04年9月下旬−10月上旬
第1次
(?) タンザニア旅行


第1日 第2日 第3日 第4日 第5日 第6日 第7日 第8日 第9日 第10日 第11日・第12日


●第4日 04年9月25日(土) ンゴロンゴロ→セレンゲティ(ロボ)

 夜半、トイレに起きたら電気が止まっていた。自家発電なので夜は節電ということらしい。ホテルの説明書など読まないからいささか驚いたがこれは私が悪いのである。ベッドのそばの机にロウソクがあるのはこのためだったのか。蚊取り線香用にライターを持って来ているはずだが場所がわからない。Sを起こして、探す羽目になった。ロウソクを持って、火が消えないようにゆらりゆらりと歩くのも風情があっていい。深夜だから、騒がしかった廊下の音も今は全く聞こえない。外は漆黒の闇で、月明かりではクレータの風景は良く見えない。気温が下がって、寒いからさっさと用を足してベッドに戻った。
 次に起きたら、6時5分前である。日の出前だから朝日でも撮ることにする。慌てて三脚とカメラを持って部屋を飛び出す。食堂の外がテラスになっていて見晴らしがよい。既に何人か欧米人客がいて写真を撮っているが三脚まで据えているのは私だけだった。ほんの少し雲があるが概ね良い天気である。朝日は外輪山の上に昇るから、通常の日の出の時刻よりは遅いのが幸いして、ギリギリ撮影できた。デジタルだけでは飽き足らず、フィルムでも何枚も撮ってしまった。MY君も来て、しばらく話をする。ホテルの軒先にツバメの巣があって、ツバメたちの出入りが激しい。ひんやりした空気と、鳥の鳴き声が気持ちよい。
夜明け前のクレータ 夜明け クレータの風景 ツバメがいる

食べすぎ 部屋に戻って着替え、食堂に向かう。ビュッフェスタイルでこれまた好きなものをたくさん取れるのはありがたい。いつも寝ぼけ眼で朝食を取って、慌てて会社に行っているのとギャップが大きい。普段の朝食がよくないという意味ではなく、何か、日常生活から脱したところで気分が高揚しているのであろう。
 8時出発のところ、5分以上遅れてロビイへ。サイディ君がランチボックスを取って来いと言う。国立公園内にはレストランや商店はない。従って、ホテルに泊まるということは3食付きが原則なのである。食堂に入る手前、カフェ・バーのカウンターのところがランチボックスのコーナーになっていて、そこで好きなものを箱に詰める。サンドイッチ2種(チーズ・ミート)、デニッシュ、バナナ、きゅうり、にんじん(野菜は切ったままの生)、マンゴージュース、チョコレートなど。選べるとは言ってもそんなに自由度はない。選んで、最後にホテルの人が閉じてくれるのだが、箱のつくりが悪くて、なかなか直方体になってくれない。挙句に、セロテープで強引に止めるのだけど、テープがヤワで箱はグラグラであった。これで、悪路を走る車の中に積んで置けるかどうか、甚だ心許ない。
 慌てて車のところに行く。後部座席に座ろうとしたら、サイディ君が、あんたは後ろはダメだ、頭をぶつけるからと言われた。昨日、確かに最後列で頭を打ったのである。そこで2列目左側が今後の私の指定席になった。助手席でもいいと言われたが、そこは見晴らしがいいからずっと独占では他の皆に申し訳ない。クレータリムをしばらく走って、左折して山を下り始めた。ここからセレンゲティまで4時間と言うから遠い。下った先には緩やかな谷があって、その先は平野のように見える。緩やかな谷、と書いたが盆地のように広いスペースがあって、マサイの人が放牧などしている。そう、マサイの人(と公園スタッフ、ホテル従業員)は国立公園内に住むことが許されているのだ。
マサイ村 のどかな風景 放牧中

 車は70-80km/hで快適に飛ばしていて、未舗装の悪路だけど不快感はない。むしろのどかなドライヴに思えてくるのは周囲の景色にも負うところが大きいと思う。と、楽しんでいたら前方にトラックが横転しているのが見えた。砂利道ではやはりこの手の事故はあるのだ。荷物は魚の干物のようだ。それが道路上に袋ごと散乱していて、トラックが横になっているから荷を戻しようがなくて、運転手と助手は荷の上に寝たり座ったりで他にすることがない。サイディ君が何かスワヒリ語で声をかけ、車に備え付けのミネラルウォータを2本差し入れた。我々が飲むための水なのだが、こういう精神は良いと思う。救援は既に他の車に依頼したらしい。それに、この車に連絡を頼むより、ンゴロンゴロ方面に向かう車の方が距離が近いから早いだろう。ケガなどがなかったのは何よりだ。道中、この他にも事故や故障車があり、これは道路の環境が良くないのと、車が古いのといろいろ原因があるのだろう。
キリン発見! キリン、何となく優雅に見える キリンの親子
 山から緩やかな坂を下りてくる途中、遠方の平原にキリンを2頭見つけた。サイディ君に目がいいねと誉められた。が、キリンやダチョウは形が独特でしかも大きいので、遠くからよく見えるのである。草原に保護色のように溶け込んでいるライオンやチータはとにかく見つけにくい。サイディ君が道を外れて草原に入り、キリンのそばまで行ってくれる。キリンは巨大で、走る姿がノッソノッソという感じ、何か優雅な振舞いに見える。遠くからは2頭が見えたが、低木の周りには他にも何頭かがいて、乾季で少ない葉をもしゃもしゃと食べていた。

 セレンゲティへの道に戻る。途中、マサイ村に寄る。観光用に、金を取って公開しているところがたくさマサイ村にてマサイの家んあり、サイディ君によると価格は10〜20ドル近くまでとまちまちだそうだ。今から寄るところは一番安い、10ドルまたは1万シリングとのこと。何となくこちらの通貨単位に慣れてきたので、この価格はたいへんに高いように思える。しかし、通常、写真などもっての外であるマサイ族にカメラを向けられるというのはメリットではある。十数軒の家、祭(?)の広場、学校があって、広場の周りには垣根があって首飾りや腕輪などの売り物がかけられている。ひょっとすると公開用に作られた村なのかも知れない。我々はフランクという英語名を名乗る若者に案内されて村の中を回る。家は細い木を組み合わせた壁に泥を塗りつけ、屋根は茅葺きになっている。女性が作るのだそうで、工期はわずか1週間である。泥の壁だから雨季になると崩れてしまうのではないかと思うが、そのときはどうするのだろう。また、道でときどき出会った、黒い服を着て顔を白く塗った若いマサイ人についても説明してもらった。マサイではマサイの子供、一定年齢になると、半年間の修行として、村を出て自活しなければならないそうだ。自活と言っても、元々酪農や狩りが収入源なのであって、そこから出て自活するのは難しいと思うが、集会所(?)での踊りそこらへんは自分で工夫せよ、それが修行、ということなのだろう。見たところ、道端で座っているだけの人も多いようだが..
 広場では、男女に別れて踊りと歌を披露している。踊りと言ってもずっと飛び跳ねているだけで、それにリズムよく歌というか、掛け声をかける。最初にSが、次いでCKさんが踊りの中に呼ばれて一緒に飛び跳ねる。女性の輪の中には決して男は呼ばれない。よって、私は写真を撮るのみである。広場を囲う垣根の腕輪などを撮っていたら、つけてみな、ということで腕にいくつかを着けられ、いいね、20ドルでどう?などと言う。ノーノー、高いよ、要らないよと逃げる。聞くと、首飾りなどは50ドルなんて言うから呆れた。値切り前提の言い値だとは思うが、こんなビーズの飾りがそんなにするわけはない。
 しばらく一人で写真を撮ったりしていたら皆とはぐれてしまい、フランク君の説明を聞き損ねた。後で聞くと、家の中も見せてもらったそうである。狭くて、体を伸ばして眠るスペースもなかったとのことで、慣れればそれが当然なのかも知れないが、あの家では東洋人の体格でも狭いとは思う。学校は、屋根どこマサイの学校首飾りなど。高い。ろか建物もなくて、木の下に黒板とゴザが置いてあるだけである。そこに子供たちが座って、先生(?)が子供に黒板の文字(アルファベットや数字)を読ませたり、歌を歌ったりしている。同じことをずっと繰り返しているので、学校というよりデモンストレーションという感じだ。歌はタンザニアを讃える歌、みたいな内容で、いろんな地名が出てくる。スワヒリ語だけよりはこちらの方が観光客には分かりやすい。ダルエスサラームと同様、ここの子供も声が甲高くてかわいい。学校の周りを撮影していたら、米国人男性と目が合ったのでちょっと話をする。アフリカは5回目なんだそうで、東アフリカ諸国を見て回ったがタンザニアが一番だね、動物も多いし、景色がいい、人もいい、治安もいい。と言いながら愛機(であろう)ミノルタのα-707でパチリ、と撮る。そうなんですか、こっちはアフリカ初めてで、しかも2日目で何も分からないんですが、でも景色はすばらしいですね。日本にはこんな広々としたところがないので驚いています。あ、カメラはマクサム(ミノルタαの米国の商標名)なんですね、などと話すと、おお、君はなかなかいい英語を話すね、うちの国にも来た事あるの?と過分なお言葉に恐縮した。何を基準に私の拙い英語を評価してくれたのだろうか..そういえばハワイのカメラ好きなタクシー運転手とカメラ談義ができたくらいだから話題によっては話ができるつもりではあるが。写真好きの人とは波長が合うのかも知れぬ。
 さて、授業参観(?)が済んだところで一段落となり、村の入口へと戻る。十分に堪能して、車に乗り込んだ。

ここより先、セレンゲティ国立公園 11時半ごろ、ンゴロンゴロ動物保護区と、セレンゲティ国立公園の境界に達する。周り見渡す限りの平原で、岩と木がちょうどあったから境界線の標識を立てた、という感じで、管理事務所があるわけではない。記念撮影をする。MY君が地面小用を足しつつ..に転がって、何だと問うと、ンゴロンゴロでゴロンゴロンですよと言う。日本を出る前に語呂合わせのような(回文でもないし..)意味で言っていたのを実践しているのだ。Sも岩をバックに逆立ちをする。3時間半も車に乗っていたから体を動かしたくなるのはよく分かる。今は秋分の日から1日後、時刻は昼近くだから南緯数度のここでは影がほとんど出ない。ちょっとしたことだが新鮮だ。
 サイディ君がトイレに行きたければそこらでやってしまえ、と言うのでブッシュの方に歩いて行って小用を足した。ブッシュと言ったって脛くらいまでしかないから前方には雄大な平原が見えている。恥ずかしいというより、あまりの開放感に言葉もなかった。
トカゲ 車に戻り、20分弱走ると、セレンゲティのゲートに到着する。ここは低い岩山のようなもので、管理事務所と売店、トイレがある。駐車場から岩山の頂上まで遊歩道もあって、なかなかの眺めであった。雲が徐々に重くなり、少々雨あり。岩山にはトカゲが住んでいて、オスは鮮やかなピンク色でメスは灰色と茶色の中間くらい、オスはアピールのためか、腕立て伏せのような動きをするのがユーモラスだった。
 雨が強くなって来たので下に降りる。降りたら止んでしまっエサをもらいにきたた。ならばここで食事にしようということになった。ランチボックスを開けると、青緑色の美しい鳥が寄ってきた。人間が座っていると、エサが落ちてくると思っているらしい。ランチボックスのサンドイッチがパサパサであんまり美味しくないから、そのカケラを鳥に上げた。国立公園で動物にエサをやるのは禁止だが、まあパンくずをごくわずかだ今日のランチボックスからいいや(良くない..)。パンがこれだからまともに食べられるものがないと思っていたが、デニッシュはまあまあの味だった。きゅうりやにんじんをガシガシ食べて後はチョコレートで満たすしかあるまい。最後にマンゴージュースを飲んだら濃くてドロドロであった。食べてしまったらもうすることがなくて、ぼんやりする。ゲート近くのゴミ箱に空のボックスを捨てて、車に戻ったのだがサイディ君が行方不明である。さっきはせかしていたのに、本当に急いでいるかどうか、甚だ怪しい。まあ良い休憩時間になった。

 13時過ぎに出発。ゲートでチェックを受けて、いよいよセレンゲティなのだと思う。この公園は広いと聞いてはいたが、それから想像される風景をはるかに超越して広い。日本でのスケール感からすると、果てしなく、ひたすら広い、と思うばかりである。道は相変わらず砂利道で、道路の真ん中が一番高く盛り上がっていて、左右は路肩に向けて傾斜している。サイディ君は、この道を左に傾きながら80km/hで走り続ける。対向車はほとんどなく、真ん中を走れば水平に走れるのだが、左に傾きながら、右へ少しステアを切りながら走るのだ。真ん中だと左右にぶれるからかえって運転しにくいのだろう。ところで、MY君の息が荒い。どうやら体調が良くない様子。キリンを見ていたときから既によろしくなかったようで、心配である。とはいえ、ここで停まっても周囲にはまるで、何もない。ロッジに着くまでは我慢だ。皆で、ずいぶん乗ったねぇと言っていたときでも未だ15時半、今晩の宿はケニア国境に近い北東のはずれにある。まだまだ先は長い。途中、激しく雨が降る。これから雨季に入るのだ。大地はみるみる濡れて、動物たち少なくなったように感じる。雨はスコールのように断続的に降るのだが、雨量はあって、低いところは川や池のようになっている。サイディ君は所々、速度を落としながらこういう箇所を越えて行く。しばらく走ると雨を抜けた。再び動物の群れが現れる。シマウマ、ヌー、ガゼル、インパラは特によく見かける。その数は、昨日のンゴロンゴロの比ではない。話によると、ヌーが一番多くて、200万頭ほどもいるのだという。それが、ここセレンゲティからケニア側まで、季節によって居所を変えながら生活しているのだ。こう広いと、200万頭という数字もそんなに多くはないと思えてきてしまうから不思議だ。実感というより単なる錯覚なのだろうが。今日撮った写真を以下に挙げておこう。今日は車での移動がほとんどだからあまり望遠で撮ってもブレてしまう。OMの100mmF2.8が活躍した。
突然の雨 ゾウの群れ 道をふさぐシマウマ 休憩中のライオン
ハイエナ、いつも申し訳なさそうな顔してるなー 悠然と食べているキリン ゾウの群れ

ロボ・ワイルドライフロッジ 18時前に、ロボ・ワイルドライフロッジに到着した。岩山の窪みに建物をしつらえて遠くからは良く見えないのだがなかなか良い感じの建物、環境や動物たちにとっては良いことだろう。入口は岩山の裏手に作られていて巧妙に外から見えないようになっており、動物が不用意に迷い込まないようになっている。昼食休憩が1時間半程度、それ以外はンゴロンゴロ・セレンゲティの境界でちょっと降りた程度だから、8時間くらいは乗っていた計算だ。へとへとになった。今日は疲れただろうから、ということと、ここは公園の真っ只中にあることから、明日の集合は遅くてよい。9時出発、これはありがたい。ウェルカムドリンクのパッションフルーツジュースがのどに染み込むように思われた。
 部屋は、アパートのように2階建ての別棟になっていて、我部屋の様子々は2階の一番手前から3つの部屋を割り当てられている。1階でも山の中腹なのだから2階の展望はすばらしい。建物はこぎれいであるが、よく見ると遠くの棟は少々古ぼけている。68年に着工したというからもう36年になるわけで、それなりに年を重ねているということか。周囲には鬱蒼と木が茂り、サルが戯れ、リスのような動物が葉を一所懸命に食べていた。食堂は広くて、天井が高い。入口にドリンクコーナーがあるのでそこでコーヒー(インスタント。アフリカフェというタンザニアのブランド)をもらって外に出る。展望の開けているところにはプールもあって実に豪勢であるが、高地で寒いから誰も利用しないのか、水が茶色であった。プールの脇からさらに小さな岩山を登ると、さらに展望が開けて、さっきのプールに流れ込む水の音が聞こえなくなって、代わりに平原を歩くバッファローの足音が聞こえてきた。静かだ。ひたすら、静かである。声を出すのがもったいないほど静かだ。プールサイドに戻ったら、先ほど飲んでいたコーヒーの器などが下げられていた。寒くなったので、部屋に戻る。風呂に入ろうと、湯を出したら茶色である。つまり、プールの水もそのまま茶色なのだと思う。風呂は廊下側にあって、換気扇はなく、天井近くにある窓が開きっ放しになっている。外には声がよく聞こえてしまうだろう。時折、サルが屋根の上を走り回る音がタッタカタッタカと小気味良い。ここは2泊なので、この旅行最初の洗濯をした。ちょっと寒いので、果たして乾いてくれるかどうか。
庭の掃除人(?) プールもある プールサイドからの眺め 水は茶色

食堂へ 19時半から夕食である。昨日とは違って、ここはコース料理になる。昨日と違うことはもう一つある。客がいないのだ。我々6人以外には全く。これでは、今晩は従業員の方が多いだろう。広さがかえって寂しい食堂で、料理の選択肢をぼそぼそと相談するのもあまりない経験だろう。スタータはスイートコーンのフリッター・甘辛ソースで、コーンが入ったつくねのような揚げ物に酢豚のようなソータンザニアワインスがかかったもの。カボチャのスープは香辛料が香ばしい独特の味を出している。飲み物としてタンザニアワイン(赤)を頼んでおいたが、これは個性的というより雑味があって、ぶどうの味が生っぽく残り、甘酸っぱい感じ。あまり多くは飲めないと思った。メインはマサイ牛のフィレステーキで、柔らかくて美味しかった。ソースが香ばしく、付け合せのクスクス(粒状パスタの炒め物のようなもの)ともよく合う。デザートのプディングは所謂プリンではなくて、シフォンケーキにカスタマサイ牛のステーキードソースがかかっていた。美味しいのだが、甘くてもはやお腹に入らない。ところで、MY君が昼から調子が悪かったのだが、胃腸がよくないらしい。私は昔から胃腸をよくこわすからいろいろな薬を飲んだことがあるのだが、今回の旅行用に強力な胃腸薬を持ってきている。それを取りに部屋に戻った。効くと良いのだが、医者ではないので他人の体調まではなかなか予想できない。席に戻ったら、なんと新しいプディングが来ていた。中座したときに皿を下げられてしまい、周りの人が彼は戻ると言ったものだから新たに持ってきてしまったのだ。いやもう、食べられない。申し訳ないがこれはほとんど残した。なお、料理は宿泊料に含まれているが、飲み物は別になる。ワインは20000シリング、水は2Lで4000シリングもした。
 部屋に戻り、身の回りの片付けをする気にもならず、日記を何とか書き付け、23時前には寝た。


第5日へ

旅行記トップへ