05年7月下旬〜8月上旬
第1次オーストラリア旅行


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●第2日 05年7月31日(日) →ケアンズ→コネラン→カタ・ジュタ、ウルル

 4時間近く眠ったようだ。椅子は外見の印象よりは疲れない。日本時間で4時ごろに目が覚める。20分後、照明が点灯した。あと460kmと出ているので、40分くらいで着くだろう。このフライトでは朝食は出ない。ジュースだけである。そのジュースも、トイレに行っている間にもらい損ねてしまった。もうすぐ着陸だから我慢してしまおう。機内は、皆が起きだして気温がぐんと上がった。少々暑い。
 ケアンズ時間で6時に着陸した。窓側の席ではないので外がどうなっているか良く分からないのだが、冬とあっコアラが降ってきますて未だ太陽が出ていないようだ。この機はこれからシドニー行きになるが、大半がここで降りる。我々はこの先、乗り継ぎでエアーズ・ロック(コネラン)空港まで行く。ケアンズ空港は小さいから迷うこともなく入国審査に回った。全く何も質問されなかった。
 荷物を受け取る前に、両替をしておく。エアーズ・ロックには街はないので、現金はここで替えるしかない。「頭上注意・コアラ落下します」「3万円以上両替するとコアラが降ってきます」とある。コアラのぬいぐるみをくれるらしいのだが、窓口は現金の授受に使う小さな開口部しかないので、そこからは渡せない。ゆえに、ブースの天井を越えて投げて渡すというわけだ。面白いが、レートは1A$=96円でよろしくない。これは成田と同じだ。とりあえず皆の共用財布を設定し、これのために5万円を両替した。触れ込み通り、コアラが降ってきた。荷物を受け取り、検疫を通る。オーストラリアはこれがけっこううるさい。食べ物などが入っていないかを、X線で検査するのだ。経験者からそれは聞いていたので、何も持ってはいない。無事に通過した。

 外に出ると、HISの現地職員が出迎えてくれた。国内線タケアンズ国際空港ーミナルはここから歩いて5分くらいなのだが、車で案内してくれるという。しかし、全員が揃うまで待って、説明を聞いて、荷物を積んで、とやっているうちに5分以上かかる。言っちゃ悪いけどこれは無駄な案内だと思う。HISは格安航空券で有名になったが、今やこういう人員も擁してあれこれ世話を焼くようになったのはいいのか悪いのか。さて、国内線ターミナルにはほんの2-3分で着いた。ターミナルはさらに小さく、しかし内ケアンズ空港 国内線待合ロビイ装はきれいでデザインもなかなか良い。セキュリティを通ってすぐに待合室がある。一方通行の出口があって、外で散策したりタバコを吸ったりしてもいい。もちろん、戻るときにはその都度、セキュリティを通ることになるが。待合室は中央にコーラル・ケイというカフェバーがあり、その周りにテーブル、ソファがあって外周に本屋、眼鏡屋、土産物屋、ファストフード店などが待合室を囲むように並んでいる。ファストフード店の一角にリトル東京という和食店があった。回転寿司コーナーは鉄道模型が皿を運ぶ形式で、なかなか怪しい店だが未だ開店していない。右にはハングリー・ジャックと朝からビールいうハンバーガー店がある。マークがバーガーキングにそっくりで、メニューを見るとワッパーという名称、これは正にバーガーキングだ。過去にも書いているが、私はバーガーキングのファンで、日本撤退以来大変寂しい思いをしている。ゆえに今日の朝食はここにしたい。が、この店もまだ開店していない。営業時間の表示がないので、所在無く待ぐっすりつしかない。
 中央に戻って、皆が朝食を食べるというので、カフェでパンとビールを買う。ビールはクラウン・ラガー、フォスター・ビター、カスケイド・プレミアムラガーの3種。朝からビールとは昨年秋のドバイを思い出す。パンはカサカサであまり美味しくない。ビールはアルコールが控えめで飲みやすい。クラウン・ラガーが一番美味しく感じる。ビターはその名の通り、苦い。個性的といえばそうだが、少々慣れを要する味だった。しばらく飲み食いして、Sは待合室のソファで横になって寝てしまった。私は構内を歩いてみる。構内、というほどの広さはなく、すぐに見終わってしまう。先に書いた通り、外に出られるようになっている(喫煙者のためか?)。駐車場の空港の外であたりを歩くが、何もない。自動車の速度抑制用のバンプ(道路に意図的に設けられた突起)ありの標識と、歩行者注意の標識がちょうど帽子と足のように見えた。
 出発ロビイに戻り、ぼんやりとしていたら、8時半にハングリー・ジャックが開店した。ワッパー・ミールを注文する。起き出してきたSもヴェジ・バゲットというもハングリー・ジャックが開店のを注文する。味はまさにバーガー・キングの味で、少し焦げた肉と多目の野菜、マヨネーズ主体のドレッシングの組合せは懐かしい感じがする(日本でも最近ロッテリアDXというのが出て、ちょっと近い風味)。なんで撤退しちゃったんだ、と思いながら食べていた。これは、暖かいものを食べられなかった他の人にも好評だった。
 9時5分過ぎにゲートが開いて搭乗開始となる。機材はB737-800で、小さい。機体に先住民アート風のペイントが施されていて個性的だ。おそらくコネラン空港で撮影できるだろうから、ここでは撮らずにおく。エアーズロック・コネラン空港まではなんと3時間20分もの長国内線の機内食い飛行になる。オーストラリアのへそのような位置にあるところで、そこまで3時間以上だから広大な国だ。機内の座席は3+3になっていて、6人が横1列に並んで座る。ここは窓側を譲って、私は通路側で睡眠を取ることにする。もっとも、飛び立ったら窓側の方々もすっかり眠っていたが。
 水平になったら、機内食がサーヴされた。ツナときゅうりと乾燥トマトのパスタサラダのようなもので、ドレッシングをかけて食べる。しかし味がない。乾燥トマトが少し風味を感じさせるが、ドレッシングも酢と油と若干の香りつけだけで、塩は自分で調整してかけるようだ。元々の薄味に加え、眠いのであまり味がしなかったのかも知れない。またすぐに寝てしまった。

 着陸前に起きる。左側の席コネラン空港にてからは遠くにエアーズ・ロックが見えたそうで、少し羨ましい。この路線、昔はエアーズ・ロックのすぐ脇に着陸していたというから驚くが、今は先住民の聖地として保護されており、空港は離れたところにある。周りは赤土の大地で、植物は点々と生えているステップ気候の土地だ。何となく、タンザニアのアルーシャを思い出す。飛行機は小さく揺れながら着陸した。コネラン空港は小さく、タラップで降りてターミナルまで歩く形式だ。ターミナルまでは立ち止まってはいけないようで、撮影はするな、と制止されてしまう。でも、せっかくのきれいな飛行機はやはり記録しておきたいから、意味ありげな赤線が引かれたところ(歩行者の通路か)まで歩き、何枚か撮っておいた。他の客も、赤線で勝手に納得した様子で、突然写真を撮る人が増えた。係員はそれ以上制止しコネラン空港の到着ロビイなかった。
 荷物を受け取り、到着ロビイに出ると、VIPツアーという会社の日本人ガイド(女性)が待っていた。この人と、現地の女性ドライヴァーがホテルまでの送迎と、概要説明を担当するという。今回、ここではHISに依頼した出来合いのツアーに入ることにしている。本日の午後はオルガ峡谷と、エアーズ・ロックのサンセットツアーで、明日はエアーズ・ロックの登山だ。ホテルはロスト・キャメルで、エアーズ・ロック・リゾートというホテルや商店の集合体のようなところにある。元々、ここには先住民しか住んでおらず、豪州の人は定住していない。エアーズ・ロック・リゾートは完全に観光ホテルの室内用の施設だ。ホテルに着き、説明を聞いて、再集合の時間を確認して、キーをもらって、といった一連のことが少々煩雑に感じる。ツアーにはいろいろな人がいるから、全員に完璧な説明をしておかねば後でクレームになったりして厄介なのだろうが、ちと丁寧すぎるように思う。
 ホテルの部屋は1階中央のプールに面したところで、大きなダブルベッドが置いてあり、現代的で清潔な部屋だ。シャワールームからはプールサイドが丸見えである。窓にはグレイのフィルムが貼ってあるから実際には外からは見えないようになっているのだが、これは慣れないと使いにくい。水道水は飲むことができる。オーストラリア大陸は太古の昔、海の下にあって、その水が大地で濾過されて地下水となって残っているとのことだ。海外では水道水が飲めるということが少ないからこれはありがたい。

 真っ青な空しばらく休んで、ホテル周辺を散策する。空の青さには驚く。紫外線が強烈で、肌がじりじりする。空気は乾燥していて、風が吹くと涼しい、という程度の気温だ。これで真冬だから夏はかなり暑いだろう。夏は気ユーカリの木温以外にハエが多くて大変だそうだが。ショッピングモールはホテルのすぐ近くにある。スーパーでサングラスを買う。さらに他の店で帽子を買った。私は頭が大きいから眼鏡も帽子も日本ではなかなか合うサイズがないのだが、ここでは丁度よいものがあった。食事は軽食のテイクアウトにするが、観光地とあってけっこうな値段だ。注文して、呼び出し機のようなものを持たされ外で待つ。出来たものを受け取って、芝生の上で車座になって食べた。まあまあの味だが、やはり味付けが薄い。塩・胡椒は必ず要るようだ。
 ロビイに戻り午後のツアーに出る。男性のガイド・ドライヴァーに替わった。ガイドは日本人(マサ氏)で、ドライヴァーは現地の人だ。ペルーに行ったときは、現地人に同化したような日本人ガイドエアーズ・ロック(ウルル)がいたが、マサ氏は未だ1年くらいだそうで、日本人っぽさがある。日本人っぽさって何だ、と言われると説明しにくいが..現地人のノリとは違う、というくらいの意味だ。訥々と説明するその様子は真摯ではあるがちょっと冗談が通じないかな、という感じもする。と思っていたら冗談のようなことも時々言っていた。ただ、真面目すぎるその口調ではバス内のウケがあまり取れなかったが。ところで、オーストラリアの先住民と言えば「アボリジニ」というのが通称として定着している。エアーズ・ロックも制度上、アボリジニの人たちからオーストラリア政府が借用していることになっているのだが、エアーズ・ロック周辺の先住民の方々の希望では、「アボリジニ」という呼び方は過去の抑圧の時代を想起させるので「アナング」と呼んで欲しいそうである。ゆえに、この旅行記でもその呼称を使うことにしたい。耳慣れないだろうが、私たちはツアー中ずっとアナングと言っていたので、すっかり馴染んでしまった。そうそう、エアーズ・ロックはオーストラリア総督のエアーズ(Ayers)氏にちなんだもので、これも先住民の呼び名「ウルル」を併記しようと思う。ウルルは「日陰の場所」の意味だそうで、なるほど、見渡す限りのステップ平原にはこの岩ほど陰を作るものがない。その影で神々が休息するということで、この岩が聖地とされているわけだ。

 最初の目的地はオルガ峡谷(現地呼称「カタ・ジュタ」、オルガは発見者の名前)である。エアーズ・ロック(ウ展望台からカタ・ジュタを望むルル)が花崗岩の1枚岩なのに対して、こちらは砂岩で、浸食によって36個の岩山に分かれたものだ。途中で展望台に寄って、全貌を眺める。浸食されていなければ岩自体はエアーズ・ロック(ウルル)よりも大きく、見る方向によって見え方が変わるのでなかなか面白い。展望台ではあっという間に時間が経ってしまい、せかされた。ツアーはこういうところが辛い。次に、岩山の一部を散策する。ここにあるトイレは超高級だというので入ってみたが、ごく普通のボットン式(?)である。マサ氏曰く、建設資材を運ぶ費用が嵩んだそうで、なるほど、ここが僻地であることが何となく理解できる。ここからパースまでの道路は通行に許可が必要という話も聞いたが、それは何故かというと、ここから850kmの間、ガソリンが補給できないからという。日本人ラリーストも多数走っている由。パースに着いたら到着を届け出ないと救助隊が出てしまう、というから普通の人は走らない方がいいようだ。
 トイレから話が逸れてしまった。オルガ峡谷(カタ・ジュタ)は岩が浸食されているため、当然、岩と岩の間が谷になっていて、ここを風が通る。宮崎アニメの「風の谷のナウシカ」のモデルになったという話で、奇しくも、私はペルーのマチュピチュ(「天空の城ラピュタ」のモデルと言われる(公式ではない))に続いて宮崎氏の題材の地を歩いたわけだ。こう書くと何だか宮崎アニメおたくかと思われそうだが、「風の谷〜」は見ていない。だから、ここを吹く風とアニメのつながりは分からないけれど、平原の中にある奇岩から吹き付けてくる風は気持ちよく、そして不思議だ。奇岩の赤茶色と群青色に近い空の対比も素晴らしい。私はマサ氏と歩いていたが、SとKzTさん、NKさんがどんどん先に行ってしまった。峡谷は行き止まりで、この先に見るべきものはないという説明が本当かを確かめに行ったのだ。そして、集合時間に戻ってこない。こういうとき、まじめなマサ氏はちょっと表情に出てしまう。これ以上待つとまずいな、という雰囲気だ。とはいえ探しに行ってすれ違いというのは最悪なので、我慢して待っていた。15分近くはオーヴァーしたか。急いでバスに戻る。帰りに、トイレの近くでラクダと遭遇した。野生、という説明だったが本当だろうか。
風の谷へと向かう 砂岩なので崩れて穴が開いている 風の谷 果てしない大地
ラクダに遭遇 カタ・ジュタの周りを走る 岩の周囲を散策 壁画

実際にはこんなには暗くないけど 次にエアーズ・ロック(ウルル)の周辺を散策し、登山口に行く。明日の朝、ここに来て登山口が開いていればいいが、天候不順の場合やアナングの人たちの宗教行事があるときは閉鎖される。マサ氏の今シーズン(冬?)の成ウルル登山口績は9勝6敗だそうで、かなりの確率で登れない。とりあえずここに来た、という記念写真を撮っておく。登山口には看板が立っており、注意事項などが各国語で書いてある。伝統的所有者(即ち先住民)からの登山中止要請の文章は、お遊びで来る観光客をちょっと考え込ませる内容だ。この登山口、見上げるような斜度のところを鎖を頼りに登るので、かなり危険だ。これでも周囲に比べると取り付きやすい角度で、かつ、アナングの聖地(岩の中で、特に聖なる場所)が見えないようなルートを選んでいるらしい。色合いがものすごいこの聖地というのは岩の周囲にたくさんあって、それぞれに由来と撮影禁止の札がある。ガイドがいないと、つい見過ごして撮影してしまいそうだ。国立公園のレインジャーに見つかると、高額の罰金を課せられるから注意が必要だ。エアーズ・ロック(ウルル)の全景でも、それら聖地(たいていは岩の裂け目や奇岩)が写らないように、制限された箇所から撮る必要があると教えられた。その「聖地が見えないアングル」に合致したあるところで日没のエアーズ・ロック(ウルル)を見る。三脚を据えて、刻々と変わる岩の色を撮る。シャンパンが注がれ、オードヴルが用意される。マサ氏が、シャンパングラスにウルルを映して撮影してみては、と言う。こういうことができるのもデジタル時代の恩恵で、皆、モニタを見ながら撮影していた。でも、右手にカメラ、左手にシャンパングラスというのはブレの連発で、なかなか上手く撮れないようだ。私は三脚の前にグラスをかざして、簡単に撮影できた。乾杯の音頭を、Sの父、KzTさんが取る。おもろい校長先生であるこの人、我々の披露宴でも名調子であったが、ここでもウケを取っていた。さらに酒が入り、益々調子が上がっておられた。


逆さウルル 刻々と色が変わる

 無事終了し、ホテルに戻る。夕闇にシルエットとなって見えていデザート・オークのシルエットるのはデザート・オークだ。針のような葉は乾燥地にあって水分の蒸発を防ぐためらしい。暗くなったのと、酔いが回ったのとで、ホテルに着くまでぐっすり眠り込んでしまった。
 近くのイタリアンレストランで夕食にする。外の席に案内される。夜は急速に冷え込むため、電気ヒーターがついていた。暗く懐中電灯でメニューを読むてメニューが読めない。夜景撮影時に使う懐中電灯を持っているので、それを使って注文した。サラダ、スパゲティボロネーゼ、ピザ・プレデター(この店お勧めらしい)、子牛の肉を煮たもの(だったかな)の4品。これで6人分には十分以上だった。とにかく量が多い。スパゲティは事前情報通り、麺がふにゃふにゃであまり美味しくない。さらに、ミートソースに塩味が足りない感じだ。ピザは例外的に、濃い味でよかった。肉は、ちょっと口にしただけで、量が多くてこれ以上は食べられない状態になってしまった。元々重い体がさらに重い..天の川
 食後、明日の朝食をスーパーで買って、Sの両親と星を見に展望台まで歩く。昨年9月から南半球は3度目で、今度こそ南十字星を見るつもりでいるのだが..見えない。南半球ゆえに建物の大きな窓は北向きにあって、その明かりが邪魔で南の空がよく見えないのだ。星野表も持っていないし、予習不足もある。しかし、天頂に広がる天の川はよく見えた。空を眺めるのは久しぶりである。気持ちの良い一日であった。


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