06年5月 九州小旅行 第1日 第2日 第3日 第4日

第4日 06年5月3日 熊本→羽田→自宅

 本日は熊本市内をうろうろして、夜の飛行機で帰る。いやまったく、4日間というのは短い。さて、ホテル代が安いので、調子に乗って朝食も付けている。ビュッフェスタイルで、好きなものを好きなだけ食べる。熊本城美味しい。
 今日は暑くなりそうなので、チェックアウトの11時400年前の石たちギリギリまで部屋はキープし、外出ということで熊本城に向かう。城までは徒歩で5分程度で、近い。不開門(あかずの門)から入る。東北の方向、鬼門になるため当時は開いていない門であったが、今は普通に出入りする場所になっている。
 城内はかなり広い。1時間くらいで適当に見て、ホテルに戻って荷物をまとめて出かけようなんて思っていたのだが、これは時間が足りないことになりそうだ。熊本城は1601年から07年にかけて加藤清正により築城されたもので、つまり来年が築城400周年ということになる。明治10(1877)年に西南戦争で焼け落ちて、現在の天守閣は昭和35(1960)年に再建されたものだ。来年の400周年に向けて、いろいろ整備されているが、一番の目玉は本丸御殿の再建で、これは来年に完成するらしい。その建築現場は大きな屋根で覆われている。その構造物の下には石垣が二重になっている箇所がある。この石垣は本丸御殿増築の際、石垣を積み増したときに、急角度で石が詰めるように工法が進歩したことによって、曲率の異なる石垣が並ぶことになったらしい。これは二様の石垣と呼ばれている。
 天守閣に向かう前、二様の石垣の南東の方向に飯田丸五階櫓がある。その手前は広場になっていて、楠(くすのき)の大木がある。これは推定樹齢800年というもので、築城時に既に400年というのだから恐れ入る。写真を撮るには相当遠くからでないと全容を収めきれないほどの高さだ。マミヤ7の43mm超広角で撮影しておく。この楠の下には「壁」のサンプルが置いてある。何かというと、壁の中をどういう風に作っているか、土の層をそれぞれ見せている。ただ単に土を固めてあるのではなく、幾重にも違う種類の土を塗っていくのがよく分かる。骨になるのはもちろん鉄筋ではなく、木と竹と縄である。知恵を絞り、手間を掛けて城は作られているのだと感心する。飯田丸は昨年再建されたもので、この五階櫓は井戸や台所を備え、ここ単独でも城の機能をもつものだという。建物の中はさすがに新築とあって「新しい」香りがする。あまりにきれい過ぎて城っぽくないなどというのは失礼であろう。そんな不埒な感想を思い浮かべた罰か、急に腹の具合が悪くなってきた。櫓を登るのは危ないかも知れないので、飯田丸の広場に一旦出て、トイレに行くことに。これで時間のロスをした。仕方ない、もう天守閣に行くか。
緑がきれいだ二様の石垣新緑とつつじ樹齢800年の楠












天守閣 本丸は先ほど書いた通り、御殿の再建中だ。連休中はこの建築真正面から現場を見学できる。既に長蛇の列が出来ている。この列に加わるとホテルのチェックアウトができなくなりそうなのでこれはパスしよう。天守閣の前には、工事現場への列の他にもたくさんの観光客がいて、写真を撮っていると、例によってシャッター押してください、の連続になる。どうも私は人がよさそうに見えるようだ。実際いいんだけど。それで、渡されたカメラで城も人も全て入れようと立膝ついて撮影して、ついでに私たちの写真を撮ってもらったら、向こうが撮った写真はほとんど地面ばかり。おいおい、なんじゃこりゃ。しかしわたしはいい人らしいのでヘタクソ撮り直せと言うわけにも行かないから、そのまま笑顔で立ち去ることにした。
 天守閣に登る。中は城・城下町の歴史の説明や残された武具、西南戦争時の武器・砲弾などの展示がある。これらはかなり種類も数もあってなかなか面白い。また、目立つのは「○○年度城主」とある寄付の芳名簿。いいねえ、城主なんて、意味もなく豪勢ではあるが、そう言われると寄付もしたくなるのではなかろうか。帰ってから考えてみよう天守閣の模型天守閣からの眺め本丸御殿・工事現場見学の列が伸びている










 残念ながら時間があまりなくなってきたので、天守閣最上楼まで足早に登る。城は元々高台にあるから、6階シャープな線と、石垣の優美な曲線建ての天守閣からの眺めは格別だ。熊本市内の眺めもさることながら、周りの敷地が広くて気持ちの良い景色になっている。そしてそこにある木々の緑も美しい。全く惜しいことをした、ホテルのチェックアウト前に見て回ろうなんていいかげんな気持ちで来るのではなかった。
 天守閣から降りてきて、また同じ不開門から出てホテルに戻る。不開門から出るものは不浄のものとされているがまあそれでもいいか..部屋で荷物をまとめて、チェックアウトした。

 次に向かったのは夏目漱石が旧制五高の英語教師をしていたころの旧居だ。熊本で4年と少々(明治29-33年)の間に6箇所に住んだ漱石だが、ここ坪井旧居は5番目の家で、2年ほど住んだとされている。小さな駐車場に車を入れて、門に向かうと真正面に古びた洋風建築の建物がまず見えるが、これは漱石が住んでいた当時のものではな我輩は猫である 執筆中?く、後で建て増しされた部屋とのこと。木造平屋の建物は面積200平方mを超え、たいそう豪勢なものである。漱石が熊本の五高に赴任したときの給与はなんと月給100円で、いまの価格にして200万円くらいにも相当するというから、まあこんな大きな家に住んでもやりくりできたのだろうか。そういえば2番目の家に住んでいるときに「名月や十三円の家に住む」という句を残して坪井旧居の庭いるけれど、この13円に対して、当時の普通の教員初任給は8円というから、とにかく破格の待遇であったことは確かだ。漱石は明治の前年生まれだから明治何年、がそのまま満年齢なので、このころ30歳前後。明治のエリートの世界はいまの貨幣価値ではなかなか想像しにくい。
 その漱石も、このころから教員より文学の世界に転向したいと思い始めている。記念館の一室には「我輩は猫である」を執筆したときの様子が人形で再「坊っちゃん」の原稿現(?)されているが、本当にこんな、猫を撫でながら書いたのかどうか..また、ここは長女筆子が誕生した家であり、そのとき産湯に使った井戸もそのまま残されている。筆子とは変わった名前だが、自分の字があまりきれいでないから、子供には上手くなってほしい、という希望が込められているそうだが、展示されている「坊っちゃん」の自筆原稿のコピイはたしかにそんなにきれいではない。でも別段読めないというほどでもないし、そうねえ、ベートーヴェンの自筆譜なんかに比べればずっとマシだな、と、全然違うジャンルの原稿と比べてしまうのであった。
 ところで、ここの記念館は靴を脱いで上がるので、畳の上にあぐらを掻いて展示物を眺めることができる。こうして昔の新聞記事などを読んでいると、外の暑さを忘れて没頭してしまう。ここは気分が落ち着く、よい所であった。

 ひるどきになった。市内に車で移動する。熊本市内は市電が走っていて自動車は走りにくいかというとそんなことはなくて、皆すいすいと走っている。そして、市内には駐車場がたくさんある。競争が激しいのだろう、熊本市内のアーケード街料金が50〜70分で100円と安い。しかし70分100円ってのは計算しにくいなぁ、と思ったけどよく考えたら東京あたりの10分100円だって、何時に入れたのか憶えてなければ計算も何も意味はないし、計算したからといって早く車に戻るわけでもないのである。ここはまあ、その料金に感謝することにしよう。ところで、今日の昼は太平燕(たいぴーえん)と決めている。元々、九州各地で食べられていた、ちゃんぽんの麺が春雨になったような料理だが、今は熊本の人たちが好んで食べるという。熊本では給食のメニューにもなっているというからそのポピュラーぶりが想像できる。昨日のラーメン事件で少し懲りているので、今日は店まで決めていて、紅蘭亭という中華料理屋だ。有名店らしく、かなり混んでいる。20人くらいは待っているようだがもちろん初志貫徹、ここで迷うのはいけない。その志が通じたのか(そんなわけはない)、あまり待つこともなく席に着くことができた。
 黒い天井に金色の角柱がぶら下がっていて落ち着いた雰囲気の内装である。し太平燕かし休日のひるどきであるから満員の客で店内は賑やか、そして料理の匂いが..待ちきれないですなあ。右の写真はハーフだが、これだけでも十分な量がある。私は、これの他にから揚げ定食まで食べたので、またしてもカロリーが..それで太平燕だが、ちゃんぽんのような塩味のスープに野菜とイカなどがぎっしりと入っていて、実に滋味あふれる美味しさ。イカが柔らかくてついつい頬が緩む。春雨にも適度な弾力があって良かった。太平燕だけだとそれほどカロリーはなさそうで、これのレギュラーを1杯食べるので十分だったのではないかと思った。
 質・量ともに満足し、あまりに美味しかったので、店を出たところにあった持ち帰りのパックを一つ買った。2-3人分で1500円。その日に作ったものを冷凍パックしてある。後日食べたが、これもなかなか美味しかった。両親の家に持って行ったのだが、気に入って通販で追加を頼んだというからよほど美味しかったのだろう。私たちもそのうち思い出して注文するに違いない。

 駐車場に戻り、車に乗って、さて、この後は何も考えていない。飛行機は夜だが、さすがに阿蘇までは行けまい。市内をぐるぐると回って、市電の写真を撮ってから郊外に向かった。空港を過ぎて、阿蘇の手前、たぶん外輪山の外側の麓あたりで牧場を見つけて、そこでぶらぶらしていた。最終日の最後で、真っ青な空が広がっている。どうも、昨年のオーストラリアといい、帰る間際が一番いい..その点は少々残念だ。牧草地にごろりと横になり、空を眺めていた。
市電郊外の牧場にて最終日が一番きれい









 空港に戻る道の途中に、レンタカー事務所兼ガソリンスタンドがある。目印が大きくてイタリアンレストランに..便利だ。そこでガソリンを満タンにして、車を返した。空港に送ってもらい、予定より30分ほど時間があるので、土産物などを買って、さらにレストランでケーキを食べて、それでも時間が余った。レストラン街にあるイタリア料理店に、馬刺しのメニューがあるあたり、なるほど熊本だと思う。そういえば馬刺しは食べなかったが、これは個人的にはそれほど興味がないのでそのうちまた、ということにしよう。
 飛行機は予定通り飛んで、機内のことはほとんど覚えていない。4日間という短い期間だが、それなりに疲れていたのだろう。ともあれ、楽しい旅であった。


★カメラ関係の話
配偶者との旅なので、少し撮影する時間にも余裕があるだろうと踏んで、以下のセットになった。
メインはオリンパスE-500、レンズは11-22mm、50mmを専用とし、21mmF3.5、100mmF2.8のOMズイコーレンズも持って行った。精緻な風景写真のために中判は6×7のマミヤ7II、レンズは80mm準広角と43mm超広角である。このセットをロープロの中型バッグに入れたら6.8kgもあった。マミヤ7にコンパクトデジカメ(例えばGR-D)でも良かったか..

左手前からOMズイコー100mmF2.8、右隣OMズイコー21mmF3.5、左奥が11-22mmズーム、その隣は50mmマクロつきE-500だ。右は43mmF4.5つきマミヤ7II、右手前は80mmF4。

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