オリンパス特別企画 米谷 美久と語る


05年10月9日 オリンパス本社3階 10:00-11:00
出席者:オリンパス 顧問 米谷美久氏 、オリンパスイメージング 大越氏
その他公募の参加者9名(1人欠席)については名前は伏せます。
また、以下文章については、メモに後から補完したもので、話したままではないことはご了承下さい。メモが追いつかない話題は一部割愛しています。また、文中の( )内は私の補足です。なお、座談会中の撮影、録音はNGでした。

  米谷氏略歴紹介(大越氏)の後、最初に大越氏から導入の質問あり。
●OMの設計時に、(愛用していた)ライカIIIfを参考にしたか?
・作っていて、操作性を考慮して理想の形がああなった。(ミラーボックスを除いた寸法が)ライカの寸法と同じになったのは偶然で、測定して参考にしたわけではない。  ただ、それまで使っていたカメラだから、影響があったことは間違いない。
●米谷さん作のカメラはすっきりしたデザインが特徴だが、デザインの勉強は?
・まったく、していない。当時はデザイナーという職種が確立していたとは言えず、看板屋のような認識をされていたのではないか。このころ、日本の工業製品は欧米の模倣をしていると批判され、デザインや品質についての意識が高まりつつあったときだ。
最初に担当したPenのデザインは、オリンパスがデザインを委託していた会社の案(安く小さなカメラなのに高級な外観)が気に入らず、それなら自分でやれ、ということになった。Pen-Fのころからはデザインのアドヴァイザーから何も言われなくなり、任された。
●デザインでは悩まなかったのか?
・悩まないわけはない!(笑)
(後で同じような話題が出る)
●XAを作った経緯は?
・入社間もないころ、諏訪で下宿をしていたとき、近くの風呂屋の前でトラックの火事があって、慌てて飛び出してきた裸の運転手と火事との組合せが面白い被写体に感じられた(出席者一同笑う)。しかしカメラは、どんなに優れた機能があっても、持っていないと撮ることができない。普段持ち歩けること、これが原点だった。
・持ち歩くスタイルも考えた。御木本さんの「世界中の女性の首をネックレスで締め上げたい*」というセリフに感動し、ならば私はカメラで締めてやろうと(笑)。しかしカメラはいくらPen-FやOMが小型とはいっても、やはり外観はごつごつとして目立つ。一方、カメラは男性の持ち物という通念があって、しかも男性は古い、カメラらしい形を好む。これを解決するために、XAは一見カメラらしくない姿をしながらも、スライドカヴァーを開けるとカメラらしく見える形にした。
(*:「世界中の女性の首を真珠で締めてご覧に入れます」真珠の養殖に成功した御木本幸吉氏が明治天皇拝謁の際に言上。ミキモト真珠島のHPから)
●デザインと内部設計のせめぎ合いはどう処理したか?妥協などは?
・妥協はしていない。お互いに喧嘩(よい意味で、議論のようなもの)をしながら、(結果として)助け合いながらやっていた。妥協ではなく、最良解を求める。例えばPen-Fのトップカヴァーのところにある出っ張りは、ここにプリズムのスペースと、デザイン上の要求を同時に実現したつもりだ。
・いろいろな調整を、苦労と思っては成功しない。楽しみと思うことが大事。
●OMの開発の話、その他
・部品点数が膨大なので、これは全社を挙げてやった。当時既に事業部制で縦割りになっており、例えばレンズ関係を顕微鏡の事業部で、となると社内なのに製造にマージンを乗せるという。それはけしからんというわけで、取締役が動いて全社横断の組織を作ってやり遂げた。
●OMシリーズのレンズの絞り位置(他社はカメラ側、OMは原則としてレンズの先の方)はどう決めたのか?
・実際の使い勝手から。元々、絞りはレンズ中央部付近にあるもので、ピント調節でレンズと一緒に動くから、絞りの操作系が前方にあるのは不自然ではない。また、最も触る部分はピントリングだから、ここを大きめにとって、さらに左手がカメラ底部を支えてかつ、レンズを触れる距離というのを考えて決めた。この場合、絞りリングの数字をファインダーに直接出せないという点ではネックになるが。
(今となっては電動の絞り、電子マウントだから絞りリング自体、なくなってしまった。時代の流れは操作性にも大きく影響するようだ)
●OM-X(MDN)構想はどこまで本気だったのか(私が質問しました)
・本気だった。1機能1ユニットでいろいろな好みに応じて使えるものを目指したが、機械的な連動が難しいのと、ユニット間をつなぐためにはどうしても「マウント」が必要になり、大きくなってしまう。また開発(量産化も含めてと思う)に時間も金もかかるから、まずはレンズ・ボディの2ユニットというM-1を大衆機として出した。
●カメラの理想とは
・カメラのないカメラが理想だ。あの景色はよかったな、と思ったらその場に写真が現れる、念写のようなものが理想だ。私は元々、カメラを設計したくてオリンパスに入ったわけではない。写真を得ることが重要で、デジタルとか銀塩とかの途中経過は関係ない。

約10分、予定時刻を過ぎて座談会が終了し、その後はサイン会に。それぞれカメラにサインをする米谷氏、2台・3台とカメラを持ってきており、米谷氏のサインをもらう。朝日ソノラマ刊の著書のサインを求めると、筆ペンでサインをした上に、印鑑までついていただいた。皆、恐縮しながらの作業であったが、M-1にサインをしていただく米谷氏曰く、オーストラリアでの講演では聴講者が1600人、サインを求める人は400人にも上ったというから驚く。
なお、私はM-1のファインダ右と、XAの裏蓋の内側にサインしてもらった。米谷さんは「内側にしたら、自慢できなくなっちゃうよ」と笑われたが、外側だとすれて薄くなってしまいそうなのでここにお願いした。


【感想など】
・72歳とは思えないほどお元気でいらっしゃった。
・E-systemをどう思うか、とかOMデジタルは、とか、そういう意地悪な質問は出なかった。まあ、出ても意味がない。今や週に1回くらいの出社で、設計の現場に口出しはしないそうだ。物作り、という点では強烈な信条をもち、自信に溢れているのは今の各種製造会社の技術者には見られなくなっているように思う。「(仕事を)苦労と思っては成功しない。楽しみと思うことが大事。」にはギクリとした。
・時代の流れから、今は開発体制が細分化されて、特定の設計者の個性が現れる製品は少なくなった。私の勤務先の半導体もそうだし、それがダメだというつもりはなく、時代に合った技術で物を作り、その製品で写真を撮るしかないのだろう。が、ちょっと寂しい気もした。高付加価値、低価格、広大なシステム、短期決戦、どこに重点を置けばユーザの満足度が上がるのだろうか。難しい問題だ。
・デジカメウォッチの取材でもかなり似たような話題になっているのを見て、カメラ好きの質問なんてあまり代わり映えしないものなのかと思った(笑)。あちらではE-systemをどう思うか、という質問が出ていたが。
・最近、オリンパスは過去製品の壁紙をたくさんアップしたり、カメラの歴史のページを充実したり、このような座談会やカメラ博物館での展示など、いろいろやっている。これを「過去に縋っている」などと揶揄する向きもあるようだが、TVでCF流すだけが宣伝ではないし、ユーザの一部しか行けないとはいえこういう体験ができるのは貴重だ。米谷氏の話はオリンパスの宣伝というより、モノ作り、生き方に自信がない現代の若い世代に向かって、夢を持ち、それを追求して欲しいと言っているように思われた。