93年12月末−94年1月初旬
第1次欧州旅行


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●第6日 94年1月3日(月) ヴィーン

 天気は晴れ。ものすごく良い天気。現地のOさんによると、こんなに晴れるのは珍しいとのこと。今日は、市内観光ではなく、まずグリンツィンクに行き、作曲家マーラーの墓参りである。31日にホイリゲで飲んだが、それより手前(と後年知った)になる。グリンツィンク墓地は、あまり観光スポットとは言いがたいものがある。ガイドブックにも載っているかどうか、実はガイドブックを持ってきていないので分からない。いいかげんなものだが、ともあれ、高校生のころマーラーがグリンツィンク、ぶどう畑好きだったので、一度行ってみたいところなのである。市電を降り立つと、普通の住宅地が続き、その外はなだらかな丘が一面のぶどう畑になっていた。観光ガイドの代わりの、市内でもらった旅行者用の地図を見ながら墓地を探すのだが、これが分からない。元々観光客用の施設ではないので、当然案内板のようなものはなく、あっちこっち歩き回るしかない。
 しかし良い天気だ。こんな状況でも、のんびり郊外を歩いているのは気分がよい。時間が決まっているでもなし、迷うのも思い出のうち、である。一つ墓地を発見。管理人らしきおばさんに、拙いドイツ語で聞く。グスタフ・マーラーの墓を探してグリンツィンク、まだ迷っているところいるのですが。マーラー?そんな人いたっけねえ?ちょっと待って..ここじゃないんじゃないかしら。う、外れを引いたか。礼を言い引き返す。またしばらく徘徊。先ほどより大きい墓地を発見。しばらく歩いて、グリンツィンク墓地の入口に着いた。着いたと言ってもここは広いので、ここから先も問題だ。一応案内板あるが、早速分からなくなった。そこらの人に聞いて回るしかない。しかしよく考えてみたら、例えば日本で墓参りしていて、誰々さんの墓はどこにありますか、と外国人に問われたら、答えられるだろうか。これは甚だ心もとないところであろう。マーラーがヴィーンマーラーの墓で有名人であっても、一般市民が墓の場所まで知っているという可能性は低いかも知れない。案の定、怪訝な顔をされる結果になり、何回かの質問の挙句に..後ろにあるのがそうじゃないでしょうか、と指摘された。恥ずかしい。なんてこった。今日は迷いの日だ。何やってもダメか。実は午後に重要な用事があるいのだが(後述)。それで、マーラーの墓は、非常にそっけない、ただGUSTAV MAHLERとあるだけの墓であった。いや、これでいいのだろう。中央墓地の立派な、脇で天使が嘆いてくれているのもいいけど、マーラーの音楽は残っているのだし、墓が人の価値を決めるものでもあるまい。何枚か撮影して、市内に戻った。

 さて、次の重要な用事とは。それは、航空券の購入である。29日にも書いたが、本来、ヴィーンからブリュッセルまで今日の夜行列車で行き、ブリュッセルからロンドンに朝の便で飛ぶ予定だったのだが、その飛行機のチケットが手配されていなかったのだ。そんな状態で午前中も郊外を徘徊しているのだから我ながら気楽なものであるが、いよいよ決めなければならない。今晩、夜行列車でとりあえずブリュッセルまで行くか、今日は延泊して明日の飛行機で直接ロンドンに行くか。さすがに最初の海外旅行、何も事情を知らずに冒険はまずい。ヴィーンからロンドンに飛ぼう。格安航空券を売ってくれるオフィスは、東芝ヴィーン事務所のあるビルの1階にあるとのことをOさんから聞いている。まずそこに行く。それにしても、こんなぎりぎりに手配とは、少々危険ではないかとの指摘もあろうが、この年、元日が土曜、2日が日曜で、ヴィーン市内は連休なのである。ドイツもオーストリアも(あるいは欧州全体?)、小売店の営業日、営業時間にはうるさい。土曜は半日、日曜は必ず休み、平日も飲食店を除けば、夕方18時だったかには閉まるのである(木曜は買い物の日らしく、遅い)。後年、ドイツは営業時間が法律で決まっていると聞いたが..日本のようにコンビニがあって、何時でもというわけには行かない。そんなわけで、私はヴィーンで未だ何も購入していないのである。その旅行代理店に到着すると、客はおらず、早速用件に入る。えーと、明日の朝一番の、ロンドン行きを買いたいのですが。往復ですか、片道ですか?。片道です。お客様、片道は6500シリング(6万5千円)ですが、往復では2800シリング(2万8千円)です。片道は割引がございませんよ。
(なら聞かなきゃいいのに)あ、それなら往復です(帰りは乗らなきゃ自動的にキャンセルだ)。しかしお客様、この便には乗れませんが。チケット発券がここではなく、別のところからでして、明日に届くのです。この飛行機に乗るには、このオフィス前発の6時45分のバスに乗る必要がありますが、明日のその時刻に、ここは営業していないのです。(理詰めで分かりやすいが..あああ、もう、最初に言えって)何か、手はないのですか?。ございます。発券オフィスで本日、直接お受け取りできるように手配いたします。100シリングの追加が必要ですが。うーん、なんか、ダマされているような..しかし、乗れないとロンドン−東京便には当然乗れず、格安チケットの悲しさ、次の日の便には絶対に乗れない。それと100シリング(千円)を比べて悩むほど愚かではない。もちろん、それでお願いします!。そして2900シリングを払い、発券オフィスの場所を手書きの地図で教えてもらって、いや、どうもお手数かけました。
 そのオフィスにはトラム(市電)に乗って行かなければならないのであるが、何せ午前中迷いに迷った経験があり、熱心に教わったので迷わず目的の建物に着いた。しかし、ここはオフィスか?..何だか怪しい。まあ、ヴィーンの建物はどこも古いので、オフィスが古いビルにあってもおかしくはないが、表示など、まるでないので不安だ。階段を上がり、指定の部屋を訪ねる。あのーー..こんにちはー..ええっと、なんというかですね。ああ、お客さん、話は聞いてるよ。まぁかけて待っててくれ。古色蒼然たる外観に、立派なオフィス、きれいなOA機器。ヴィーンは不思議な街だ。しばらく待たされ、チケットが出てきた。おお、ちゃんとしている(当たり前)。ありがとう。これで私の用事は済んだ。後は、今日の宿を決めて、夜はオペラでも観るか。宿は、同行のKが今晩泊まるところを、ツインに変更してもらうのが手っ取り早い。既に私がヴィーン入りする前に泊まっていたペンシォーンなので、場所も分かっているし、話もしやすいだろう。その宿は、ちょっと市街からは外れた、怪しげな(失礼)な場所にある。駅には外国の人たちが
(私もそうだが..)屯していたり、海外初心者の私には少し怖い。しかし、こうして外国人労働者が特定の場所に集まる、集まらざるを得ない雰囲気は、どこの都市にも存在しているような気がする。日本もそうだ。具体的な、例えば職業的差別のようなこと以前に、こういう雰囲気があることも問題のような気がする。

 宿との交渉は何も問題はなく、2人用の部屋は空いていた。荷物を置いて、再度市内へ向かう。今夜の国立歌劇場はリヒャルト・シュトラウスの「サロメ」。一昨日観たヨハン・シュトラウスとは、全く雰囲気の違うオペラだ。雰囲気どころか実は、私は個人的にはリヒャルト氏は好きではないのであるが、この際何事も体験。観ることにする。歌劇場近くの料理屋でヴィーナーシュニッツェル(ヴィーン風の牛肉のカツ、ときどき、豚もある)を食べた。薄手の肉に、薄い衣で、さっくりしていて美味しい。食後、ヒマつぶしに古道具屋を冷やかしていたら、2000シリング(2万円)で古くて、しかし綺麗なヴァイオリンが置いてあった。店主曰く、それはオールドだ、と。
(オールド:弦楽器の世界では、概ね100年?以上前のものをこういうらしい?(自信なし。私はトランペット奏者だ))ふーん、ただ古い、って意味じゃないですよね、と切り返したいところだが、会話が浮かばず残念。帰国してヴァイオリン奏者におもちゃとして使ってもらうのも面白かろうが、評価のしようがなく、買わなかった。そのまま国立歌劇場に向かう。今日は、一昨日と違って、あまり混んでいなかった。演目にもよるのか。「サロメ」はやはり私の気に入るところはならず、好きになれないのだが、まぁなんというか、あの「踊り」は大変なものであった。主人公、ほぼ裸で踊宿近くの路地りながら歌うのである。客席に背を向けたり、倒れこんだり、それはそれは激しいのだ。そして不思議なことに、どの体勢でも、聞こえる声の大きさが変わらない。んー、これは確かに芸、芸術と言えよう。しかし、その努力も、私が作曲家を気に入らないのだから仕方がない。あまり語ることもなく、帰路はぼんやりしていた。いよいよ明日は帰る日だ。



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