05年7月下旬〜8月上旬
第1次オーストラリア旅行


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●第3日 05年8月1日(月) ウルル→コネラン→ケアンズ

 0515時にモーニングコールあり。極めて眠い。準備していたら、Sの母が部屋に来て、もうバスが到着しているという。そんなはずはないのだが、慌てて部屋を出る。外に出てみたら、他のツアーのバスだった。ほっとする。我々のバスは3分ほど遅れて来た。ガイドは昨日と同じ、MASA氏である。まずはサンライズツアーで、これは昨日のサンセットと同様、太陽の方を見るわけではなくエアーズ・ロック(ウルル)を見るものだ。その岩山の東側のある道路に駐車し、道路わきに椅子を並べて日の出を待つ。日の出は0724時で、それまであと1時間くらいある。道には夜明け前何台もの乗用車、バスが連なっており大勢の人がいる。MASA氏が、この先に視界が開けた場所があるがそこには行かないように、と注意する。そこは「聖地」が見えてしまうからだ。しかし遠目に見ると、その付近にも観光客が居る様子。広い場所だし人数制限も出来ないから、こういうところで客を管理するのは難しい。しかしアナングの人にしてみれば気が気でないところだ。そういう場所にかからないよう気をつけなければ。
 気温は10℃以下で寒い。寝巻き代わりに使っていた薄手のトレーナにカメラマンヴェストを羽織っているが全く足りていない。しかし考えてみれば真冬の夜明け前に5-10℃くらいならむしろ暖かい方なのだろう。それよりは、背の高い植物が少ない当地では昼夜の寒暖の差が激しいから、その方が気になるところだ。今日は何度まで上がるだろうか。ところで、いまの時間に、皆は朝食を取る。朝食付きで申し込んでいる人は、今日の登山用に小さなバックパック(ウルル色の茶色いもの)をもらっている。それに、朝食が入っているらしい。ツアー会社の、場所取りをしていた人がお湯を用意していて、それでコーヒー、お茶を飲むことができる。我々は朝食は自前で、クラッカーやバナナなどを食べている。お湯は我々も使うことができたので、暖かい飲みものはありがたくい日の光を浴びて色づくただいた。
 空が明るくなり始めた。日の出の光を浴びてエアーズ・ロック(ウルル)が赤く輝く。大地には未だ光が届かないから、岩山だけが神々しく光るのだ。なるほど、これは聖地と言われるのも分かる。赤さは日の出直後が最も強く、日が出るにつれ茶色から灰色っぽく変化した。

 明るくなったところで、次の目的地、登山口に向かう。昨日のところにも書いたが、エアーズ・ロック(ウルル)の登山はコンディションによっては登山口が閉まる。いまの状況を見るに、雨や気温は問題なさそうだが、風があるからその点は散策中に心配だ。外周道路を走り、登山口が近くなってきた。稜線に人影が見えず、どうもイヤな予感がする。すれ違う大型バスの運転手が、親指を下に向けた。ダメだ、これは閉鎖らしい。行ってみると、車は少なく、人がゲートの前に何人か屯している。閉鎖だ。理由は、強風のため、である。車内に失望のため息。とりあえず、外周道路を一周して時間をつぶす。時間が経って条件が好転することもあるという。一周はすぐに終わってしまって、登山口近くの散策路を歩く。皆の足取りは重く、説明に耳を傾ける熱意はあまりない。すると、MASA氏の腰についているトランシーバが突然、何かを叫び始めた。登山口が開いたのだ。皆、バスまで走る。

 登山口に着くと、既に鎖には幾人かが取り付いていて、登山が可能なことが分かる。よかった。8時半過ぎに登山開始、標準的な時間は登り1時間、下り45分。下山後の再集合は1055だから十分間に合う。さて、山肌は岩そのものであり、足場はわずかな凹凸だけで、ほぼつるつるしている。最初の鎖までがけっこう長くて急で、ここが歩きにくい。鎖に取り付いても、この鎖がずいぶんと低い位置にあってつかまりにくい。斜度があれば別だが、緩いところはかえって腰が疲れる。私たちでさえそうなのだから背の高い欧米人はなおさらで、鎖を掴まずそのままさっさと登って行く人もいる。それで私だが、体が重い上に荷物もカメラ2台に交換レンズ4本、うち1セットは中判、さらに三脚もあって重い。頂上付近は風が強いようで、三脚はむしろ危ないようだから無駄な荷物が多いという結果になってしまった。靴も古くて緩いから安定が悪い。すぐに息が切れて、皆から遅れ始める。時間はあるから、無理をせず休みながら登っていた。
 それはともかく、景色は雄大である。乾季であり、もやがないから遠くまでよく見える。空の青さは驚くほどだ。Sにリュックザックから中判カメラ(ブロニカRF645)を取り出してもらい、手持ちで何枚か撮った。撮影で手伝ってもらったのはこれが初めてだ。なるほど、こういう場面では撮影助手がいるとありがたい。
登山開始 斜度はかなりある 太陽がまぶしい カタ・ジュタの方向
まだまだ登る 鎖場が終わる 岩の反対側を望む

 鎖がなくなったところでようやく全行程の3分の1だ。この先頂上まで、遠目には平坦に見えるが、岩の横方向には大きな窪みがあってそこの上り下りが大変きつかった。鎖で支えられないので、下りでは足が滑ってしまうのだ。ところで、この窪みのようなところは風がよく通る。岩の反対側と思われるところに出たが、上から斜面を見下ろすと大きく削れたようになっていて、岩の上に向けて風を集めてくるような感じがする。汗がすぐに乾いて、涼しい。
無駄に重装備の筆者 頂上付近にて 下から風が通る

 頂上の手前で、先行していた4人と出会う。先に下りるとのこと。この先頂上と高度は大差がないので、ここで記念写真を撮ることにした。通りがかりの人にシャッターを押してもらう。こういうときデジタルカメラは便利だ。中には半押し状態で撮れたと思ってカメラを返してくる人もいるので、失礼ながら写っているかどうかをその場で確認するのだ。
 10時過ぎに頂上に到着した。標準の1.5倍かかってしまった。それは撮影の手間ではなく、やっぱり休憩の多さが原因だ。頂上は、ピークらしさはまったくなく、広く平らな場所であるが見晴らしは良い。記念写真を撮り、また他の人たちのシャッターを押して、あまり休む間もなく、下山することにした。疲れているせいか、下りの方がきついように感じる。1箇所、窪地から這い上がれず、長身のオーストラリア人に助けてもらう。その人、水も持たず、所持品はカメラ一つだけだ。国立公園内では脱水症状を防止するために水は持たないといけないはずだが、慣れているのだろうか。聞いてみると、なんとここは初めてだという。ま、タフな方だということであろう。ともあれ引っ張り上げてくれたことには感謝。その他は問題なく順調に下った。撮影はしなかった。無事、1055、集合時刻丁度に登山口に到着した。登頂証明書をもらう。MASA氏の案内したツアーで初めて、落伍者を出さなかったのだという。それはよかった。
他のグループのシャッターを押す 頂上にて さらばウルル

 ホテルに戻り、荷物室から荷物を出しデザート・オークて、ロビイの片隅でパッキングをする。食事はショッピングモールのテイクアウトにして、食べ物が出来るまでの間、KzTさんとHKさんはスーパーに出かける。要するに、アルコールが欲しいのだ。買ってきたものは見事に、ノンアルコールビールであった。オーストラリアでは商店でのアルコール類はかなり制限されているようで、ビールっぽい外観に飛びついたらこれだった。味は..案の定不味い。残念。しかしなんでまあ、この手のノンアルコールビールは不味いのだろう。やはり、アルコールの刺激がないと、物足りないのだろうか。結局6本買って3本しか空かず、残りは捨ててしまった。
 1315時にホテルに迎えが来た。空港までの7分間、ガイドがしゃべり通しである。一所懸命、仕事をしているので申し訳ないがこれはうるさいと思う。仮に初めて旅行する人がいたとしても、既にここまで最低2回は飛行機に乗っているわけで、いまさら飛行機の乗り方を説明しなくてもいいはずだ。しかもなんと、チェックコネラン空港のロビイインまでしてくれて、さらに、手荷物検査までお付き合いしてくれて..というより強制的に中に入れられて、もう過保護というかなんというか..おかげで、空港の外観を観察できなかった。何しろ空港の他に行くところはないのだから、ちょっとは自由にさせてくれてもいい。
 コネラン空港の出発ロビイは、売店とバーが一つずつあるだけで寂しい。そのバーも店仕舞いを始めようとしている様子で、というのも本日の飛行機は我々が乗る1530発ケアンズ行きが「最終」なのである。義父はそこにビールを飲みに行った。
 出発までまだ2時間以上ありコネラン空港にて、暇だ。ロビイの滑走路側が目立たないスペースになっていて人があまりいないのだが、そこだけエアコンがよく効いていてなんだか無駄な場所だ。そこに、昔の空港(エアーズ・ロック脇に着陸していた頃)の写真などがあって面白かった。しかし、これ以外にはほぼ見るべきものもなく、あとはロビイの片隅で寝ていた。

 搭乗の時刻になる。飛行機はBAe146 AVRO RJという4発機で、翼が屋根から下向きに生えている。タイヤ部分がコンパクトで、機体が地面近く、低い位置に見えるのが新鮮だ。機内は2+3列で狭い。定赤い大地員は100名くらいだろう。運良く窓側の席だ。しかし左側なのでエアーズ・ロック(ウルル)は見えず、北側になるので太陽が眩しい。景色は果てしなく荒野が続いていて、全く人跡未踏のように見える。ひらすら飛んで、まだ同じような景色だ。窓側好きの私も、さすがに飽きてしまい、何度か眠ってしまった。
 食事が出る。ローストビ食事ーフのサラダとパンだ。サラダの中にあるパスタには味がついていなくて、塩をかけて食べた。眠かったので、味がよく分からなかったのかも知れぬ。
 高度が下がり始めた。ケアンズ上空は曇りだ。今は乾季のはずなのだが..ぶ厚い雲を抜けて、すっかり暗くなった空港に着陸した。

 ここにも送迎が来る。免税店の方まで回ってくれて親切ではあるが、話が同じようなことの繰り返しである。ホテルでチェックインまでしてくれて、ロビイで延々、配布資料の説明をするに至っては、もう余計なお世話。フリーツアーでこれだから、添乗員同行だとどんなことになるのか、想像がつかない。義務を遂行するのは結構だが、本来サーヴィス業とは、相手の顔色を覗いながら柔軟に対応するものではないか。マニュアル通りに全部言うのは、お互い疲れると私は思う。
 ホテルはリッジス・エスプラネイドというところで、前はマトソン・リゾートというホテルだったようだ。現地でもらった地図では、未だマトソンだったりする。部屋は5階(日本風には6階)で、たいへん広い部屋だ。ダブルベッドとしか思えないベッドが2つあって、それらの周りも広くてなんだか落ち着かないのはこっちが貧乏性なのだろう。荷物を置いて、食事に出ることにする。ホテルから市街へのシャトルバスが出ていて便利だ。先ほど通った免税店の前で降りて、そこの両替店でA$を作る。1A$=93円で、空港よりレートは良い。買い物はせず、とりあえずは食事だ。雨が降っていて、寒い。この天候の中、店を探して歩くのは億劫だから近くの中華料理屋に入る。店内は外より寒い。この天気でさらに冷房するなんて、寒いところ好きな私でも少々閉口する。さて、食事だが、たぶん量が多いだろうと踏んで、6人いるのだが4人分のコース(A$25/人)に単品を追加ということにする。コースは鶏のスープ、春巻、中国野菜のオイスターソース炒め、エビ・カシューナッツ炒め、五目チャーハンとデザートだ。それに、ラーメンと海鮮焼きそばを単品で1つずつ頼む。味は薄味で、どうもこの2日間で食べていて思うに、オーストラリアの人は塩味は足して食べるものと考えているように思われる。あるいは足さずに薄いまま食べるのか。でも、この店の料理は美味しいと思った。ビールはクラウン・ラガーで、これが公式飲料と化しつつある。楽しく飲み、談笑する。
 食後、ナイト・マーケットに行く。その名の通り、夕方から開店するのだが、50ほどの小さな店がひしめくショッピングモールだ。ケアンズは人口13万、地方都市で市街地も大きくないから、夜遊びする場所もあまりない。その点、ここだけは23時ごろまで営業していて、観光客が集まって賑やかなところである。入り口のところにツアー紹介所があったので、明後日のグリーン島ツアーの相談をする。調子の良いオーストラリア人のおばちゃんがいろいろとお勧めを説明してくれる。驚くことに、旅行会社は24時間営業だったりして、今の時間でも問い合わせが可能のようだ。しかしお勧めの会社は既に社員が帰宅してしまったようで、明日また電話してみるとのこと。もしダメならその場の判断で、同等の価格の別の会社ピスタチオで作られた土産物に当たる、という条件で依頼した。
 ナイト・マーケットを歩く。ここは人が多く落ち着けないけれど、なかなかおもしろい。土産物は市街の他の店より安めのようだ。ただ、絶対額が元々ちょっと高いのは観光地ゆえのことか。日本語はそこここで聞かれ、漢字・ひらがなの表記も実に多い。オーストラリアはワーキングホリディで来ている日本人の若者が日本語の表示も多い多く、観光地では日本語でもほぼ不自由しないようだ。こういう店で、怪しげな値切り専門英語で突撃したい配偶者Sには、これはちと不満のようだ。エスプラネード通り側にはフードコートがあって、中華料理、アジア料理、ラーメン、イタリア料理、オーストラリア料理の店が並んでおり、中央のテーブルに持ち込んで食べることができる。中華などは皿やタッパーの大きさで値段が決まっており、何を詰めるかは自由だ。タイ料理の店で、明日の朝食用に適当に詰めて行くことにする。
 雨は未だ降っている。シャトルバスは既に終わっているので、タクシーを捜すのだが、流しのタクシーはいないから、乗り場を探さねばならない。あるレストランでタクシーを呼んでくれとお願いしたら、乗り場が近いから歩いていく方がはやいよ、と言われた。2ブロックほどなので確かに近かったが、街が暗くて、けっこう歩きにくかった。乗り場に、ちょうどワゴンタクシーがいたので、それに乗って帰ってきた。料金は5.4ドルで、安い。
 明日はキュランダ鉄道でキュランダに行く。ホテルの受付で駅までのタクシーを予約してもらう。ホテルの人、名札を見るに明らかに日本人のようなのだが、全て英語で通された。何故だろう。まあ、タクシーを呼ぶくらいの英語ならこっちも困ることはないからいいんだが。部屋に戻り、洗濯をして、明日の荷物をまとめていたら眠くなってきた。日記は後回しにして寝ることにした。


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