15年1月中旬−下旬
アラスカ旅行


第1日 第2日 第3日 第4日 第5日 第6日 第7日 第8日 第9-10日


●第2日 15年1月17日(土) アンカレジ→フェアバンクス

 6時に起床。夜半に何度か起きたのはやはり時差のせいか。ゆっくり準備し朝食へ。コンプリメンタリーブレックファスト、無料の朝食は質素なものだった。ケーキのようなもの3種、パン2種、フルーツ、ジュース3種(クランベリー、アップル、オレンジ)、コーヒーなど。ケーキはかなり甘かった。特に、上にかかっている砂糖の塊のようなものが。トーストは美味しい。コーヒーは薄く、お代わりせず、オレンジジュースをもう一度取りに行く。
 7:25にチェックアウト。7時半に駅までの送りを頼んであるが時間になっても来ない。受付の人に言って運転手に連絡してもらうと「今向かっている」とのこと。事実、ほどなくして送迎車が現れた。駅までの距離は近く、チェックイン時刻7:45までには余裕がある。他の人が手続きしているので、駅前の写真を撮っていた。

 列車は進行方向前から食堂車、客車、荷物車の3両をディーゼル機関車重連で牽引する。オフシーズンなので客車が少なく、夏なら15両以上になるはずだ。今は1両のうえ、北行土曜・南行日曜の週1往復だ。このスケジュールに合わせて金曜日から会社を休んだ訳である。我ながらアホであるが、路線がある限り旅程に鉄道を入れたいのだ。何度も来られる場所ではないし。
 チェックインしタグ付けした荷物を改札口に置く。乗車までは時間があるので、売店で息子達への土産を買う。機関車のプリントされたTシャツだ。幼児サイズの種類が少なく、買って帰って三男は着れないだと悲しいが、一応一番大きいのにする。長男次男はXSサイズ、これは大人?よくわからない。アメリカのサイズ表示の換算表を持って来るのだった。
 改札が始まる。プラットフォームのようなものはなく、地べたからステップをよじ登る。室内は2+2、4列のリクライニングシート、2連窓で私の席は8D、連窓の後方だった。これは重要で、連窓の前方座席は顔の先に見える風景の半分は壁である。これを嫌って、私の前の列の人は他の座席に移って行った。そう、それが出来るほど車内は空いている。昨日の飛行機に続き今日も隣は空席だ。

 機関車の写真を撮りたいと車掌に言ってみるが、ダメだという。たしかに、見たところどこからどこまでが客の歩けるところか、という区別ができないほどだだっ広い。撮影を許したらそこら中に客が散ってまずいだろう。車掌が、今日はどこまで?というのでフェアバンクスと答えると、「じゃあ、フェアバンクスなら撮れるよ」と教えてくれたので、引き下がった。

 定刻の8:30にゆっくりと出発した。アンカレジ市内はずっと徐行で、踏切では何度も警笛を鳴らす。もちろん街の中なので遮断機は下りているのだが。これから355.7マイル、569kmを11時間半かけて行く。途中、停車駅以外にもピクチャーストップを挟みながら平均49.5km/hで走ることになる。
 アンカレジ市内を抜けると速くなった。9時半頃から空がうっすらと明るくなって来る。アナウンスで、客車と荷物車の間の乗降ドアを開放出来ると言っていたように思うが、聞き取りに自信がないので自席にいた。しばらくすると前の方の中華系のおばさんたちが上着を着込んで後方に歩いて行くのを見て、これはと思い自分も行くことにする。
 アラスカ鉄道の乗降ドアは上下に分割し上だけを開けると簡易展望所になる。乗降時はここはステップになっているが、それも鉄板で塞いでドア近くに立てるようになるという仕掛けだ。先客に混じって私も撮る。気温は-5〜-10℃くらいであるが、列車が走っている分、風を受け体感温度は下がる。防寒着のおかげで体は寒くないが、顔はむき出しで風をまともに受けるから非常に寒い。撮影していると涙が出てくる。
 先にこの「展望室」に来ていた中華系のおばさんに、撮影条件を聞かれた。こっちはF1.8の大口径望遠レンズで、向こうはF3.5-5.6の標準ズームレンズだ。「僕のレンズはハイスピードだから、あなたの場合、感度を上げてシャッター速度を稼がないと、ぶれますよ」のようなことを言っておく。ソニーのNEXだから、高感度は大丈夫だろう。
 それからしばらく、「展望室」と自席の往復繰り返す。線路近くには木が多くて遠くが見通せないところもあり、望遠レンズで景色を切り取る。75mmF1.8を持って来て良かった。列車は短いが、カーブで機関車と食堂車だけ切り取るのでも十分に迫力が出る。

 11:30頃、タルキートナ到着。乗客が少し増えるがここでも隣に人は来ない。食堂車が混まないうちに食事にしよう。着席して、ハンバーガーとコーヒーを注文する。コーヒーが先に来た。薄い。テーブルに備え付けの砂糖のコーナーは..と探したら砂糖はなくて甘味料だけで、適当に選んで入れたらへんな香りがして台無しになった。ハンバーガーは個人的な感想を言わせてもらうと、大失敗だった。ハンバーグに乗っているチーズが、青カビ系のものをドロドロにしたソースのようなもので、強烈に臭く、苦い。3分の1ほど残した。

 景色はどこも素晴らしい。マッキンリー(デナリ)は雲の中で見えなかった。圧巻はハリケーン・ガルチ、296フィート(75m)の高さの橋がある。ここでは結構な時間、停まった。夏だと十何両の列車がここを徐行しながら進むのだろう。後方の客車からそれを見るのも楽しそうだ。
 14:40ごろ、304マイル地点のブロード・パスはアラスカ山脈での最も低い場所だそうで、文字通り広々としていて峠には見えない。アメリカの山地は横に大きいのか、そういえばペルーのラ・ラヤ峠を思い出した。あそこも山の間の広い場所にあった。

 317マイル地点で15時だ。あと5時間もかかる。計算すると残りも50km/hくらいなので、予定通りのようだ。そういえばとさっき書いたペルー・レイルのクスコ・プーノ間、380kmを10時間つまり平均38km/h、それも上下左右に無茶苦茶揺れたのだが、ここアラスカ鉄道では、揺れはごく少なく、スムーズだ。さすがに石炭などを大量に運ぶだけあって、保線は素晴らしい。
 1時間ほど寝た。16:08にデナリパーク・デポを通過する。夏シーズンはデナリ国立公園の入口となり賑わう由。大きな三角屋根の駅舎というか待合所がいくつか並んでいる。デポといえば、フェアバンクスの駅もデポという。集積所みたいな感じがする。デナリ・デポを通ってすぐに、右側に多数のホテル・ロッジ群が現れた。今はほとんど灯りはない。
 ここから先は雪が少なくなり、岩山の連続だ。岩肌を削って線路を通している。そういえば、途中寝ていた箇所もあり断言出来ないが、今までトンネルが無かった。山間部でもそれなりに広さがあるのか、あるいは穴を掘るより斜面を豪快に削ってしまう方が楽なのか。景色は荒っぽく、凍結した川と岩の組み合わせもまた良し。
 16:55頃、アラスカ最大の炭鉱が見えた。貨物用の引込み線が炭鉱の方向に延びている。youtubeで見た、6重連の機関車が曳く長い貨物列車はここから出ているのだろうか。
 この時期の日没は15時半頃であるから、もう暗くなっている。景色はよく見えず、写真も撮れない。列車の速度が上がった。マイルポストが見えないので、どこにいるのか、定刻なのかは何とも言えないが、前に計算したあと、特段長い停車があったわけでもなし、問題はないのだろう。

 景色が見えないため、食堂車に籠りきりになる人も多い。前の席のインド人3人は3時間くらい居たのではなかろうか。ま、そういう長居が出来るほど、冬はガラ空きなのであろう。私は1人だし、食堂車でテーブルを独占もどうかと思うので自席でぼんやりしていた。まだまだ、2時間半もある..
 トイレに行くついでに「展望室」に行ってみるが、さすがにもう誰もいない。気温は-13℃くらいだが、走行の風で大変寒い。16秒の動画を撮ったら手の感覚がなくなった。もうしません。この時、386マイルポストが見えた。残り84マイル2時間半、平均53km/hで、今はもっと速度が出ているから定時到着は堅いだろう。
 と、11時間半もかかる列車に乗って何を細かく気にしているかというと、今回の旅行のための防寒着は日本で買ったが、靴はフェアバンクスで買う予定なのである。フェアバンクス着20時、大型スーパーのフレッド・マイヤーの営業時間は23時まで。3時間あれば大丈夫とは思うが、初めての訪問地では土地勘がないし、予測がつかないからだ。
 そうこうするうちに、予定到着時刻の15分前に「あと15分で到着します」とアナウンスが流れた。11時間半、楽しかったけれど最後はちょっと飽きたか。

 フェアバンクスでは機関車の写真が撮れるという話の通り、この駅は機関車のところまで長い通路があり、そこでカメラを構えることができた。通路が明確で他には行けないと思われるが、ご丁寧にも、機関車の上にも「関係者以外立ち入り禁止」の表示が出されていて、日本語も書いてある。過去によじ登った奴がいるのだろうか。なお、今回の列車では日本人は私だけであった。

 荷物を受け取り、ホテルに電話した。無料電話があって便利だ。すぐに迎えが来て驚くが「悪いが、満席なんだ。10-15分後にもう一度来るから待っててくれ」とのこと。そうか、先に予約した人たちが居たのだな。ならば早速、フェアバンクスの気温を体験しよう。だれも居なくなった駅前を歩く。雪の中に小石が混ざっており、滑り止めに撒いているようだ。冷気がしんしんと染み渡ってくる。木々は霧氷のようになっている。駅前の駐車場にはコンセントがあり、そこから車のエンジンヒーターに繋ぐようになっている。オイルが凍結すると始動できなくなるからだ。温度計は-15℃を指している。ネットで調べておいた統計値よりは高めのようである。

 10分少々で迎えが来た。すると、駅舎からささっと2人の人影が。先ほどの列車の、食堂車の女性職員と客室アナウンスをしていた男性職員だった。2人ともちょっと驚いた顔をした。そういえば、これから泊まるリージェンシー・フェアバンクスは駅に近いとどこかで見た気がする。だから鉄道職員が使うわけで、また、送迎車が行って戻って10分少々で戻るわけだ。車中、鉄道職員と運転手の会話が早口で全く理解できず。もっともこちらに話題を振られることもなかった。
 ホテルには5分くらいで着いた。なるほど近い。路面はツルツルで、他の車を見ても交差点で曲がる時ドリフトしたり、厳しい環境ではある。でも、送迎車の運転手は何食わぬ顔でスイスイ走っていた。ABSなど効く前にきちんと止まるし、強力なタイヤなのだろう。

 ホテルは3階建ての横に広い建物で、部屋は2階一番奥の201、ロビー前のエレベーターからはかなり遠い。スイートルームで、無駄に広くて、独りだと却って使いにくい。

 部屋のことはともかく、まずは耐寒靴だ。受付に行って、タクシーを呼んでもらう。8分後に来ると言われたが3分で来た。行き先はフレッド・マイヤーまでで、帰りも頼んだ。目的地はなんと駅までの道の途中にあった。近い。
 事前に情報は得ていたが、それでも巨大さに舌を巻いた。タクシーを待たせているから、売り場を探すのに時間がかかると焦る。結局、靴の売り場は入った出入口から最も遠い所にあった。いろいろあったが、手頃な値段でデザインも奇抜でないKamikというブランドの-40℃対応のものを買うことにした。アメリカのサイズは、偶然だが最近買って今履いている靴に並記されている。それを頼りに、1サイズ大きなものを箱から出して足を入れてみる。靴下の重ね履き想定で足先の余裕を持つためだ。よし、これでいい。
 他に、サンドイッチと寿司と飲み物を買って会計すると、靴はSale $74と箱にある値段が、なんと$44になった。これはありがたい。

 部屋に戻り、面白そうなので買ったレニネード(レーニンとレモネードの造語か)のビンを開けるために栓抜きを借りに行き、一つしかないからすぐ返してと言われてすぐ返しに行き、明日のツアー会社への距離を聞きに行き、と一体何度受付に行くんだ私は。
 それでさらに、靴のタグを切るためにハサミを借りるべきだったとうんざりして、試しにタグを引っ張ったらプラスチックの輪が簡単に壊れた。こうしてようやく、夕食である。ターキーサンドイッチと、スパイシーツナロール。寿司は確かにスパイシーだ。面白い。まあ邪道と言われるだろうが、これはこれでアリ。夜遅いこともあり、ご飯が硬くなっているのは仕方ない。ターキーの方は、量が多すぎて食べきれなかった。これだけでも十分だった。次回の参考にする。レニネードはオレンジ入りのレモネードのような炭酸。美味しい。

 明日のパッキングというか、荷物の分割をする。コールドフットの帰り、小型飛行機の手荷物重量制限が20ポンドなのである。むろん、カメラ、三脚含め。一応日本で計測してきているので極端にオーバーはしないだろうが、懸念事項ではある。最悪は、iPadを外す。残りはツアー会社の事務所で預かってくれるのだ。

 とりあえず、準備完了、寝よう。


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