04年9月下旬−10月上旬
第1次
(?) タンザニア旅行


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●第8日 04年9月29日(水) ザンジバル

 8時に起きる。蚊取り線香の煙が立ち込めていて少々居心地が悪い。朝食に出る。ビュッフェスタイルで、フルーツや飲み物は自分で選び、卵とパンは注文する形式だ。喉が渇いているので、オレンジジュースを2杯一気に飲んでしまった。パンは固くてあまり美味しくないのだが、トーストは香ばしくて良い。卵は塩味を自分で加えて食べた。あまり固形物は食べる気がしなくて、パッションジュースをさらプリズン島へに2杯飲んで終わりにした。
 部屋に戻り、しばらくぼんやりして10時にホテルを出る。MY君が、浜にいた人に、プリズン島へ一人5ドルで渡してもらう予約をしているのだ。シュノーケリングをする人は道具代レンタルの代金2ドルを追加して払う。私はカメラがあるから水には入れない。小型デジタルカメラの防水ケースを買っておいたのに、今回の旅行には持ってきていないのは実に残念だ。ドルの手持ちがないので同等とされている5000シリングを払う。さて、プリズン島とは、その名のとおり監獄の島で、奴隷売買の時代に、(当時の体制側から見て)悪い奴隷を収監していた場所であるらしい。捕まえてきて「悪い」というのもとんでもない話ではあるが、まあそういうことであるらしい。船は小さく、10人も乗れば満員だ。我々の他には客はおらず、貸切状態である。海は穏やかで天気は良好だが、船が小さいので予想以上に揺れてちょっと怖かった。という感想を抱いたのは私だけであるらしい。どうも船は苦手だ。
 そのエメラプリズン島ルド色で美しい海も、近くで見るとゴミや油が浮いていたりしてあまりきれいではない。現地の人が気軽にゴミを色々な船が行き交う捨てるのである。今日も、近くに大型フェリー(おそらくザンジバルと本土を結ぶやつ)が停泊しているのだが、ここから大型の木材やまとまったゴミを投げ捨てているのが見えた。こうも大っぴらでは、怒る気にもならない。ただ、こんな調子では重工業が発展した場合にどういう管理をするか心配になってしまう。それでも、沖合いに出ると海の青さは深まり、きれいになってきた。ストーンタウンが後方に見えて、これも良い光景だ。ストーンタウンからプリズン島までは3kmほどで、この小型船でも20分程度の行程である。島には今は刑務所はなく、跡地の見学よりはビーチで遊ぶ人が多いらしい。
 島に着いた。船の人から、海岸にはウニがいるから足元に注意しろと言われる。確かに多い。船は砂浜に着けたので、海の中を歩いて上陸する。真っ白な海岸は強烈な日差しを反射してじりじりと暑いが、海水はひんやりして著者、思い切り怪しい格好いて意外の感がある。砂地は当然、火傷しそうな熱さで、砂の上はサンダルが必要だ。また、遠くから流れ着いたガラスの破片などもわずかながらあって注意しなければならない。こういう点は、品川で破傷風の予防接種をした時に医者に言われた通りで、なるほどこういうことかと思う。そう言えば、以前石垣島に行った時も、観光客が海水浴するような海岸でなくてもゴミはたくさん流れ着いていた。人の行為というもの、ちょっとだけだからいいやと思っても、長年続くと積もり積もってしまうのだ。少なくとも自分はこういうことに注意したいと思う。
 さておき、日差しがまぶしいのは困ったことで、KK君からサングラスを借りた。Sが買ったカンガを頭に巻いてサングラスを掛けると、いったいどこの国の人ですか、という外観になった。でも快適だ。日差しの強いところでは、頭に布を被るのが有効だと実感する。水辺は足元が涼しいし、皆が海に入っている間も過ごしやすい。E-1とCL(超広角12mm付き)の交互で写真を撮っていた。それが終わったら、海の中に立ったまま、日記をつけた。白いノートが眩しいが、サングラスがあるので何とかなる。なんだかアホみたいなことをしているが、こういう非日常性はおもしろい。皆の歓声を聞きながらしばらくはこの体勢で過ごしていた。
島の海岸にて ウニがいます シュノーケリングの練習 皆は海に入っていく
海岸にて、超広角レンズで撮る 同左 このレンズ、くせになりそうだ 再び船に乗り込む

 次に、少し沖に出ることになった。沖と言ってもたいした距離ではないが、ボートで島の東側に向かい、そこで珊瑚礁の観察をするのである。水深は背が立つかどうかというところで、人によっては安全ではない。珊瑚の上だから素足で立つとケガをする可能性もあり、足ヒレを着けて入る方がいいようだ。ここの海の青さは言葉にならないほど美しい。上から見ているだけでもきれいだが、水中はもっと美しいようで、方々から感嘆の声が聞こえる。またしても後悔。超広角レンズで何枚か撮るが、船が小さくて揺れるので、なかなか構図が決まらない。まあ、時間はいくらでもあるのだからたくさん撮って後で選べば良いのだ。こうしてのんびり写真を撮るのは気分が良い。皆と歩いているとあんまりじっくり写真を撮っているのは迷惑だし、期せずして一人の時間が出来て、新鮮な気持ちになった。
沖合いに出る 沖と言ってもそんなに遠くはない 船の上でのんびりするのも良い とにかく色がすごい

 一通り撮り終わると、しばらく船の上でごろりとして寝ていた。これもなかなか気分が良かった。しばらくしたら、KK君が足を傷めたと言う。珊瑚の上に足をついて、その時ウニのトゲが足陸亀が多数の裏に刺さったらしい。あまりの痛さにシュノーケリングは続けられず、船で休むことになった。前後して、皆も疲れたのか、船に上がってきた。息が切れているが、満足の様子で何よりだ。船は島に引き返して、上陸する。島にはカメ園(?)があって、年齢100-200才ともいう陸亀が多数飼われている。よく考えたら、何故陸亀なのかは謎だが、海亀だと海面を囲って飼わなければならないから無理か。それでこの陸亀だが、キャベツや木の葉を食べていた。子亀は囲いの中に入れられており、これは逃げられるからというのではなく、盗難防止のためのようだった。カメ園を見るところで、KK君がもう歩けないというので海岸に引き返した。足に入ったウニのトゲが痛いのだ。海岸で寝ていると孔雀を三方から追い込むいう。止むを得ない。
 付近には孔雀も多くいて、このカメ園からプリズン跡まで、歩くと多数歩いていた。なかなか羽を開いてくれないので、皆で追いかけたが、これが案外足が速いのには驚いた。期せずして木の陰に羽を開いている孔雀を見つけ、皆写真を撮った。木陰で羽を開く孔雀

 プリズン跡は一時期ホテルになっていたとどこかで読んだが、今はそういう施設はなく、整備中であった。せめて売店でもあればコーラでも買おうと思ったが、売店はなかった。工事に従事する人が多数いて、昼食時なのか、方々で火を焚いて調理したり、思い思いの格好で休んでいたりしている。プリズンは当時の部屋などを再現する工事などをしているようで、中に入り込んだりしたら怒られそうなのでちょっと覗いただけだが、ちときれいにし過ぎで、作り物のような感じがした。何年後かには博物館のようなものになるのか、あるいは刑務所風ホテルにでもなるのだろうか。プリズン跡地意外には見るものもないので、帰ることにする。
 KK君は海岸で寝ていたが、景色が若干変わっていて、少し曇ったのと、満潮が近くなったのか、海岸線がKK君の近くに来ていた。まあ溺れることはなかろうが。
 船に乗って、ストーンタウンに戻る。曇りだったのが急速に暗くなり、大粒の雨が降ってきた。気温も下がり、寒くなる。スコールのようなもので、10分ほどで雨は上がり、ストーンタウンに着く頃にはすっかり晴れた。プリズン島のツアー、時間もあまりかからないしいろいろ楽しめたから良い企画であった。次回があるなら、カメラの防水ケースは必須だ。部屋に戻り、シャワーを浴びて一休みする。
海から見たストーンタウン 昔ながらの船が通る ホテルに到着

 15時ごろに食事に出る。1軒目では酒類がなかったので着席したものの出てきてしまう。イスラム教徒が多い地だから酒を出さない店もあるのだ。もっとも昼間からそれを理由に断ってしまうのもかなりアレかも知れぬ。2軒目のモンスーン・カフェというところに入る。酒もさることながら、座敷というのがありがたい。サファリラガーを頼んで乾杯する。昼間暑かったので殊の外美味い。コース料理で、7900モンスーンレストランにてシリング(800円ちょっと)。現地やっぱり飲む!の感覚では安くはないが、観光客相手としてはまあまあだろう。イカのサラダ、スープ、キングフィッシュのグリル、フルーツパイという内容だった。サラダは酸っぱいドレッシングがいささか強すぎる感じだったが、イカがおいしく、野菜もしゃきしゃきしていて良かった。スープはかぼちゃあたりの濃厚なスープに香辛料が多種類入っていて温かい味。メインの魚はパサパサで骨が多くこれは今ひとつ。付け合せのほうれん草とライスが良い味であった。暗い店内には、時刻が中途半端とあって我々以外誰もおらず、ゆっくりと楽しむことが出来た。
 ホテルに戻る。明日の航空券が届いていた。なんと航空券、手書きである。搭乗券はまあいいとして、判別し難い文字で書かれた航空券というのには驚く。面白いので写真を撮って、一休みする。胃腸の調子があまりよくない。20時に再度集まることになっているので、官庁街の方向に歩いてみることにする。ところが急速に陽が落ちて、建物も景色もよく見えなくなってしまった。ここもダルエスサラームと同じように、街灯が極端に少ないから足元もよく見えないほど暗くなる。途中で引き返すはずの最高裁を通り過ぎ、厚生省(タンザニア本土とは別の政府組織があるのだ)の裏からザンジバル博物館に抜けてしまったことにも気付かず、ひたすら歩いて街外れに出てしまった。ストーンタウンの外にあるクリーク・ロードという大きな通りだと後で気付くのだが、この大通りは地元の人がうじゃうじゃいて、暗がりの中露店があって怪しくも楽しい雰囲気がある。ただ、暗すぎて、混雑しすぎて写真は撮れなかった。夕方までに来ればよかったと思う。途中、ダラダラ(バス)乗場が集まっているところがあって、次々に発着するマイクロバスやトラック改造バスがあって、それに飛び乗ったり飛び降りたりする客が交錯してかなり危険だ。よくこんな暗いところで自分の目的のバスが見分けられるものだと感心する。電光で照らされた行き先表示などあるはずもなく、車体に書かれた番号で自分の乗るべきバスを探すのである。
 結局、通りの北端まで歩いてしまい、いくらなんでも方向を誤っていると思って、タンザニア銀行を警備している軍の人に道を聞いてしまった。そう、タンザニアでは銀行の前を自動小銃を持った軍人が警備しているのだ。こういう人に道を聞くのは本来いけないこと(警備の注意を逸らすことになる)なんだろうが、軍人氏、丁寧に道を教えてくれた。予想通り、北に来すぎていて、その先の通りを左折しひたすら左方向を選んで歩いて、驚愕の家(元アラブのサルタンの家、その後英国領事館になった大きな建物)まで行けば市内は分かるだろうということで、さらにその先の歩き方も親切に教えてくれた。感謝しきり。左に曲がって進むと、ストーンタウンの北になる港湾地区に当たり、こりゃずいぶん大回りしたな、と実感する。後で地図を見たら、市街の外を大きく三角形に歩いたことになっていた。驚嘆の家を過ぎて、ホテル近くの雑貨屋でレッド・ブルというエナジードリンクを買ったら、店主が日本語ペラペラだった。昔、千束に住んでいたという。日本人があまり来ないから日本語を忘れてしまう、と言っていたがそんなことはなくて、流暢な日本語だった。見たところ、インド系の人のようだった。レジの近くにジャスミンの花びらが置いてあっていい匂いがする。Sが一掴みもらって来た。ホテルに戻り、レッドブルを飲んでみたが、オロナミンCみたいな炭酸が入ったドリンクで、濃厚な味である。カフェインが濃いので注意、と缶に警告してあった。元気になるというより、眠れなくなるという方が正しいような気がする。もっとも、日本の栄養ドリンクもカフェインに頼るところは大きいだろう。

 20時に、Sは皆と出かける。私は食欲もないので、部屋で荷物整理をしていることにする。30分でSが戻ってきて意外に思うが、どうやら皆も昼食が遅かったからか、食欲がなくて夜店で食べ物を買う量が少なかったらしい。買ってきた串焼きなどをホテルのオープンカフェで食べる。タコの揚げ物が2皿、焼肉(牛5本、ラム2本、鳥1本)、とザンジバルピザ(お好み焼のような薄い生地に野菜とタコスの味付け肉が挟まれている)があって、全部で4500シリングとのこと。6人で食べると少量だがこの際これくらいが丁度良い。タコの揚げ物はカリっとした衣の中にもちもちのタコが入っていて美味しい。ビーフの串焼きも味が染みていて良い。総じて日本人の味覚に合っているように思われた。ザンジバルピザはホテル外観日本に帰っても作って食べたいと思う。しばらく食べて談笑していたが次第に皆も口数が減っていき、それでは、ということで解散した。私は海岸で星でも撮ろうかと思いうろうろしていたが、どうしても南の空が見えない。南十字星を見たいのだが、ここは南半球、建物はどれも北向きで、南方向に開けた場所がないのだ。南の空を求めて街外れに出かける気力はなく、夜景を撮って部屋に戻った。皆、疲れちゃったのかな、と言っていたSも部屋に戻るなり寝てしまった。私は荷物が多いのでなおも整理をする。明日はドバイに向けて出発する日で、長時間の移動だからしっかりパッキングをしなければならない。ちょっと夜更かししたなあ、と思ったら未だ23時であった。どうやらかなり疲れているようだ。寝ることにしよう。


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