03年4月中旬
第3次米国旅行(ハワイ)

第1日 第1日後半 第2日 第3〜4日


前口上

 本webの「独り言」コーナーにも書いていた通り、妹がハワイで挙式するというので、ユナイテッド航空のマイレージを使って、ハワイに行くことにした。必要マイル数は4万で、96年の米国、ハワイ、99年のヨーロッパ行きで4万1千マイルあった。航空券の予約をしたのはユナイテッド航空経営破綻のニュースがホットだったころで、大丈夫なのかと思ったが、予約は出来た。加えて、私は1年前まで岩手と東京を頻繁に往復していたので、ビューカードのポイントもたくさんもっていたから、成田往復も無料であった。従って、この旅行、ほとんど費用がかかっていない。現地のレンタカー代金と、帰ってきてから使った写真の現像代がそれぞれ約9000円、これが一番高かった。忙しいはずの仕事はそれほどではなくて、わざわざずらして日曜発の飛行機で出発する意味はなかったが、予約は変えずに、前日は友人宅で飲んでいた。

(拡大する写真には枠が付いています)


●第1日 03年4月13日(日) 成田→ワイキキ

 ハワイは2度目である。前回は東芝フィルの米国公演の年、マイレージが2万マイルに達しなかったから、もう少し稼ごうというアホな理由で秋に行ったのであるが、思い立った理由がなんであれ、ハワイは観光地として一級のところで、楽しめた。今回は妹の結婚式で、その他の予定はないので、2泊4日のトンボ帰りである。実は結婚式が夕方だったので1泊3日も可能だったのだが、そこまで忙しいわけではないので、日曜−水曜の2泊4日で行ってきた。

 イラクとの戦争の真っ最中であり、早めに空港に行っておこうと思い、成田には16:42に着いた。だいたい飛行機の3時間前である。横須賀・総武線の普通列車の車中は、コーヒーを飲みながらのんびりと過ごしていた。空港内は空いているように思えたが、海外6度目という経験では「ゴールデンウィークに比べりゃ空いている」程度の比較能力しかない。ユナイテッドのカウンターの入口でチェックインバゲージのX線検査をするが、戦争中とはいえ格別厳しいわけでもなかった。台湾の団体客がいて、たくさんの人がマスクをしている。SARS(重症急性呼吸器症候群)対策であろう。よく見ると、この団体に限らず、マスクをしている人は多い。空港職員にも、している人がいる。テロより、こちらの方が怖そうな気がして来た。17時過ぎにカウンターで発券してもらう。ユナイテッドのインターネット予約の航空券はe-ticketと称し、日本の航空会社で言うなら「チケットレス予約」というのに相当する。予約時の結果のプリントアウトとパスポートを見せると、航空券が出てくる。席もインターネットで指定済みなので、その通り、35A席が割り当てられていた。
成田空港 チケットをもらい、出国審査に回る前に、少しロビイを歩き回ってみたが、テロ対策でゴミ箱が使えなくなっていることを除けば、特段変わったこともない。ベンチに座っている人は少なく、やはり空いている。出国審査に行くと、列は全然出来ていなくて、すぐに審査だ。出国カードが廃止されているので、スムーズさが向上したと思う。特に何も言われず、パスポートの文字を機械に読ませて、無事出国した。1740ごろに35番ゲートに到着した。飛行機の出発時刻は19:30のところが19:15に変更になっていた。35番ゲート、ガラガラであるこの時点で待合ロビイにいる客はたったの10人で、30分経っても21人に増えただけだった。このゲートはけっこう外れの位置にあるので、売店なども小さく、寂しい場所だ。皆、免税店などで時間をつぶしているのかも知れない。あまりにガラ空きなので、床に座ってUNOをやっている米国人たちがいた。彼らの笑い声が響き渡り、余計に寂しい感じだ。私は売店で「氷結果汁・グレープフルーツ」を買って独り、飲んでいた(好きなのである、これ)。搭乗10分前(18:35)でも40人くらいしかいなくてユナイテッドUnited 826便、B777-200も大変だなと思っていたら、搭乗開始ごろには客が急に増えた。それでも100人くらいで、B777-200の定員258名に対して、半分以下の様子。エコノミーの後部などはほとんど客がいなかった。私の35A席は翼のすぐ後で、いささかうるさい席だ。マイレージの特典航空券で指定可能な座席というのは、この翼周辺しかないのである。私の場合、景色を見たいので、可能な限り後ろを指定したわけである。夜行便なので、しばらくは寝る準備かなとごそごそしていたら、空港職員が来た。何かと思ったら、マイレージ会員のカードをどこかで落としたらしい。機内まで届けてくれて恐縮である。

 機内機内も、空いているは座席が2-5-2の構成で、定員の半分以下しか乗っていないため、私の隣も空席であり、気楽に過ごせるのはありがたい。個別の液晶モニタがあり、チャネルを選べるのだが、しばらくはvideoも流れないので、地図を表示しておく。実はこの地図を見ているのも好きなのである。19:35に離陸。距離3815マイル、現地到着は朝06:27と出ている。思ったより早く巡航高度に達した。追い風が200km/hくらいで速く、対地速度は1077km/hも出ている。この風(ジェット気流)のおかげで行きは7時間、帰りが8時間という飛行時間になるのであろうが、窮屈なところにいる時間は短い方がいいので、今はこの追い風に感謝だ。水平になったので、飲み物が配られる。私は先ほど自主的に飲んでしまっているので、ここはコーヒーだけにする。6年半前と同じく、スターバックスコーヒーであるが、淹れ方が悪いのか、薄くて美味しくない。飛行機はジャンボジェットに比べると小さいので、かなり揺れる。飲み物のサーヴもなかなか上手く行かない。しばらくして夕食が出る。私が選んだのはビーフで、マッシュポテトが少々くどい味だったが、肉は柔らかくて思ったよりずっとよかった。ここで再度コーヒーをもらったら、先ほどよりは美味しくて、やはり淹れ方の問題らしい。それはともかく、頭痛がする。キャビンアテンダントに頭痛薬をくれと言ったら、頭痛薬は無いがアスピリンはある、と言う。厳密な解釈をされる方なのだろうか、私が欲しいのはまさにそれである。ありがたくいただき、さてどう過ごそうか。昨夜友人宅で飲んで、酔って帰ってきてぐっすり寝たので、いまはあまり眠くない。映画でも見るか(普段は全然見ないのだが)。タイトルはThe Bourne Identity(ユニヴァーサル映画)で、あらすじはこんなところだ。

 あらすじを読んだ方には長くなってしまったが、たまに映画を見ると面白いものである。細かいところは間違っているかも知れないがだいたい合っていると思う。上記は逃げる側のボーンのことしか書いていないが、追っ手側の描写もなかなか迫真(と言ってもCIAのオフィスなんて見たことは無いが)で、良い出来だったと思う。これで2時間近夜明けくがつぶれたので、しばらく眠る。1時間半か、2時間くらいで起きてしまうが、丁度朝食時間が迫っていて、すぐに室ハワイ付近は曇り内灯が点灯した。ホノルルへは1時間半のところに来ていて、外は夜明けのころである。天候は曇りで、刻一刻と色が変わるので見ていて飽きない。朝食はパン、フルーツ、オレンジジュースのみで、いたって簡単なものであった。すぐに食べ終わり、外を眺めていると、ほどなくカウアイ島が見えてきた。今日、ここに日帰り観光する予定なのである。しかし雲がかかっている。今日行く予定のワイメア峡谷から島の南東にかけて、雲の下なのである。これは風景としては期待が出来ないかも知れない。不安である。
 あと27分のところで、下降し始める。オアフ島も曇りである。前回と同じく、真珠湾を左手に見ながら降下し、着陸した。タキシングして停止した後も、しばらく真珠湾そのままでいろとのアナウンスがある。SARS対策の関係で、検疫官が来るのを待つというのだ。それで、検疫官は何をするかと言うと、降り口で「緊急保健通告」という黄色い紙を配っただけだった。しかも、その内容たるや、旅行後も最低7日間は健康をモニタし、呼吸器にヒッカム空軍基地問題があれば医者に行け、という..配られなくても行くと思うのだが。役人のやることって..まぁいい。入国審査に回り、簡単な質問に答える。滞在が2泊と短いので、仕事ですかと聞かれたが正直に結婚式です、と答えた。こういう人も多いらしく、納得いただけたようだった。

 外に出る。思ったより湿気があって、生暖かい感じがする。風があって、それも少し強いので、日陰は涼しい。空港建物から出て、右手の方に歩くとロバーツ・ハワイというバス業者(?)のホテル行きシャトルバスがいるというので、そこに行ってみる。24時間、20分おきに走っているというが、そんなに需要があるのだろうか。運転手にホテル名を告げると、そこに停まってくれるという。料金は片道$8、往復$13で、安いとは言えないが、ホノルル市内の地名に明るくなくて、バス停からホテルまで歩くのがいやなら、これも利用価値あり。車内は冷房が効きすぎで、寒かった。
 ワイキキへはフリーウェイを使うかと思いきや、すぐに一般道に下りてしまう。空港に近いホテルから順に停まって行くので、フリーウェイはほとんど使わないのである。従って、このバスはいろんなところに停車し、しかもワイキキは一方通行が多いので、回り道もせねばならず、必ずしも速い交通機関であるとは言えない。しかし、ハワイで急いでいるというシチュエーションもあまり考えられないので、こんなものでいいのかも知れないが。狭いところ(道もそうだが、ホテルの玄関先など)をぐいぐい曲がりながら走るので、朝、疲れている体にはちと堪える。
 9時ごろにホテルに着く。ラディソン・プリンス・クヒオというところで、そんなに新しいホテルではなさそう。プリンス・クヒオ通りに面していることから命名したのだろう。プリンス・クヒオとはカウアイ島最後の王、ピイコイの王子で、米国へのハワイ併合後、ハワイ出身者では初めて、米国下院議員となった人物だ。ハワイへの貢献が評価され、今なお愛されているという。
 バスを降りてホテルのレセプションに行き、親が既に泊まっていることを告げると、カホテルからードキーを作ってホテルからくれた。25階で、ウェスティングハウスのガタピシするエレヴェータに乗って上がってみると、景色はなかなかのものだった。部屋はスウィートとの触れ込みであったが、ツインを2室使って片方のベッドを撤去しソファーにしたというもので、バス・トイレ、簡易キッチンなど部屋の構造は全く同じ。まずは荷物を空けて、明日着るスーツなどを出しておく。三脚を組み立て、フィルムも必要分だけにして、準備完了。親と朝食に行く。まて、その前に重要なことがある。ロバーツ・ハワイのバスの帰りを予約しなければならない。往復チケットには「出発の48時間前までに予約を」とあったのだ。私は、ほぼ48時間しかハワイに居ないので、着いたら即、予約しなければならない。電話をして、予約の「5」を選択したら、係員が出た。予約をしたいのですが..ホテルは? ラディソン、ラディソン・プリンスクヒオです。いつ? えーと、明後日、15日4月のユナイテッドの827便です。アー、すると6時30分に迎えに行くがそれでいいか? はい、それで良いです。お名前は? OKUです。確認の復唱をして、サンキュー、バイバーイ。ふー、大した電話ではないがちょっと疲れた。

 1階に下りて、ホテルのレストランで朝食。案内があるまで待てとかかれているのでしばらく待っていたら、係員が来た。英語を話すのだが、「バイキング」などという和製英語を交えて話すのでかなり不自然に聴こえる。ブフェイくらいの知識はあるぞ。そんなに合わせてくれなくともいいが。そういえば、ホテルの受付も「フロント」ってしっかり書いてあった。ハワイだからそれでもいいか。メニュー見ながら食事を考えるのも面倒なので、自由に取れる「バイキング」にする。ソーセージ、スクランブルドエッグ、サバの照り焼き、チャーハン、って、朝から食べすぎだ。しかもバランスが悪いので、野菜とメロンを別の皿で持ってきて、早速食べた。美味しい。チャーハンは米国系中華料理の味で人によってはかなり「?」だろうが、これはこれで米国に来たような感じがしていい。野菜をお代わりした。日本であまり食べていないので、野菜が嬉しいというのも変な話である。クラムチャウダーがあるとなお良かったのだが、それは明日あたりに期待しよう。

 まずはここで一区切り。ホテル出発から後半へ。


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