11年2月中旬
第1次インドネシア(バリ)小旅行
前口上
配偶者Sが長男S、次男Mを連れて海外に長期滞在する計画を立て始めたのは1年ほど前になるだろうか。次男Mが生まれてまだ3ヶ月かそこらのときの話だから実に大胆と言わざるを得ないが、やれるときにやりたいことをやるのが良いのだから、ということで、計画を進めるのは止めなかった。長期といっても、1ヶ月である。そのくらいなら、こちらも不自由を我慢できるだろう。
滞在先はいろいろ候補があったが、結局交通と滞在費用を考慮するとバリということになった。最初はイタリア南部などという案もあったのだが、行き帰りの所要時間が長すぎるし、交通費や現地での生活費などはやはりヨーロッパとなると高くつく。長男Sはツアーではもう大人料金扱いであるし。その点、バリなら航空機・現地レンタルハウスを含めて一人16万円程度で済む上、飛行機は直行、滞在先はデンパサール空港から車で5分というから子連れには適当だろうということで判断した。ただし帰りの航空機が深夜の0時55分発、眠っている子供2人を抱いて荷物を持って飛行機に乗ることは物理的に不可能ということで、帰国支援要員として私も最後の4日間に付き合うことにした。
そして、孫が遊びに来なくなって寂しそうな義父も誘ってみたら、行くという。出発2週前にあわただしく追加のチケット手配をして、出発の朝を迎えた。
(拡大する写真には枠が付いています)
●第1日 11年2月10日(木) 自宅→成田→デンパサール→クタ
前日にナチュラルトランペットのグループレッスンがあって、その後の飲み会にも参加したので、帰宅が24時を回ってしまったのだが、それで寝坊したとあっては旅行好きの資格はないと気合を入れて就寝し、アラーム前に目が覚めた。コンビニおにぎりを食べて朝食として、車に向かう。9月の桂林のときは成田エクスプレスだったのだが、今回は荷物の量が多いから、ほぼ最初から車と決めていた。駐車場も予約済みである。そうした計画性も空しく、義父と待ち合わせている駅までの渋滞で10分以上もロスをした。申し訳ありません..これで旅行好きだなんて言えませんな。今日が平日だということを忘れていたのだ。都内を抜けるのはまずいと見て、少し遠回りだがアクアラインを通って成田に向かうことにする。
京葉道路で少し渋滞もあったが、9:15過ぎには成田に到着した。駐車場の引き取りサーヴィスに車を預け、チェックインに進む。ガルーダ・インドネシア航空のカウンターには既に長い列が出来ている。バリはサーフィンが盛んというが、実際サーフボードを持っている人がかなりいらっしゃった。列に並んでいる間に、私だけ抜けて銀行でドルを作る。これはインドネシアのvisa代で、一人あたり25ドル(30日以内)である。前は10日以内のvisaもあったそうだが、最近高いほうに統一されてしまった由。50ドルをもらったら、4250円だった。円高を実感する。列に戻ってほどなくすると我々の番になった。行きの飛行機は満席である。じつは、義父のチケットはキャンセル待ちで発券まで数日待たされたのだった。それで、窓側を含む2席続きは空きが無く、窓側1席と通路側1席がばらばらということになった。まあ、大人同士、それで良いだろう。ただ、窓側は私が欲しい、って子供みたいな希望を言って、機内で席を換えてもらうことになるわけだが。
チェックイン後にインドネシア政府の出張窓口(チェックインカウンターの隣にある)でvisa代を納付する。ここで領収書を発行し、なんと機内で入国審査をするというから驚く。これは10年2月から始まった制度だそうで、入国審査官が2名乗務し、機内で書類チェックを完了するとのことだ。どういうことになるか、今から楽しみである。
空港の喫茶店でコーヒーをいただき、しばらく談笑。義父は、帰国当日の日曜11時から、新宿で仕事というからそのヴァイタリティには頭が下がる。帰国便の成田着は8:50、調べたら9:19のスカイライナーに乗れば新宿には10:36には着く。何事もなければ大丈夫だろう。
義父も私も、荷物は小さいので機内持ち込みだ。手荷物検査で長い列に並び、96番ゲートに向かうと、さして待つ間もなく搭乗が始まった。義父は11列目、私は37列目でつまり最後列。飛び立った後でわかったが、この席はトイレのボックスにピッタリくっついていて、トイレを流す噴流の振動が椅子にビリビリ響くほどだった。それでも窓際は窓際。途中のフィリピン上空からの景色と、バリ島着陸時の風景が楽しみだ。デンパサール着は17:30、この時期の現地の日の入りも調べてあって、18:30だから景色は絶対に見られる。4日間、実質中2日の旅行なのに、我ながらつまらんことをよく調べていると思う。ちゃんと離着陸時撮影用に、完全に電気を使わないフィルム機(オリンパス35S-II)も持参しており、準備は万端だ。
着席するとジュースが配られる。そういえば新聞もちゃんと日本のとインドネシアのが数紙置いてあるし、ドリンクも有料だったりはしないし、この航空会社はこんにちの業界の風潮からすると結果的にサーヴィスが良い方になっている。他の会社も、ドリンクで金取るようなマネはやめて欲しいと思うのだが。ただ、このウェルカムドリンクは小さなプリンカップのような容器で、開けたら必ず飲まねばならないし、テーブルは離陸前に閉じなければならないから面倒ではある。小さなペットボトルとかのほうがありがたい。
機材はエアバスA330-300で、ガルーダの中では新しい機材のようだ。座席の背にあるモニタは大きく、解像度も細かいもので、タッチパネル式、映画や音楽もオンディマンドで(全員同時に流しっぱなしではなくて個人ごとに)楽しめる。ただし、映画に日本語吹き替えはない。見たい映画がなかったので、それはどうでも良かったが。座席は前後に案外余裕があって良さそうに思えたが、リクライニング角がかなり少なくて、ちょっと騙されたような気分。これは帰国の夜行便が厳しそうだ。
スムーズに飛び立った。水平になると本格的なサーヴィスが始まる。ピーナツとドリンク、というのも標準的な流れだと思うが、ピーナツはガーリック風味のフライドピーナツ(もう1種類あるようだが私のすぐ前で在庫切れ)、これが美味しいけどけっこう香りがきつい。お隣の国、マレーシア航空でもピーナツは出るがあちらは普通の塩味で、こんなに違うものかと思う。
隣席の人は通路を挟んで右と前がお仲間らしくて、搭乗前から酒が入っていて勢いが良い。当然ここでのドリンクもビールだった。私は最近会社での仕事がきつかったり前の週にカゼを引いたりしていたので、スプライトで自重。ピーナツをかじりながら待っていると、食事がサーヴされ始めた。私の席は最後部なので、全てのサーヴィスが最後なのがもどかしい。一番心配なのは、食事の選択肢がなくなってしまうこと。せっかくのガルーダ・インドネシア航空だから、インドネシア料理を選択しなければ。きたきた、魚か和食、と問われて一瞬困ってしまうが、たぶん和食と区別するからには魚がインドネシア料理で正解だろうとそれを選んだ。魚のカレーだった。機内食らしく、カレーライスにパンがついてしまうのは仕方ない。白身の魚に、ココナツ入りの辛いカレーのペーストがかかっていて、ライスはきちんと長粒米をサフランライスにしている。美味しい。こういう個性は失わないで欲しいものだ。
食後のドリンクを所望したいところだが、悲しいことに最後列、キャビンアテンダントさんが前方にいると後方はひたすら待ちになる。我慢我慢。
成田を飛び立って4時間半、5分の3くらいは進んだところでフィリピン中部を通過。きれいな珊瑚礁が点在し、大きな島からは川の泥流が青い海に混ざっていくのがよく見える。こういう景色は見ていて飽きない。
さて、現地時間で15時、日本時間で16時ごろからいよいよ機内での入国審査が始まる。これも前方からの作業開始なので、私は最後だ。遠くに、入管の制服らしき服装の男性がワゴンを押しているのが見えた。ワゴンの上が作業台になっていて、そこでスタンプを押したりしているようだ。これは機内でやるのが義務というわけではなく、成田でvisa代を払っていない人は着陸後の手続きになるだけで、どちらでも良いようだ。しかしほぼ全員がこの手続きでやっているようで、私の所に来るまで、かなりの時間を要した。しかし、なにしろいずれにしたって座席に座っているのだから、こんな楽なことはなく、空港で窓口の前に並んでいるよりははるかに良い。このために係官が2名、前日の夜行便で成田入りし、そのまま11時に引き返しているのだろう。インドネシア政府の熱意はすばらしいと思う。
さて、実際の審査だが、特に目的とか滞在日数とか、そういう質問はない。無言で書類を確認して、visaのシールを貼り、スタンプを押すだけだ。審査済みの証明である薄緑色のカードをくれて、それを着陸後に空港の係官に渡せば良いらしい。
現地時間で16:13ごろ、赤道を通過した。バリ島は南緯8度だからもうすぐだ。といってもまだ2時間以上かかるのだが。そこから15分ほどすると、2回目のサーヴィスが開始され、アイスクリームが供された。これは明治乳業のスーパーカップ。さすがにここまでインドネシア風を期待することは無理であろう。でも美味しく頂いた。
さすがに尻も腰も痛くなって、機内エンターティンエントのゲームにも飽きたころ、左にバリ島最高峰アグン山が見えてきた。アグン山は標高3142m、この周辺は未開の地のようだが、手前のバトゥル山の近くにはキンタマニ高原があって避暑地になっているとか。ヴァラエティに富んだ地形が遠望できて楽しい。
島を北から飛び越えて、南部のちょこっと出っ張った半島の付け根あたりがデンパサールだ。デンパサール(グスティ・ングラライ)国際空港は半島のくびれた真ん中付近にあって、滑走路が海上に突き出しているようなかたちになっていて、飛行機は海の上を大きく旋回し、高度を下げて行く。雨季とあって薄暗い景色だったが、海は穏やかで空港付近の気流も安定しており、滑らかに着陸した。
座席が一番後ろなのでいつ出られることやら、と思っていたが列はスムーズに進み、すんなり機外に出られた。空港の建物に有名な「割れ門」があって思わず1枚撮影。バリのヒンドゥ教では、悪いモノはこの門でガードされるということらしい。義父と合流し、入国審査場へと向かう。もちろん、機内で審査されているので改めてのチェックはなく、薄緑色のクリアランスカードを係官に渡して通過である。これは気持ちよい。この制度のおかげで、預け荷物の待ち時間が長く感じられるという贅沢な悩みもあるそうだが、我々の場合は預け荷物がないので、本当にすんなり外に出ることができた。
ドアを出ると、ムッとした空気に雨季の熱帯を感じる。出口には多数のお迎えの人がいて、それぞれ名前を書いた紙を持っているが、うちの場合は配偶者Sが来ているはずだからそういう紙はなさそうだ。まずはその人だかりから離れて待つ。するとほどなく、配偶者Sと息子たちが現れた。長男Sはなんだかフラフラしていてぼんやりと歩いている。ここに来る車内で眠ってしまって機嫌が悪い由、せっかくの再会なのに残念だ。
空港から宿へは、レンタルハウスのオーナーの御主人、マデさんが運転する車に乗る。トヨタの車だが、日本だと何に相当するのか、見慣れない車だ。名前はAvanza、なんとなくマツダ車みたいな名前だが、7人乗りの小型ミニヴァンだ。他にはスズキのAPVというこれまた見慣れないミニヴァンがたくさん走っていた。
ところでマデさんという名前だが、これはもう有名なようだが、バリ人は第1子(ワヤン、プトゥ)、第2子(カデ、マデ)、第3子(ニョマン、コマン)、第4子(クトゥ)の順に名前が決まっていて(第5で頭に戻る)、このマデさんは10番目ということらしい。この命名もバリ人に限られるそうで、インドネシア人はまた異なるらしいが、短期旅行の身としてはそこまではさすがに手が回らない。それで、要するに同じ名前の人が多いので、何らかの愛称を併用して呼ばれるという。このマデさんは日本人女性と結婚したのでマデ・ジャプンなどと呼ばれるそうだ。
空港を出ると、すぐに細い道路になってしまった。狭い道路を、色んな車と、多数のバイクが入り組んで走る。滞在開始直後に長男Sが車の中で気持ち悪くなったのも理解できる。3週間以上経ってすっかり慣れてしまい、最近はどこかに出かけては、帰りはタクシーに乗ろう、などと言っているらしい。そのバイク、よくぶつからずに走ると思うが、そのうちの1台のライダーが何かを叫びながら、マデさんの車の後方を叩きながら走り去った。どうやら左後輪に異常があるようだ。しばらくすると後方からブカブカという音がし始め、車が傾いた。パンクである。マデさんは慎重に車を市場前の小さな空地に停めた。降りると、左後輪がみごとにぺしゃんこになっており、なにやら金属片がタイヤに刺さっていた。道路の隅には凸凹が多く、ゴミがたまっていたりするので、対向車を避けて左に寄ったりを繰り返すうちに、金属片を踏んだようだ。マデさんは慌てた風も無く携帯電話で友人を呼び出して、数分以内に友人が到着、我々はその車に乗せてもらってレンタルハウスに着いた。数分もかからない近さだった。そういえば元々、空港から5分だったっけ。
レンタルハウスは織田さんという方が管理していて、2階建てのそれぞれの階が別の家になっている。2階への階段は家の脇にある。配偶者Sが借りているのはその1階部分であった。天井が3m近くもあって、それでなくても広い部屋がさらに広く感じられる。玄関を入るといきなり居間とダイニング・キッチンで、靴を脱ぐスペースとかがないのは日本人には若干使いにくい。床の、白い帯状の部分に靴を置くルールなのだと、長男Sが得意げに教えてくれた。
居間から右に入ると寝室。ここが一番広く、20畳くらいはある。寝室というより、こちらが居間と言うべきか。クイーンサイズのベッドが2台あって、さらにその横に同じサイズのマットレスが置いてあった。ゆうに6人は滞在できるだろう。寝室に入って左方のドアに向かうと、そこがバスルーム。さらにシャワー室が別にあって、またそこが8畳ほどもあるのでシャワーを浴びるのがなんだか気恥ずかしいほどである。私は滞在中、そちらのシャワー室は使わなかった。
それにしても1ヶ月もこんなところに滞在していては、日本に帰ったら我が家が狭く感じるだろう。9月の桂林のコンドミニアムといいここといい、どうもスケールが狂いそうな広さだ。
しばらく休んだあと、夕食の調達がてら周囲の散策に出かける。配偶者Sは当然こちらで料理もしているが、今日は標準的なインドネシア料理を現地の人の手で、というわけだ。家の壁にヤモリが4匹。長男Sも慣れたもので、「ヤモリがいるよ!」と教えてくれる。
レンタルハウスのある一角を出ると、すぐにローカルの人たちが食べるレストランが2-3軒並んでいるところに出る。そこはまずスルーして、その先の集会所のようなところに行く。割れ門があって、広い敷地内に大きな屋根の建物がある。この建物、三方は壁がなく、正面に舞台のように1段高いところがあって、他の大部分はツルツルに仕上げられた石の床である。その床も地面より60cmほど高く作られている。ほぼオープンエアなので、風通しがよく多少涼しいような感じもする。
舞台のようなところでは卓球をやっている人が2人。配偶者Sの推測では、レンタルハウスの日本人逗留客に卓球が上手い人がいるので、地元の人が対抗心から練習しているのではないかということだ。長男Sはここでの卓球の練習で玉拾いをしたりするというので驚く。そこまで慣れているのか。
建物の周囲では子供たちが遊んでいたりして、のどかで和やかな風景だ。こういうスペースは私の家の周囲にはないから、羨ましいと思う。
ひとしきり集会所を見て、向かいのレストランに行く。レストランの前にはサテ・アヤム(焼き鳥)の屋台が出ていて美味しそうなので8本注文。たくさん焼いているのに時間がかかるので不審に思っていたら、脇で待っている先客が大量注文をしていたのだった。てっきりそこらの店の人が冷やかしに来ていたのだと思った。
配偶者Sはレストランにナシ・ゴレン(焼き飯)、ミー・ゴレン(焼きそば)、アヤム・ゴレン(鶏の唐揚のようなもの)、チャプチャイ(インドネシア風八宝菜)を注文する。ナシやミーは油紙のようなものに包まれているが、チャプチャイはそのままポリ袋に入れられる。なるほどこれがテイクアウェイのティピカルなやり方なのだな。
買い物を済ませると、店のおばちゃんに紹介される。レンタルハウスのオーナーによると、現地の風潮は、50年前の日本のようなものだという(もっとも、オーナーは私と同い年、44歳なのでホントかよと突っ込みたい気分もあるが)。男の親がいない状態で幼児を2人連れている母というのは非常に心配されるらしい。配偶者Sは、ちゃんと旦那が居てそのうち来るから、と説明していたらしい。それで現に来たからおばちゃんも安心したようだ。アパ・カバー(元気?)と聞かれてカバ・バイ(元気ですよ!)が即座に出なくて悔しかった。一応、お隣のマレー語で少しは勉強していたのだが。
家に戻り、調達した食べ物を皿に盛って食べる。美味しい。長男Sはナシ・ゴレンにチャプチャイをかけろという。「これが最高なんだよね」などと、いったいどこでそんな表現憶えた?
ナシ・ゴレンは言うまでも無くインドネシア、マレーシアなどで定番の料理で、言葉どおり飯を炒めたものだ。マレーシアでいろいろ食べたときは店によって全然味が違ったもののどこでも美味しく頂いたので、ここインドネシアでも同様に個性を楽しみながら美味しく頂けるのだろうと思う。ミー・ゴレンは麺が太くてコシがなく、あまり上等ではない感じで、これはナシよりは当たり外れがありそうな気がする。チャプチャイは八宝菜起源のインドネシア料理、白菜、キャベツ、にんじんなどが入っているあたりは中華と似ているが、粘り気がなくてサラサラ。長男Sの勧めどおり、ナシ・ゴレンにかけると美味い。長粒米にサラサラのチャプチャイの汁がよく合う。次男Mは皆が着席する前にアヤム・ゴレンに手を出し、バリバリと食べていた。おいおい、前歯しかないのに大丈夫かね。サテ・アヤムは文字通り・見たとおり焼き鳥で、炭火の香りが良い感じ。ピーナツペーストも良いハーモニーだ。
値段は、ナシ・ゴレンなどは80円、サテは8本で50円くらいだったそうで、つまり前者は8000ルピア(Rp)、後者は5000Rp、ケタが多すぎて一瞬どんな価格か感覚がつかめないのだが、1円=106Rpくらいなので、ゼロを2個取れば日本円と憶えておけば良いのだろう。
食事の後、オーナーが来て、さっきの集会所でガムラン音楽の練習をしているというのでまた出かける。短期なので、こういうときは積極的に動かねば。
練習といっても、指導者もいなくて、ただ流しているだけなのだが、その多彩な音色と大音量に圧倒される。いまやっているのは祭で練り歩くときの音楽らしい。長男Sは最初に見たときに日本語で「うるさーい!」と失礼なことを言ったそうだが、もっとも意味が分かるかどうか以前に、聴こえないだろう、この大音響の中では..
その長男S、いまは練習している脇でミニカーを走らせてちょろちょろと動き回っている。そんな邪魔には目もくれず、ひたすら流れる悠然たる音楽。歴史と文化の厚みを感じる。
家に戻り、シャワーを浴びて就寝。網戸がないので、エアコンをつけて寝るしかなく、広い部屋に小さなエアコンなのだがけっこう寒かった。
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