04年9月下旬−10月上旬
第1次(?) タンザニア旅行
●第7日 04年9月28日(火) マニャラ→アルーシャ→ダルエスサラーム→ザンジバル
モーニングコール(といってもノックだが)前に目が覚めた。良く眠れたとは思うが疲れは残っている。朝のマニャラ湖を撮影し、準備をして部屋を出たら、ポーターが待っていた。ひょっとするとさっきのノックはこの人か。朝食はビュッフェ形式で、自分で選べるのはありがたい。パッションジュースが美味しくて、おかわりをした。昨日の喉の渇きが未だ続いているように思われた。
0715時にサイディ君が来る。ランチボックスを取ってこいという。飛行場に10時に来いとボスに言われているそうで、少し焦り気味の様子だが、それならランチボックスは要らないのではないかと思う。とりあえず食堂に取って返して、ボックスをもらってくる。20分後に出発した。昨日登った峠道をまた降りて、麓の街で店に寄る。Sがカンガを買う。2枚でいくらだったか、タンザニア製と中国製があってタンザニア製の方が高級で高いのだ、と店の人はいう。値段は観光客向けの吹っかけ価格だから当然交渉が必要で、それをしているうちに集合時間を過ぎてしまった。Sはこういう買い物が好きで、交渉も得意なようだが、調子に乗って同行の皆様に迷惑をかけてはいけない。急いで戻る。
あとはアルーシャに向けてODA道路を100-110km/hでひた走る。地元の人たちはただ歩いているか、トラックの荷台に乗せてもらって移動している人が多い。自家用、という人はほとんどいないように思われた。マクユニで左折。ここでODAは終わり。途端に道路からゴーッという音がし始める。舗装が荒くなったのだ。速度も少し下がる。3日目にも書いたが、やはり幹線道路の方が狭くて舗装が悪いというのはどうにもバランスがよくないように思われた。いろいろあるのだろうが、せめてアルーシャくらいまでは続けば、と思う。この道路のある街で、サイディ君があそこでマサイの市をやっているよ教えてくれる。物々交換や観光客から得た現金を使っての売買が行われるらしい。市場、といっても露天で、何となく人が集まって取引をしている、というくらいの規模である。撮影のためにそれとなく速度を落としてくれた。こういう気遣いは有難く活用せねばなるまい。何枚か撮影した。
0945時にアルーシャ空港に到着。10時までにはまだ間がある。サイディ君のボスも来ていない。KK君が我々一人あたり2ドル、合計で12ドルをチップとして渡す。足りない、という。相場は客1人、1日あたり5ドルなのだという。それでは5日間で150ドル?それは行き過ぎではなかろうか。それはもう立派に「報酬」という領域になってはいまいか。報酬は彼のボスが払っているはずだし、それが多いか少ないかは我々が知るところではない。昨日のマニャラ湖入場中止をウォーキングに振り替えた差額も彼の懐に入っているわけだし、今日のランチボックスだってたぶん彼のここ数日のおやつになるのだろうし、調子に乗りすぎかと思う。結局、倍額の25ドルにして決着。サイディ君としても、ボスに今のシーンを見られたくないという理由か、それほどぶつくさは言わなかった。
10時過ぎにボス到着。眼光鋭く、軍人のようないかにもやり手のおじさんである。このボスから航空券を受け取る。なんと、11時の飛行機である。ウタリィからは1430と聞いていたので驚く。まあ、ザンジバルでの時間が多くなったわけだからむしろ歓迎だ。航空券も持って、空港に向かい、チェックインをする。手書きでチェックするだけ。だれが来たかなんて全くチェックしていない。せいぜい人数のカウントしかしていない。いいかげんなものである。当然、座席の指定なぞなく、フリーである。時刻表自体がホワイトボードにペンの手書きだし、間違うほど飛行機が飛んでいないということか。
待合室は狭くて暗い。ローカル線の駅の待合室といった趣で、天井のランプがボール型蛍光灯になっているのがいま風ではあるが。絵葉書を書いて出す。狭い待合室なのでお客もここにはほとんどおらず、外でそれぞれ待っている。ぼんやりしていたら、搭乗に出遅れてしまい、飛行機に入ったところ窓側が空いていなかった。となると機内外のことに急速に興味が失せてしまう。眠気が襲って来た。離陸したが曇りで、窓も汚れていて外はあまりよく見えない。機内食は行きと同じ、サンドイッチとジュースであった。ファンタのパッションオレンジをもらう。これがけっこう美味しかった。後はずっと寝ていた。
気付いたらザンジバル上空にいた。高度が下がり始める。今まで退屈し切っていた乗客にも動きが出始める。海岸線、島々の様子が少し見える。美しい。若干もやっているのと、窓が元々汚いので景色が十分に見えないが、エメラルド色の海は遠くから見てもきれいで、これは海好きにはたまらない風景だろう。着陸する。空港のコンクリートの地面がまぶしい。ターミナルまで少し歩くと、むっとする熱気で、北部の高地とのギャップが大きいことに驚く。空港内は少し冷房が効いていた。ここ、ザンジバル島は元々別の国でタンザニア連合共和国という名称の通り、ザンジバルにも政府があり強い自治権を持っていて一応入国審査もある、と聞いてきたから楽しみである。ところが、行ってみると入国審査のブースはあるものの、事実上チェックはしておらず、そのまま通り過ぎてしまった。これではつまらない。せっかくだからパスポートにザンジバルのスタンプを増やしたい、と平和ボケな我々は思うわけである。そこでMY君を先頭にそれを申し出てみると、係官は笑顔でそれに応じてくれた。
荷物を受け取り、外に出る。国際空港という名前ではあるが空港前のスペースはあまりなく、目の前が小さな駐車場、その向こうはもう道路だ。既に迎えの人が来ていて、車に案内される。日本の1boxワゴンの中古車なのだが、これが傑作なことに「高齢者送迎中」とデカデカと表示されているのである。前身は介護サーヴィス業の車か。これには皆大笑いをした。車内は表示には似つかわしくなくエアコンも不作動で蒸し暑く、窓を開けて走っていた。市内まではすぐで、ホテルにはほどなく着いた。テンボハウス(象の館、とでも訳すか)は高級なところで、ビーチに面し中庭にはプールがあって、それをコの字形に囲む建物は古めかしい内装、調度で揃えてこぎれいに清掃されている。とりあえず荷物を置いて、下で迎えの人からツアーの紹介をされる。その場で即決はあまり上策ではなかろう、ということで今日はフリー、何かあれば明日連絡するということにして帰っていただいた。ドルフィンを見るツアーなんてなかなか面白そうだが、値段もそれなりにするので考えどころだ。
ホテルを出て市内を歩く。まずは昼食ということで、近くのイタリアンレストランに入る。私はカラマリとエビの料理、Sはタコにする。皆それぞれ違うものを注文して、テーブルは色とりどりの料理が並び壮観。私の選んだ料理はバジルが入っていて香ばしく仕上がっていて実に美味しい。海に面しているから魚介類が美味しいはずで、この選択は正解であった。他の皆も美味しいと言っていた。南アのビールもライトで昼間から飲むのに丁度よかった。
食後、6人で街中を歩くが、途中で2人単位に別れる。ストーンタウンでは人の写真は嫌われる(ザンジバルではほとんどがイスラム教徒)と聞いていたので、極力風景の一部、という撮り方を心がける。狭い路地がほとんどで、そこを車や自転車も通るので周囲に注意して歩かねばならない。それにしても、どこを歩いても味のある美しいところである。
途中で土産物屋にいくつか寄ってみる。実家へのお土産、披露宴でお世話になったA君へのお土産などを買った。外にでたところで現地人もポン引きにつかまり、これがついて来て歩くことになってしまう。この人、非常に熱心でいい人なんだが後で不快な目に遭うとは、もちろんこのとき知る由もない。路上でバナナの葉の切り絵を買って、これも家への土産にする。怪しげな路地を通って、奴隷市場跡まで行く。入場料1000シリングを払う。アフリカ各地から集められた奴隷が、ザンジバル島で競りにかけられて世界へと売られて行ったのだ。当時の奴隷の収容室を見学。狭くて、数十人を閉じ込めて糞尿もそのままで、と想像を絶する環境であった。牢屋というのか、倉庫といえばいいのか、とにかく人が入る部屋という概念では説明できないところであった。今はこの上に教会が建てられていて、2F以上は宿泊所になっている。隣にカテドラルがあってこれがかなり大きくて中もきれいであった。ドアがしっかりザンジバルドアなのが当地らしいところだ。その裏庭に奴隷の像があって、当時奴隷をつないでいた鎖もそこに展示されていた。海沿いの地ということもあって既に風化が激しく、これはいずれなくなってしまうことだろうが、奴隷売買という事実が風化しないように今後も手入れされて欲しいものである。
さて、疲れたのでホテルに戻ることにする。そもそも自由に回るために6人から2人に別れたはずなのに、このポン引きが一緒にいるのは本来の目的に反する。いろいろしゃべってくれて面白いことは面白いのだが。で、ホテル付近に来たところでガイド料を請求された。そら、来た。こんなこったろうとは思ったが、普段は20ドルのところをまけてやるとは法外な。こんなやつでも話が面白いからつい聞いてしまうのが間抜けだったのだが、とにかく振り切ってホテルに戻った。人にたかるだけで生活するやつは嫌いだ。
部屋は人が入ったようで、蚊帳が下りていた。もちろん蚊が入り込まないために配慮してくれているのだが、チェックイン後に人が入るのは若干気に入らない。日本式の旅館で寝具を用意するのと同じと言えばそうだが。蚊取り線香を焚いておく。エアコンはサンヨー製の窓につけるタイプが設置されているが、音ばかり大きくてあんまり冷えないようだ。とりあえずつけっ放しにして夕食に出てしまおう。6人で近くの中華料理屋に行く。イスラムが多いので、酒がどこでも飲めるとは限らないのであって、それはこの飲む連中にとっては大きな問題なのである。で、飲める店を選ぶのである。料理はいろんな種類のをたくさん頼む。餃子、鳥とカシューナッツ炒め、エビ焼きそば、マーボ豆腐(マーポ豆腐と書いてあった)、白飯。飲み物は皆ビール、私はソーダ。皆が酒を飲むのに合わせて、スプライト、ファンタ(パッション)、ビターレモンソーダと、立て続けに飲んだ。喉が渇いて仕方ないのだ。というのも、マーポ豆腐がめっぽう辛い。あの四川料理の辛さではなく、豆腐にコショウが真っ黒になるまでかかっているという料理で、まずくはないけどとにかく辛い。白ご飯がありがたかった。カシューナッツ炒めはその文字に反してピーナツも入っていた。これと焼きそばは我々の口によく合った。調子に乗って第2弾まで注文する。チャーハン、クリスピーエビ(唐揚げ)、ナスの味噌炒め、これはもうちょっと食べて降参。腹いっぱいであった。
食後に、フェロダニ公園の周辺を散策した。たくさんの屋台が出ていて、日本で言う串焼きの類(魚介類や肉)、お好み焼きのようなもの、その他いろいろ売っている。食品以外もたくさんあった。公園は真っ暗で、各露店のカンテラや電灯の明かりだけが頼りで、手荷物や懐中にはちょっと注意が必要だ。真っ暗で目立たないと思って1枚撮ったが、ひったくりに遭うのもいやなのですぐにカメラはカバンにしまった。
帰って、日記をつけるつもりが眠り込んでしまった。何時に寝たか、覚えていない。
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