18年8月中旬
第1次小笠原旅行

第1日 第2日 第3日 第4日 第5日 第6日 第7日


 久しぶりの、事前検討をした国内旅行は父島となった。父島までは船で行くしか手段がない。船や宿のキャパシティが限られているので、予約開始日には小笠原海運の電話がつながらないほど予約の連絡が殺到するというので、会社を午前半休して電話の前に座ってひたすらリダイアルすることになった。90分ほど待ったが、なんとか義理の両親含めた7名分の船と宿の予約ができて、レンタカーも確保した。
(拡大する写真には枠が付いています。また、文中にも写真等へのリンクがあります)


●第1日 18年8月10日(金) 自宅→竹芝→(船中泊)

 予定通りの時刻に竹芝桟橋に到着した。お盆期間とあってたいへんな混雑だ。窓口で手続きをして、搭乗券を発券してもらう。搭乗券は薄い紙で、下船時に回収されるというからなくさないように注意せねばならない。クラスは2等寝台で、小笠原海運の「おがまるパック」はこの2等寝台を基本として、往復の船と現地の宿の組合せになっている。所謂雑魚寝タイプの2等が選択できないのは、島民や仕事で移動する人たちへの配慮だろうか。このパックは、おがさわら丸の運航に合わせた日程になっている。東京と父島の間は24時間を要し、船は1隻だから、港での積み下ろしや船室準備も含め必然的に3日に1便が最も短い間隔になる。これも多客期がそうなのであって、閑散期は6日に1便の頻度だ。今回は8月10-11日が行き、15-16日が帰りでその間の3泊4日が現地で過ごす時間となる。
 直前に台風が通過したので旅程が危ぶまれたが、このおがさわら丸は滅多に欠航しないようだ。この船は父島・母島の生活物資を運ぶ役割があるため、欠航は現地の生活に大きな影響を及ぼすからだ。こちらとしては初体験なので、これからの航路がどうなっているかは分からないが、24時間効くという触れ込みの酔い止め薬を用意し、準備している。

 船室の位置によって乗船順が決まっており、しばらく待つと我々の順番になった。ほぼ定員のお客(800名くらい)が乗るとあって長蛇の列である。ベッドは6人分で、義理の両親2人、我々家族は三男が未就学なので大人と一緒に寝るということで4人分だ。2段ベッドが向かい合わせになった4名分が一つの塊になって並んでいて、スペースは幅75cm、長さ200cm、高さは自分の背(178cm)で座ると頭が着くくらい、だいたい列車の2段B寝台相当だろう。外との仕切りはカーテン1枚であるから、貴重品は共用スペースにあるセキュリティボックスに入れることになるが、ああいうのは下船時に忘れそうだし、自分はカメラ一式が嵩張りとても入りきるものではない。自己管理で何とかしよう。船内を歩き回るときは何やかやで撮影したいから、カメラ一式は持ち歩くので問題はないだろう。出発前に船内各部を歩いて、自販機でパッションフルーツ酎ハイを買って飲むことにした。

 時刻通り、11:00に出航した。これから父島まで24時間の旅になるが、このうち3時間は実は東京湾内に要する時間だ。それだけ奥まったところに東京があるとも言えるが、東京湾内は衝突防止のために速度制限があり、この船は12ノット(時速22km相当)以下で航行している。数字を見ると遅く感じるが、これがレインボーブリッジの下を通過するとき、意外にもどんどん橋が近づいてくる感覚があって、なるほどこれで正面衝突なら相手方の船との相対速度は倍だからあっと言う間なのだろうと感じた。
 外の気温は高いが、水上を走っていると風が気持ち良い。何度かデッキに出て東京湾内の景色を楽しんだ。遠景は霞んでいたがそれも東京湾らしくて良い、ということにしておこう。息子たちは自販機コーナーでカップ麺を買って昼食にした。こういうのが楽しい年ごろだし、まあ良いかな。
 東京湾を出て、速度は21ノット(時速40km相当)になった。11000トンの巨体がこの速度で航走するのはなかなかの迫力で、風は強いし、船首に砕ける波も大きい。天気は雲が多くすっきりとした晴れ間が見えないものの、きれいな夕焼けを見ることが出来た。

 夜になると波が高くなり通路、屋上デッキに出ることができなくなった。19時くらいに食堂に行き、夕食にはカレーを食べた。夜半にはかなりの揺れになり、黒潮を横断するためか、台風の影響かは分からなかったが、少し気持ち悪くなった。横になる格好次第でも少し感じ方が異なるので、いろんな体勢を試していたら、いつしか眠っていた。


第2日へ

国内旅行記トップへ