93年12月末−94年1月初旬
第1次欧州旅行


第1日 第2日 第3日 第4日 第5日 第6日 第7-8日
(第1日には写真はありません。2日目以降に撮り始めています。)


●第1日 93年12月29日(水) 自宅→成田→ロンドン→デュッセルドルフ→ケルン

 ヴィーンフィルのニューイヤーコンサートを聴こうと、学生時代の同期の友人Kと飲みのときに盛り上がり、発作的に企画した旅行である。このKという人物は、某寒冷地のM県で工業高校の教諭をしており、冬休みが関東の学校より長い。それで、学校の用事を他の教諭に託したのかどうか分からないが、12月23日ごろにはさっさとヴィーンに旅立ってしまった。何となれば、23日ごろに出発すると航空券が安いからである。
 それで私はどうするかというと、28日まで出勤であり、まさか23日から休むわけにも行かないので、29日発のヴァージンアトランティック航空を予約した。もちろんロンドン行きであり、もうちょっと近いところに降りれば良いのに、とも思うがこれまた、29日という年末ぎりぎりでも比較的安いというしみったれた理由であった。それに、実を言うとこの旅行、生まれて初めて、航空機に乗るという状況。つまり飛行機ならなんでも良いのであった。

 29日朝。成田エクスプレスの出発する東京駅・総武線の地下プラットフォームは私の最寄りである京葉線の地下とはちょうど反対側に位置している。ぼんやりと荷物を引いて歩いていたら指定の列車に乗り遅れてしまった。なんと、次の快速で行くと1時間以上遅刻になる。格安のツアーなので、航空券は成田で渡される。遅刻したらいったいどうなるのだろう?と、初海外、初飛行機の私は焦ろうにも情報を持ち合わせていない。それに、どのみち列車は次のに乗るしかないのだ。快速に乗って成田に着くと、空港の中に入るまでの検査などもあり、1時間半近く遅刻していた。しかし、満席のジャンボジェット機の客は長蛇の列をなしており、どうやら2時間くらい遅刻しても大丈夫だった。もちろん、遅刻はいけないのだが、結局それから1時間近く待たされてカウンターにたどり着き、航空券を渡される。あれ、1枚足りない。帰り、ヴィーンからブリュッセルまで列車で移動して、そこからロンドンに飛ぶ分がないのだ。どうやら手配ミスらしい。私が旅行会社にしっかり確認していなかったのも問題だが、その場ではどうしようもない。仕方ない、もう行くしかなかろう。何もかも初体験で、緊張するヒマもないのは良いことか..?
 飛行機に乗り込むと、入り口付近にゆったりとしたシートがたくさん並んでいた。とはいえビジネスクラスというほど広くない。へー、ヴァージンはサービスが良いって評判だけど、エコノミーもよさそうだな、などと思っていたら、エコノミーはずっと後方で、しっかり狭い座席であった。先の座席は、ビジネスとエコノミーの中間、その意味のままのミッドクラスと言うのだそうだ。当時、30万円くらいでビジネスほど豪華ではないけど、楽に行けますよというのがこの座席。後年、エコノミーエクストラ座席として欧州線で他の航空会社にも現れるが、このときはまだまだヴァージンだけだった。エコノミークラスは初めて座ってみて、ひざが前席に付きそうで、狭いなぁと思うのだが、これでも他社(か以前の自社)に比べて10%広くなっていると自慢している。そうか、これでも広いのか。そして、ヘッドフォンや歯磨きなどの入った真っ赤なポウチ、これは皆、持ち帰ってよいのだそうで、これもサービスの一環という。普通のレベルを知らないので、あまり有り難くないが、座席に一人1つずつ液晶モニターが付いているのは有り難い。自分で番組が選べるからである。私の座席は3-4-3列配置(と記憶、ひょっとしたら3-5-3)の真中のブロックの通路側。窓の外は見られず、それでも通路側だからまだマシだ。機中はほとんどが日本人。欧州の人たちはこんな時期に移動しないものなのだろうか。
 ずいぶん待ったが、何事も無く飛び立った。私は初めてだが、案外あっさり飛んだな、という印象。外がろくに見えなかったのも幸い(?)したか。天候は曇りだが、すぐ低い雲を抜けてしまった。機長の挨拶がろくに聞こえない。機中がうるさいのではなく、モゴモゴとしゃべっているのだ。そういうご性格なんだろうか。スチュワーデスが話の内容を端折って訳す。日本語になると、そんなに短いか?..それほど重要でもないことをだらだらしゃべっているのかも知れない。何しろ聞こえないのだ。あっと言う間に新潟を飛び越して、日本海に出た。出たというか、全然見えない。液晶モニターに航路図を出しているからそう思うだけで、雲の上だし、窓は遠いし、退屈である。シベリア上空は晴れと言っていたから、あとで後部通路の窓から景色を見ることにしよう。することもなく、コーヒー、コーラなどもらいながら過ごし、いよいよシベリアにかかる。これは座っている場合ではあるまい。トイレに行く途中、窓が並んでいて、少し広くなった通路部分に立って、外を眺める。これは..言葉がない。もともとシベリアについてのイメージなどないのだが、これほどとは思っていなかった。冬だからもちろん真っ白で、どこもかしこもまるで人跡がない。大きく蛇行する大河、三日月湖、地理は好きなのでこういうのはずっと見ていて全く飽きない。司馬遼太郎の「おろしあ国酔夢譚」を思い出す。大黒屋光太夫は昼夜兼行、そりで移動したというが、冬の方が凍っていて速く進めるという。今の生活からは想像出来ないことだが、この延々白い大地を、いったいどんな気持ちで進んでいたのだろうか。トイレの前で延々と景色を眺め、堪能したので席に戻る。でもまだ行程の半分も来ていない。ロンドンは遠いのだ。しばらく昼寝でもする。

 西行きの飛行機なのでずっと日が沈まない。日本時間は夕方でも、外は午後の日差し。なるほど、これが時差かと妙に納得する。夕食はビーフとチキンから選べると書いてあるが、ワゴンが私の所に来たときにはチキンしか残っていなかった。それはそれで仕方ない。前のほうに座らないと選択の余地が狭まってしまうのであろうが、これも座席を選べない格安航空券の弱み、止むを得ない。酒だけは数があるので、たくさんもらうことが出来た。しかし、やはり気圧のせいか、あまり飲めない。もともとがぶ飲みするわけでもなく、余計飲めない。いや、これも勉強である。初めてなので、何でも「勉強になる」と考えれば気分は楽である。
 ロンドン・ヒースロー空港には定刻に着いた。大部分の人はここで入国するようだ。私は、このあとデュッセルドルフまで飛んで、ケルンに宿泊することにしている。デュッセルドルフまでは1時間ちょっとのフライトで短いのだが、飛行機は万が一ということがあるので乗り継ぎのために3時間も空けてある。実は早めの便も無いので、そのまま空港で待つわけだ。
 今回、英国には全く入国せず、帰りもトランジットなのだが、空港でヒマなので少しポンドも持っておくことにする。両替所で1万円をポンドに替えたら、係りの女性、サラっとお札を投げるように置く。ちょっと態度が気に入らない。これで飲み物などを購入し、ぼんやりする。さっきの飛行機に乗っていたとおぼしき日本人は、全くいない。よく考えてみれば、ロンドン行きは英国に用のある人に便利なのであって、パリやフランクフルトならその地への直行便を使えばいいのである。私の場合、最初にケルンというのは単に列車に乗ってライン川沿いを走りたいだけであって、その都合ではどこを経由しても大差はないので、ここでぼんやりしているわけである。日本時間ではもう夜中なので、さすが宵っ張りな私もそろそろ眠い。することがないので、念のためケルンのホテルに電話してみる。クレジットカードで電話が出来るとは、便利だ。23時ごろに着きます。ええ、飛行機がその時間しかないので。大丈夫でしょうか..待っていてくれるそうだ。これまた初体験の、国際電話・英会話。なんだか、思ったより用は足りるものである。向こうも(こっちも)、話題の前提、つまりホテルに電話してくる人はどんな用件か、ということを予測していれば、言うことが理解しやすいとういうことであろう。

 デュッセルドルフ行きは英国航空。この飛行機も、通路側だった。もっとも、夜なのでどっちでもいい。日本人は私だけ。デュッセルドルフは日本人の多いところなので、少しは居てもよさそうなものであるが。1時間少々のフライトなので、上昇中に食事を配り始めた。否も応もない。ロンドン着陸の前に夕食、空港で炭酸飲料、全然食欲なし。内容は、非常に冷たいサンドイッチであった。わざわざ箱に入れて配らなくても、という気もしないでもない。それに気付いたのか、後年同じような区間に乗ったら、紙袋に入れて、客席に向かってほとんど投げていた。そこまで合理化しなくてもいいが..このフライトはさすがに眠く、着陸のショックで目が覚めた。デュッセルドルフでドイツ入国。お決まりの「目的」「滞在日数」の質問に答える。「観光です」「1日です」..後者の答えには無表情な入国管理官も眉を上げていた。事実、明日スイスに向かって出発するのだから。私も日程が許せばもっと居たいのですよ。
 空港からデュッセルドルフまでは近くて、後年聞けば欧州の比較的大きな都市では有数の近さとのことだったが、今回デュッセルドルフにも用はなく、駅でケルン方面の郊外列車に乗り換える。ネオナチが何やら歌っていて、駅を出たら娼館というか、ホテル1棟まるごとそれ用というか、窓に番号が書いてあって、窓辺に女性がたたずんでいるという..夜のドイツは海外初心者にはちょっと怖い。ケルンには40分ほどで着いて、駅に入る前のライン川の鉄橋を渡る音がぐわんぐわんと無気味に響く。どうやら疲れて弱気になっているらしい。駅前でタクシーに乗る。ホテルの名前と通りを告げると、ディーゼルのベンツは驚くほど滑らかに走り出した。ホテルの係りの人は約束どおり待っていてくれて、すぐチェックイン。しかし廊下は消灯態勢で、真っ暗。さすがエコロジーにうるさいお国柄である。噂では、大きな交差点ではエンジンを切って待つともいうこの国、夜に廊下を照らすのは無駄もいいところなのか。いや、単にこのホテルだけかもしれないが。そんなことはともかく、こっちとしても眠ってしまえば同じである。疲れた。さすがに。長い1日であった。


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