11年2月中旬
第1次インドネシア(バリ)小旅行
●第3-4日 11年2月12日(土)〜13日(日) クタ→キンタマーニ高原→ウブド→クタ→帰国へ
3日目にして事実上の最終日である。帰国支援のために来ただけだからそれで仕方ないとも言えるが、やはり来てみると惜しいものだ。
今日はキンタマーニ高原というところに行く。昨日既に長い間車に乗っていたので、今日の行程はやめておこかと相談もしたが、子供たちはすっかり当地の交通事情に慣れているし、私の腰が大丈夫なら何とかなるだろうということで予定通りに行くことにした。マデさんの車、AVANZAは小さいボディに3列シートを押し込んでいるので背もたれが直立していて腰がつらいのだ。機内で使ったクッションを腰のところに置く事にした。
マデさんの説明では、キンタマーニ高原は遠いうえ、今は雨季であって午後には激しい雨が降るおそれがあるから、なるべく午前中に着きたいということだった。それでも出発したのは9時半くらい。さて、大丈夫だろうか。
ところで街中を歩いたり車で走っていて、違和感を覚えるのは、インドネシア語の綴りだ。仕事やプライヴェートでマレーシアに6回行ったので、マレー語を少しだけ齧ったことがある。インドネシア語はマレー語の親戚とされていてそれぞれの国の人たちはお互い通訳無しでも大丈夫らしい。ところが、意外に基本的な言葉が違っているような気がする。
日本語 |
マレー語 |
ここでは? |
バス |
bas |
bus |
タクシー |
teksi |
taksi |
トイレ |
tandas |
(該当の言葉が表示されていない) |
店 |
kedai |
(同上) |
こども |
kanak-kanak |
anak-anak |
氷 |
ais |
es |
といったところ。もっとも、バスもタクシーも綴りなんてどうでもよくて、見りゃ分かるんだからこんなことを気にしても仕方ないレヴェルではある..とはいえそんな違いを気にしながら車や看板を眺めているのもわりと面白い。
大きな通りで車の流れが悪くなると、現れるのは物売りの人。売っているものは新聞やお菓子やおもちゃなど。マデさんの説明によると、新聞は航空会社が機内サーヴィスで使って捨てたものを再利用しているらしい。だから日本語の新聞もあるのだが、明らかに数日前と分かる代物である。新聞は見出しが大きいから、どうしたってそれはバレてしまうものだ。車が流れ出したら、器用に車の間をすり抜け、歩道や中央分離帯に避難する。たいへんな仕事だ。こういう物売りの人といえば、タンザニアの幹線道路にもいらっしゃった。あちらはACアダプタとかを腕に何本もかけて歩いていたが、使えるかどうかが分からないので、商売になっているのかどうか。
途中でバティク染めの工房に寄る。配偶者Sたちは既に来ているところで、買い物をするつもりもないが、バティクの工程が見られるのでそれは興味深く観察させてもらった。周囲に漂う蝋の匂いにむせつつ気の遠くなりそうな細かい作業を見ると、店の値段がそれなりに妥当に思えてしまうのはもちろん工房の作戦だろう。子供たちは2回目とあってもう遠慮もなく、店内を走り回るのでちょっと困った。
車に戻る。しばらく走ったところでマデさんは車をガスステーションに入れた。インドネシアではPertaminaという国有石油会社がガソリンの流通を独占し、補助金で価格を抑えている(50円/Lくらい)。価格は全国共通なので、どこで入れても同じ。だから安い店を探してそこで満タンにしようということはないらしく、少なくなってきたら満タンではなくて何Rp分入れる、というやり方のようだ。マデさんも最初からお金を出していたから、やはりそういうことなのだろう。
このガスステーション(ちなみにインドネシア語ではPompa Bensin)にも物売りが現れた。お菓子で、2000Rpだという。マデさんが(相場的に)そんなものでしょうというので、それを買った。バナナを混ぜ込んだモチのようなものにココナツがかかっていて、あまり甘みはなく、ういろうのような食感。子供たちは喜んで食べていた。
次に着いたのはゴア・ガジャ遺跡。象の洞窟という意味だそうで、11世紀ごろの寺院跡だ。洞窟はその昔、修行のために掘られたという。次男Mが寝入ってしまったため、配偶者Sは車に残ることになった。配偶者Sと子供たちは旅行の最初にここに来ている。長男Sはついてくることに。
入場料3000Rpを払い、例によって腰に布を巻いて入場する。遺跡は駐車場から窪地へと階段を下っていったところにあり、巨大な木の下に沐浴場があったりしていかにも神聖な場という雰囲気がある。沐浴場の先に遺跡の名となった洞窟がある。分厚い岩の中だからひんやりしているかと思ったら、湿気が多くて暑かった。修行僧がそこに座っていたと思しき横穴がいくつか穿たれており、うち2箇所にはお供え物や賽銭箱があった。長男Sはそこで拍手を打つのでコラ、それ違うと指摘しておいた。
この遺跡に限らず、バリには無数の石像があるが、どこの像も高温と多雨で苔むしているのが良い。日本人の感覚だと、寺院の石像や灯籠は手入れされているのが普通だと思ってしまうが、自然な色褪せ方と苔の濃い緑色のコントラストが好もしい。
ゴア・ガジャは地域でいうとウブドの近くで、そこからキンタマーニ(標高1500mくらい)まではひたすら登りになる。途中までは道の左右に民芸品店がずっと並んでいて、西欧人が買い物をしている姿が目立った。街中で買うよりは値段が安いのだろうか。民芸品店の他に目立つのは果物屋で、これは中国の桂林でもよく見かけたが、地元の農家の直売所といったところだろう。
キンタマーニ高原に着いた。バトゥール・サリというレストランに入る。時刻は12:45ごろ。午前中に入りたいという目論みからは1時間以上遅れているが、幸いまだ雨模様ではない。レストランは外輪山のてっぺん付近に建っていて、建物の向こう側は断崖絶壁である。その外輪山の中心にはバトゥール山があってじつに雄大な景色だ。残念ながら雨季ゆえの水蒸気での霞みがあってバトゥール山ははっきりとは見えないのだが、その分直射日光もなくて、屋外のテーブル席でも何とか食べられそうだ。断崖のほうに向かって座る席に、一列に並んで席を用意してもらった。子供が食べ物などを下に落とさないように注意せねばなるまいが、景色が楽しめる特等席である。
レストランはインドネシア料理のビュフェ。早速、交替で食べ物を取りに行く。料理は十数種類はある。サテやナシ・ゴレンあたりに落ち着いてしまうのは良くないのだが、息子たちに至ってはここでフライドポテトが美味しいというから困ったものだ。まあ、彼らはもう1ヶ月近くもここに居るのだから、インドネシア料理は十分堪能したと思えば良いのか。私は、ナシ・ゴレンに、トウガラシを浸した醤油を少しふりかけて食べた。これは美味しいと思うのだが日本ではそういう習慣がなくて、やっぱり帰国後もそれを忘れて生活している。たまには思い出してやってみたいが。
ゆっくり食べて、少し日が出て暑くなったところで店を出る。雨が近いようで、マデさんは少し焦り気味だ。人と車でごちゃごちゃの駐車場の片隅で、マデさんが車を回してくるのを待っていたら、義父が土産物を売り歩くおばちゃんにつかまっていた。こうして歩いて物売りをしている人はたくさんいる。脈アリと思われると取り囲まれて難儀なので、私は極力避けているのだが、義父は誰にでもフレンドリーなので、物売りもそれが分かるのか、どんどん寄ってくる。いやはや参りましたな。
車に乗って、しばらくすると雨が降り始めた。ギリギリセーフ。雨足は急激に強くなり、あまりの粒の大きさ、量にワイパーが追いつかない。前方視界が曇りガラスを通しての景色のようで、甚だ危ない。雨は弱くなったりまた強くなったり、を繰り返し、カーヴの多い山道で元々視界が悪いので益々危ない。対向車はヘッドライトをつけていたりしていて、なるほどそれはこちらからもよく見えて助かる。
途中の棚田は止まることができなかった。この雨ではほとんど景色も見えないので、やむを得ない。それでも棚田の付近は観光スポットであるから、駐車車両がたくさんいて、大型バスとのすれ違いがギリギリだ。しかもこのあたりで雨は最も激しく降っていて、道路が川のようになっている。水をかぶってエンジン不調のバイクがいて、急にエンジンが止まるのか、ふらふらしながら水溜りを走っていくのが怖かった。
しばらく走ると雨が上がり始めた。雨季といっても長雨ではないらしい。それでも道路は川のようになっているのは相変わらずで、商店の店先に置いてある竹製のハシゴが流れて行ったり、街の人たちはやはり大変そうだ。
平坦になると少し眠くなり、ぼんやりしているとウブドに到着した。バリ島の中では古い街で、観光客も多いのだが古い建物が並んだ落ち着いた雰囲気の街である。一方通行の道路の半分が駐車スペースになっていて、それも、縦列駐車だと台数が少なくなるからか、斜めに停めるのが決まりのようになっている。ちょうど良いところに空きがあって、マデさんがそこに車を入れた。
ここでは土産物の市場に寄る。暑いので、長男Sと私は市場の手前でアイスクリームを買った。意外なことに、長男Sはバリに来てから、あまりアイスは食べていない由。最初に食べたのが美味しくなかったからだそうだが、昨年の桂林では超絶に不味い氷菓を嬉々として食べていたから、なんだかよく分からない。幸い、今日買ったものは美味しいようだった。市場の向かいにある公衆トイレに入って、チップを入れて出てきたら、通りがかりのおじさんに「料金払った?」と言われたので堂々と「払った」と言ったら素直に納得してくれた。こうして指摘されるのは、日本人は払わないと思われているのだろうか。少々心外ではある。
土産物の市場は大きい。中には色んな商店が並んでいて、それぞれ面白いが、幼児、つまり息子たちが商品に触るのを嫌がる。これは配偶者Sが前にmixiの日記に書いていた通りだ。子供の行動は親が管理しろということではあるが、商店の態度としてはあまり感心しない。もっとも、店員は愛想が良くあるべき、というのは日本人的な考えなのかも知れないが。それでも、おもちゃを売る店は子供が欲しいと言うのが一番効果的だから、触らせてくれたけれど。
市場の中は狭くて薄暗い。これは食料品の一番でも同じで、狭い通路に大きな体とカメラバッグは甚だ邪魔な存在であると自覚せざるを得ない。なので、私はあまり狭いところには入り込まず、何も買わないで写真を撮ることに専念していた。
最後に、おもちゃ屋で配偶者Sが交渉を開始。日本での、保育園仲間の子供たちへの土産を買うのだ。日本円では非常に安いものではあるが、それでもかなり粘って買っていた。Sにとってはこの交渉が楽しいのだろう。
ウブドからはまっすぐ帰る、と思いきや、行きとはずい分違う道路、特に狭い路地を走っていた。小さな屋台をバイクの荷台に載せてこれから商売、という人がけっこうたくさん走っていた。
家に着いた。今晩の深夜0:55発の飛行機で帰路につく。レンタルハウスはその出発まで使って良いということなので、シャワーを浴びてゆっくり午睡でも、というところだが、息子たちがけっこう元気であまりゆっくりも出来ず。夜の空港で眠くなって泣かないで欲しいが、さてどうなることやら。
夕食は近くのレストランでテイクアウト、これは配偶者Sが一人で出かけて買ってきた。いつもの店のおじさんがカゼ引いたとかで休業していたため、遠くの店に行って来た由。メニューはナシ・ゴレンとチャプチャイ、いつもの店のほうが美味しいようだ。でもありがたく頂いた。
23時過ぎに空港に着く。こんな時刻だが観光客がたくさん居て賑わっている。チェックインすると、航空券は名刺くらいの大きさで、2次元バーコードがついたもの。確かに、従来のムダに大きい航空券よりは持ちやすい、と思ったら、空港使用料の大きな領収書を裏に貼られることになった。空港使用料は150000Rp、けっこうなお値段だ。
空港の中はチェックインカウンターよりもっと賑わっていた。深夜に出る便がそれだけ多いということだ。息子たちは眠くなってずっとダッコか、と懸念していたのだが、案に相違し非常に元気である。元気すぎて、免税店の商品を壊したりしないかとヒヤヒヤするほどであった。ゲート手前の待合室出入口が開いて、日付が変わってからも待合室のベンチで遊んでいてくれて、出発前に腰を悪くした私としてはこれは助かった。
幼児連れということで優先搭乗し、座席周辺で荷物などを整理。CAさんが息子たちにおもちゃを持って来てくれた。帰りのおもちゃはオラン・ウータンのぬいぐるみ。これが気に入ったようで、長男Sはずっとこれを触って楽しんでいた。外は雨、例によって激しい雨足である。24:55定刻に出発した。
長男Sは夜食(?)らしきパンがもらえたが、さすがに眠く、食べずに寝入ってしまった。これは翌日の朝食になった。
行きの飛行機で懸念していた通り、座席があまり倒れないので眠りが浅い。長男Sには私の分の枕もあげて、それなりに角度をつけて眠るようにできた。私は持参の腰用のクッション。次男Mはバシネットを使うと泣くかと思ったら、これがすやすやと寝てくれて、幼児連れの夜行便がこんなに楽に過ごせるとは、誠にありがたい。
翌朝、日本時間で5時前に起こされる。東南アジアからの夜行便でつらいのはこれだ。朝食が出るが、ほとんど食欲がない。長男S用のチャイルドミールの箱がかわいい。しかし長男Sはほぼ食べず、昨夜のパンが朝食の代わりになった。着陸態勢に入り、バシネットが片付けられたので次男Mは配偶者Sが抱いていたが、これも少し不安そうな顔をしていたけれど問題なく着陸まで大人しく過ごしてくれた。よかった。
成田は快晴。どんよりした雨季からカラカラの冬、湿度も温度も一気に下がったのを実感しながら、帰りの車に乗り込んだ。
★カメラ関係の話
デジタルは10年9月の桂林でE-P1+9-18mm,45mmの組合せが非常に便利だったので、今回もそれが基本。銀塩のときは35mm、90mmや40mm、100mmという組合せが多かったので、広角ズームと中望遠のペアは違和感がない。食事などを撮るには小柄でF値も明るいほうが良いということで17mmF2.8を追加、さらに夜の散歩のために25mmF0.95も持参している。
銀塩は中判(フジのGF670かマミヤ7)を考えたが、今回は短期だし帰りの飛行機は夜行便ということもあって35mm判にした。35-S
IIは42mmF1.8レンズがついていて明るいから、あわよくば帰りの飛行機でも写真を撮ろうという目論み。感度100のポジと400のネガをそれぞれ1本使った。
中央左寄りがNokton25mmF0.95つきのE-P1、交換レンズは後列左がDG Macro-Elmarit45mmF2.8、前列左がM.Zuiko
Digital9-18mmF4-5.6、中央がM.Zuiko Digital 17mmF2.8、右はOlympus 35S-II
1.8。
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