04年9月下旬−10月上旬
第1次(?) タンザニア旅行
●第6日 04年9月27日(月) セレンゲティ(ロボ)→マニャラ
6時15分前に起きた。眠いが、昨夜も早めに寝たので案外すっきりしている。ここに来て、健康的なサイクルで寝起きしている。日本では遅寝遅起、みたいなパターンであり、良くないとは分かっていてもなかなか脱却できないのだ。結婚を機に少し時間を早い方にずらしたいと思う。さて、ロッジ脇の岩山に登って朝焼けでも撮影しようかと思ったら曇っていた。帰り際にちょっとだけ赤くなったが大した風景ではなく、残念。
朝食は、昨晩MY君が全員スパニッシュオムレツで出してくれ、と頼んでおいてくれたのだがあまり準備がよろしくなく、遅れてサーヴされた。それでも規定の朝食時間より前だから文句を言っても仕方ない。さっさと食べる。昨日から来た9人組の人たちも早めの朝食を取っている。遠くまで行くのだろうか。我々はこれからマニャラ湖まで285kmの長旅である。荷物は既にまとめてあって食堂の下の喫茶コーナーのようなところに置いてあるので、すぐに出かけられる。受付にあったノートに一言ずつ記入する。考えて見るがあまりたいしたことは書けない。過去の宿泊客の書き込みには絵まで描いた凝ったものもあり、感心する。テントの間を動物(シマウマか?)が歩いている図まであってそんな事態になったのか、あるいは想像か。見ていて楽しく、私などもぱっと思いつきで気の利いたことが書けるようになりたいものだと思う。
7時の予定だったが10分遅れで出発。急ぎたいのではあるが、帰りもいろんな動物と遭遇するので、都度停まる事になる。そもそも、ここで急いで何になるのだ。動物保護区ではヘッドライト点灯禁止だからとりあえずンゴロンゴロのゲートを夕方までに出られれば問題はないのである。そう思えば風景も余裕をもって楽しむことができる。
ロボに居た間にけっこうな量の雨が降ったので、行きとは趣が変わって新鮮である。特に川は全く様子が変わっていて、ワニが出現していた。乾いているときはどこに潜んでいるのだろう。かなり走って、カバ池に到着。近くにライオンがいるらしい、という話でそちらに向かったら、途中、ぬかるみに嵌って動けない1boxワゴン車を発見。ワゴン車はハイエースのような普通の乗用車タイプで、4輪駆動ではあるが最低地上高が低いから、大きな水溜りでお腹がつかえて動けなくなってしまったのだ。サイディ君はワゴン車からワイヤを出してもらい、ランドローヴァーに繋ぎ、差動器をロックしてスーパーロウモードで引っ張る。相当な距離を走って、ここなら安全というところで停車。無事ぬかるみから脱出させた。6人が乗った、軽くはないワゴン車を引っ張って泥の中を走るとは、ランドローヴァーの踏破能力はすばらしい。と同時に、たとえ乗り降りが楽で安上がりとはいえ、1boxワゴンでサファリをするのは危ないと感じた。次回旅行をするときは1boxはダメ、と念を押さねばなるまい。
そんなぬかるみもあるが、直線はほとんどの箇所で快適である。何故なら、雨が降って道が湿っているので、ホコリが舞い上がらないからである。途中で長距離バスとすれ違う。満員の乗客を乗せている。あの大きなバスも、行きにトラックが横転していたあの狭くて危ない道路を下ってきたのかと思うと何だか空恐ろしい。1130時ごろ、セレンゲティのゲートをくぐり、一路ンゴロンゴロへ。途中渡河があった。道路が川で寸断されていたのだ。しかし全く普通に川を乗り切って、トラックが横転していたところも過ぎて、クレータリムにたどり着いた。2箇所ほどで写真のために停まってくれた。12時を過ぎたところで、太陽がほぼ真上にある。どの方向を見ても、逆光でも順光でもないというのは不思議な感覚だ。いや厳密には、数度傾いているのだが。ンゴロンゴロクレータの付近では昨日雨はなかったようで、ホコリが多く、遠景は霞んでいた。
クレータから降りて、ンゴロンゴロのゲートを抜けるとODA道路が現れる。長い間砂利道だったから快適ではあるが、どうも周囲に比べて立派過ぎて釣り合いが取れないというか、まあ何十年後を見据えてやっているのならこれもいいのだろうが。途中、2軒の土産物屋に寄る。これまた例によって、沿道の方とサイディ君との関係維持のためにとりあえず店の中に入って何も買わない、を繰り返した。YM君が店員にしつこく絡まれていたので、余計なお世話と思いつつ救出する。見ると、品物を強引に渡して金を出せ、という。YM君が要らない、というのを言葉が通じない振りをして聞き入れない。こういうのは商売とは言えまい。いかに経済水準が違っても、こんな関係はお互い面白くないと思うのだ。ちょっと不愉快になった。こういう店を紹介するとサイディ君自身の信頼にも響くと思う。
街の写真をいくつか並べておこう。道路を走っていると、突然街が現れる。どこも低層の建物しかないのだが、土地はふんだんにあるから低層でもいいのかな、とつい納得してしまう。
土産物屋の1軒で、昼食となった。昼はとっくに過ぎているのでさすがに空腹である。休憩所のような建物があって、屋根と、木の枝で組んだ透け透けの壁だけのものだが、これがなんとも涼しくて良い。ンゴロンゴロほどではないがここも標高が高くて、かつ乾燥しているから、風が涼しいのだ。ランチボックスを開ける前に私は足元を記念撮影しておく。ランプシェードにかけていた靴下が見事に焦げてしまったのである。皆でそれを笑っていたのだが、まあ本当はよくないことで、火事にでもなったら大変だ。次の旅行ではこんなことをしないように自戒する。
マニャラ湖へ降りる峠道で、サイディ君がマニャラ湖巡りをやめて、ウォーキングサファリをしないか、と言う。事前の調査でもマニャラ湖はあまり動物の種類が多くはないと聞いていたし、サイディ君もそう言うので、それを採用することにする。ずっと車に乗っていて皆も変化を求めていたのだろう。そのウォーキングというのは、峠の麓の村から裏山へと歩く企画であった。この村は元マサイ族だということで、通りに面したところの家々はタンザニアの普通の町だが、裏道に入ると土壁茅葺きのマサイの家である。国立公園内にあるような背が低く丸い家ではないが、同じ起源を思わせる建物が多い。裏道をしばらく走って、そこで現地のガイド(男女2人)に引き継がれる。2人とも英語は達者で、説明は分かりやすい。MY君が得意の英語で教育やインフラ整備の話をしている。なんだかすごいウォーキングになった。ここはセレンゲティやンゴロンゴロに比べて低地だから気温が一気に上がって、汗が噴出し服がびしょ濡れになった。村の主産業は農業で、バナナ畑が多い。バナナにもいろいろあって、通常の緑の(日本では黄色い)バナナ、赤いバナナ、ビール材料用のバナナなどがあるという。バナナが林になっていてその下は少しひんやりとしているが、休憩すると蚊が寄ってくる。黄熱病の予防接種はしたがマラリアは予防ができないのでぼんやりしてはいられない。そもそも、ガイドの2人はいくら歩いても平気で、ハァハァ言っているのは我々だけである。日ごろの運動不足を痛感する。時々通りがかる村人たちは歩いたり自転車に乗ったりして山のような量のバナナを担いでいた。そんな状態でもわりと愛想がよく、ジャンボ(こんにちは)にはハバリ(ようこそ)、マンボ(調子はどう?)にはポア(クール!)、と挨拶を返してくる。
灰のように細かい砂地があって、そこを抜けると眼前に水田が広がった。これにはちょっと感動する。まったく日本の田舎そのものではないか。緑がたいへん濃いのと、9月なのにまだ丈が短いのは日本の感覚とは異なるが、二期作をしているそうで、季節の寒暖差が少ないことを実感する。途中から子供が1人先頭に立つ。山道は子供のほうが詳しいのだそうだ。その山道だが、途中からけっこう険しくなって、立派な登山状態である。靴は運動靴を履いているものの、カバンは肩掛けだからバランスがよくないし、方々に引っかかって甚だ具合がよくない。これだけでも精神的にへとへとになってしまった。それで、結局水源の滝(最初、目的地と聞いていたが)には到達できず、それが見える場所にも行けず、途中で別ルートを取って村に戻ってきた。この別ルートというのが傑作で、見知らぬ家の庭を突っ切ったりして庭先で何か作業中のおやじに睨まれたりした。子供たちがウワサを聞きつけたのか、歓声を上げて我々の行く先々に現れる。この子供たちは純粋な興味で付いて回るだけで、金が欲しいとかそういうことは一切言わなかった。ただし、カメラを向けるとサッと逃げる。大人は明確に撮影はダメだと言う。やはりこういうところでの撮影は難しい。まあ、当方、ウォーキングで疲れ果てて既にカメラどころではなかった。何せ、1時間くらい、という予定が3時間を超えているのである。聞き違いではない。たぶん、我々の歩くペースが村人の標準の3分の1なのだろう。ガイドに聞いたところでは、この村には2万7千人の人がいるという。村という単位としてはけっこうな人口を擁しているが、職業はほとんどが農業で、平均年収は200ドルくらいだという。月収ではない。農業だからまとまった金が手に入る時期は収穫後になり、しかも額が少ないから建築材料を買って、家を着工して、完成させるのに4-5年かかってしまう、とのことであった。道理で、屋根のない家が各地で見られるわけだ。壁だけしか買えない、あるいは着工できない年があるということである。こういう経済格差があるというのは実感しがたいが、そう説明されると事実として認識しないわけにも行かない。どうすればよくなるのか、あるいはよくなることが幸せなのかは難しい。まあそういうガイドたちはこうして外国人を連れて回って、一般の人たちとは別水準の給与をもらっているようで、服もきれいだし、携帯電話を持ち歩いている。国内の格差も大きいようだ。
日が落ちて暗くなってきた。サイディ君と別れたところとは別の場所に戻ってきてしまった。暗くなってくると、小学校の灰色の壁がなんだか廃屋のように見えて気味が悪い。村人たちはこの暗さでも慣れたもので、そこらを走り回ったりしている。ガイドがサイディ君に電話するが通じないという。暗くなって人の顔の区別が怪しいほどで、ちょっとまずい状況である。自転車で通りがかった人を捕まえて、どこそこあたりに車に乗って待っている人がいるかも知れないから探してくれ(と話しているかどうかは推測)と依頼し、しばらくしたら聞き覚えのあるエンジン音が聞こえてきた。いやよかった。聞くと、別れたところに居たという。まあそれは当たり前で、我々が違うところに来ただけである。ごく単純なことであった。携帯電話があるから、でいいかげんな待ち合わせをするのは日本もここも大差はないようだ。
車に乗り、街道へと戻る。もうほとんど暗闇なのに、ヘッドライトをつけないのは怖かった。そういえば、この車に乗って4日目だが、夜になったのは今日が始めてなのであった。街道に出てライトを点灯したが、甚だ暗かった。泥で汚れているらしい。再び峠道を登って、鴻池組の現地事務所のあたりを左折すると猛烈な凹凸の未舗装路で、まったく、ODA道路と周囲の落差が激しい。街灯は無く、暗闇から無灯火の自転車が現れたりして驚く。しかしどうやって道を見ているのだろう。ホテルにはほどなくして着いた。建物は今まで泊まった国立公園内のロッジと同じような構造で、聞くと同じ会社の経営(元は国営)なんだそうだ。土地が広いから建物は左右に長く、低層で、疲れ切った足には高低差がなくていい。
部屋に着いてポーターにチップでも渡そうかと思ったが、さっさといなくなっていた。部屋は今までのロッジと同じような大きさで、ベッドには蚊帳が付いている。つまり低地に来たということだ。今日は蚊取り線香を焚くとしよう。窓の外にはバルコニーもあって外でくつろぐこともできるのだが、緑が多いここは即ち水が多く、蚊が多いわけだから外でぼんやりしているのはあまり安全ではない。ホテルは斜面の上に建てられているからマニャラ湖が一望できる位置にあるが、今は日が暮れたのでうっすらと水面が見える程度である。荷物を放り出すように置き、まずは風呂の準備。お湯の出が悪い。これは相当時間がかかりそうだ。私はバーに飲み物を買いに行った。コーラ、350mlビンが1000シリング、やはり高めであるが日本円なら90円だ、買ってしまえ、というわけで数秒後にはコーラを大事に抱えて廊下を急いでいた。部屋に帰って一気飲みしてしまった。全く、子供のような飲み方で自分でもおかしいのだが、とにかく昼に汗をかいて水分が欲しかったのだ。コーラを飲んでからシャワーを浴び、食堂に向かう。客は数組で、広い食堂は暗くて寂しい感じがする。今は客が少ない時期なのだろうか。マニャラ湖自体があまり有名でない、というのも原因か、あるいはここに留まらず空港へ向かう人が多いのかも知れない。
ところで、MY君が会社の作業服を着ている。会社から羽田に直接来たので、作業服が荷物に入っていたから、だそうだが、文字通り作業員のような外観で、電気工事でもしに来たのか、というところだ。寂しい食堂だが少し笑いが生まれた。さて、食事だがここも決まったものから選んで行くやり方である。スタータがスープ+クスクスか、あるいは片方か(and/or
と書いてある)とあって私はあまり量は食べられまいと思って'or'に従いクスクスのみ、他の皆は'and'で両方を選択した。しばらくして皆のスープが来たのだが、私には何も来ず、いきなりメインディッシュの魚のフリッターが来てしまった。クスクスはどうしたんだ、と聞くのだがドントウォーリーの一点張りで全く埒があかない。ついにはぐらかされてしまった。元国営ホテル、従業員はそこに居るだけでも給料が出るのかも知れないが、こんなことでは通過客が増えるだけではなかろうか。なお、料理自体は美味しくて問題はなかった。ただ、サーヴされる間隔が長くて疲れた体には待つ時間が少々つらい。デザートを遠慮して帰ろうかと思ったら、それでも来たので食べることにした。皆の話題は明日の予定である。今日、マニャラ湖をキャンセルして村のウォーキングにしたから、マニャラへの入場券(?)がなく、予定していた明日朝のマニャラ湖の早朝サファリも中止になってしまったのだ。なのに明日は集合が7時だし飛行機の予定は14時だし、空港行くまで何しているべきか、などと話しているのだが、何せ運転手のサイディ君がいないと話のしようもなく、別れる前に質問しておくのだった、と後悔しても始まらぬ。疲れていると議論も暗い方向に行きがちなので、早く寝る方がいい。
部屋に戻り、日記を書く。どうも体力がないせいか、疲れて思考が鈍っている。昼のウォーキングサファリも、ガイドの方々はかなり真面目にお話などしてくれたのだが、後半は疲れてヤー、ヤー、と生返事ばかり。これでは失礼だし、第一自分がおもしろくない。明日はザンジバル島への移動であり、気分が変わるだろう。2330、就寝。
第7日へ
旅行記トップへ