82年8月中旬−下旬
第1次北海道旅行
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●第5日 82年8月19日(木) 深川→朱鞠内→名寄→興部→雄武→北見枝幸→浜頓別→稚内(泊)

 まだ飽きもせず列車に乗っている。今日は深名線、興浜南線、興浜北線というローカル線に乗る。深名線に乗るためにわざわざ昨夜遠軽まで行き、上りの急行「大雪6号」に乗っている。これが深川に早朝の到着となり、深名線の列車に乗るには好都合なのだ。そして、今日からしばらく、中学時代の友人であるI君、Y君が合流する。待ち合わせ場所は深川駅だ。深名線921D列車は深川駅を06:35に発車するのだが、この時刻に彼らが深川駅にどうやって着くかは、聞いていない。事前の打ち合わせなど、ほとんどしていないのだ。今なら、携帯電話で簡単に連絡を取り合うだろうが、もちろんそんなものはなく、当方も宿に泊まっているわけではないので、普通の電話でも連絡は取れない。そこは、当日会っての楽しみとする。
 さて、前日(正確には日が変わって当日の深夜)遠軽から乗って、座席が無かったのは昨日のページに書いた。そこで車掌室前にある手回しブレーキのあるスペースに寝ていたのだが、上川に着いたとき、「お客さん、そこで寝ていては困ります」と起こされた。見ると、I君が立っていた。深川で会うはずなのだが。聞けば、どうせこの列車だろうと見当をつけ、下りの急行「大雪5号」で札幌を発ち、上川まできたという。そう、この夜行「大雪」の上下列車は上川ですれ違うのだ。札幌で泊まる金のない周遊券旅行者は、「大雪5号」「大雪6号」と乗り継ぎ夜を過ごすということを後で聞いたが、それを実行している者が身近にいるとは知らなかった。ともあれ、狭い車掌室前のスペースに3人がいると、ますます狭い。しかし、あと2時間弱(と記憶する)の乗車なので、近況などを話しながら乗っていた。
深川駅にて、深名線の単行気動車 ・深川駅にて

 深名線の単行気動車である。北海道では、単行という場合も少なくない。単行の急行列車も存在していたはずだ。
 朝、深川から深名線に乗る人は少なく、ほとんどが旅行者だった。
運転台にて.. ・運転台にて

 もう時効だから出してもいいだろう。この列車では、運転台に入れてもらって風景を見ていた。運転手の方は話し好きで、道内いろいろなローカル線のエピソードを聞かせてくれた。
地元の方もけっこう乗り降りする ・雨煙別駅にて

 早朝ではあるがわりと乗り降りはある。後年、時刻改正で5時台になってしまったら、さすがに少なくなった。

 偶然、おばちゃんたちの立ち話している姿が入って、写真として単調さを免れたような気がする。
運転室右の扉の窓から ・運転台から

 右側の扉の窓から撮っている。この路線、速度はゆっくりで、風が気持ちよかった。線路の敷設規格?から、直線といえども速度は出せないとのこと。
朱鞠内駅構内 ・朱鞠内駅構内

 使われなくなって久しい転車台。後方は、運ばれること無く朽ちた材木の山。
 朱鞠内駅で列車は終着。ここで名寄行きに乗り換えとなる。朱鞠内はほとんど街と言えるものはなく、寂しいところであった。
朱鞠内湖 ・朱鞠内湖

 この当時は列車でしか移動する手段が無く、風景写真として良いものが無い。
 朱鞠内湖は人造湖で、湖には立ち枯れた木々が残り、何とも言えない寂寥感がある。

 深名線は平成7('95)年9月4日に廃止。最終列車は10両編成にもなったというから、その人気が分かる。
 名寄で名寄本線に乗り換え、興部で興浜南線に乗り換え。

興浜南線にて ・興浜南線にて

 オホーツク海沿いに走る。牧場なのか空き地なのか判然としない風景が延々と続く。
 興浜南線と興浜北線は元々つながる予定であったが、美幸線同様、それを達せず昭和60('85)年7月1日、廃止になっている。
 興浜南線の雄武から興浜北線の北見枝幸まではバスに乗る。バス停と駅が必ずしも近くなく、地方鉄道の不便さの一部を感じた。

 このあと、天北線で稚内に行き、ここで今回の旅行で初めて、布団の上で眠る。民宿だったのだが、食事は朝食のみで、夜は駅前の定食屋で食べた。まだ若いとはいえ、やはり動かない床で眠るのは気持ちよかった。


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