82年8月中旬−下旬
第1次北海道旅行
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当時のフィルムが手元にないので、紙焼きからスキャン。カメラは2台で、アグファの110フィルム用カメラ、そして、キヤノン・初代オートボーイである。特に110フィルムはかなりモヤモヤな画像で、今のレンズ付きフィルムの方がよっぽどマシな画像を提供すると思うが、これで当時、不満にも思っていなかった。その「味のある」画像を見ながら、当時を振り返ってみたい。
(拡大する写真には枠が付いています)

●第1日 82年8月15日(日)〜第2日 16日(月) 上野→(車中泊)→青森→函館→大沼→函館

 初めての北海道旅行である。当時、鉄道に乗ることを趣味にしていた感がある。今でも少々その傾向は残っているが、いまは鉄道自体、新幹線・特急とローカル線(しかも、短距離に分割された列車が走る)に分化しつつあり鉄道旅行の醍醐味は薄れていると思う。スピードアップや合理化という名目も大切だが、「ゆったり」という言葉は、いまの鉄道各社からは残念ながら感じられない。当時も国鉄末期、古きよき時代はとうに過ぎていたが、その名残も感じつつ、この項を綴ってみようと思う。

十和田3号の指定席券 ・切符

 上野→青森は急行「十和田3号」である。当時、20系の寝台車で運行されていた。座席車はA寝台を固定座席に改造したナハ21で、その来歴の珍しさからこの列車を選んだ。所要は12時間17分。

ナハ21の車内 ・ナハ21の車内

 元のシートは金色というか黄土色のような色だが、この車両は青い布地に変わっていた。A寝台では、このシートに1人ずつ座るわけで、まぁ広いと言えば広い。この座席車の場合は、4人が向かい合わせに座る。長距離列車のボックスシートがなくなって久しいが、当時、急行はこれが当たり前だった。

羊蹄丸、自由席グリーン船室 ・羊蹄丸にて

 青森→函館、青函連絡船は自由席グリーン船室。こんなところでカネを使っていて大丈夫なのだろうか。
 天気は曇りで、写真は特に撮っていない。夜行列車であまり眠れなかったこともあり、ここではほとんど寝ていた。

 函館から急行「ニセコ」号にて大沼公園に向かった。14系で運行されていた。
大沼公園にて ・大沼公園にて

 アグファの110カメラを使用。色も解像度も、いやはやこんなので満足だったのか当時は..

 大沼は自転車を借りて一周した。だいたい1時間くらいか。
大沼にて2

 この後、写真はないが夜までこの周辺の列車に乗っている。おそらく、大沼周辺で8の字になっている線路を踏破すべく、乗っていたのであろう。さすがに乗るだけの目的だと、写真も無い。

 函館に戻り、明日の網走行きに備え、臨時急行「すずらん61号」に乗車。車中泊。


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