82年8月中旬−下旬
第1次北海道旅行
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●第4日 82年8月18日(水) 深川→増毛→深川→旭川→美深→仁宇布→美深→音威子府→名寄→紋別→遠軽→(車中泊)

 今日も一日中、列車に乗っている。急行「大雪6号」を深川で降りて。まずは増毛へ。沿線風景の写真も撮っていないし、印象も薄いのだが、増毛駅はこぎれいで、利用者も少なくはなかった。現在(03年1月)も留萌本線は存続している。留萌から幌延まで日本海沿いを走る羽幌線の方が風景としては楽しめたのかも知れないが、これは結局乗る機会がないまま廃線になってしまった。
 増毛からとんぼ返りで深川に戻り、ここから旭川まで急行「かむい」に乗る。急行なのだが出入口付近がロングシートという近郊型の車両で運行されていた。そういえば記憶が確かではないが、大昔、臨時のアルプス号(新宿から甲府・松本方面)が3扉の普通列車用車両で運行されていたことがあったような気がする。さすがにこれは記憶違いかも..旭川から宗谷本線の普通列車に乗り、美深に向かう。

321レ、美深着 ・美深にて、旧型客車

 貨客混合というのも、もう見られない光景だ。当然冷房などされていないが、当時、別に苦にもならなかった。
少しでも収入増に協力 ・記念に1枚

 美幸線は赤字日本一ということを逆手に宣伝し有名になった路線だ。もっともこの赤字日本一というのは営業係数という基準である。額面ではない。100円の収入を得るために3000円以上かかっていたのだからもちろん大赤字なのであるが、元々規模が小さいので、廃止したからといって国鉄の赤字がどれだけ減った、という観点では大した額ではなかったのではないか。いやもちろん赤字は少ないに越したことはないのだが。
 なお、美幸線の名称は、本来美深−北見枝幸(オホーツク海側)を結ぶ路線として建設を始めたからで、実際工事はかなり進んでいたらしい。
 右は、車内で買った美幸線内の乗車券。周遊券だから本来不要だが、収入増に微力ながら協力したつもり。
仁宇布(にうぷ)駅 ・仁宇布駅

 美幸線の終点である。ここから先、オホーツク海沿岸まで延びるはずだった。何も無い駅だ。
美深駅にて ・美深駅にて

 美幸線 日本一赤字脱出記念のプレート。その努力のかいなく、昭和60('85年)年9月17日、廃止。
美深町観光案内図 ・美深町観光案内図

 観光案内図、というほどアイテムがないが..駅前の街はすぐ途切れていて、街の端から端までが見渡せる程度であった。暑かったので、喫茶店に入ってアイスココアを飲んだ記憶がある。

 その後、美幸線の廃線跡を利用しエンジン付きトロッコに乗ることが出来る「トロッコ王国」なる観光スポットも出来たらしい。一度行ってみたいものである。

 この後特に用事も無いのだが音威子府まで行って折り返し(たぶんこの駅名物のそばを食べたのだろう)、名寄から名寄本線に入る。急行「紋別」に乗った。札幌−遠軽間の列車だが、旭川から石北本線に入らず、宗谷本線を北上して名寄から名寄本線を走り、紋別市を通って遠軽に行くという経路だ。乗ったのは夜間で、景色は見られなかった。駅間が長く、急行も普通列車もあまり差がなさそうな気がした。途中、乗り過ごした客のために臨時停車するなど、ローカルな対応もあり。しかし、駅間が長いから迎えに行くにもたいへんで、乗り過ごした人は家族に怒られたのではなかろうか。

 遠軽に真夜中近くに着いて、ここからまたも急行「大雪6号」に乗って札幌方面に向かう。昨夜と同じ列車で、実を言うと、また降りる駅も深川で同じなのだ。明日は深名線に乗る予定である。今日は車内が混んでいて、座席が確保できず、止む無く車掌室前の手回しブレーキのところで寝た(小さな椅子があるのだ)。などと書くと車掌室に押し入ったか、その前の通路で寝る不届き者みたいに見えるが、この列車、旧型客車で運行されていて、車掌室付きの車両がいくつも連結されていたのだ。実際に使われている車掌室ではないので念のため。

(写真が少ないのは、ろくなものがないからである。今になって思うと、もったいないことをしている。)


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