87年12月下旬
第2次北海道旅行

第1〜2日 第3日 第4日 第5日 第6〜7日


●第6日 87年12月30日(水)−第7日 31日(木) 札幌→函館→青森→(車中泊)→上野→浦安
(なぜかこの日の分だけネガが無いので、紙焼きからのスキャン)

 札幌に到着。夜行はやはり疲れる。ここからは速い列車で函館に向かってもいいが、混んでいそうだったので、臨時の急行「ニセコ号」(小樽回り)に乗ることにする。昔なつかしいキハ58系の急行で、新型の特急車両が快適なのは分かっているが、こういうのが好きなのである。疲れていると言いながら、我ながら矛盾した行動を取っている。まぁいい。帰るだけだし、時間は十分にある。雪が降り出した。発車間際、車掌氏が駅員になにやら怒鳴っている。この列車が急行なのに、特急券を発券して乗るように言った窓口係員がいたそうだ。おやおや、そんなこともあるのかね。臨時ゆえの凡ミスか、私は周遊券なので、いずれにせよフリーパスである。

 小樽回りは俗称「山線」と言われ、距離は千歳・室蘭本線周りより短いものの、山間部を走るため時間はこちらの方が余計に掛かる。急行ならなおさらだ。天気は悪くなる一方で、窓は曇るし、写真は全く撮れなかった。
札幌駅にて ・札幌駅にて

 これに乗ってきたわけではない。
 50系の客車列車を偶然撮っていたのだ。50系も最近廃止になったようで、普通列車もだんだん個性がなくなってきたと思う。
臨時急行「ニセコ号」 ・臨時急行「ニセコ号」

 窓口の特急券発券のことを駅員に知らせる車掌さん。

 このあとはもういきなり函館に飛んでしまう..写真がない、記憶が無い、つまり、ほとんど寝ていたのであろう。旅の最終コースはいつもこうである。自分で書いていて内容が無さ過ぎで、つまらない。
青函連絡船 十和田丸 ・十和田丸

 駅に直結している連絡船は廃止になったものの、今でもフェリーは運航されているので、4時間弱の船旅を楽しむことができる。
十和田丸にて 十和田丸にて

 寒いのに、けっこう外で景色を見ている人が多かった。
 曇っていて、それほどよい景色ではなかったが。波は穏やかで、船内は快適だった。

 青森からは寝台特急「ゆうづる4号」で上野まで、ぐっすり眠ることが出来た。12月31日に実家に帰宅。年末に遊び歩いているとは、親不孝も甚だしい..とは思うものの、やはり雪景色を見て過ごせたのは楽しかった。


終わり

★カメラ関係の話
 最初にも書いたが、交響楽部の後輩、M君から借りた機材が大活躍した。カメラは私の親のOM-1であるが、メインのレンズは35-70mmF3.5-4.5、28mmF3.5がM君からの借用で、自分のレンズはシグマの80-200mmF4.5-5.6である。後年、これら借りたレンズは自分で買い求め、今も使っている。シグマの望遠ズームは残念ながら仙台在住中に壊れてしまい、今は実家のどこかに眠っているはずである。
 実は最近まで、28mmをこのとき使っていたことを忘れていた。ところが、写真に何やらメモがついていて、「28mmF3.6で撮影」とある。F3.6はおそらく誤記で、M君から広角レンズも借りていたのだろう。フィルムはフジのスーパーHR100のみ。頑なにASA400を使わないのは、当時舞台写真でこの感度を使っていて、あまり性能がよくないことを知っていたからだろう。しかしそのASA100も、今から見ると粒子が荒れまくりである。カラーフィルムは、本当に進歩したと思う。

★その他反省
 あまりにも、列車に乗っている時間ばかりである。自分でまとめていて、呆れる。次回北海道旅行は自動車での移動であり、写真を撮る時間が増えたので、多少、ネタは豊富かと思う。


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