04年9月下旬−10月上旬
第1次(?) タンザニア旅行
●第10日 04年10月1日(金) ドバイ
9時、食堂に集まろうと言っていた時刻に起床してしまった。慌てて支度する。湯はやはり出ない。食堂がどこか分からずGF(日本では1階)に降りたら、RFにあるという。RFなんて言うと屋上かと思ってしまうがレストランの階、のようでGFの上、日本式には2階がRFという表示になっていた。その上が我々のいるところで、ここの表示では2F、日本式には3階というわけでちょっと説明するのがややこしい。レストランはHana-Restaurantという名前で、Hanaとは花のことだろうか、和食・中華・アジアン全般を出す店になっているらしい。そんなわけで、朝食は和食を含むビュッフェになっている。味噌汁、ごはん、焼き魚などがあった。味噌汁は豆腐が煮詰まらないようにか、別になっていて分量は自分で決める。なかなか美味しい。和食以外も、スープというかおかずというのか、いろいろ種類があり豆をカレーで煮込んだものが特に良かった。ジュースに至っては何と8種類もあり、オレンジ、パッション、ももと3種を持ってきて飲んだ。今まで朝食はンゴロンゴロが一番豪華だったが、ここはそれを超える種類があって、何だかこれだけでも話が弾むのであった。まあでもよく見たら皆眠そうであるし、そろそろ日本の事情も気になってきたような感じだ。
食後、GFに降りてデザートサファリの手配をする。文字通り、砂漠に行くわけだが、ホテルに15時半に迎えが来て、夕食付きで22時に帰着する。すぐに街に出るにも皆眠いし、後で出かけることにした。時間は十分あるのでシャワーを浴びることにする。湯が冷たい件は、昨晩、皆異常なく熱かったというから、どうも我々の部屋に問題があるようだ。今朝起きてから気になっていたのだが、バスルームの照明のスイッチの他に、もう一つスイッチがあるのだ。その悪い予感は当たって、これが電気給湯器の電源だったのだ。全館に湯を出すより部屋単位で暖めるのか。しかしそれはそれで設備と電気に金がかかるような気がする。ともあれスイッチを入れてシャワーを出してみたら、あまり熱くない湯が出てきた。何だか中途半端だ。しばらく眠ることにする。
11時過ぎにホテルを出て、皆で市内散策をする。今日は金曜なので、イスラム圏では商店はお休みであって、繁華街のはずの場所もガランとしていて静まり返っている。ゴールドスークまで足を延ばすがどこも完全に休みであった。観光案内所も開いていなくて、これは金曜だからではなくて、昼の休み。つまり、金曜以外でも昼から夕方近くまでは休みなのだ。まあこれだけ暑いと、いくらここで生まれ育ったといっても午後は商売になるまい。気温は40℃近いのではないだろうか。ビルの谷間で日が当たらないところは何とか歩けるようにも思えるが、とにかく暑い。仕方ないので、閉まっている店のショウウィンドウを見て歩く。
日本製の工具、家電製品が絶大な信用を得ているようで、日本製を騙った偽物や、「主要部品が日本製」などというかわいい製品もある。こういうのは荷物にならない範囲で買って帰りたいものだが、今は金曜かつ昼間、とにかく店は営業していないから仕方ない。24時間スーパーならやっているだろう、ということで昨晩教えてもらったジェスコ(カタカナで書くとジャスコに類似なネーミングに見えるな..考えすぎだが)に行く。予想通り営業していて、皆で買い物をする。喉が渇いたのでカナダドライのクリームソーダ(今思うととんでもなく甘ったるいのだがこういうときはつい)、チョコバーのアイス、カップのアイス、日記用のペンのインクが切れたので現地のボールペンなどを買い込んだ。アイスクリームは帰りの道で溶けてしまわないかと気を揉んだが、ホテルはごく近いのでそれは大丈夫だった。チョコバーは甘味が抑えられたダークなチョコと、中はふかふかのミルクがすごく良い味だったが、カップの方は安い(30円)こともあって合成着色料いっぱい、という感じのどぎつい色でまずかった。なんて言いながら食べてしまったわけだが。
午前中も休んだが、やっぱり午後もしばらく休むことにした。扉にDon't disturbの札をかけて2日間部屋をそのままにして過ごすから気楽だ。昼休みが長いわけだからホテルにでも居る他はなく、結果として良い方法だった。予定の15分前にGFに降りたら、ツアーの人がもう来ていて、すぐ乗れと言う。予定より早いのに何だか急いでいる。車は4500ccエンジンのランドクルーザーで、高級車である(但し、マニュアルトランスミッションである)。タンザニアのランドローヴァーが踏破能力はさておき室内はボロだったので、このステップアップが嬉しくなってしまった。運転手君、ほとんど口を利かず、ドバイの市内を走り始めた。運転は極めて荒い。右に左に、空いているところを探して車線を変え、加減速も激しい。赤信号の交差点では右折可(日本では常時左折可と同じ意味)のところを走り、ちょっと走ってUターンしてもう1回右折(これで赤信号回避)、などととにかく止まる事がイヤなようだ。4500ccのランドクルーザーで、人は7人乗っていて、この運転では燃費が悪そうだ。砂漠では低いギヤを多用するだろうし。そして何より、オーディオがうるさい。Sがヴォリュームを下げてと言うついでに名前を聞いたらムハマド君とのこと。話し掛ければそれなりににこやかなのだが、そうでなければ極端に無口で、自分からはほとんど話すことがない。これは何となく私みたいなやつだ。とすると私も他の人にこういう風に見られているのかと思い、ちょっと反省する。ムハマド君、郊外に出てハイウェイに入ると運転が絶好調になってきた。MY君のGPSによると、174km/hまで出ていた。法定制限速度は100km/hである。前の車が遅かろうとこんな調子で車間を詰めるので怖い。また、ドバイのフリーウェイは日本の高速道路並みに整備されている(周りは砂漠だが砂もないし)ものの、インターチェンジでなくてロータリー式のところもあるので減速も激しい。乗っていて疲れた。
しばらく走って、ある商店の前で止まった。ここで10分休憩、他の車と合流して砂漠に入るらしい。既に同じツアー会社(ネットツアー)の他の車が来ていて、ムハマド君、たいへん悔しそうだ。つまり、15分も早く来て、すぐ乗れというのはここに一番乗りするためだったらしい。ちょっと呆れた。そんなわけで、相当早く着いていたらしく、他の車が揃って出発するまで20分かかった。その間、することがないが商店でマウンテンデューを買って飲む。この飲料は日本ではウケなかったけど、私はけっこう好きなので、つい懐かしくなって買ってしまった。喉が渇いていて、懐かしい味がしみわたる。トイレを借りたら、店の裏にあるプレハブのようなトイレで、水道はあるがチョロチョロであった。水が潤沢にあるのはやはり市内だけか。車に戻ったら、ムハマド君がタイヤの空気を抜いていた。タイヤを潰し気味にして、砂の上での接触面積を増やすのだ。その代わり、帰りのアスファルトの上では不安定になってしまう。それはどう対処するのか、おそらく夕食時に空気を入れ直すのだろう。そうでないと、帰りにフリーウェイをぶっ飛ばすことはできない。
皆が揃い、砂漠に入ることになる。私は最初、助手席に座ることになった。砂漠の走りは、とにかく荒っぽい、に尽きる。左右に尻を振りながら、前後左右、30度くらいまで傾斜を繰り返しながら、砂漠の中を走り回る。砂の丘を越える時、前が見えなくなるので大変怖い。そもそも、砂漠の景色が車輪の跡だらけで、風景として全然面白くない。皆は面白いと喜んでいるが、それはアクロバット走行に対してのことだ。走行が目的みたいで、風景が楽しめないのはどうにも苦痛で、私は全くこの走行になじめず、気分が悪くなってしまった。何とか耐えて、途中で休憩するポイントに着いた。車酔いは休憩すると何とか戻るのがむしろ恨めしいというか、また次のポイントに行くために車に乗らねばならない。車の方も1-2速ばかりで走っているので、休憩時はボンネットを開けて熱を逃がしてやっている。そんなに走らなくてもいいようなものだが、砂の丘を駆け上がるためには勢いも必要なので、そう簡単には速度を緩めてくれないのだ。写真の出来はひどいもので、こう斜めになっているのも、こういう走りだったということが分かるから載せておこう。
後半は後部座席に移り、左右の遠く(視線の移動が少なく感じるから)を見ながら乗っていたが、精神的にダメと思い込んでいるから気分がよくなることはなかった。3度目(たぶん)の休憩時に夕日を見る。これは美しかった。車酔いが激しく、手足の末端がしびれて冷たく感じる。それでも撮影はした。
最後に(比較的)平坦なところを走って、集落のように周囲を塀で囲ったところに到着。ここで夕食になるようだ。皆がラクダに乗って遊んでいる間、私は砂の上に座って休んでいた。日が沈み、砂は急速に冷えて行く。砂漠の寒暖差というのを実感する。トイレに行こうと思い立ち、塀の中に向かったら入口でアラビアンコーヒー振舞われた。色は薄茶色で、香りが強いのだが味は薄い。ダルエスサラームの街角で飲んだコーヒーと同じような、小さなお猪口のようなカップで飲む。薄味なのでもう少し量が欲しいところだ。しかし冷えた指先には、お猪口からの熱でさえありがたく感じた。トイレは立派な広い個室が3つもあって、そのうち一つにはシャワーまで装備されている。周囲を見るにオアシスでもないこの砂漠の中に、集落のような施設を作るとは手が込んでいる。タンザニアの空港のトイレよりずっと立派であった。金の掛け方がちがう。
しばらくして、皆と合流する。囲いの中は、中央にコンクリートで出来た丸い舞台があって、その周りに客席(あぐらをかいて座る)とテーブルがある。その外周に、アラビアンコーヒーのコーナー、ホットドリンクの屋台、ギフトショップ、ビュッフェ、入墨体験、アラブの服の試着、前菜を出すコーナー、冷たい飲み物を出す屋台、音楽ステージ、水タバコ体験、タカを腕に乗せる体験などのコーナーが並んでいる。ビュッフェの脇では何やら肉を焼いているようで、煙がもうもうと出ていた。客席には既に6人分まとまって空いている所がなくて、舞台近くの4人分のスペースに6人座ることにした。飲み物はコーヒー、紅茶は無料で、冷たいものは1本まで無料、2本目以降と酒は有料だ。前菜はメンチカツのようなものとケバブサンドのようなものをその場で作っているので、若干時間がかかる。食欲がなく動きたくもないのでSに取ってきてもらった。ビュッフェはかなりの時間が経ってからオープンした。炭火で焼いた肉は見た目も豪快で美味しそう、とは普段の感想で、今の私にはあまりそうは思えない。肉類は避けて、ちょこっとだけ取ってきた。と言いつつ、車酔いは病気ではないから次第に直ってしまい、少しずつ食べているうちに回復して、何だかんだ言いながらしっかり食べてしまった。
食事が大方終わったところで、ベリーダンスのショウが始まった。青い衣装を来た女性ダンサーが一人で踊る。彫りが深くて、人形のように形の整った体だ。腰を小刻みに揺らし、お腹の肉をプルプルさせながら踊る。とはいえこのダンサー、そんなに肉が余っているわけではない。しっかり鍛えていらっしゃるようで、腹筋の形が見えるほどである。曲がアップテンポでノリが良く、ダンスによく合っている。4方向から光が当たっていて舞台は明るく、写真を撮るのも容易だ。と、しばらくすると客(男)を指名し始め、舞台に乗せて一緒に躍らせるようになった。腹を出させて震わせて、皆のウケを取っている。何人か指名されているうちに、その人たちにある共通性が見えてきた。腹が出ている、のである。その点私も仲間であり、かつ、舞台近くで大きく、目立つカメラを構えているのはたいへん危険ではある。案の定、その危惧は当たってしまい、私も舞台に上がることになった。恥ずかしいけれど、ここに来たらもうヤケで、ノリよく踊ってしまった。5人の日本人にやんやの喝采を浴びたのは言うまでもない。気付くと、車酔いはすっかり直っていた。後半では女性も指名されていたが、さすがに女性は腹を出せとは言われていなくて、それは当然だけど、若干テンションが下がってしまった感はあり。
終了後、再びムハマド君の車に乗って帰る。この集落(?)はおそらくフリーウェイに近いところにあるだろう、と勝手に楽観視していたのだがそんなことはなくて、平坦なところではあったけどそれぞれの車が煽り合って、猛然と加速したりショートカットして割り込んだり(道がないからショートカットと言えるのかどうか..)、やっぱりとんでもない運転であった。タイヤの空気圧は戻してあるらしく、帰りのフリーウェイは快適だった。フリーウェイに入ると、ドライヴの技術が不必要になったと思うのか、オーディオをいじったり携帯電話を使ったり、そんなことをしながら180km/hでぶっ飛ばしていた。聞くと、180km/hまでは捕まらないのだそうだ。それはそうだろうし、慣れてもいるのだろうが..客が慣れていない。まあしょうがないか。ガソリンは出発時に満タンだったのが残り1/4まで減っており、砂漠まで往復で80kmくらい、砂漠の中はぐるぐる回っているようなものだから全体で100kmくらいしか走っていないはず、そこを数十リッターのガソリンを使って走ったわけで、2km/Lくらいの燃費だ。ガソリン代はいくらなの、と聞いたら1リッターで90フィルス(1ディルハム=100フィルス)で、28円くらい。最初、ガロンで28円、つまりリッター7円か!と皆で驚いたのだがこれは勘違いで、帰国後調べたら1リッターの相場が28円くらいであった。それでも十分に安い。水が0.5リッターで1ディルハムだから、水の方が高いのであった。
ホテルには22時ごろ着いた。疲れたが貴重な体験ではあった。しかし、個人的には、車でのデザートサファリはもうたくさんである。次にドバイに来る時は、ラクダでのサファリを選びたい。KK君の部屋で、ノンアルコールのパーティをする。写真を見せ合いながら楽しく過ごした。旅行中に写真を見せ合えるというのはデジタルの利点だ。25時ごろに終了し、寝ることにした。
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