11年2月中旬
第1次インドネシア(バリ)小旅行


第1日 第2日 第3-4日


●第2日 11年2月11日(金) クタ市街→ヌサドゥア→プチャトゥ→ウルワトゥ→ジンバラン→クタ

 チキンカレー時差のおかげで、日本にいる感覚で起きたらまだ1時間ある、というのがレンタルハウスの敷地内嬉しい。朝食は配偶者Sが作ったチキンカレー。朝からカレーなのだが、あっさり味。現地風なのかどうか、というとまあそこらへんはよく分からない。
 長男Sのアレルギーらしき原因の皮膚の状態を改善するために、バイオレゾナンスなるちょっと怪しげなところに通っているのだが、今日もその治療があるというので、午前中、義父と私は散歩とする。集合は、12時にディスカヴァリー・モールというショッピングモール。
 10時過ぎには家を出たが、もうすっかり暑くてめまいがしそうである。日本との気温差は30度、改めて日が照っているところを歩くとそれを実感する。ガイドブックをSから渡されているが、それを見ながら歩くのはいかにもおのぼりさんなので、クタの市街地図をiPhoneで撮影し、それを地図にすることにした。これがレンタルハウス10時で下校
 レンタルハウスの並ぶ敷地を出て、さてどちらに向かうか。よく分からないが昨日の集会所の前を通って道なりに進むのだが後で地図を見たらこれは目的地と反対方向だった。まあ、2時間もあるから最短距離を歩く必要はないのだが。ということにその時点では気付かず、ひたすら歩く。小学校があって、もう下校している。まだ午前中なのだが。これも後で調べたら、小学校は2部制で、午前はなんと7時半から10時。つまり今が下校時間なのである。今日は金曜なので黄土色〜茶色のようなシャツの制服だ(日によって服が変わる)。校門の脇に駄菓子屋さんのような出店があって賑わっている。子供をバイク(スクーター)で迎えに来る親が多い。そして3人乗りとかで帰るのだ。

 ところで我々だが、まだインドネシアルピア(Rp)を持っていない。駄菓子屋で飲み物を買おうにも、お金がないのだ。ここでようやく道を間違えたと気付くのだが、配偶者Sからは交差点を過ぎたら両替屋があるから、と言われていたのに、もう何百メートルも歩いている。そこまで気付かないのも間抜けだが、歩けば歩くほど寂れたところになり、歩道がなく交通量が多い道路は歩きにくい。大汗をかきながら、南のほうをずっと遠回りしてジャラン・カルティカ・プラサという通りに出た。これを北上すればたぶんディスカヴァリー・モールの方向だ。この通りには店なども多く、あるところでコンビニと両替屋が一緒になっているところに入った。両替して、そのまま飲み物が買える。冷房が心地よい。1万円を出すと、106万3千Rpになった。こうもケタが多いと困ってしまう。早速ドリンクを購入、AQUAというブランド名のスポーツドリンクで、パッションフルーツ味、6000Rp。AQUAはもちろん水そのものも売っているのだが、こういうときにはやはり何かの味がついているほうが面白い。甘いが、爽やかな香りで美味しい。義父はレモン入り緑茶を購入、これは超絶に甘い。東南アジアにくると、大抵緑茶のペットボトルは甘いのだが、これはレモン入りだからもう確信犯的に甘い。いや、こういうのが、楽しいと思う。義父は顔をしかめていたが。
そこここに花が咲き乱れる 市場の服飾店 市場にて バイク用に、ガソリンの小口売り

 元気になって道を北上。ディスカヴァリー・モールはすぐに見つかった。モールに入るのに1フロア分階段を登らねばならないのは謎の構造であるが、とりあえず今はそこに入るには未だ早い。海に行こう。モール前を通り過ぎてより繁華な街路に進む。そこらじゅうに停めてあるバイクが歩行の邪魔だが、これは9月に行った桂林でも似たような状況だった。
 しかしバイクはさておき、これに言及せねばなるまい。チャナンというお供え物だ。店先や路上に置かれた、葉をお皿にして花や食べ物などを入れたもので、寺院や石像などの周囲は特に多い。調べると、地面より高いところにあるものは神へのお供え物、地面にあるものは悪霊へのお供え物だとか。観光客の私など、地面にあるものは踏んだらまずいのかと思ったりするのだが、どうも置かれた後は踏まれたり犬に食べられたりしても良いものらしい。事実、車やバイクに踏まれて散乱しているのも多い。置く時に祈りを捧げることが重要なのだそうだ。バリの女性は、これを毎日たくさん作るという。天と地、光と陰、神と悪霊、対極にあるものをそれぞれ信じて受け入れる、バリの人の信仰心の象徴と言えるだろう。
きれいだな 土産物屋多数あり チャナンがたくさん 道路に置かれるチャナン

海へ またかなり遠回りして、ビーチに出た。ビーチの入口も割れ門になっていて、おそらくこれも方向とか決まりがあるのだろうなあ、と思いつつビーチに足を踏み入れた。暑い。何しろ南緯8度、おそらくこれから下旬(あるいは3月上旬か)にかけて、正午には太陽が真上に来る頃ではないか。どこも影が短い。ビーチ、暑かった
 ビーチに入って正面のところは、サーフィン用の場所で、遊泳は禁止のようだった。もっともビーチは広いし、人は少ないから、どこでもサーフボードとぶつかるようなことはなさそうだ。海は砂が舞い上がりやすいのか、遠くはエメラルド色だが海岸近くは濁っていて、観光ガイドなどにある典型的な南のビーチの美しさというわけではない。サンダル履きなのでそのままジャブジャブと海に入ってみる。海の水は意外に冷たく、20℃台後半くらいか。足元が涼しい感じで気持ちよいが、帽子をかぶっていない頭は非常に暑い。しばらく写真を撮り、退散することにした。

石像はどれも絵になる熱帯の木は大きい ディスカヴァリー・モールの位置は確認済みだから迷うこともなくそこに着いた。階段を登ってモールに入り、ホッとする。エアコンが嬉しい。時刻は12:10頃。配偶者Sから電話が来るのを待つ。15分ほどぼんやりしていたら、マデさんの車に乗った配偶者Sたちが現れた。我々の行動を話すと、ビーチに出るにはモールを抜ければ良いという。なんということだ。ずーっと遠回りしていた。モールに来るまでも遠回り、ビーチも遠回り。ま、それはそれで楽しいのだが。

 ここからのコースは、景色の良いスポットをいくつかと、夕方からはウルワトゥ寺院のケチャ、ジンバラン付近の夕食となっている。と書くといかにも計画的に見えるが、じつは終日マデさんにお任せで、後からどう回ったかを復習したのである。
 ブンブ・バリにてまずはヌサドゥアエリアから北に突き出した細長い半島のようなタンジュンベノワ地区にあるブンブ・バリというレストランで昼食。配偶者Sの趣味からするとこういう高級店は合わないかも知れないが、たまには良いかも。料金は一品料理が60000〜120000Rpくらい、むろん物によっては200000Rpとかもあるが、日本語メニューで好みのものを選べば良いので、困ることはない。とはいえナシ・ゴレンが62500Rpとかだからクタの屋台の8倍くらいする。ま、これはそういうものだと思うしかない。ツナサラダ、ダックのカレー、ナシ・ゴレン、ミー・ゴレン、サテの盛り合わせを注文。飲み物は義父と私はビンタン・ビール、長男Sはスイカジュース。料理が出てくるまでにかなりの時間がかかった。その間、エビせんべいがあって次男Mはごきげんだし、長男Sは義父と一緒にレストラン内にある大きな甕のようなものからあふれ出る水を触って遊んだりしていた。高級インドネシア料理
 料理が来た。サテは予想していた量の倍以上あり、注文した料理にはそれぞれ付け合せがあって、さらにごはんも別についている。こんな量だったのか。あと一人大人がいても良かったと思える量だ。ナシ・ゴレンやミー・ゴレンはそれぞれごはんや麺が見えないほどに上に色んなものが載っているし、豪勢であった。味も申し分なし。レストランはオープンエアで、天井からのファンで空気をかき混ぜているだけだが、案外過ごしやすく、またこの空気の中で飲むビンタン・ビールは美味い。地産のビールはその地で飲むのが一番だ。

 マデさんはおそらく一旦帰宅したのだと思う。ここの食事は1時間半くらいかかります、と言っていたからそれまでは迎えに来ないということ、ではレストラン裏手からビーチに出よう。裏手にはロッジやプールがあり、リゾートホテルも兼業のようだ。きれいに整備された中庭を通ってビーチに出ると、バナナボートやらジェットスキーやら、何だか分からないが空を飛ぶのもやっていた。パラセイリングもあったが、ボートが空を飛んでいたのにはびっくりした。フライフィッシュと言うらしいが。そんなわけで、人気
(ひとけ)が少ないのにちょっとうるさい感じもある。海は波が少なくて、先ほどのクタよりはこちらのほうが透明に見える。大きな椰子の木の日影があって、そこに座ると海からの風が心地よくてぼんやりできた。配偶者Sと子供たちは暑い中、海岸で遊んでいる。すっかり暑さに慣れているのだ。
レストラン・ロッジの裏は海 ホテルの中庭にて ホテルの中庭にて ホテルの中庭にて

 頃合を見て表に戻る。マデさんはどこか別のところに車を停めていたようだ。次はどこに行くのかと思っていたら、なんと日航ホテル。ヌサドゥア地区の崖のところに建つ大型リゾートホテルだ。むろん泊まるのではなく、見るだけなのだが、つまりここには崖の上に建つホテルの、さらに高所に展望台があるらしい。これは私が昨日リクエストしていた「高いところからきれいな景色を眺めたい」というのに応えてくれたわけだ。ホテルの展望台とは予想外であった。
 その展望台、なかなか見つからない。ホテルの中で何人かに場所を尋ねて、ようやく到着。いやはや絶景である。しかし日航ホテルの宿泊客はここまで来なくても部屋から景色が見られるからか、展望台には他にだれも居なかった。
道路にも門がある 日航ホテルの展望台にて 日航ホテルの展望台にて

 ウルワトゥ方面に向かう途中、長い坂を登ると、マデさんは自動車修理工場の前で車を停めた。ひょっとして調子でも悪いのかと思ったら、ただの路上駐車で、そこから少し坂を戻ったところに景色が良く見えるところがあるといい、連れて行ってくれた。そこからはバリ島南部、空港付近のくびれたところが一望できる。雨季ということもあって空気がカラッとしていないから、空港は少しおぼろに見えた。それにしても、車の停め方が大胆というか、店にとっては迷惑だし、坂道の途中だから登ってくる車にも迷惑。重いトラック(コンクリートミキサとか)だともう止まりそうな速度なので、坂道がたいへん渋滞した。なんだか申し訳ない。そこまでして「高いところ」というキーワードを重視してくれたマデさんに感謝せねば。
 その次はプチャトゥというところ..だと思う。道路の形から帰国後に推定したので自信がないが。大きなガルーダ像がある入口から海の方向に走って、崖の上にチャペルがある。その手前から急な坂道を下ると小さなビーチがあってけっこうな賑わい。ここでも子供たちは海に入り、砂遊びをしていた。こうして所構わず遊べるのは子供の特権だ。
坂道の途中で。味があるなあ。 プチャトゥの入口 西の海。つまりインド洋だ。

 そしていよいよウルワトゥ寺院である。駐車場には数え切れないほどの車が押し寄せていた。寺院の境内
(と言うのだろうか)に入るので短パンの人は腰に布を巻く。私もそうだが、この布がけっこう暑苦しい感じで歩くのが大変だった。既に有名なことだが、ここにはサルがたくさんいて、観光客のメガネや小さな物品を持って行ってしまうらしい。カメラはストラップを手首に巻いて保持する。景色が非常によいところで、断崖絶壁の上をアップダウンしながら歩くのは気分が良い。遠くにケチャダンスの会場が見えてきた。予想されていたことだが、まあこれほどの人が、という状態で、既に規定の座席は先客で埋まっていた。それでも客は会場に詰め込まれる。我々は観客席の反対側に臨時の椅子を出してもらい着席。それでも足りなくて、段々になっている客席のさらに前、ケチャが演じられるはずのスペースにも3重くらいの人の環が作られた(当然、地べたに座っている)。これでケチャができるのか、と思ったが一応なんとか出来ていた。だけど、地べたに座っているので前の人がカメラを掲げたりすると踊りが見えないし、あそこまで座らせるのはどうかと思った。
サルがたくさんいる 断崖絶壁を見ながら進む きれいだけど、ちょっと怖い

 ケチャは伝統的な儀式かというと、そうではないらしい。1930年代にバリに移住したドイツ人画家・音楽家のシュピースが、サンヒャン・ドゥダリという疫病や災害の原因を除くための舞踊儀式にストーリー性をうわ、もうあんなに人が付加したものだそうで、それから70年以上経ち、観光地のケチャはエンタティンメントとして定着している。ここウルワトゥのケチャは観客席が西を向いて設置され、ケチャと日没の雄大な景色もセットとなっている。その日没は我々の席からは見られない。なにしろ東を向いて座っているのだから。もっとも今は雨季であり、空は薄曇りなので、日没の景色はあまりよく見えないようだ。
 ケチャが始まった。通路にも1列分客席が追加されているので、男声合唱の人たちは押し合いへし合いのような形で中央へと出て行く。この男性たちが歌ったり合いの手を入れたりする声に合わせて、登場人物が中央で演技をするのだ。登場人物とストーリーは配られた紙に書いてある。もちろん日本語版もある。これは事前に読んでおかないと、無言の演技だけでは分からないだろう。まあしかし、ストーリーが分からなくても、面白い演出はそこかしこにあって楽しめる。道化役なのか、赤猿は観客に向かって写真を撮れとポーズを取るし、その部下(?)たちは観客を捕まえて一緒に踊らせたり。一緒に踊るのはドバイで見たベリーダンスのパターンだな。ドバイでは私も踊らされたわけだが。ここでは日本人らしき女性が連れ出され、道化役が「コニチワー!」とか言ってウケを取っていた。
 配役で一番目立つのは白猿のハヌマン。言うなれば正義の味方タイプのヒーローで、最後には余計なことをして敵に捕まって火あぶりにされそうになる、といったシーンも用意されている。このハヌマンも道化役みたいな面があって、観客席の後方に潜んでいてそこからぎちぎちに詰め込まれた客の間をわざと通ったり、客の肩をもんだり、これは寺院内にたくさん居るサルのいたずらを想起させて楽しい。ハヌマンは絶体絶命のピンチを火を蹴り飛ばすことで逃れる。このシーンがクライマックスだろう。観客のどよめきもここで最高潮に達する。火あぶりに使われたヤシの繊維らしきものの燃える匂いと熱気で、見ている演技以上に興奮するようだ。
ケチャが始まった チャッチャッチャッ 王子と妃 黄金の鹿 魔王に襲われる
真剣 ガルーダも登場 ハヌマン、飛ぶ 悲しみのシータ妃 こんなところにハヌマンが
道化の赤猿登場 お約束らしい ハヌマン、捕ってしまう 火あぶりの準備 脱出するハヌマン

 終演後には登場人物たちと記念写真も撮れる(無料)そうだが、我々はささっと会場を後にした。出口近くの臨時の席だから退出がスムーズだったのは良かった。寺院入口で腰の布を返して、車へと急ぐ。薄暗い中、次々と車が動き出すので危ない。無事に車に乗り込んだ。

 ここからは、北上してジンバラン地区のイカン・バカール(焼き魚)の店に向かう。ウルワトゥ寺院のケチャとジンバランのシーフードは定番の組合せだとか。たしかに、ジンバランで夕食を取ってクタやレギャン、ヌサドゥアあたりに帰るのはちょうど良さそうな距離だ。それにしても、渋滞が激しい。今日見た感じでは、ジンバランより南の地域はあまり大きな町があるようにも見えないのだが、とにかくバリの中心部に向かう北行きが混んでいる。そういえばマレーシアやドバイでも、夜に都心に向かう道路が混んでいたのを思い出すが、つまりそれは、夜になっていくぶん涼しくなると、遊びに出る人が多いという説明だった。暑い地域の人は宵っ張りなのだ。そんな渋滞の中、マデさんが道路を間違えた。西に曲がるとジンバランの海岸で、そこにたくさんのシーフードバーベキューの店が並んでいるそうだが、その道路が私道なのか、途中で料金を払って通ったりしなくてはならない。そういう道路で道を間違えてしまい、もう一度メイン道路に戻って南下し、目的のニョマン・カフェというレストランに着いた。あたりにはもうもうと煙が。ヤシの実の炭火で焼くニョマン・カフェにてシーフードの店なのだ。薄暗い店の中を通ると海岸に出空港が見えるた。広いビーチに多数のテーブルと椅子が並び、それぞれにろうそくの灯ったランタンが置いてある。なかなか良い雰囲気のところだ。西は海で、北にはデンパサール国際空港の灯りが並ぶ。夜だというのに飛行機がひっきりなしに離着陸して、この地が栄えていることを示している。
 メニュー(英語)は一応渡されるが、魚の種類を英語で判別することが出来ない。調理場で魚そのものを見て選ぶこともできるよ、というので、そうする。長男Sもついてきた。キングフィッシュを1匹(1.2kg)、イカ1杯(1kg弱)、ブラックタイガー(エビ、0.5kg分)を焼いてもらうことにした。料金は重さで決まる。イカや魚は小分けできないが、エビは重さを指定した。辛い調味だと子供が食べられないので、辛いのは抜きね、と言ったら、何もつけないで焼くから大丈夫、とのこと。リクエストに関係なく、調味料は別で出されるようだ。
 席に戻って、例によってビンタン・ビールを飲む。料理はそれほど時間はかからず。まあ焼くだけだし。言われた通り、魚などには何も調味料は使われず、トウガラシと醤油、ニンニクとトマトの調味料が添えられていた。イカは自然な塩味が感じられてそのまま食べられる。長男Sはもっぱらイカだった。次男Mはキングフィッシュ。この魚は大柄であまり脂身がなく(南方の魚って感じだ)、トマトのほうの調味料がよく合った。食事をしている各テーブルを回っているバンドがいた。それぞれで客の国籍に合った歌を歌っているようだ。我々のテーブルではサザンオールスターズのTSUNAMI、上手いね。義父がチップとして5000Rp渡していた。
空芯菜炒め ブラックタイガー キングフィッシュ イカ 生演奏のバンド

 ゆったり食事をして、家に戻った。


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