04年9月下旬−10月上旬
第1次(?) タンザニア旅行
●第3日 04年9月24日(金) ダルエスサラーム→アルーシャ→ンゴロンゴロ
6時前にモーニングコールがあった。眠い。昨夜は普段の生活よりは早めに寝付いたのでよく眠れたとは思うが、眠いものは眠い。のろのろと準備し、6時半に食堂へ。食堂は薄暗いが落ち着いた内装で、きれいである。朝食はビュッフェスタイルで、自分で選べるのはありがたい。パンが3種、スライスされたものはパン焼き器に入れて焼く。CKさんがこれにクロワッサンを突っ込んだら、中で引っかかって煙がもうもうと出てきて大騒ぎになった。焼けて縮んだのか、じきに出てきたが。その他は豆とマトンのスープ、牛ソーセージ、スクランブルドエッグ(何故か白い))、サツマイモ、フルーツとジュース、コーヒー、紅茶。卵とイモは味がついていなくて、自分で調味料をつけて食べる。卵は、黄色くなくて黄身がないのではないかと皆で言っていたがそんなことはもちろんなくて、柔らかくて美味しい。肉類で豚を避けているのは、イスラム系の客への配慮であろう。マトンは予想通り癖があるものの、スープ自体は野菜や肉の味がよく出ていて美味しいものだった。しばらくして、ウタリィのアイカさんが顔を出す。ホテル前で待っているとのこと。時間に余裕を持って来るのは交通渋滞などを考えてのものだろうか。まだ集合時刻ではないが、ちょっと焦って食事を終わらせた。
と言いつつ、部屋から荷物を持ってGFに降りてきたのは0705時で、遅刻。申し訳ない。急いで車に荷物を積み込み、しかししっかり記念写真まで撮って、出発。市内は早くも通勤ラッシュ。自家用車の人もいるが、ヴァンに乗り合いで来ている人も多く、トラックの荷台を簡易座席に改造したバス(ダラダラと言うらしい。マイクロバスもあり)も多数走っている。我々は郊外に出て行く側だから道は空いているが、市内への交通は渋滞している。こっちは100km/hくらいでぶっ飛ばしているので、渋滞している側から歩行者や物売りが出てきやしないかとひやひやする。途中、「幼児バス」と表示されたスクールバスが並走、こりゃ適切な使い道だと皆感動する。開け放しになった窓から子供たちの歓声が聞こえる。すばらしく甲高い声だ。日本ではあまりこういうはしゃぎ方は見られなくなったような気がする。
空港には予定より20分早く到着した。航空券を渡される。アイカさんにチップを渡そうとしたら丁寧に断られた。ウタリィは十分に給与を払っているのか、アイカさんの主義なのかは分からない。売店でスワヒリ語の会話集を購入する。わら半紙にかすれた文字で英語とスワヒリ語のそれぞれで短いフレーズが載っている。価格は2000シリング。昨日街で売っていたダルエスサラームの地図はここでは6000シリングで、土産物屋が言っていた10ドルはさすがに法外であった。
店を覗いていると、背後からタクシーの呼び込みが煩いので、もう空港に入ってしまおうと思う。今日は西北に飛んで、キリマンジャロ空港から車でンゴロンゴロ動物保護区に行く。航空会社はプレシジョン航空(便名の略称はPW)で、隣国のケニア航空傘下にある会社だそうだ。他に元国営のタンザニア航空があるが、ここも南ア航空に実権を握られて、国内路線が壊滅状態だという。よって、国内でメインとなるのはプレシジョン航空だそうだ。航空券を見ると、ダルエスサラームからキリマンジャロとなっており、実はこの地方にはもう一つ、アルーシャにも空港がある。事前の説明ではアルーシャ空港が一時閉鎖していてキリマンジャロ空港への飛行機になると言われていた(航空券もキリマンジャロ行きになっている)が、チェックインカウンターに表示されている行き先はアルーシャになっている。キリマンジャロ空港よりアルーシャ空港の方が目的地に近いからそれはそれでいいが、この手元の航空券は果たして有効なのだろうか。
空港は、まず入口で荷物チェックをする。その後にチェックインである。従って、1時間前にチェックイン、という規則以前に早く来ておく必要がある。荷物チェックはまあ普通のやり方であるが、フィルムへのX線照射がどんなものか、何も書いていないので怖い。カメラ類も機械に入れろとイラストで表示されているので手検査を申し出るのも無駄のようだ。仕方なく従う。
検査を通って正面がチェックインカウンターだ。先ほど外から覗いて見た通り、行き先はアルーシャになっている。キリマンジャロ行きの航空券を出したら、何も言われず手続きが始まった。ホッとする。飛行機はATR42というプロペラ機であることは事前に調べていたので、さてどういう席が割り当てられるか楽しみだ..なんと、どう考えても窓側ではない7C席。がっくり。
国内線の出発ロビイに行く。エアコンはなく、やはり窓が開いている。大きな扇風機がいくつか置いてあり、ぬるい空気をかき混ぜていた。ちょっと暑いので、バーでファンタオレンジ(700シリング)を買った。350mlビンで、大きく重い。暑いからといってあまり飲んでは体調を崩すぞと思いつつ全部飲んでしまった。Sはカンガの着方(大きな布で、体に巻いたりして着る)という本を購入。101のヴァリエーションとあるが、「敷物として使う」なんてのもあっていささか強引である。でもユーモラスなイラストでなかなかおもしろい。
ロビイから外を見ると、プレシジョンの小さい飛行機など、面白い風景がたくさんある。しかし撮影は禁止である。交通の要衝は未だ撮影が許されていないのだ。0850時、搭乗の時刻になる。搭乗待合室は別にあって、ここに入るにもまた荷物チェックを通さなければならない。空港内で武器を調達する手段はないと思うが、他から飛行機で入ってきた場合も考えているのだろう。そういえばドバイも乗る直前にチェックがあった。日本が甘いのか。飛行機は小さいので、ジェット機のように通路から直接乗り込めない。一旦地べたに下りて機に向かう。可動通路(?)の中は空港職員の目が届かないので、そこから1枚撮っておいた。
機の前に乗客の荷物が置いてあって、貴方のはどれ、と聞かれる。テロ対策か何か、余った荷物は載せないのだろうか。機内に入る。席は2+2の4列。私が座る予定の席には既に人がいる。なんで?というより、どこにも席番号が見当たらない。あのー、この席はどこでしょう、と聞いてみたら、フリーシーティングだと。つまり自由席。以前ノルウェイの国内線で自由席(当然定員制)は経験があるからいいのだが、搭乗券に席番号を振っておいて実際は自由、というのには驚いた。それなら、というわけで前の方の左側窓側席に座った。席は狭い。他の席を見回すと、リクライニングを倒していたりで離陸前なのにいいかげんである。アテンダントはシートベルトのはめ方くらいは実演するがそれ以外はほとんど説明もない。救命胴衣はなくて、座席のクッションを外して使うという仕様だ。
機内はエアコンが入っていなくて暑かったが、プロペラが回り始めるとエアコンも作動し涼しくなってきた。機は小さいので、動きが軽い。すばやく滑走路に出て、すぐに飛び立った。飛行機はジェット機と違って軽快さがあって面白いが、外はちょぼちょぼと雲があって揺れる。空港を出ると西北に向かって飛ぶのだが、右側つまり北東から日が差している。ああ、ここは南半球なのだと再確認する。
地上には簡素な家が多い。塗装されていないトタン屋根は時折日光を反射してキラリと光るが、屋根が無くて壁だけの家(建築中なのだろう)もある。次第に雲が多くなり、外の景色は単調になってしまった。新聞が配られた。英字紙を選ぶが一面にある東アフリカ連合(ケニア・タンザニア・ウガンダ)の話は読んでもよく分からなかった。政治的な話は背景を知らないとおもしろくないものだ。社会面(?)にはムベヤでコレラが出たとか、怖い話もあった。ハンガリーのハンマー投げ選手が金メダルをアピール、って、まだこの人やってたのかと驚く。しばらくすると軽食が出る。サンドイッチ2種(チーズとツナ・野菜)だが、チーズはパンにマーガリンを塗ってチーズを挟んだだけで芸が無さ過ぎである。ツナ・野菜の方が美味しかった。生ものなのでお腹の調子に影響がないか、は祈るしかない。飲み物はファンタのパイン味をもらってこれをちびちび飲んでいた。
プロペラの振動は最初こそ面白い(初めて乗った)が次第に耳がおかしくなってきた。機内与圧が控えめなのかも知れぬ。天気も良くないので、しばらくうとうとしていたら、10時過ぎに降下し始めた。小さい空港だ。どうやらアルーシャ空港らしい。駐機場には小型機がたくさん置いてある。観光用の飛行機のようだ。それぞれがカラフルで面白い。しかし舗装が剥がれたりしてガタガタの駐機場である。さて、自分の荷物が飛行機から出てきたので、持っていこうとしたら、ああ、出口で渡すからそっちで待っていろと言う。出口も何も、すぐそこなのであるが。出口に行くと、私の名前を手にもったタンザニア人がいたので挨拶する。サイディと名乗った。一回聞いただけではなかなか名前がわかりにくい。「サイディ」は後に皆でそれが最も正しいとした名前で、最初はシリディだとかシギディとかサイギィとか、適当に口ごもりながら呼ぶしかなかった。もっとも向こうにしてみても日本人の名前はヘンだと思ったであろう。まずいことに、私はツアー手配の代表者なので私の名前だけは覚えられてしまっている。こいつはちと負い目だ。ああ、彼の名前はどれが正しいんだ、何度も聞くのは失礼だし..と悩んでも仕方ない。とりあえず、以後サイディ君と書くことにする。
さて、これからロングドライヴなので、トイレに行っておく。このトイレ、空港の外からも簡単に入ることが出来て、まあセキュリティを云々するほど重要じゃない空港なのかね。そういえば駐機場で写真を撮っても何も言われなかった。それでトイレだが、欧米人らしき人が先客で、出てくるなり、ここのトイレははねるぞ、注意しろ、とアドヴァイスをくれた。その人、手を洗おうとしたら蛇口のハンドルがなく、思わず私と顔を見合わせてニヤリ。まああんまり細かいことは気にしない!。トイレは和式の便器のようなものが平らな床に埋め込まれているだけで、確かに欧米人にはやりにくい形状であることは確かである。和式に比べても「小」の場合は高低差があってやりにくい..などという話を長々とするのもアレだからここでやめにしておこう..皆のところに戻ったら、荷物が来ていた。来ると言っても大きな台車に積んで運んできただけで、これだったら自分で運んできても大差はない。
空港の前は未舗装の道で、向かい側の駐車場も当然のごとく、土が剥き出しである。いろいろな車が止まっていて、マイクロバスからワゴン車まで、ほぼ全てがサファリツアーの車である。我々が乗る車は深緑色のランドローヴァーで(レンジローヴァーではない)、ボロ、いや使い込まれた風格の、味のある車である。座席は前から2+2+3で、運転手を除くと6人乗りである。周囲を見ても、だいたい5-7人で一つの車というのが多い。稀に、退職した欧米人夫婦、みたいな人が2人きりでレンジローヴァーかランドクルーザを貸切り、というパターンもあったが、あれは我々には真似できない。我が車、荷物を積み込むとギリギリで、後部ドアをサイディ君とKK君でよっこらしょと押して閉めるほどだった。6人分とはいえ、CKさんとSの荷物はほぼ夫の荷物にまとめてあるから4人分+αくらいの容量であろう。日本で準備するとき、飛行機の荷物制限が厳しいから小さくしておこうと言っていたのが役に立った。
さて、席はどう座るか。とりあえず私が代表者(?)ってことで助手席に座る。何か話さなければならないだろうかと思うと少々気が重い。日本語でも初対面の人と世間話をするのは苦手だ。
空港の周りだが、駐車場が砂利なだけにそこからの道路も未舗装で、ボコボコである。車にはエアコンがなくて、窓を開けているのだが、砂だらけのところを通るときはクローズ・ウィンドウ!とサイディ君が叫ぶ。砂埃がもうもうと立ち上る。普通のレンズ交換式デジタルカメラではひとたまりもないだろうが、私が持参しているカメラはE-1なので、撮像素子前の埃は超音波で落とす装置が着いている。心強い。これからの旅でどういう結果が得られるか楽しみだ。
空港の近くの畑を抜けると、国道T5号線に出る。アルーシャから首都ドドマ(法律上の。未だ首都移転はできていない)を通りイリンガまで、国の北3分の2ほどを縦断する道路で、舗装されているが舗装が粗いというか、ガタガタしてあまり乗り心地はよろしくない。法定の制限速度は80km/hで、そこを100-110km/hで走っているのだが、街が近づくとバンプ(道に故意に段差をつけて速度を落とさせる)があって急ブレーキをかけることになる。街近くでは、歩行者(かなり遠くまで歩いていく人が多いようだ)、自転車、トラクター、ボロくて遅い車が多数いて、右に左によけて走るので運転は大忙しである。景色は雄大で、ここでも既に標高1000mくらいの高地であるが、起伏の緩い平原になっていて高地という感じがしない。気温は南緯数度で暑いと思うだろうが、気温もそんなに高くない(せいぜい20度後半)し、乾燥していて快適であった。ただし車はグラグラして写真はなかなかまともなものが撮れない。
途中で土産物屋に寄る。こっちは別に寄りたいと言った訳ではないが、サイディ君はこういうところに強制的に車を停める。まあ沿線の方々とは持ちつ持たれつの関係になっているようで、とりあえず中に入ってくれさえすればいい、ということだった。と言いつつンゴロンゴロ、セレンゲティ、マニャラ湖の地図を買ってしまった。1冊9ドルだから高いが、手書きのイラスト風地図で、きれいで面白い。表裏で乾季・雨季になっていて、地図の色が違うし、川の大きさなども変えてあるのは芸が細かい。その他、目だったものとしては、カンガ(布)、木彫りの置物など(これは高い。重く大きいので輸送もたいへん高額)、タンザナイトを中心とした宝飾品、動物の絵(ティンガティンガ派というやつか)、絵葉書などである。こうしてみると日本の土産物屋のまんじゅう等の山は異様な光景に思われてくる。あれは要するに、地方にも均一なモノを作る「工業」が浸透していることと、どこからでも短時間に帰宅できる交通網があるという前提があるから成立しているのだと思う。
マクユニというところでT12号線に右折する。ここからンゴロンゴロ動物保護区の手前まで、日本のODAによる整備で立派な道路が出来ている。幹線より支線が立派とは皮肉であるが、幹線までやり始めたらキリがないし、そこらへんはタンザニア政府といろいろ調整してやっているのであろう。後で調べたところ、ダルエスサラーム周辺やザンジバルなどでも道路、電話網などの工事をやっているようだ(詳しくはここに(衆議院のサイト))。道路は先ほどよりずっと広くなり、路肩との境界線(黄色)や中央線(白の破線)がくっきりと見えて、何より平坦度が断然よろしい。しかし地元の人で車がない人は路肩を延々と歩いているようだった。こちらの人は本当に長い距離を歩いている。集落と集落の間が離れているのに、ぽつんと一人で、あるいは集団で歩いているのだ。しかしこの人口密度では、公共交通機関が採算を取って運行するのは難しいかも知れない。日本が恵まれているのだ。酒を飲んで、列車に乗るのが面倒だからタクシーで、などと言っているのが少々恥ずかしい。会社まで歩いて30分、たいした距離ではないから帰国後は極力歩くことにしよう。
ところで、道路にはときどき大きくえぐれた箇所があって減速を余儀なくされる。これは集落とは関係なくて、動物の集団が移動の際に横切る箇所であるという。いまは周囲には大群は見られず、横切っているところには出くわさなかった。
マニャラ湖を左に見ながら、1段高いところにつづら折の坂道を登る。上った先にODAを請け負った鴻池組の事務所があって、この先しばらくでODA道路は終わりである。最後のところはまだ工事中であった。この途中で2回目の土産物屋休憩。ここで昼食となる。13時近くだったので空腹感激しい。車のシート2列目の椅子の間に置いてあるランチボックスが昼食になる。店の脇に休憩所と思われる屋根つきの小屋があって、そこでランチボックスを開ける。ハエが急に増えた。ボックスの中身は、ハンバーガー、鶏肉、餃子のような揚げ物、パンケーキである。ハンバーガーは、肉を卵とじにしたようなものと野菜をはさんだもので、薄味だが食感が柔らかくて美味しい。鶏肉だが、これはまるごと一羽を焼いて6人分に分けたようなもので、人によって部位が異なる。私は胸のあたり。なんと、全く味がついてなくて、パサパサで食べにくい。塩をかけて少し食べたが、ほとんどを残してしまった。餃子のようなものが一番美味しかった。
しばらく土産物屋を冷やかし、出発する。予定より遅れているようで、サイディ君は少し焦っているようだ。元々の予定ではロッジに一旦寄ってからンゴロンゴロのクレータに下りるつもりだが、直接行ってしまうとのこと。もちろん問題はない。そこからしばらく走ると、ODA道路が途切れて、未舗装の赤土の道路をさらにしばらく登る。道が急に狭くなり、木々が迫っていて道路周囲の景色は見えない。斜面の途中に保護区のゲートがあって、書類審査のようなものがある。しばらく待たされたが問題なく通過した。ここからは益々急坂で、益々道は悪く、車は上下左右に激しく揺れる。これには閉口した。クレータの外輪に取り付いたところで視界が開ける。息を呑むような美しさだがここは止まらずにクレータの内側へと一気に下り始めた。ここはさらに急坂になっているが、運転は激しい。以前、岩手の早坂高原で砂利の峠道を下ったことがあり、そこは雪道のごとくグリップがない感触だったのだが、サイディ君は涼しい顔をしてどんどんスピードを出している。恐れ入った。
クレータ内のサファリは、外輪山の遠景と動物たちという対比が美しい。ここは高さ数百mの外輪山に守られて、動物たちが比較的穏やかに暮らしているそうだが、そういわれてみるとのんびりしているようにも見える(気のせい)。ここだけで一通りの動物を見ることができた。以下にそれらを並べておこう。それぞれの動物で安全距離が違うらしくて、すぐに逃げてしまうもの、のんびりこちらを見ているもの、それぞれ面白い。撮影はほとんどE-1、タムロンの180mmF2.5にOMズイコーの1.4倍テレコンヴァータをかまして、これで相当遠くのものを引き寄せることが出来る。35mm判フルサイズのカメラの画角では500mm相当の超望遠になる。開放F値はF3.5で、こういうレンズを手持ちで使うのは極めて困難である。E-1は望遠系がコンパクトにまとまって良い。サファリには最適だ。
それにしてもサイディ君の目はいい。遠くの米粒のようなチータを見つけて教えてくれるが、だれも肉眼では判別できない。私もけっこう目がいいつもりだが(両眼1.5)、動物たちは周囲の色によく溶け込んでいるのでなかなか見つけるのが難しい。ライオン、チータなどは乾季の枯れ草とほとんど同じ色なのである。途中、サイディ君が車を停めて、屋根を上に上げてくれた。後席からは屋根の上に顔を出して風景を見ることができる。風が気持ちよかった。近くを動物が歩いて行くときに草を掻き分ける音がリアリティを増してくれる。車は決して立派とは言いがたいが、そんなのはどうでもよくなってしまった。以前、某サファリパークで車の列に並んでいたのが思い出される。あの企画を考えた人には敬意を表するが、申し訳ないけれどやはりあれは動物園でしかない。比べては酷というものだが、どうにもこうにも違いが大きすぎるのである。
夕方になった。ゾウが一頭、日暮れの中で草を食んでいるのが印象的だ。国立公園内では車から降りて歩き回ったりすることはできない。が例外の場所もあるらしい。トイレが設置されている場所があった。クレータ内はほとんどが草原で、小さな湖もあるが木々は少ない。しかし一部、川があって周りに木が生えているところがあり、その中に駐車スペースとトイレがある。おそらく、動物の群れが通らないという判断で設置されているのだと思う。用足しの必要は無かったが、体を伸ばしたり歩いたりするのは気持ちがいい。イエロゥアカシアが夕日を浴びて金色に光っていた。
ここを出て、あとはホテルに向かうのみである。公園内で禁止されていることの一つに、ヘッドライトの点灯がある。夕方以降は動くことができないのである。一方通行になっている(らしい)坂道をぐんぐん登って、クレータリムの道路をしばらく進むとンゴロンゴロ・ワイルドライフロッジに到着した。ここはクレータの縁に建てられており絶景の場所にあって、しかもアルーシャ方面からセレンゲティ国立公園までの道路の途中に位置しているからたいへん繁盛している。客は圧倒的に欧米人だが、日本人らしき人もちらほら見られた。
チェックインの前にウェルカムドリンク(オレンジジュース)とおしぼりが出てきた。おしぼりは本当にありがたい。すぐに真っ赤になってしまった。ンゴロンゴロの土の色である。あてがわれた部屋が38号室で、ロビイから左に下ったところの一番手前である。ロビイが近いのと、ドアが薄いのか、部屋まで喧騒が聞こえてしまう。眺めは最高で、早速撮影しておいた。Sは早速風呂に入る。全身砂だらけのように感じられるから、風呂は格別であろう。
1830時から夕食である。早い組と20時からの遅い組に分けられるのだが、空腹のあまり早い組を切望したのである。スープだけは係りの人がサーヴして、後はビュッフェスタイルで、自由に取れる。ミネストローネスープは絶品で、思わずお代わりしてしまった。MY君など、3杯目まで行ってしまって、係りの方もにっこり。ビュッフェでは魚フライにタルタルソース(野菜いっぱいで良い)、ビーフの肉団子、マトン肉にマッシュポテトなど。肉類は脂肪分が少なくてちょっと固いのだが味はよろしい。マトンがあるあたりは地方色を出している感じだが、全体に西欧風である。付け合せにライスがあるのだが、これは東洋人向けというのでなく、けっこうこちらでも米を食べるらしい。勢いに任せてたくさん食べてしまい、一気に眠気が襲って来た。20時からロビイでアクロバットショウがあるというのだが、しばらく部屋でウダウダしていた。ショウを途中から見て、コーヒーを飲みながら皆で絵葉書を書いた。練習をサボっている東芝フィルの主要メンバーにお詫びがてらご挨拶、というわけだ。
部屋に戻る。早くも下痢気味で、胃腸薬を飲む。いつの食事に当たったのかは分からないが、他の人は何も言っていない。我ながら情けないほどの敏感さである。明日も長いドライヴになるから、21時過ぎには寝た。
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