランペットとしては、1楽章は6箇所だけですがこれはどれもなかなか良くて、最後に締めのファンファーレ的なのが出てきて、これはいつやってもカッコイイとは思います。この曲は会社のオケの米国公演に持って行ったもので、アメリカで4回吹きました(1st)。
その後、港北区民響で2ndも体験しているので、音符も少ないことだし、ほぼどっちのパートも憶えています。練習中はヒマなことは多いですが、楽しいですね。
協奏曲の途中で、バリについた配偶者Sから電話。昼間に大急ぎで送った荷物を、現地で買えるから止めてくれと言われてやる気が一気になくなり、協奏曲の3楽章はほとんど吹きませんでした。
練習終了後に鶴見郵便局に急行し、荷物を止めるリクエストをしたものの、夜間とあって追跡がままならず、近くのレストランで夕食を取りながら結果を待つも、結局その日には解決せず、23時過ぎに帰宅。合奏で楽しい気分だったのに、徒労感で一日が終わってしまいました。
荷物の件は翌日午前中も日本郵便とやりとりをしてようやく返却・料金還付の目処は立ちました。それが救いといえばそうですが。はぁぁ..
ともあれ、ひまオケの今シーズンは楽しいことになりそうです。企画は渋いけど、やりがいはある。がんばります。
★11年1月16日 成田空港へ
今日から私を除く家族、配偶者と子供2人がバリ島に向けて出発しました。付き添いに、私の母が4日間付き合い、また帰り(2月中旬)には私が帰国支援で飛ぶことになっています。現地ではレンタルハウスに滞在するのですが、往復航空券、27泊で大人総額が16万円。私の帰国支援4日間の航空券が同じ業者に頼んで8万円ですから、単純に見てレンタルハウスの家賃は8万円?どんな間取りかはわかりませんが、こんなもんなのかな。併設のホテルのプールも無料だというし、インターネットも使えるし、便利そうです。
11時のガルーダ・インドネシア航空なので、9時着を目指して出発。荷物が多いので、車です。府中から私の母が来て、子供たちの準備をして7:45ごろ出発しました。焦っていたのか、私はETCカードを入れ忘れて首都高の入口で止まってしまうという失態..幸い後ろのトラックは車間が空いていたのでセーフ。すみません。
東京までは羽田付近で工事渋滞があったものの順調でしたが、千葉県では雪。習志野から手前8kmも渋滞。外気は0度で、凍結していてFR車は発進時スリップしていました。このままノロノロでは、8km進むのに4〜50分かかってしまいそうで、やばいです。9時時点で渋滞の中に居たら電話しようと決めてソロリソロリを進んだところ、渋滞は降雪や事故などではなく、幕張メッセへの車列による渋滞でした。習志野出口からずっとつながっていて、そこに割り込もうとする車が2車線目を塞ぎ、それをよけようと追い越し車線にはみ出した車が..という悪い連鎖です。なんか、怪しい改造をした車が多いと思ったら、東京オートサロンなるイヴェントのようですね。
で、9時ちょっと前に渋滞を抜けて、成田空港第2には9:25に到着。しかしもう一つ問題が発生しておりました。オムツを忘れたのです。29日分の。出るとき、私は車を入口に回すために先に家を出たのですが、そのとき全部荷物を持って行ったと配偶者Sが誤認したようです。しかし誤認って、30×50×50cmの大荷物が家の中にあるのに気付かないってのは間抜けです。成田空港には2枚パックとかしか売っておらず、仕方ないので私がこれから郵便局からEMSで出しに行きますが、到着は5日後。それまでは現地でドラッグストアを探すしかないですね。幸い、レンタルハウスは日本人経営なので、そこらへんは細かい事情も分かって良いでしょう。
インドネシアはVISA代をドルで払わなければなりません。夜着いて、向こうの空港で子連れでその窓口に並ぶのは大変だと思っていたら、成田のチェックインカウンターにVISA窓口もあるんですね。しかしそれならドルじゃなくて円で受け付けてくれてもいいのに。私は来月、10ドルだけ両替せねばなりません。つか、今日まとめてやってもらうべきだったな..
手荷物検査場で家族を見送って、展望デッキに出ようと思ったら、降雪のため閉鎖、となっていました。どうりで、ショッピングモールのところの窓で無理なアングルで写真を撮っている人がいたわけだ。飛行機ほとんど見えないのになんで、と思っていたんですが。
それならもう空港には用はなし。駐車場に取って返し、帰宅しました。帰りは東関東−首都高湾岸B−首都高K6−首都高K1を経由しました。K6は10月に開通した、川崎線です。空がきれいに見えて気持ちよい道路ですが、大師IC付近はトンネル内に急カーヴがあって、そのままICに入っていくのでけっこう怖いです。川崎の北西部への道路も予定されているからでしょうか、トンネル内にその分岐もあってこれはちょっとまずい設計ではないかと。でも、K1の大師料金所のさらに上に作ることは物理的に無理だったんでしょうね。
ところで、行きの渋滞中に路肩に(おそらく)不法改造のバイク群とともに停車していた怪しい車が、なんと帰路でも一緒になりました。彼らも成田空港に行ったんでしょうか。いや、あの車じゃ検問を通れないよなあ。鹿島のほうに行って、戻ってきたときにちょうど私と一緒になっただけかな。
ちなみに車種はサニーターボ ル・プリ。82年発売だからもう30年近く昔の車です。ちゃんとETCを搭載していました。
というわけで、帰宅して、国際EMSのことを調べて、島忠にダンボールのサイズと在庫を確認したので、これから郵便局に行ってきます。
★11年1月10日 TPO室内楽演奏会
会社のオケの室内楽演奏会でした。会場は二俣川のサンハート。
オケ内で好きなメンバーでグループを組んで、室内楽を披露し合う場で、いつもだいたい20団体近くが出演して4時間とかかかってしまう長大な演奏会です。今回は24団体と多かったですが、リハーサルと本番の時間を削って、16時40分ぐらいには終演。4部構成でそれぞれちょうど1時間くらいでした。録音係としてはCD化がやりやすくて嬉しい。
で、今回は全然自信が無かったのでmixiやツイッターでの宣伝は全くせず、ひっそりと終えて来ました。自分が出たのは以下。
●第1部冒頭
ブリテン/Fanfare for St. Edmundsbury (トランペット3重奏)
ナチュラルトランペットを3本用意しての演奏。私は1st(inD)で、音が高くて跳躍があって、さらに自分のソロ提示から3本合奏まで連続なのできつかった。たくさん外してしまいました。
楽器はinCとinFはモダンのマウスピースが使えるので、それは他のメンバーに使ってもらい、私はユルゲンフォークトのショート。どのパートも穴無しで吹きました。ナチュラルはYCSで使っているので他のメンバーに一定期間貸して練習してもらうことが出来ず、不慣れな面は残ってしまいましたが、何とか演奏はできました。不慣れというのは、やたらときつく当てに行くので、強弱が全然変わらなかったり、スムーズさに欠けた、ってところですね。ま、しょうがない。
というわけで、ナチュラルトランペットという存在をオケ内に多少知らしめることはできたかと思いますが、ポジティヴな感想を抱いてくれたかどうかは..ははは..
●第1部5番目
プレトリウス/テレプシコーレ よりヴォルテ、ブランル (金管5重奏)
ラッパのW君が急遽出張になったため、代役。練習は2回しかできず、正直いって戸惑いを隠せない演奏でした。ブランルでは最後だけピッコロトランペットを吹きますが、持ち替えを4小節(5秒)でやらねばならず、ちょっと私の技術では無理がありました。
メンバーからは次は1年がかりでもいいから何か仕上げてみようと提案されていたので、まだ捨てたもんでもないようです。
●第4部冒頭
ストラヴィンスキー(吉田智生 編)/組曲 第2番 (金管十重奏)
写真の通り、Trp×3、フリューゲルホーン、Hr、Trb×3、Tuba×2という特殊編成のアンサンブル。編曲はTrbのTY氏。
元々曲が難しいので、まず指が回らないとか、入るところが分からないとかで練習はずいぶん手間取りました。私はフリューゲルホーン。隣のHrさんが第1曲で途中から1小節早くなってしまって、これには参りました。その後を引き継ぐのは私なので。そのまま入っちゃったら崩壊ですから、1小節空けて入るんだけど、その1小節が不気味なほど長く感じました。そのミスは次いで1st TpのK氏にも伝染し、かなりの時間、旋律線が途切れてしまいました。いやはや止まらなくてよかった。
第4曲のポルカは速くやっちゃダメと練習時に何度も指導が入っていたのに、本番ムチャ速でしたね。皆さん焦ってたんですね。
そんなわけで、個人的には楽器ばかりたくさん持って行ってどれも中途半端という、いかにもな結果でありました。次回はもっと絞ろう。目標は、ナチュラルと弦楽器の曲と、5重奏または十重奏の2団体。
ところで、全体を通して見ると、レヴェルの高い演奏が多かったです。図抜けて上手かったのはサラサーテ/ナバラ Op33というVn×2、Pfを演奏した3人。超絶技巧なのですが、それだけではなくて音楽の流れが良かった。時折笑みさえ浮かべて弾いているのには感心しきりでした。
また、この演奏会では1-2団体くらいはコスプレめいたことをやるグループが現れるのですが、今回それをやりそうなメンバーが不参加で残念に思っていたら、見事1団体がやってくれました。添田レオ編/イェッセルの主題による変奏曲Part1で、「おもちゃの兵隊の行進」(キューピーの3分間クッキングの音楽)を弾く弦楽4重奏団がエプロン姿で登場。それでヘタだとダメですが、そんなことはなくて、ノリ良く変奏曲を弾き切ってくれました。2nd Vnになかなか難しいメロディがあるなあ、と思ったら、そのVnを弾いている人は後で「ナバラ」を弾いていました。なるほどね。
ともあれ、演奏会を仕切ってくれたTY氏、スタッフの皆さんお疲れ様でした。
私も一応スタッフの1名でしたが、録音担当で、録音機を置いてボタンを押して放置しているだけだったので、あとは客席で楽しませてもらいました。
★11年1月8日 アンサンブル練習
Twitterに足首が痛くなって云々、と書いた件。
左足、踵に全体重がかかると足首に鈍い痛みがあるのですが、つま先のほうだとそういうことがないし、車のクラッチ操作には問題ないってことで、車に楽器をたくさん積んで会社に。予定通り着いたら、前の団体の練習が長引いていたので、じっくり音出しもできたし、車も少し安い駐車場に移動できました(セコい..)。
音出しをナチュラルで念入りにやったので、その後の練習はまあまあだったかと。しかし後から追加になった(海外出張のW君の代理)のほうは練習も2回目だし、今ひとつ流れが分からない感じでした。1stのM君が少し萎縮気味なので、もっと積極的にやろうと応援しておきました。私自身、流れが掴みきれて居ないので、自分に言っているようなもんですが。
十重奏はなんとか形が見えてきたかな。でもやっぱり自信無げな断片が多いかも。こういうパーツの組合せの曲は、思い切ってパーツに徹しないと、ともかくつながらないので。音楽的にどうこう、ももちろん重要ですが、リズムやテンポは正確にまずやってみないといけないですね。
個人的には、この曲は秩父に行っているときにけっこう時間をとってやったので、指遣いはそこそこ出来てきたようです。それでも突発的なミスは多かった。明日もうちょっとイメトレします。イメトレじゃなくて楽器さらえとの指摘もありましょうが、明日は午前中はナチュラルだけだし、午後は新年会なので、オペラ練習の待機時間に譜面を見て指を動かす、ってところです。
★11年1月5日 横浜市港南区賀詞交換会
タイトルの行事にBGM奏者(の指揮)として参加しました。奏者は港南区ひまわり管弦楽団のメンバー13名(Vn×5、Va×2、Vc×2、Ob、Fl、Fg、Hr)。
そもそもこんな行事があることも知らずに横浜市民として17年を過ごしていたわけですが、港南区だけでも参加予定者700名という大パーティで、驚きました。以前、オケから何名かが演奏に出ていたようですが、しばらく途絶えていて、2年前の区政40周年関連で港南区との関係が深まり、さらに昨年の市長訪問の件などもあって、パーティでの演奏依頼が復活したようです。
前日は配偶者Sの母方実家の秩父から一旦帰宅し、荷物入れ替えをして配偶者S実家に向かい、宿泊。次男Mが興奮してなかなか寝付けず、23時過ぎに元気になって寝ている母の上で大はしゃぎをしておりました。
さて、本日ですが、
9時半から30分間のリハーサル、10時45分から会場待機で11時から行事開始でした。大きな体育館なので13人のアンサンブルでは音が聴こえないという配慮からか、PAがついてました。しかし1Vnの音ばかりやたらと拾って、バランス悪し..
式次第は、開会の辞のあといきなり横浜市歌斉唱で、私は壇上から会場全体に向かって指揮するという、ここが一番ヤバい山場でありました。なにしろ、市会・県会の来賓と同じ白い花を胸につけての登壇。来賓挨拶より先に紹介されてしまうという事態です。つーかですね、名前なんて紹介しなくてもいいと思うのですが..
それより問題は、「参会者は高齢の方が多く、斉唱は遅れ勝ちだから注意して下さい」と役所の担当者に言われて、大きく指揮しようとがんばって腕を振っていたら、なんと歌のほうが元気でオケが遅れ勝ちになってしまったこと(笑)。ゴルァ、おまえら遅いぞ、と振り返るわけにも行かず、チラっと見たりはしたけど効果は限定的でした。それにしても、横浜市歌がこれほど浸透しているとは、と改めてビックリです。
その後は来賓挨拶や乾杯の挨拶や市長のメッセージの紹介などがありましたが、乾杯以降はBGMをやって、挨拶が入って、の繰り返しで進行上はけっこう細かく切れていました。BGMは垂れ流し状態かと予想していたのでこれは意外。1曲ずつの所要時間を事前に出していたのはこのためだったのですね。
つぶやきにも書きましたが、BGMじたいは、もうほぼ99.9%の人が聴いていない状態でした。これはBGMの宿命でしょうし、それでも興味を持たれて終了後に話しかけてきた人とかもいらっしゃって、多少の宣伝になったかと。お子さん・お孫さんに楽器をやっていらっしゃる方が居れば是非紹介をお願いしたいところです。
オケメンバーはそんなBGMの逆境(?)にもめげず、終演後の控え室の昼食では非常に明るく楽しくご飯を食べていました。これがひまオケの良い所かな。メンバーからは「何か、ぱっと集まって暗譜でやれるレパートリーがあっても良いのでは」という建設的な意見も出ていました。そういうのは是非挑戦してみたいですね。
さて、次は1/16からの練習です。がんばろう。