過去に所属していたオーケストラ


過去に所属したオーケストラの紹介と、演奏した曲などの紹介である。( )内は私的な愛称。


東北大学 学友会交響楽部(トンペイ)

東北大学のサークルである。私が居たころは学生の部員が70人前後で、弦楽器は人不足で卒業生が多数出演していた。管楽器は舞台に乗せる判断基準が極めて厳しくて、在学中定期演奏会に出演できないまま終わる学生もいた。舞台に乗れない人は山台(舞台のひな壇)を補修したり、立て看板を作ったり、市内にポスターを貼りに歩いたり、ドアマンをしたり駐車場の交通整理をしたり、下働きをする。私は1-3年までを写真係として過ごし、同期や後輩達が演奏する姿を涙ながらに(ウソ)撮影していた。なお、写真の腕は年々向上し、指揮者が入場する様を流し撮りしたり、後年は撮影中かなり遊んでいた。このオケには「ゲネプロ降ろし」なんていう恐ろしい伝統があって、他パートで目の当たりにしたときにはさすがにやりすぎではないかと思ったことしばしば。前日の練習、または当日のリハーサルの結果で出演を取り消されて、先輩に出番を取られてしまうのだからやりきれない。3年の春に、譜面をやるから春休み途中だが仙台に戻れ、と指令を受けて行ったら、なんと代奏の練習だったなんてことも。代奏とは、忙しくて合奏に参加できない人の代わりに演奏することで、上手くするとそのまま正吹きになるかも知れないけど、練習指揮者につかまって「ふ、所詮は代奏だな」との一言で私の春は終わったのだった。4年になって初めて定期公演に乗るが、結果はかなりひどかった。厳しく指導されて、こっちもけっこう練習したつもりだったが、テープを聴くと周囲との差は歴然としていた。
とはいえ、楽しくない4年だったかというとそうでもない。途中でイヤになって退部した人などとも今も親交があるし、人生、楽器の腕だけじゃない、ということだ。当たり前か。
演奏面では貢献が少なかったが、金管アンサンブルなどで編曲をしていた。ある結婚式場でアルバイトのネタに使ったメンデルスゾーンの結婚行進曲はティンパニ4台の拡張版で打楽器奏者にウケがよかった。卒論まとめも大詰めの2月に先輩の結婚式の曲を委嘱され、一晩でやっつけた「皇帝円舞曲」金管12重奏なんてのも良い思い出の一つだ。
【演奏曲目】
スメタナ/交響詩「モルダウ」 2nd
シューマン/「マンフレート」序曲 2nd,チャイコフスキー/交響曲第6番 2ndのアシスタント
いずれも4年生のときに乗った舞台のもの。これ以外は演奏していない。そんなわけで社会人になってからたくさんのオケに顔を出すようになり、下のような活動をするようになる。
(85年4月〜89年3月)


渋谷交響楽団(渋響、またはS響)

東芝フィルに入ったあと、同じパートのOさんに誘われてエキストラ出演したのが始まり。いきなりハイドンの交響曲100番の1stの譜面を渡されてびっくり。東北大では、ハイドンやモーツァルトは新参者には絶対回ってこない、「高貴」な譜面だったのだ。指揮は家田 厚志氏。あまりに熱い演奏に、打ち上げでつい入団したいと言ってしまい、その後7年在籍した。95年秋以降は藤崎 凡氏が常任になって雰囲気が変わったがトランペットパートはなかなかまとまりが良く皆いい人ばかりだった。最後にはパートトップをやっていた。97年秋、岩手への転勤にて退団した。
練習が日曜の午後で(毎月1回は会場の都合で土曜になる)、時々出席率が極端に低下することがある。一度、1stヴァイオリンが全員休み、とか、運が悪いといえばそれまでだが、ありゃ寂しい合奏だったなぁ。
元々渋谷区で「第九」をやるために設立されたオケで、冬に第九があるのは良い経験にもなり、同時に足枷にもなる。定期公演が年1回では寂しいし、かといって2回やると第九の練習との兼ね合いで練習日程がきつくなってしまう。そんなわけで第九は一時、周辺の3団体くらいで持ち回りになったが、最近また渋響に戻っているようだ。
【主要演奏曲目】
ハイドン/交響曲第100番,第92番,第103番 全て1st
チャイコフスキー/交響曲第5番 1st,第6番 2nd 第6番は最後の演奏曲だ。東北大と同じ。
同 /序曲「1812」 Cor 1st,ピアノ協奏曲 第1番 2nd
ラフマニノフ/ピアノ協奏曲第2番 2nd,カリンニコフ/交響曲第1番 2nd
マーラー/交響曲第9番,ブルックナー/交響曲第8番 3rd
(90年7月〜97年9月)
http://page.freett.com/shibuya_orche/


港北区民交響楽団(区民響)

これは東北大時代の先輩に誘われて行ったオケで、これまたそのまま在籍してしまったものだ。大豆戸にある港北公会堂というところを主要の演奏会会場にしているが、手狭で客席を潰して演奏しているから300人くらいしか客が呼べないのが痛い。10周年の演奏会では県立音楽堂を借りて、その後もみなとみらいでやったりしているようだ。
練習が土曜の夜で、その割に出席率が良好なオケだ。私は東芝フィルの昼の練習の後にここに来ることが多く、ヘロヘロに疲れていたり、東芝フィルで飲みに行って区民響は欠席してしまったり、ずい分迷惑をかけたと思う。一定の練習場がなく、3つくらいを渡り歩くので楽器輸送がたいへんだ。私も、5ドアのランサーにティンパニ2台、チェロ1台、バス椅子を載せて走ったことがある。よく載ったな..本番の翌週と盆暮れを除いて毎週練習するから年に40回以上練習するというのは多過ぎとも思われるが、色々な職業の人が集まる市民オケゆえだろう。所属当時は団員が全員PCを持っているわけでもなく、携帯電話も一般的でなかったので、固定電話の連絡網で練習の変更などをきっちり連絡していた。そういう点、しっかりしているオケだ。
指揮者は最初横山 俊充氏、後に白川 和治氏に。白川さんは現在も振っているようだ。けっこう厳しいことを言うことも多かった横山さん、紳士で穏やかな感じを見せながらも熱く秘めるものもあった白川さん、二人ともまじめに指導いただいていたという記憶がある。在籍人数はそんなに多くないが、選曲は自由度が高く、また、団員がよく議論に参加して楽しくやっていた。選曲や予算など運営の透明度(団員への周知が徹底している)が高く、その点アマチュアオケの見本のようにも思う。
97年1月のシーズンを最後に退団した。忙しくなって休団するつもりが、そのまま秋には岩手に転勤になったのだ。
【主要演奏曲目】
他のオケと本番が重なったりして度々休団しているが、けっこう重要な曲を回してもらっている。
メンデルスゾーン・ブラームス・チャイコフスキー/交響曲第4番 全て1st
この「4番シリーズ」は特に記憶に残っている。私の出来は良かったとは言いかねるが、こういう機会を与えてくれたことに感謝。
マーラー/交響曲第1番 3rd
フンパーディンク/「ヘンゼルとグレーテル」前奏曲 1st
レスピーギ/交響詩「ローマの松」 2nd,ドヴォルザーク/チェロ協奏曲 2nd
アンダーソン/トランペット吹きの休日 ソロの3rd
こういう曲を含めたファミリーコンサートが多いのもこのオケの特色。
(90年秋〜97年1月)
http://www.ne.jp/asahi/poco/a-poco/


大田区ハイドン室内管弦楽団

会社の知り合いからの要請で、エキストラ出演していた。このころ、ここを含め4団体に所属し、週末はオケ一色、演奏会は年に10回を数えていた。さすがに異常であり、負担も重かったので継続的に参加するには至らなかった。それでも3回連続で参加し、小編成オケの面白さと恐ろしさを教わった。オケは91年当時、文字通り室内管弦楽団という風情で、ヴァイオリンは2プルト(4人)か5人くらい。こういう人数だとごまかしが効かないので、皆なかなかの腕前だった。演奏会後の打ち上げがホールに附属していた喫茶店で、すごく暖かくほのぼのとした雰囲気でよかった。最近はフル・オーケストラになっているようだ。
【主要演奏曲目】
ハイドン/交響曲第82番 1st
モーツァルト/交響曲第32番 2nd,第35番 1st,第41番 1st
同 /ピアノ協奏曲 第21番 1st
(91年〜92年7月)
http://www2u.biglobe.ne.jp/~hayano/haydn.htm