06年4月 南紀小旅行 第1日 第2日 第3日


●第2日 06年4月2日(日) 南紀白浜→那智勝浦→南紀白浜

 予報通り、雨である。これは出発前から週間予報で分かっていたから覚悟はしていた。今日は那智の滝でも見に行こうかと思っている。空港で観光案内のおばちゃんに聞いたところでは、雨の那智もいいもんですよ、というから計画は変更せず行こうと思う。那智までは70km以上あるから行き帰りだけで数時間くらいはかかると思われ、一応定員6人だが狭いあの車で行けるかどうかはちょっと心配だ。
 朝食はビュッフェ形式だ。好きなものが選べるのは嬉しい。和洋取り混ぜてたくさん取ってしまった。いつも、こうしてカロリーが。そして、少し薄めの味付けは飽きさせないのが危ない..って、結局は自分次第なのだが。

 食事を終えて、出発する。運転席も極力前に出して、後部座席のスペースを確保する。3列目も何とか長距離に耐えられるかな。さて、天候はもちろん雨で、そんなにスピードは出さない。けっこう大粒で、何だか台風が来たときのように、時折激しく窓を叩く。雨もいいもんですよ、とはちょっと言いかねる天気である。国道42号線に出て南下していく。しばらくは真南に向かい、椿温泉あたりから南東に転じ、串本から北東へと、紀伊半島の最南端部をぐるっと回る。右手に見える海はかなり荒れている。以前、列車で通ったときは、これより山側を走っていてトンネルが多かったのだが、国道は海岸に近いところを通っていて水しぶきがかかるのではないかと思うほど近い。本当に台風が来たら大変なことになりそうだ。道路の海側にある壁にところどころ青い破線が引いてあるが、これはどうやら海面に近い、低い箇所に書いてあるようで、とはいイノブータン王国の国王夫妻っても車で走っていて警戒しようったって無理だよなぁ。と思いつつ1時間ほど運転したら左に「道の駅 イノブータンランド・すさみ」が現れた。ここで休憩。すさみ町の中心は既に通り過ぎて、周りに何も無い寂しいところにこの道の駅はある。イノブーすさみにてタンランドとは、この町特産の猪豚のことらしくて、売店の奥まった一室が王国の貴賓室という名前になっており、イノブタの国王夫妻が鎮座ましましけるのだが、王妃様のドレスが汚れていてよく見たら道の駅のスタンプだった。クリーニングする予算がないのか。
 外に出る。雨は少し弱まっている。そこで、道の向こうに見える海の姿を撮ろうと思う。道路を渡り、強い風にふらつきながらも何枚か撮ったらけっこうよく写っていた。

 ここで、白浜から串本への距離の半分ちょっとである。妹の旦那のKS君に運転を交代する。私は3列目のシートに座る。狭苦しく感じるのは、天井に頭が着きそうだからで、前後はそれほど狭くは無い。窓が小さいのは残念だが、今日は雨で外は暗い上に、このスモークガラスから写真を撮ってもブレブレになるだけだ。諦めて、少しうつらうつらしていた。潮岬にて潮岬灯台
 串本に着く。ここで潮岬に向かうことにする。潮岬灯台の駐車場には車は2,3台しかなくて閑散としている。無論雨のためで、横殴りの大粒の雨に、ホテルから借りたビニール傘は耐え切れず、骨を残して飛び去ってしまった。それで、傘を差すのは諦めてそのまま濡れながら灯台へと向かう。海の荒れようは壮観で、良い写真が撮れそうだが、雨のためレンズが濡れてボケボケになってしまう。それでもせっかくだから、とかなりの枚数を撮っていた。灯台の脇には資料館があり、ランプやレンズの展示があるのは、先日行った観音崎と同じだ。灯台の灯台から撮影上に登ってみると、観音崎とは異なり、電灯の部分には入れない。その下のところに展望スペースが設けられている。外に出ると、風が強く陸側にしか居られない。えいっと気合を入れて海側に向かって撮ったのが左の写真で、この直後、カメラも体もずぶ濡れになってしまった。
ほうほうの態で下に降りて、駐車場へと向かう。桜の木があって、もちろん風のため花は散っているのだが、葉も、風下だけに茂っていた。

 さて、ここで次にトルコ軍艦遭難記念碑に行こうと思っていたのだが、この風雨ではどうも面白くなさそうで、皆の関心は薄そう。ゆえに勝浦に向かうことにした。しかし、トルコ軍艦の話は書いておきたい。1887年(明治23年)9月、トルコ皇帝の親書を運んだエルトゥールル号は帰国する途中、熊野灘で遭難した。このとき、自分たちの食料も底を尽きかけていた紀伊大島の住民が救助・看護をして、69人が生還した。このことはトルコ国民に広く知られていて、今でも教科書に載っているという。そしてこの話は、ここでは終わらない。85年、イラン・イラク戦争のときにフセインが「イラン上空の航空機を全て撃ち落とす」と宣言したとき、テヘラン空港で立ち往生していた日本人215人を救出したのはなんとトルコ航空であった。トルコは、100年近く前の恩に報いたのである。この話は近年、ネットでの情報も増えているが、詳しいのは「2003 日本におけるトルコ年」のページだろう。エルトゥールル号の話も、テヘランのことも、日本ではあまり知られていない。かく言う私も詳しくは知らず、最近ようやく調べたという程度なのであった。何だか恥ずかしい。

 さて、潮岬からまた運転は私に代わって、一路那智勝浦を目指す。潮岬で風雨の中歩き回ったせいか、段々空腹になってきた。勝浦に着くころには皆が少々イライラし始めて、えーい、ここでいいやとばかり、勝浦の郊外と思われるところで回転すし店に入った。思いつきで選んだ割には安くて美味しい店であった。空腹のおかげかも知れないが。まぐろが数種類あるのは勝浦らしいところである。
 ここから那智まではもう近い。那智川に沿って山の中に入っていくと、那智の滝が右手に現れる。本当はここで降りて撮影したいのだが、ここで駐車して青岸渡寺、那智大社までの石段を登るのは親にはきつい(実は私も..)。ゆえに、このまま上まで車で行ってしまうことにする。石段の代わりに、800円の有料道路があるのは便利ではあるがちょっと高い。まあ、滝のところでも駐車料金で500円くらいは取られてしまうから、それを思えば妥当なところか。狭い急坂を登って、三重塔の近くに駐車した。後で知っ青岸渡寺たが、もっと上まで車で行けるようだ。でも、ここの中くらいは歩いてもいい。雨は相変わらずで、駐車場も水溜りが出来ていて靴の中に水が染み込んできた。しかし雨の寺社というのもなかなか風情があって良い。青岸渡寺の古びた建物と隣にある那智大社の朱塗りは好対照をなしている。もっとも、それは色があるからそう感じるのであり、どちらも豊臣秀吉が再建したという。那智大社は享保の改修というのをやったそうだから多少新しいといえなくもないが。しかし、こうして寺社を歩いていて、つくづく、宗教や歴史の知識が不足していることを痛感する。帰依しなくたって、思想のあらましくらいは知っていて損はないはずだし、その点私は勉強不足である。写真を撮っていて、これはただ普段見ない面白い形を探しているだけではないかと思ってしまった。
那智の滝が見える 青岸渡寺にて 雨の那智大社 青岸渡寺にて

那智大社 那智大社の方に移動する。ジャンボおみくじというのを引いたら大吉だった。私は今年、なぜか大吉が多い。樹齢850年と言われる楠をマミヤ645の超広角で撮影す那智大社の御神木る。元々暗い上に雨なので、絞り開放で1/8秒というスローシャッターである。今回、三脚は持ってきていないから手持ちで何とか撮ってみた。カメラが重いので、案外ブレないものだ。

 さて、そろそろ白浜に戻ろうと思う。妹夫婦は今日で帰り、残りの4人は今日も泊まりだ。まだ14時半だから最終便の飛行機には5時間ある。大丈夫だろう。結局、那智の滝は見ずにここを後にする。いつか、滝も見に行きたいところだ。帰りは私が運転する。途中からだんだん雨が上がってきたように思われる。西の空が明るいから、白浜の方はもう上がっているのかも。途中、東芝フィルのKさん、Hさんの名前そのままの商店と民宿が並んでいるところを行きに発見していたので、Sにカメラを用意させておく。曇天ゆえブレブレであったが、何とか文字が読めるようで安心した。そう、実はこういう知人の名前の建造物や店を撮って歩く趣味があるのだ。まあ意味のないこと夥しい趣味ではある。
橋杭岩 途中、橋杭岩という景勝地で休憩する。海上に、色々な形をした杭のような奇岩が立っているところで、大きな駐車場があり、観橋杭岩光バスが多数止まっている。岩の写真を撮っていると、近くにいた東南アジアの青年が私のマミヤを見てニッコリする。彼はニコンF2で、かなり使い込まれたフォトミックファインダをつけて、標準レンズ1本で撮影していた。それもなかなかカッコよい。時間があればカメラ談義でもするところだが、飛行機の時間が気になるから会釈だけで済ませてしまった。橋杭岩は今の時間帯でも面白いが、どうやら夕景の方がより良い景色になるらしい。次に来る時は夕方に通るようにしよう。

 雨は時々バラとれとれ市場バラッと大粒のものが降る程度で、少なくなり、白浜に着く頃には晴れ間も出てきた。予想より順調に走ったので、観光用の市場であるとれとれ市場というところに寄ってみることにした。たいへん広い駐はちみつ梅!車場に、天井の高い大きな建物があってなるほど市場のイメージであるが、観光用のものだからそんなに安くはない。パックになっている寿司折や丼モノは美味しそうであった。それと、ここは梅干がたくさんある。試食を片端から食べまくって、いやこれがとんでもない種類で、甘いはちみつ梅や香ばしいかつお梅、その他いろいろ名前があるが、どれもそんなに酸っぱくないのには驚いた。私はあまり梅干は食べないのだが、これなら毎日でもいい。ホテルの売店でかつお梅を買ってあるので楽しみだ。
 とれとれ市場を出ると、正面に大きな太陽が見えた。これは、ちょうど日没であろう。日没となれば、円月島に行かねばならない。春分・秋分の日には真西に沈む太陽が、円月島の中央の穴を通るそうで、今は4円月島夕景月になったばかりであるから、ちょっとずれているにしてもいい景色が見られそうだ。妹夫婦の飛行機の時間まではまだ余裕があるので(すっかり白浜の地勢が分かってしまっている)、急いで円月島に向かう。丁度日没のころに着いたが、残念ながら水平線近くは雲が多く、円月島と太陽が一緒には見えなかった。残念だ。明日も夕方まで白浜に居る予定だが、レンタカーを返す手続きがあって日没までは動けないのである。またまた課題が残ってしまった。

 空港に妹夫婦を送って、ホテルに戻ってきた。夕食まで私は一眠り。Sは風呂に行った。
 眠い目をこすりながら食堂に行く。今日は洋食のコースだ。昨日の和食コースは素晴らしかったが、今晩のもなかなか結構だ。途中でパスタが出てきて、これは薄味。そういえばオーストラリアのパスタも塩味が少なかったなあと思う。最後はローストビーフで、これが予想外に量が多く、さらに肉が苦手なSの分も食べたので、元々大きい腹がもっと膨れてしまった。
 今は日曜の夜だから、館内は静かである。家族風呂が5室とも空いていたので、昨日とは別のところに入ってみたが同じ形だった。
 部屋に戻り、早々に就寝。


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