99年9月中旬−9月下旬
第2次欧州旅行


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●第7日 99年9月22日(水) オスロ→コペンハーゲン→プラハ

 05:00起床。パッキングは済ませてある。酔った上に4時間睡眠なので、極めて眠い。朝食付きだが、当然こんな時刻には無理なので、そのままチェックアウト。外は、雨である。駅までは近いので傘もささずに歩いた。フリートーゲットのプラットフォームに近い入り口が閉まっているので、正面に回る。切符を買ってプラットフォームに出たら、乗る予定の10分前の06:35発の列車が音もなく発車して行った。時刻表示は昨日のエラーから復帰していた。3-5分遅れと出ているが、1分遅れで列車が来た。始発ではないので、けっこう混んでいる。何とか席は確保。雨中だが、列車は快適に進む。昨日と同様、22分で空港に到着した。

 今日はスカンジナヴィア航空でコペンハーゲン経由、プラハまで飛ぶ。チェックインカウンターでご丁オスロ空港寧にも同行者はいるかと問われ、別の列に居たSの窓口と何やらやりあっていたが、搭乗券を見たらバラバラの席だった。出国審査は、航空券だけ見て素通り。出国はどこも簡単か。売店でノルウェイ語−英語辞書を探すが、残念なことに英語版だけ売り切れ。オスロ市内で買っておけばと思うが後悔先に立たず。
 しばらく待って搭乗した。窓側の席を所望し29Fという席だったのだが、機材がMD-81で、エンジンの真横。窓の外はエンジンである。がっくり。冴えない一日の始まりである。仕方ないので寝ていようと思うが、国際線なので機内食が出る。パン、チーズ、ヨーグルト。あまり食欲なし。食べ終わってうつらうつらしていたらコペンハーゲンに着いていた。
 プラハ行きは10分遅れで、09:45発。機材はB737-600、小さな飛行機だがビジネスクラスとエコノミーに分かれていた。席は窓側ではなく、せっかく雨が上がったのだが景色は見られない。機内はぎっちり満席で、もちろん誰が悪いというわけでもないがまたまた不機嫌になってしまった。ここもまた食事が出て、初日のベルゲン行きと同じエビとハムのオープンサンドであった。これまた同じで、ハムがたべにくく、エビが美味しかった。飛んでみると、晴れていたのもつかの間、中部ヨーロッパは雲の下の様子。景色が見えないので、空港で買ったエアライナー・ワールドという雑誌を見ていた。全然知らない航空会社ばかりで面白い。特集はグリーンランドエアだった。
 食事のトレイを回収すると下降し始めた。本来、トイレに立ってもいけないはずなのに、機内は人が歩いてざわざわしている。雲の中、小さい飛行機なのでずいぶんと揺れた。チェコ上空はうす曇りで、家々の屋根が茶色一色なのが垣間見えた。

 プラハ空港は近代的で清潔であった。通路にトヨタ・レクサスが展示されていた。300万Kc(コルナ、プラハ空港およそ1Kc=3.3円)で、1000万円近い。この国で、こんなのに乗る人、いるのだろうか(と思ったがけっこういらっしゃった)。入国審査は一人一人じっくりとやっていた。しかし質問をするでもなく、パスポート番号で何やら検索しているだけである。それだけで手間取って、バゲッジクレイムに行くと我々のスーツケースは脇にどけられていた。早速両替をして、バス乗り場を探していたら、怪しげな人々からさかんに声がかかる。ぼったくりタクシーの呼び込みであろう。全て無視していたら、共和国広場まで行くミニバスというのか、ワゴンタクシーがいたので、これに乗る。これは相乗りで料金が固定(90Kc=300円弱)なので安心だ。しかし、運転は安心とは言いがたい。ものすごくぶっ飛ばすのだ。左に右に、進路をこじ開けながら。久しぶりに、乗り物酔いをした。
 共和国広場からホテルまではしばらく歩かなければならない。荷物が重いのと、石畳で運びにくいのと、日差しが強く、暑い。ホテルに着いて荷物を預かってもらおうかと話してみると、時刻は早いがチェックインできると言うので、荷物を部屋に入れた。あまりに荷物が重いので、前半に使ったガイドブック、本などを日本に送ってしまう事にした。いや、使ったというより、使わなかったというべきか。私は、あまりガイドブック片手に、歩かないのである。せいぜい、日本で予習するくらいだ。ともあれ、中央郵便局が近いので、Sが午睡する間、行ってみることにした。
 郵便局では、英語は全く通じず、表示も全てチェコ語。分かりにくいのだが何とかダンボールを購入、大きすぎて荷物がスカスカなのでまたやりとりして箱を変えて、梱包テープまで買って、大騒ぎであった。しかも、挙句に出す窓口はここじゃない、あそこの部屋に行ってアレコレ..非常に時間を食い、荷物抱えてロビイを歩いていたら警備員に写真は撮るなと言われ、あんた、この姿みて写真撮ると思うか?と反論しようにも面倒、郵便を出す部屋も長蛇の列で(なぜ、あの大きな郵便局に窓口が一つなのか、謎だ)、へとへとになってしまった。日本への郵送料は1000円弱で、重さのわりにこれは安いと思うが、現地の生活水準からすれば数千円の出費に相当するらしい。為替レートだけではどうも感覚が狂っていけない。

プラハ市内 ホテルに戻り、市内観光に出発。街は、陳腐な言い方だが、美術館のような重厚さにあふれている。ノルウェイは欧州にしては木造建築物が多く、石造りの街に比べて頻繁に建て替えざるを得ないのと異なり(第2次大戦の戦災もあった)、ここは古い建物が多い。初めてなので、何もかも新鮮である。人は多い。街が古いので、路地など狭いところが多く、余計に密度が高いようにも感じる。ノルウェイから来たせいもあろう。そして、自動車。これが、滅法荒っぽい。来たときのワゴンタクシーだけではなかった。横断歩道のところで立っていても、停まってくれる車は全くおらず、スピードも速い。これは、青信号でも気をつけていないとケガをしそうである。まあ、どこでも、自分の身は自分で守るのは当然であろうが、とにかく、ノルウェイとのギャップがありすぎて、楽しいというか、目が回りそうである。
 そんなことを思いながら歩いていたら、カメラの電池が切れた。ただし、いま持っているカメラはオリンパスのOM-3Ti、シャッターは機械式で、電池は露出計だけに使うため、撮影は続行できる。電池の予備は忘れてきてしまい、そのままカン露出で撮っていた。電池を調達しようにも、それができそうな商店が見当たらないのだ。コンビニなどという便利なものは、全くない。

 それで観光は、まず、最大の目的ともいえる、ドヴォルザ−ク博物館に行く。小交響曲第7番の自筆譜さいが展示は充実しドヴォルザークのヴィオラていた。自筆譜のコピイがたくさんあって、気に入った。以前、知人が訪ねたときは撮影禁止だったらしいが、今回、問題にはならなかった。もちろん、ストロボは不使用である。1階の中央にCDや楽譜を売るコーナーがあったが、特に買い物はせず。店番のお兄ちゃんはさすがに英語を解した。
 次に、地下鉄に乗りヴィシェフラドに行く。西日が暑い。しかし景観はすばらしく、堪能。ドヴォジャーク、スメタナ、アルフォンス・ミュシャ、ヤン・クベリーク(ラファエルの父?だったと思うが)の墓などを見て歩く。だんだん体調、特に消化器系の状態が悪くなってきた。突然暑くなったり、寒くなったり、どうもいけない。疲れと睡眠不足、あるいは悪いものを食べたか。ところがプラハの公衆便所は、チップトイレなので、小銭を持っていなければ入れなヴィシェフラドからい。トイレに行く度に、3Kc(10円)を払うのだ。このトイレ番の人も、一日ここにいるのはなかなか大変とは思うが..いや、実際は思うヒマもなく出入りを繰り返していた。なんといっても、小銭を出して薄暗いトイレで数えるのが面倒である。どんどん悪化し、食事は出来ず、ホテルのすぐ近くのマクドナルドでホットチョコレートを買って、それで夕食代わりとする。すぐに、寝てしまった。



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