93年12月末−94年1月初旬
第1次欧州旅行


第1日 第2日 第3日 第4日 第5日 第6日 第7-8日


●第3日後半 93年12月31日 バーゼル→ヴィーン

 さすがに退屈したのと、ビールの酔いでしばし居眠りした。ヴィーンが近づくにつれて、少しずつ晴れ間が見えるようになる。チューリヒから8時間55分、バーゼルからだと10時間5分の旅が終わりに近づきつつある。ヴィーンは今まで通ってきたどの街よりも大きい。郊外からは列車もほとんど徐行に近い速度である。そんな長い時間、と言われれば返す言葉も無いが、景色は堪能できた。難を言えば、全く他の乗客がおらず、寂しかったこと。居れば緊張するし、わがままであるが、入出国でさえ何も話す必要がないというのはやはりつまらないものだ。
 ヴィーンには定刻より少し遅れて到着。行き止まり式の駅なのでどんどん前に進めば出口だ。ここで、旅行を計画したK、そして東芝ヴィーン事務所のOさんに会うことになっている..つもりだったのだが、直前に連絡が取れず、実は16:30着か18:30着かを言っていない。我ながら実にけしからん話であるが、あっさりOさんと出くわした。あー、お久しぶりです。あの、時刻の連絡もせず、すみません。いやいや、君ならこれで来ると思ってたよ。Oさんは実はオーケストラの知り合いなのだ。それにしても、さすが東欧諸国相手の営業活動をしているだけあって如才ない対応だ。いやいや恐縮の至り。はて、肝心のKが来ていない。学生時代から遅刻魔だったからなぁ。あ、いた。Oさんに紹介し、今日はヴィーン・フィルのシルフェスタコンツェルト(12月31日の夜に開かれる、ニューイヤーと全く同じ演目をやる演奏会)か、ヴィーン交響楽団の第9
(そう、当地でも年末に第9をやるのである。とはいえ、1回だけであるが)あたりを、立ち見でいいので聴こうかと思っていると希望を伝える。いや、ヴィーン・フィルの方を、座席で聴いた方がいいよ。大丈夫、チケットはそこらで手に入るから。そうなんですか。ま、ここは現地に住む人に任せる方が良い。ヴィーン西駅からまず国民歌劇場(フォルクスオーパー)に向かう。ここにもう一人、東京から音楽を聴きにきている人がいるのだ。その人もKさんと言うので、同期のKと紛らわしいから、ここではその人には登場願わないことにしよう。国民歌劇場でやっているのは、ヨハン・シュトラウス2世の喜歌劇「こうもり」である。これも12月31日恒例で、特に、「こうもり」のオリジナルのせりふ以外に、その年の10大ニュースのような、ヴィーンっ子にはおなじみの話題が盛り込まれ、客席は大受けらしい。歌劇場に着いたらちょうど終わってカーテンコールだったが、ここでも何やらジョークらしいことを言っていて、劇場全体が笑いの渦、なのである。これが分かるにはドイツ語の知識のほかに、その年のヴィーンの出来事を知っている必要があるから、観光客がひょいと入って楽しいというわけには行かない。こんな楽しみ方が出来るとは、うらやましい。

 会場を後にし、今晩からしばらく泊まるペンシオーン
(普通の建物をプチ・ホテルのように改装したもの、数千円から8000円くらいで泊まれる。ホテルより気楽)に行き、まず荷物を降ろす。そしてムジークフェライン(楽友協会)に向かう。ここが、ヴィーン・フィルの方の会場である。会場前には既にたくさムジークフェラインんの人が待ち合わせしたりしている。我々の目的は、チケットである。Oさんが専門のドイツ語でダフ屋と話をしている。通常、ダフ屋は値上げして売るものであり、しかもこれは天下のヴィーン・フィルのニューイヤーコンサート(の前日)である。絶対に高いはずだが、物は試し、2枚買うから安くならない?なる?いくら?2500?(オーストリア・シリング。1シリング=約10円)これ、3500の席じゃない、これは買いだよ。買っちゃおう。現金は?はいはい、これで。うん、ダンケシェーン。同行のKが本来立ち見(たしか30シリング、つまり300円)のつもりで居たのに、100倍近くなってしまったので躊躇したが、これを逃しては、ということで決断した。チケットを見るとバルコン・ミッテ席、つまり舞台から見て真正面のバルコニー席(2階)。オーケストラ全体を見るには最高の席である。こんなところを割引で買えるなんて、運が良い。売った人はどういうつもりだったのか分からないが、Oさんによると、今年は指揮がロリン・マゼールであまり人気がないそうなのだ。そうなのか。私は別に嫌いではないが、確かマゼール、ヴィーン・フィルで非常に出来の悪い演奏のCDも持っている。それが全てではないと思っているが、ともあれ入場券が買えたことは良かった。のだが、気になり始めたのは服装。立ち見前提で、ネクタイを締めていない。Oさんによると、ノーネクタイでも大丈夫らしい。明日のニューイヤーではさすがに正装が当たり前らしいが、今日のは大丈夫だと。しかし、この文を読んで行こうと思った方、やはりちゃんと暗めのスーツ、くらいは着ていた方がいい。やはり肩身が狭いのだ。それでも、ちらほらとヘンな服装をしている人もいる。まーいいか。
 見回すと、この学友協会のホール、中のフォワイエというか、ロビーというか、狭い。冬なので、皆がコートを預けるのため、クロークは長蛇の列。人の波に押されるように2階に上がったら、チケットの半券すら切られなかった。全くのノーチェック。ひょっとしたら、タダで入り込んでいる奴も居るかもしれない。懐中物には用心しないと。しかし懐中物どころか、私もKも、カメラを持ち込んでいる。しかも一眼レフ。ちょっと隠して持って来たというような代物ではない。これでいいんだろうか。もちろん、演奏中撮るつもりは無く、演奏終了し拍手のときに、フラッシュなしでさっと撮るのである。ムジークフェライン、開演前よく演奏会場で、コンパクトカメラでフラッシュを焚く方がいるが、アレはもちろんご法度で、そもそもF値の暗いコンパクトカメラに、いくら高感度フィルムを詰めても、フラッシュは舞台に届かない。おおかた、前の人の頭が真っ白になって写っているだろう。アレは感心しない。だからといってノーフラッシュなら許されるというわけでもないが、ともあれ演奏終了までカメラは足元に置くのである。
 周囲を見ると、日本人はやはり多い。団体で、添乗員が説明しながらというパターンも。添乗員、まさか当日の曲の内容まで調べて話しているのではないだろうな。仮に音楽好きでもなかなか出来る仕事ではなかろう。客は必ずしもコンサート目当てでもないらしく、いささか態度の悪い人もいる。「なんだ、モーツァルトはないのか」って、それでもドイツ語のプログラムが読めただけマシか。そうこうするうちに、演奏が始まった。今までの喧騒がウソのようで、またこのホールの響きはいったい何と言うべきか、柔らかさの中にも芯のある、などと訳のわからんことを言いそうだが、とにかく良いホールだ。舞台には遠く、残響が長いのでもやもやになるかというとそうではなく、金管楽器、打楽器それぞれきちんと音が届くのだ。こんな音とは全く予想していなかった。曲も案外知っているものが多く、マゼール氏のヴァイオリンには少し閉口であったが、全般に楽しく聴くことができた。ムジークフェライン、終演直後
 最後に、第2の目的?である写真撮影に挑む。会場が黄色いので、持参の青フィルターを噛ます。実はこれが仇で、肝心の写真がブレてしまうという結果に。それは右に掲載しておくが、帰国後現像して、これは実に情けなかった。雪辱を期してもう一度ヴィーンに行きたいところであるが、未だ実行に移せていない。とにかく、残念至極。

 という撮影結果になっているともつゆ知らず、演奏会の余韻に浸る私。次はグリンツィンクという郊外(というほど遠くも無いが)のホイリゲ(新酒を飲ませる居酒屋)に行く。Oさんが予約しているのだ。一行4人、いずれも音楽愛好家であるので、話題はもちろん、その日の演奏会。まずは、白ワインで乾杯。というより、最初から最後まで白ワインなのだが、新酒というだけあってフルーティーで、甘くて、少し炭酸があって、飲みやすい。味わって薀蓄垂れて、という飲み物でもなく、また周囲の雰囲気もくだけていて楽しい。生演奏の楽士が会場内を練り歩き、どんどん盛り上げる。欧米では、日本ほど新年ということに特別な思い入れはないらしいが、それでも一応、1月1日は祝日であるらしい。ヴィーンでは、12時の鐘とともに、持っていた酒のグラス(またはビン)を広場などの地面にぶん投げ、周囲の人と抱き合ったりキスしたりするらしい。しかし、私はその瞬間まで起きていられそうにない。何せ5時起きだし、それ以上に、ワインを飲みすぎている。ヴィーンの人たちの酒量について、Oさんは興味深い話をしてくれた。このグリンツィンクは郊外なので、車で来るのが便利。しかし、車で来て、飲んでいいのか?..知り合いのヴィーン人曰く、1リッターくらいで止めておきなさい、と。私の場合、1リッターも飲んだら、車の鍵も開けられないのではないか。かえって安全かも知れぬ。
居酒屋でOさんたちと別れ、Kとタクシーを拾って宿に戻ってきた。ヴィーンのタクシー、なかなか細かい通りまできっちり覚えていて、ヴァイブルクガッセ、と言ったら無言でそこまで連れて行ってくれた。
・・・
 あとは、記憶にない。



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