04年9月下旬−10月上旬
第1次
(?) タンザニア旅行


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●第2日 04年9月23日(木) →ドバイ→ダルエスサラーム

 日本時間の6時頃目が覚める。いま機はムンバイ(ボンベイ)の北あたりを飛んでいて、ドバイ時間だと3時くらいだ。まだ陸地の上を飛んでいるはずだが外は何も見えない。時計をドバイ時間にしようと思ったら、時計を家に忘れてきたことに気付く。他に時刻変更が必要なものはと言うと、デジタルカメラである。オリンパスE-1を持ってきているのだ。これをドバイ時間にした。タンザニアに行くときはさらに1時間遅らせないといけないので少々面倒なのであるが、撮影時刻はイヴェントがいつあったかを思い出すのに有効だから、変えておく。4時前に(以降しばらくドバイ時間)朝食が出る。私は洋食にする。オムレツなのだが、塩味が足りない。Sは和食でサケである。和食にもパンがついてしまうのはおかしいのだが、トレイの上のセット(パンやデザート)はそのままで、メインの皿を和食か洋食かに切替えているだけなので、パンやデザートはもちろん、バターやチーズ、ナイフとフォークもそのまんまなのである。まあこれは仕方ない。そうでもしないと、多数の乗客がいるエコノミーでは食事が何時まで経っても終わらない。食事は塩味を除けばよいもので、クロワッサンが柔らかくて美味しかった。食事を終えて、初めて席を立った。7時間以上立たなかったわけで、ロングフライト症候群になる危険があるので、毎度次こそはちゃんと適度に立つぞと思うのだが、今回もずーっと座っていた。席の中でもぞもぞしては凝りをほぐしてはいたのだが。トイレがすぐ近くで、状態が簡単に分かるのはありがたい。その後はゲームをして過ごす。Reversi(オセロ)でSに大敗す。つまらんことだが悔しい。

ドバイ上空にて 0440、ドバイに着陸。予定より30分早かった。そういえば出発もちょっと早かったような気がする。ドバイを上空から見ると、フリーウェイがナトリウムランプで明々と照らされていて、家々は広く「リッチなイメージ」にぴったりはまっている。夜明け前なのでディテイルは分からなかった。工事中のところも多く、まだ発展し続けている様子だ。
 そして、ドバイ空港は不夜城の様相を呈しドバイ空港内ている。こんな時刻(朝5時前)でも閉まっている店など1軒もない。中央の免税店は大きく、商品も豊富である。100ドル払って買うくじがあって、それは1/5000の確率で高級車(現金もあるらしい)が当たるのだそうだ。その商品の高級車(メルセデスのEクラスやポルシェ)がそこらに置いてあって、全く、金持ちの発想は恐ろしい。でも、5000人が100ドル払えば高級ドバイ空港内車が買えることは確かだ。ところで免税店だが、電化製品などはそんなに安いとは思われず、その点日本での量販店価格と言うのはすごいと思う。それに付き合わされているメーカもたいへんだ。カメラ店もあって、なぜか中古のレンズもいくつかあるのだが(ハッセルブラッドがあるあたり、お金持ちの国らしい)、品揃えはバラバラで、売りたいのかどうかさっぱりだ。何せライカ用のエルマリートM135mmF2.8(拡大メガネ付きのやつ)がぽつんと1本置いてあったり、商品のカテ数字は何となく分かるがゴリー分けとか、全然考えてない様子だ。
 ここでKK君がキヤノンのIXUS L(日本ではイクシ)を購入。日本でvideoを借りようとしていたらしいが、借りられず、カメラも持ってきていないので現地調達というわけだ。保証書が中東限定というのが笑える。いい記念になるだろう。外箱も最初は捨てようとしていたようだが、これも記念に持ち帰るとのこと。価格は256MBのSDカードも追加して日本円で35000円前後だろうか。まあこんなものか。問題は、電池がないことである。デジタルカメラは(単三使用型を除く)、これがいけない。早速充電してますすぐ使えないのだ。そんなわけで、充電もしたいしどこかで休憩するか、と近くのアイリッシュ・パブ(なぜドバイでアイリッシュなのかは謎)に入る。なるべくコンセントがありそうな部屋の隅のテーブルに座りたいと思ってウロウロしていたら、店員がこっちに来いと案内してくれて、そこは外が見える特等席で、しかもコンセントがすぐ近くに!これはありがたい。KK君は早速充電を始める。これは日本でも一時期問題になった「盗電」ではないか..しかし自販機の電源を抜いて充電していたなんていうケースとは異なるからいいだ朝6時から飲む!ろう!ということにしておこう。早速ビールで乾杯。朝6時だから日本にいるときならこれはとんでもないことだけど、何せ時差ボケで時間の感覚が狂っているからいつビールを飲んでいるかは関係ないのである(日本時間では昼の12時、やっぱりとんでもない(笑))。ソーセージのセットを頼んでいるがこれが一向に来なくて、ビールのアルコールが回るのが速い。入店してから1時間くらいして来た。他のオーダと間違われたか。とは言えソーセージが来てこれで一層テンションがアップし、話がはずんだ。YM君が東アフリカの動物図鑑を持参していて、タンザニアの動物の名前をスワヒリ語または英語で覚えておかないと、と付け焼刃で学習するのだが、なかなか覚えられなかった。

 0715時に会計して16番ゲートに向かう。客は多く、待合室はいっぱいだ。客は日本からの便とは明らかに異なっていて、当然だがアフリカ系の人が増えた。京都大に留学していたというタンザニア人がいた。関空からエミレーツを使うと高いので、インド航空で香港経由で来たという。インド航空は確かに安いのだが、時間はかかったろう。それでも疲れたような表情はなく、理知的な人のように見えた。タンザニアに帰国後は職探しをするそうだが、エリート層なんだろうなこういう人は。どういう方面に進まれるのかまでは聞かなかった。搭乗開始となる。機材はA340-300で日本から来たものと同じタイプなのだが、雑誌ラックに日本の雑誌があるところを見ると、日本からの便がそのままダルエスサラーム行きになったのではないかと思う。途中ナイロビ(ケニア)に一度降りるのだが、そこまででも4時間半もかかる。ナイロビでの客入れ替え時間も含めて、ダルエスサラームドバイ上空までは7時間ちょっとドバイ上空にてかかるのだ。まだまだ先は長い。座席は、日本からの時から3列ほど下がったがほとんど同じような位置だ。機の右側(即ち西側)で、直射日光が当たらないのはありがたい。コースの予想では、キリマンジャロが見えるかも知れないと期待が高まる。しばらく離陸前で待たされた。空港は混んでいる。一つ前は個人用と見られる小さなジェット機であった。飛び立つと、ドバイの様子が先ほどよりはよく見えた。郊外は、家々が離れていてその間を砂が埋めているように見える。大きな道路は砂が取り除かれていて、黒い直線となって縦横に走っている。
 ほどなく、砂漠の上に出る。砂漠とは言っても、思ったより起伏があって面白い。10時前に食事が配られる。朝食らしい。Sがトマトのミルフィーユ、私はパンケーキにする。パンケーキにさらにパンがついているので炭水化物だらけでくどい気がするが、クリームチーズが美味しくて、パンもすっかり食べてしまった。明らかに食べ過ぎである。飛行機の移動はこれが怖い。食べなければいいだけなのだが、ついもらって、つい写真を撮って、つい食べてしまうのである。
 食事のころ、明るい外の景色に皆の興味が行って、しばらく景観について話が弾んだ。砂漠や山地には人跡が全く見られず、広大である。こういう景色はシベリアもそうだけど、見ていて飽きない。食後、トレイを片付けたところで窓際席をSに譲る。何せ体の大きい私が窓際に座っていると窓ばかり見ていてSのところからは外が見えないのである。ここでしばらく眠った。予想では紅海を横切るかと思っていたのだがそれより南を通って、アフリカ大陸に到達した。土が赤い色に変わった。川があり、緑がちょぼちょぼと生えている。乾季なので川には水がなく、川の跡という方が正しいようだ。緑があるところには集落も見えるが、人口密度は極端に少ないように思われた。あの集落からは周りがどう見えるのだろう。1307時、赤道を通過した。ここから南半球だ。ナイロビまでは59分と航路図に出ている。外は畑が増えた。だんだん下降しているが雲が多くて揺れる。ナイロビ時間(タンザニアも同じ)に合わせて時計を1時間戻した。
アフリカ大陸に到達 赤い大地 水のある川もあるが わずかに黄色に変わって来た

 1235ごろにナイロビ空港に着陸。ナイロビは大都会だと聞いたが、我々の側からは市街を望むことはできなかった。空港の周りは何もなく、仕切りも低い。まあ周りに何もないので、襲撃する人がいてもすぐ分かってしまう。これはこれで守りやすいのかも知れない。さて、ここで終点の人は降りて行く。ダルエスサラームへの客はすることがなく、座っているのにも飽きてただ立ち尽くしていた。
 1335時にナイロビを離陸した。ナイロビで乗ってくる人はほとんどいない。それもそうで、ナイロビ〜ダルエスサラーム間は地元の航空会社の方が便数も多く、わざわざ遠くから飛んできて機内がゴミだらけになっている飛行機に乗る必要はない。
 ダルエスサラームまでの飛行時間は1時間で、そんなに離れていない。天気は曇りで、機はかなり揺れた。外が見えないのでつまらない。この便、1時間の飛行だが、国際線であるので食事が出る。時刻からすると昼食か。サンドイッチで、クリームチーズとスモークチキンの2つ。デザートは果物をサイコロ形状に切ったものの盛り合わせ。スイカがあるのが意外な感じもするが、その後もけっこう見かけたので、ポピュラーな食べ物のようだ。クリームチーズはハーブ入りで香ばしくて美味しい。スモークチキンも柔らかく、オレンジが挟んであるが甘味との対比が新鮮だった。
 1355ごろ、キリマンジャロが右方に見える。機内アナウンスでもその旨を告げる。雲が多くて頂上がちょっと顔を出しているだけだが、記念に写真を撮っておいた。外を眺めていたら、食事を下げられてしまった。短いフライトは有無を言わせない。1430ごろ、ダルエスサラームに向けて降下し始めた。ここも雲が多く、揺れた。
赤道を越える キリマンジャロ ダルエスサラーム近く ダルエスサラーム郊外

 空港の待合室は冷房がないようで、窓が開いている。ムッとした熱気を予想していたが適度に風が入るようで、案外何とかなる気温に感じられた。パスコントロールは空港の1F(GFと書くべきか。グラウンド・フロア)で、狭い。パスコントロールはスワヒリ語ではUdhibiti pasiと書くようだ。右側にヴィザ発給の窓口もあり、ここでも取れるようだが長蛇の列である。入国審査はタンザニア人、東アフリカ諸国在住者、その他、外交官という風に別れていて、それぞれ2-3列ある。よく見ないと列がどこに繋がっているのか分からない。Sが、明らかにガラガラの外交官用の窓口を見てあそこがいいと言うのだが、アホか、ありゃ外交官用だと一蹴する。と、知ったようなことを言っていたのだが私の並んでいる列は長かったのか、時間がかかる係に当たったのか、一人だけ余計に時間が掛かって入国した。係の人は何にも質問せず、スキャナでパスポートを読み、名前を入力して何かのデータベースに照合をかけているようであった。
レート表 荷物はターンテーブルから下りていて、たくさんそこらに転がされており、少し汚れたが気にしない沿道の人たちことにする。今回、この旅行用にリュックタイプのものを買ったのだ。軽くて、たくさん入る。税関を素通りして外に出ると、ウタリィのアイカさん(女性)が迎えに来てくれていた。今日泊まるダルエスサラームのホテルは私が予約したので、ウタリィに送迎する義務はないのだが、ご好意に甘えた形になる。車に向かう前に、タンザニアシリング(Tsh)に両替する。1万円が9万シリングになるので、(現地としては)高額紙幣だらけになってこれは使いにくい。どこかでさらに細かく両替しなければ。さて、ウタリィの車は日本製の1boxヴァンで、こう言ってはなんだがボロである。道路を走っている車は日本製が圧倒的に多い。英国統治下にあったので、左側通行で、比較的早期に車を手放す日本から中古車を買うのが安上がりで長持ちなのだろう。バブルの頃にバカ売れしたトヨタ・マークIIが人温水プール完備気のようで、たくさん走っている。それだけ日本でも出たんだな、と10年ほど前の日本を思い出し感慨深い。それはともかく、なんともひどい交通マナーである。皆、ぶっ飛ばしており、人はクラクションでどかせている。車の流れが悪くなると、沿道から物売りが押し寄せてくる。道端にも何やら商品を並べて(あるいは何もせず)座っている人が多い。職がないのか、あるいはこれが職なのか。食べ物や飲み物はともかく、ラジカセの部品やACアダプターなんぞを裸のままぶらぶら束ねて持ち歩き、売っている人がいるのだが売れるとはあまり思えない。

 16時ごろ、ピーコックホテル着。明日の朝は飛行機が1時間前のチェックインを要求しているので、7時に迎えに来る、と言ってアイカさんは帰って行った。このホテル、米国の旅行サイトで予約したものである。ダルエスサラームのホテルはけっこう混んでいて、なかなか6人まとめて予約できなかったのだが、着いてみるとそんなに混んでいる様子でもない。不思議だ。改装中らしくて、所々工事用の道具などが置いてあるのが見られるが、内装は立派で、中級ホテルと分類されているが現地人にしてみれば十分に高額なホテルである。現地の人は5000シリング(つまり600円)ほどの宿に泊まったりするらしいが、ここは$50だから10倍以上もするわけだ。最初は現地通貨の感覚がよく分からず、ギャップを感じる。そのうち慣れるだろう。部屋は318号室、ダブルの部屋で広いがバスタブはなくてシャワーである。ドアのニスが、塗っている途中で止めちゃったのか、ムラになっているのが気になる。部屋からはホテル前の通りが見え、向かい側は公園である。そのさらに向こうにはアパート群があって現地の人が暮らしているというところ。市の中心部からはちょっと外れにあるようだ。ホテルは古いホテルを買い取って改修したのか、建物の外側にもうひとつガラスの壁のようなものをつけてある。盗難対策にはなるかも知れないが、空気が流れないので一長一短である(エアコンは完備)。
 市内を歩いてみようということでGFに下りる。ホテルの裏手に回って市内の方向に歩いてみる。人が多い。道路は凸凹で水溜りが多数あり、車が無茶をして通過するから非常に危ない。YM君が写真を撮ろうとしたら群集からノー、ノーと声が上がる。タンザニアは中東に比べるとイスラム人口は少ないが、やはり写真は好まれない様子だ。私は大きくて目立つE-1を持っているがとても出せる雰囲気でなく(そもそも、大きなカメラは引ったくりに遭うと聞いていたので)、小型のライカCLを持って歩いた。しかし街中を何のためにこれだけの人が屯しているのか分からない。買い物をしているようでもなく、商売をしているでもなく..経済が自由化されてから(元は社会主義国)貧富の差が広がっていると聞いていたが、職がないのだろうか。
 通りには土産物屋などがあって中古の地図(そこらで拾ったような折れ曲がったもの)を売っていたが、値段を聞くと10ドルなどと法外なことを言う。じゃあいくらなら買うんだと言うので半分のつもりが間違って500シリングと言ってしまったら、さすがに呆れていた。そりゃそうだ、これでは60円である。まあそれでめでたく押し付けられそうなところを逃れた。ところで、タンザニアでは両替所でなくとも$1=Tsh1000というレートが通用している。実際にはドルの方が若干強いような気もするが。
ホテル前の通り おしゃれなデザインの建物も多い ヘンな木 防犯のためか こう見ると熱帯らしい

 この一角にコーヒー売りがいたようで、町の人が小さなお猪口のようなカップでコーヒーを飲んでいる。欲しそうにしていたの結婚式がが分かったようで、飲みたいのか、そこらにいるだろ、おーい、と呼んでくれて、少年がやってきた。1杯10シリング、わずか1円だ。Sはカフェインが苦手でコーヒーが飲めないので5人分と言うのだが、まあいいだろ、遠慮するなよみたいな感じで、6人分を押し付けられてしまった。エスプレッソのような、非常に濃く、香ばしく美味しいコーヒーであった。お猪口は使いまわしなのであんまり清潔ではないが、常に暖めているからまあ何とか大丈夫だろうと自身に言い聞かせた。
 次に建設中の建物も多い海の方向に向かう。ここダルエスサラームから、海の観光地ザンジバル島へいろいろなフェリーや渡し舟が出ていて、それらの呼び込みがいる。我々はこれから内陸に向かうので用は無い。ここの沿道にも物売りがたくさんいる。水を買ったら1リッターで1000シリング、100円だからいいか、とつい買ってしまったが値切るべきだったろう。その近くにはラジオや時計を売っている店がある。明らかに偽物なのだが、というのもブランド銘が"SONNY"とか..あまりに面白いので買ってもよかったが荷物になるのでやめた。海には遺棄された大型船などもあって港内はあまりきれいな感じはしない。その遺棄船に人影が見えたので、こういうところに住んでいる人もいるらしい。

 そろそろ日が暮れる。市街は街灯が少なく、暗くなると怖い雰囲気だ。魚市場まで歩くつもりだったがどうも遠いらしいので、そろそろ夕食にする。MY君持参のガイドブックを頼りに、オープンハウスというインド・中華料理店に入った。ローカルのビールを、と言うとけっこうな種類が
ある。その中でサファリ・ラガー、キリマンジャロ、タスカを注文した。よく冷えていて、空腹にしみた。サファリは濃い味、キリマンジャロは薄くてあっさり、タスカはすっきりしていて日本人にも飲みやすいかも知れない。タスカは来歴が面白い。Tuskerは牙のある動物、の意味だが、創業者の一人が象に殺されたことが名前の由来だというのだ。本当だろうか。料理は中華系から前菜、メインをインドにして注文したが、どちらかというとインド料理のほうが得意なのか、カレー系はどれも美味しかった。6人分、たらふく食べて52000シリングで、1人あたり1000円もしない。しかもこれは付加価値税(VAT)20%を含むのだから物価の違いには改めて驚かされた。
やっぱり飲んでいる 中華を前菜に カレーがうまい!

 店を出たらもうすっかり夜で、街は暗い。店が多くあるところを選んで歩かないと足元もよく見えない状態であった。途中、スヌーピーアイスクリームという店に寄ってみた。スヌーピーはパクリのイラストで、全然似ていない。それどころか色使いが不気味で怖いスヌーピーであった。店内にはミッキーマウスのイラストもあったが、これも同様全く似ていなかった。400シリングでオレンジバーを購入、合成着色料いっぱい(?)のどぎつい色のアイスだった。味はそれなり。
 ホテルに戻り、モーニングコールをお願いして部屋に。今日は一日が長かった。2330時ごろ就寝。
スヌーピー?? 電線がすごいことに タンザニアの紙幣


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