04年2月28日 前半
白保→伊野田→玉取崎→サビチ洞→平久保

昨日は1日が長かったのでぐっすりと眠った。朝食の放送が聞こえにくいのは寝ぼけているせいかも知れないのだが、放送設備もずいぶんと古ぼけた音がしていた。味噌汁に昨日海岸でよく見ることができた、アーサ(岩のり)が入っている。わかめのような滑らかさはなく、ゴリゴリしていて野性味あふれる味だ。舌触りも味も、つんと刺激がある。これ、昨日海岸で見ましたよと言うと、宿のおやじ、海岸で拾ってきたわけではないよ、と苦笑い。わざわざ言うあたり、本当民宿「田作屋」に拾ってきていたのか!..そんなわけはないだろうが。じゃがいもとポークランチョンミートの炒め物が美味しい。ランチョンミートは、沖縄では単に「ポーク」とか「ポーク缶」とか言うらしいが、豚肉を塩と脂で固めたような、コンビーフみたいな缶詰(コンビーフほど繊維っぽくない)の肉である。一説には米軍が持ち込んで一般にも普及したというらしいが、ハムやソーセージより柔らかく、塩気があって美味しい。味がついているので、他のものと一緒に炒めたりするのに向いている。それゆえゴーヤチャンプルの具になったりするわけだが、このじゃがいもとの炒め物も、実にごはんが進む味である。
食後、出かける前に白保の海岸まで歩いてみることにした。白保は青珊瑚が有名で、海水浴ができ白保集落る砂浜があるわけではないらしいが、海は近いから往復すると散歩にはちょうどよい距離だ。風が強い。昔、伊豆大島に行ったとき風が強くて寒かったことを思い出す。とはいえ今日は全然寒くはない。それどころか店主が言うには29℃くらいまで上がるらしい。本当だろうか。しかし家々に咲き乱れる花々を見ると、29℃という数字はともかく、東京の2月という感覚からはかけ離れた気候であることブーゲンビリアは確かだ。風が強いので、花の写真を撮るには困難があったので、写真はろくなものが撮れなかったが、一枚だけ上げておこう。
海岸にはすぐ着いた。海岸に岩を並べて、簡単な防波堤のようにしてある。ダイヴィングのポイントに人を運ぶ船であろうか、そこに繋留されていた。ダイヴィングをするには未だ水が冷たいらしく、いまの時期はウェットスーツを着て潜るとのことだ。風も強いから、船が揺れてたいへんだろうな、と船に弱い私は思う。オフシーズンなの港?で他に歩いている人はほとんどなく、聴こえるのは風に吹かれてざわめく木々の音と、波の音だけである。こういうなーんにもしない瞬間というのが実に心地よい。会社でつまらぬスケジュール管理をしていることが何か別世界のように感じられる。果たして職場に復帰できるだろうか私は。と、まだ1日とちょっとしか経っていないのに心配になってしまった。
海岸は石がゴロゴロしている。正白保の海岸確には石だけではなくて珊瑚が混じっている。砂も珊瑚や貝が砕けたものであり、白い。天気はあまり良くなくて、遠景が霞んでしまっている。今日は晴れるらしいが、明日から下り坂の由、今日をしっかり楽しまなければなるまい。
散歩の帰りは往きと違うところを歩いてみた。あるところで、犬が繋がれて道の真ん中に寝転がってヒマそうにしていたので、ちょっかいを出したらずいぶん喜んでくれた。ところが、飼い主が車で現れると途端に我々に向かって吠え出した。役目を思い出したのかも知れない。家と家の間を歩いてみるに、土地には余裕があり、平屋だけど大きい家や、2階建てでも2階に大きなバルコニー散歩中にがあったりして贅沢なつくりの家が多い。海散歩中に風を防ぐために木を植えているし、陳腐だが自然に囲まれてよい環境で暮らしている。羨ましい。とはいえ、海風で汚れたり錆びが出たりするのが早いだろうし、住むにはそれなりの手間も必要だと思う。
宿に戻って、出かける準備をする。今日は島の北のほうを回るつもりだ。運転は午前中、Sが担当する。普段はちと飛ばし屋であるが、今回の車はアクセルを床まで踏んでもいっこうにスピードが乗らないから大丈夫だ。こっちは車窓風景に専念していればいい。
国道国道の並木390号線を真北に進むと、右側にゴルフ場が現れた。宿のおやじが、昨日まで1ヶ月逗留していた人がいたと言っていたのを思い出す。1ヶ月間、ゴルフばかりしていたそうである。優雅なものである。会員だと6000円で回れるそうだが、高いのか安いのかよくわからない。最近会員権ということ自体が廃れつつあるようにも思うし、ゴルフはちょっとやってやめてしまったので、あまり興味がない。今日は暑くなるらしいからいい汗をかけそうだが。
街路樹が独特で、午前中の低い光が適度に遮られて気分が良い。エアコンはかけずに、窓を開けてぼんやりと風景を眺める、これが最高。岩手に住んでいるときも、春の頃に県道を60km/hくらいで流しているのが好きだったので、こんなシチュエイションが再び味わえるのは嬉しい。しばらく走ると、伊野田という集落を通る。左側に、まぶしいばかりの色彩が見えたと思ったら、それは小学校であった。伊野伊野田小学校田小学校、というわけだが、幼稚園も併設されている。「幼小連携」とい伊野田小学校うらしいが、石垣島ではいろいろなところでこの制度が見られた。確かに、人口密度が低いところで、別々のところに建てる必要はないし、親としてもこれは便利かも知れない。教育上も連続性が出ていいのかも知れない。と、子供もいないのに考えても実感がないのだが(笑)、それでこの学校のところで車を停めたのは、風景としてきれいだったからだ。こんなに花々に囲まれて、実にうらやましい環境にある。日曜日だから人影はなく、しばらく写真を撮っていた。
ついでに、近くにある売店に寄ってみた。その名も「伊野田共同売店」。食料品、飲料、雑貨などを売る店で、色褪せた外観がヨソ者には感激なのだがそれは身勝手な感想であろう。驚いたのは、壁にうっすらと記された文字、それは「琉球政府指定 米穀販売店」である。つまりこれは72年の返還前の体制下にあったころの文字であり、30年以伊野田共同売店上前の建物なのである。まあ年数なんていうのはヨーロッパなどに行琉球政府指定けば石造りの古い建物などたくさんありどうということはないわけだが、やはり返還前という歴史の一端を見たようで、たったこれだけではあるが厳粛な気持ちになる。沖縄県のアーカイヴによると、琉球政府の時代は52-72年の20年間で、それ以前は群島ごとの民政府と、米国の軍政機構があったという。そういえばプロジェクト-Xの本で、沖縄県の高校は甲子園の土を持ち帰ることが出来なかったという話があったのを思い出したが、そう、当時国が違う扱いであったために、検疫で土は捨てられてしまったのだ。まったく、こんなことになったのも元は戦争であり軍国主義なのであり、まったく愚かしい。
話がずいぶん重い方向に行きそうなのでここらで戻そう。
またしばらく北に走ると、玉取崎というところに展望台がある。ここはもちろん高い所からの展望が好きな私は寄らねばなるまい。小さな丘の展望台の途中まで車で行き、そこから徒歩で少し登れば展望台だ。バスが停まっていて、団体旅行の人たちが添乗員の説明を聞きながら歩いている。ここから真北の方角に伊原間というところがあって、そこの人は北岸の集落に行くのに船で平久保崎(最北端の岬)を回って行ったという話をしている。でも、実際伊原間は陸地の幅が300mくらいしかないし、間に山があるようなところでもないので、それに気付かず船で行き来するなんていくらなんでも..と思うが本当の話なんだろうか。と、団体の脇で話を聞いて文句を言うのもヘンだからその場は離れた。天気は一応晴れているが、遠景は霞んでいる。それでもしつこく写真を撮ったので下にそれをまとめて上げておこう。しばらく撮っていたら、一人旅の関西のおじさんと話が始まった。なんと、病気なので透析をやりながら旅しているのだという。透析に時間がかかるから、集合時間がある団体には参加できないという。それでも既にかなりの日数を八重山諸島で過ごしていらっしゃるからなかなかの根性である。私など仕事に追われてとりあえず2泊、である。この人くらい思い切りがなくては、と自分に言い聞かせた。
玉取崎にて玉取崎にて玉取崎にて








玉取崎にて玉取崎にて玉取崎にて








サビチ洞展望台を降りて、ここで運転を代わる。先ほど団体の説明に出ていた伊原間の先に、サビチ洞という鍾乳洞があるというのでそこへ行ってみる。洞窟を抜けると海、なんだそうで、おもしろそうだから入ってみることにする。入場料(通行料、と言うべきか)は500円である。洞の入口に平屋の土産物屋があって、そこで料金を払うのだが、別に改札があるわけでもなし、道は広いので店主が居眠りでもしていたら素通りされても分かりはしない。この商売ッ気のなさが大らかで結構であった。入口の池に大きな鰻がいるらしいが、どこぞで眠りに就いているようで、姿は見えなかった。それで、洞の中は一応鍾乳洞であるが、長くはない。何しろ元々島の細長いところにあるのだから、ちょっと歩けばすぐ海なのである。洞の中に昔の骨壷などを置いてあるのだが冷んやりした空気、青白い照明と相まって、ちと不気味であった。
洞を抜けると、パッと明るくなり、海が広がっている。月並みだが、こういう変化は感激する。左に行くと小さな浜サビチ洞を抜けるとがあるようだが、ここでSが右の方に行ってしまう。どうも、道なきサビチ洞を抜けると道を進むのが好きらしい。岩が崩れて歩道が塞がっているところを乗り越えて先に行ってしまった。仕方なく着いて行くが、木陰の涼しげな風が心地よい。行き止まりで海に降りられるようになっていて、Sは靴を脱いで海に入るという。岩だらけでケガをしそうなのであまり歩き回らないようにと言って、私は入らないで写真を撮っていた。しばらく水の感触を確かめて、今度はビーチの方に戻る。こちらは白い砂がきれいな浜であるが、この白い砂は珊瑚が砕けたものであり、けっこうガサガサして荒っぽい感触であった。ここでは私も靴を脱いで、海に入ってみた。まだ水は冷たい。石垣島の海開きは3月下旬で、まだ1ヶ月近くある。とはいえ3月下旬に海開きとは驚く。これから1ヶ月で泳げる水温になってしまうのか。
ところで、先の道なき道探検のときにフィルムをネガからポジに替えている。遠景が霞みがちだし、海の色をきれいに出すにはコントラストが強めのポジが良いだろうとの判断だが、それは目論見通りで、きれいな写真が撮れた。
サビチ洞近くの海岸サビチ洞近くの海岸サビチ洞近くの海岸








再びサビチ洞を抜けて、車に戻る。また北上して、平久保集落で食事にする。現地のガイドブックでは、こ浜遊こには食堂は1軒しかない。「浜遊」というところに入った。1軒しかなくて外れだったら困るわけだが、きれいな店で、先客もいて明るい店内には好感を持った。我々が入ったあとにまた他のお客が入り始めたので、店内で遊んでいた子供は親がキッチンに行ってしまって不満そうであった。我々は、八重山そばを1杯ずつ、そしてゴーヤチャンプルを1皿頼んだ。昨夜はトーフチャンプルで妥協して(?)しまったから今日はゴーヤ入りだ。調理を待つ間、カウンターに置いてあったTBSのドラマ「さとうきび畑の唄」の台本を読んでいた。この近くがロケ地になったのであろうか。店内にも大きなポスターが貼ってある。店の人にでも事八重山そばゴーヤチャンプル情を聞けばよかったのだが、読んでいるうちに料理が来たので興味は一気に料理へ..八重山そばのあっさりしたダシと一見濃厚そうな豚肉(実は柔らかでくどくない)、ラーメンや蕎麦とは異なりどちらかというとモチっとした太麺がよく合っている。ゴーヤチャンプルはSと私の間に置いてそれぞれが好きなだけつつくわけだが、これはみるみる減ってしまう。ゴーヤは薄く切ってあって、熱が通って固さや苦味は適度に抑えられ、豆腐と卵、ポークランチョンミートのまろやかさと相まってすばらしいバランスを保っている。色も鮮やかで、食べていて楽しい。ごく普通の家庭料理なのだろうが、これは本当に美味しいと感じた。天気も良いし、車でなければビールでも飲みたいところだが、それは無理である。平久保崎に向かうことにした。


以下、後半に続く。


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