93年12月末−94年1月初旬
第1次欧州旅行
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第2日 93年12月30日

 この日はケルンからスイスのバーゼルまで、途中ドナウエッシンゲンというドナウ川の水源地までシュヴァルツヴァルトの中(?)を通り行ってみることにしていたのだが、どうも体調が悪い。時差ボケであろうが、ここは大事を取って予定の08:00ケルン発EC5(EC:ユーロシティ国際急行列車)、ヴェルディ号は止めて10:00発EC9、ティツィアーノ号にする。昔、鉄道模型を始めようとしていたころあこがれていたTEE(トランス・ヨーロッパ・エクスプレス)ラインゴルト号は今は無いが、欧州の急行列車はまだまだ健在で、各列車にも個性的な名前が冠されている。明日もチューリヒからウィーンまではフランツ・シューベルト号に乗るつもりで、そのうち時間が許せばパリ−ウィーン間のモーツァルト号(所要13時間!)などにも挑戦しようと思っているだけに、トーマス・クック時刻表を眺めながら出発前はずいぶんと夜更かししたものである。

 10:00発に合わせて少し寝坊し、ホテルを出てケルン駅に向かう。天候は曇り。ケルンの大聖堂を見る時間はなく、写真すらまともに撮らず、まずは駅窓口。今回、ユーレイル・フレキシーパスという、一定期間内の好きな5日間だけ(とびとびも可)通用するフリー切符を持っていて、これは使いたい日に窓口でヴァリデーション(まー、有効ケルン駅構内から大聖堂を望むにする、発効させるという訳になるのか..)しなければならない。海外の鉄道窓口は混んでいることが多いと聞いていたので、それでなくとも会話能力に問題がある私は、早めに行かなければならない。行ってみると、それほどの混雑ではなかったが、列が短いのに時間がかかった。いろんな要求に処理時間を費やしているのか、会話がからきしなので分からない。しかし、私の用はすぐに済んで、無事ホームに上がる。ドイツは(欧州の大陸側は)改札がないので、日本人にはどうも居心地が変というか、妙な気分である。その分、車内では厳重に検札をするのだが、それが可能なのはもちろん、それほど車内が混まないという事情もあるだろう。荷物を置いて、まず駅構内をうろつく。ケルン駅は天井がガラス(か透ケルン駅明樹脂)で、大聖堂がシルエットになっていて美しい。昨夜渡ってきたライン川の鉄橋から、ひっきりなしに列車の通る音がする。こういう風景は見ていて飽きない。どこからか夜行で来た列車とおぼしき、寝台車を長々と連ねた列車、食堂車で談笑する人々、ああ、いいなーこれは。
 などとぼんやりしているうちに定刻より少し遅れて、EC9が入線して来た。この冬の季節に、案に相違し、混んでいる。アメリカ人の団体客が何ケルン駅からライン川鉄橋方向両か使っているらしい。その名もAmropa Tour、これは分かりやすい。午前中から車内で大騒ぎの様子、元気でけっこうなことだ。しかし、おかげで、かどうかは確信がないにしても、混んでいる。禁煙車は全く空席がなく、通路にも立っている状況。喫煙車でようやく空席のあるコンパートメントを見つける。1等なので、3人席が向かい合わせになった6人1室で、窓側の2席にちょっと恐い顔をしたおばちゃんが座っている。残り4席は空きで、うち通路側は指定席。この指定席というのが日本人にはなかなか分からないところで、切符を予約すると、予約された分だけ、座席上に「○○から××まで、男」という具合に、指定区間の書かれたカードが入るのだ。このカードがなければ自由席だし、カードの区間以外も自由席。当然、カードを入れる手間があるので当日指定などは出来ない。さて、カードを見るとボンからマンハイムまでとあるので、しばらくは通路側に座っていても良い。何せ、タバコをバカバカ吸っている恐そうなおばちゃんの隣に座りたくない。そうしたら、このおばちゃん、私を睨むのである。あなた、そこは人が来るのよ、分かっているでしょうね?といったところか?ふん、それくらいは分かってらぁ。後で移動するさ。とはいえ、この空元気もボンに着くまでたった20分というところで、入線と同時にサッと中央の席に移った。件のおばちゃん、うんうんと納得の頷き。えらそーに。ボンから乗ってきたのは老夫婦。なんとなくつましい雰囲気で、古ぼけたお菓子の缶を開けたらお弁当のサンドイッチであった。
 列車は遅れを取り戻すべく、快調に進む。たぶん、150km/hくらいは出ている。残念ながら曇り空で、さっきのおばちゃんの煙もすごく、景色はあまりよく見えない。いや、煙で見えないのではなく、窓のほうを見たくないのである。体調のせいか、びっちり6人乗車になってドイツ人に囲まれているせいか、どうも弱気である。そこへ混んでいてもドイツの1等車、食堂のボーイとおぼしき青年が、ワインリストを配る。う、こんな通路まで人が立っている中、食堂車に行ってワインなんて、とてもとても。昼は抜きにする。景色もあまり堪能出来ず、少しうつらうつらする。この客車はドイツの車両らしいが、椅子が硬くて、一定の姿勢でのみ、疲れないという感じである。どうもだらしない格好で寝ることも出来ない。なんとなく、ドイツ風の思想かもしれないと思いつつ、ローレライもあっという間に過ぎ去って、よく見たらライン川はずいぶんと茶色くて、増水している様子。直前のニュースでは、突然暖かくなって、雨が降って欧州のどこかでは洪水にもなったという。今回、来る直前に欧州に出張した人は酷寒で、街を歩いていられなかったと言っていたのに、突如変わってしまったらしい。寒いことを前提に厚着しているのだが、どうも当てが外れたようだ。逆よりは良いと思わねばなるまいが。
 列車は次第に空いてきて、カールスルーエあたりで相当下車し、ガラガラになった。老夫婦も怖い(?)おばちゃんたちも、いない。これは国際列車だが、国内需要の方が多いのか、あるいは国境を越えるなら飛行機の方が速いからだろう。私が乗るケルンからバーゼルまででも4時間43分、終着ミラノまで乗れば10時間53分、始発ブラウンシュヴァイクから乗り通しなら14時間37分。それぞれの区間で乗る人たちが多いのは当然だろう。空いたため、自動的に禁煙車、要するに自分以外だれもコンパートメントにいない状態になったのは実に有り難い。途中寄り道するはずのローカル線は断念し、バーゼルに直行することとした。バーゼル・バーディシャー駅を最後にドイツを出国、一応国境なのでパスポートと切符の検査がある。毒にも薬にもならない日本人は、表紙を見ただけで何も質問されず、すんなりOKだった。バート駅からバーゼル・SBB(スイス側の駅)に移動する間に他列車の遅れからから駅に入ることが出来ず、せっかく定刻に戻っていたのにここで10分くらい遅れてしまった。ここからまた6時間も運転するから、これくらいは誤差でいいのかも知れない。

 バーゼルといえばライン川で大型船が遡行できる限界だったと記憶しているが、それ以外には全く知識がなく、何を見るでもなく要するに明日の列車の旅への中継にしただけである。ホテルは駅から2ブロックほど歩いたところで、昨夜と違って近いのだが、それにしても暑い。厚着のしすぎなのだろうが、それ以前に真冬とは思えない気温である。ホテルが近いのだから、コートを脱ぐまでもないと思って歩いていたら、ホテルの入り口に張り紙が。改修のため、冬季休業致します。御用の方は駅前のホテル・○○○まで..なんだ、また逆戻りか。近いがゆえに、電話もしなかったのは当方の落ち度ではあるが、休業なら休業で、日本から予約したときに何か言ってくれればと思う。しかも、私の所望したホテルは日本で言うビジネス・ホテルのような、あまり気遣い無く、寝る場所が確保されていれば良いというタイプ、それがこの駅前のホテルは...なんと、5ツ星である。思い切り立派で、入りにくい。荷物を引きずり、汗だらだらではいかにも情けない。それはこっちの勝手なんだろうが。意を決して入ってみると、チャーミングな女性が輝くばかりの笑顔、流暢な英語で歓迎してくれた。しかしこっちはどうもしみったれた話、宿泊費が気になる。クーポン券(バウチャーと言うのか)を渡したら、何も問題はなく、鍵を渡された。ほっとしたのもつかの間、部屋に案内されて、しまった、スイスフランを全く持っていない。チップが渡せない。あー、申し訳ない、今着いたばかりで持ち合わせがないんです。いえいえ、よろしいのでごさいます。ごゆるりとご滞在下さいませ。冷や汗ものである。超高級ゆえの丁寧な応対、こちらにはかえって恐縮というものである。部屋はダブル。いや、日本人なら3人でも大丈夫だろう。ベッドも大きいが、部屋も25畳くらいはあろうかという大きさ。朝食はオーダー制で、希望の食材を、パンは何を持ってくるか、焼くかどうか、バターかマーガリン、ジャム数種、卵はいくつ(もちろん調理法も指定)、ハム、ベーコン、ソーセージ(またも種類指定)、ジュース数種、牛乳(ホットかどうか)、コーヒーか紅茶、これを紙に書いてドアの外に掛ける。何もかも高級。後でガイドブックを見ると、1泊4万円程度もすると判明。私が日本で予め払っていたのはその4分の1、であった。
 荷物を置いて身軽になったので、バーゼル市内を歩く。どうも暑い。これは気温もさることながら、後から思うに風邪を引いていたのではないかと思うが、当時はそう思っていなかったようで、帰りに生協でアイスクリームを買ってホテルで食べた。ホテルのレストランに入る度胸は、まるでなし。部屋で静々とかかるクラシック音楽を聴きながら、生協で買った食事を済ませた。


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