87年12月下旬
第2次北海道旅行

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●第4日 87年12月28日(月) 深川→朱鞠内→名寄→旭川→富良野→旭川→札幌→旭川(泊)

未明の深川駅 深川には早朝というか、未だ夜のような時刻に着いた。ここからは先の旅行でも乗った、深名線に乗る。豪雪地帯を走るため、新鮮な風景に期待は高まる。ところが05:12発、早すぎて前半はほとんど夜と同じ。失敗した。朱鞠内着07:12、ここから写真が撮れる明るさになって来る。地元の人の乗り降りはほとんどなく、寂しい車内であった。
 雪は期待通りあって、しかし、一面真っ白でアクセントのある写真になりにくい。雪写真は後年、北上に住むに至ってようやくそれらしい写真をモノにできるようになるのだが、それは10年以上後のことである。朱鞠内湖は雪に覆われていて、どこが湖面か分からない状態であった。しかしそれもまた寂寥としていて良かった。この豪雪が代替バス路線の立ち上げを遅らせ、深名線が結果として生き長らえているのは不思議なことだ。
朱鞠内駅 ・朱鞠内駅にて

 腕木式信号機。当時はまだ随所で見られた。
朱鞠内駅
深名線の車窓から ・車窓風景

 寂寥、としかいいようがない。
 乗客もほとんどなく、寂しい車内であった。
朱鞠内湖 ・朱鞠内湖

 雪に覆われ、湖面がどこか分からない。
朱鞠内湖

 名寄に着いた。旭川に南下し、さらに富良野まで行くことにしている。フラノエクスプレスという観光列車が走っているのだ。普通の人ならここで富良野に1泊し、スキーでもするところだろうが、私は当時、そういう趣味を持っていなかった。富良野線はこれまた真っ白で、北海道らしいのは直線が極めて長い。なだらかな丘陵地帯をまっすぐ走って行くのは気分が良い。車内はガラ空きだし、席を移動しながら風景を堪能した。
フラノエクスプレス 中間車、ラウンジ 先頭車車内 ひたすら直線
富良野線、直線の連続 ・直線の多い富良野線

 後年、自動車道も直線が多いと知るが、当時、こんなことで感激していたのであった。

 富良野に着いて、さて、何をするか。実は何もないので、北海道中心標なるものを見に行くことにする。ここは北海道の地形中心らしくて、それが表示されているのだ。その場所は公園か何かになっていると思っていたら、なんと、小学校の校庭の中だった。冬休み中なので、校庭は深い雪で覆われている。膝まで埋まりながら、校舎の前に立つ中心標を眺めていた。

 だんだん暗くなってきたので、駅に戻り、札幌までの列車に乗ることにする。明日は稚内で、今晩の夜行急行「利尻号」に乗るつもりなのであるが、どうも調子がよくない。それでもとりあえず札幌までは行き着いた。旭川→札幌は地図で見ると近そうだが、疲れた体にはけっこうな距離であり、特急で1時間以上かかる。札幌駅で本格的にまずくなってしまい、夜行で行くのは取りやめにする。寝台を取ればいいのだが、しみったれた話、寝台料金(6000円)が惜しい。それなら今日旭川まで進出して、明日朝、急行「礼文号」に乗ればいい。札幌で泊まるより安いところがあるかも知れない。
 そこで、いろいろ時刻表や宿泊案内を見ると、あるある、1泊素泊まり2000円。ここにしよう。電話すると空いているというので、ここに泊まる事にし、疲れた体を引きずって、旭川行きの特急に乗り込んだ。車中はもちろん寝ていて、旭川に着いたのにも気付かないほどであった。今日3度目(正確には今朝急行「大雪」でも通っているので4度目..)の旭川駅というのも間の抜けた話であるが、それはさておき、宿に行かねばならない。記憶では、駅から南の方向にだいたい10分くらい歩いたように思うが、定かではない。宿の周りにすごくボロっちい飲み屋街があり、呼び込みのお姉さんが怪しげな声で誘ってくれたが、2000円で泣く泣く泊まるやつに、酒を飲む余裕があるわけもない。無視して、歩いていた。
 宿は2階建てだったか、ガタピシとして古ぼけていたが、風呂に入れて、動かない床で眠れるのはありがたい。すぐに、眠りに就いた。


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