04年9月下旬−10月上旬
第1次
(?) タンザニア旅行


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●第11日 04年10月2日(土) 〜第12日 10月3日(日) ドバイ→関西→羽田

 朝食、相変わらず食べすぎ観光ができる最終日、ということになる。寂しい気もするが、疲れもあるからこのくらいが丁度良いのかとも思う。9時に起きてハナ・レストランに行く。焼きうどん(麺はヴェトナムのフォーのようだ)があったので大喜びで3杯も食べてしまった。しょうゆとしょうがの味が香ばしくて良い。11時半に再集合を約し部屋に戻りパッキングをする。今日は荷物を受付に預けて夜また戻って来て、その後空港に向かう段取りだ。外は暑いし、もう望遠レンズを持ち歩く必要はないので、180mmレンズやテレコンは預けるカバンに入れてしまう。本当は安全面からは良くないことだけど、外に持ち出したら安全か、というとそういうわけでもないし、気にしないことにする。紙幣の写真を記念に撮影し、あとは集合まで再び眠ることにする。

 チェックアウトし外に出る。たいへん暑い。カメラを出すとレンズが曇った。E-1のレンズは防滴構造になっていて気密性が高いので、一番外の1面だけ曇ったが後は問題ない。あまりに暑いので曇ったレンズもすぐに乾いて、撮影可能になった。クリークまで歩く。アブラ(渡し舟)に乗って対岸に渡るのである。この舟は2人で1ディルハムと、安価だ。対岸までは数分といったところで、多数走っているから待つこともほとんどなく、なかなか便利な乗り物である。舟の上には手すりも柵もなく、ただベンチに座るだけだ。そのまま水に落っこちてしまいそうだが舟自体の安定がよくて、大きく揺れたりはしない。海には出られないと思うがここは運河だから問題ない。それに、何より走り始めると風が心地よい。道路の上を歩いていると気温は37℃以上ありそうなのだが水の上は少し低いようで、風と相俟って涼しく感じられる。クリーク付近の風景もおもしろい。モダンなビルと、クリークを行き交う古い船との対比が楽しい。アブラだけでなく、大きな船も古いものがけっこう走っているのだ。
アブラ(渡し舟) 水蒸気(?)にかすむ景色 古い船もけっこう走っている 古い船と、新しいビルと

 
両替屋 きれいなモスク 派手なモスク
対岸に着いた。ここからオールド・スークを歩く。アブラ乗場の近くにカメラを売る店があったので覗いてみたがたいしたものはなかった。スーク、とは小売店が並んだ商店街・市場のようなところで、同じような職種の店が集中しているのでいろいろ比較しながら回ることができる。昨日は金曜で全ての店が休業していたが今日は盛況である。いま歩いているところは布地を売る店が多い区画で、色とりどりの布や服が置いてある。ところどころに両替屋があって各国の紙幣のコピイが店先に貼られている。もちろん日本円もある。とんでもないところでは、戦前のライヒスマルク(ドイツ)なんてのがあったがそれは店主のコレクションなのだろう。スークの角や外れにはコピイ商品を売る店(露店)があってこれもおもしろい。自分でコピイと言っているので堂々としたものだ。ラジカセや電卓などはコピイというより、どこかで作られたものに類似ブランド銘を冠した製品で、タンザニアでも見たPanasoanic、KadioのほかにinterNationalとか、Cashoなんてのもあった。でもナショナルって、日本国内のブランドではなかったかなぁ。これで通用するのかね。弊社の製品も真似されていたら買おうかと思ったが真似されていなかった。それはそれで、マイナーなブランドなのではないかと思われ、ちょっと複雑な気分である。

ドバイ博物館 しばらく歩くが暑くてたまらない。ドバイ博物館に入ることにした。昔の城砦を博物館にしたもので、入場料は3ディルハムだ。博物館だから涼しいだろう、と思ったら中庭げ、中庭が暑い!に展示物があって白い地面の反射は眩しいし、隠れるところもなく余計暑くて閉口した。昔の家の再現、大砲や船の展示があって、家は少し涼しい気もしたが詳しく見て回るのがつらかった。MY君の腕時計に温度計がついているので見ると、外の気温は39-40℃ほどだ。これはたまらない。新館というのがあってここは地下に出来ている。皆、そこに急ぐ。地下は29℃で、これが日本なら暑くて仕事にならん、となりそうだがここではこの温度が気持ちよく感じられた。湿気が少ないということもあるだろう。展示は、昔のドバイの模型、ドバイ発展史をまとめたフィルム上映、商店や学校など昔の風俗を伝えるコーナーなどで、手が込んでいて楽しめた。昔の商店の再現コーナーでその一角に座ってみたら、ひんやりした空気が気持ちよかった。暗い商店群を見ていると、つまりここは昔のドバイの夜を再現しているのだと思う。それほどに精巧でリアルな展示であった。次の展示に移動する通路には砂まで撒いてあり、砂漠の様子が左右に再現されていた。最後の遺跡発掘のコーナーは冷房が寒すぎてこれはやり過ぎ。ここと屋外とは20℃近く差があるようだ。この国は建物を冷やすことにはとにかく力が入っているけれど、外との出入りを繰り返しすのは体に悪いこと確実だ。
 出口の前に円形のスロープがあって、そのスロープの下に売店がある。お土産でも買おうかと思うが適当なものがない。UAEの各首長国(七つ)の砂を使った置物は良い感じだ。ガラスを8層に重ねてその中に7種類の砂が入っている。そのグラデーションがなかなか面白いのだが、ただ難点はガラスを8枚も重ねているので分厚く重いこと、そのガラスを固定しているのが紙でできたテープというチャチさだ。紙のテープは表からは見えないが、既に今この時点でグラグラしていて、これではいつかは砂が部屋にぶちまけられることになりそうだ。結局何も買わずにスロープを登って、出口の近くのベンチでしばらくうとうとしていた。
1500年ごろのドバイ ドバイ発展史のフィルム ん、一人余計なような? 昔の学校の様子

昼はガラーンとしている 皆が揃ったので外に出る。即座に、ムッとした熱気が体を包み込み、汗が噴き出してきた。時刻は12時を回っており、商店は昼休みに入っていて先ほどの賑わいは全くなくなり、別世界のようだ。昼食を取りたいのだが店が開いていないのは問題で、しばらく歩き回った挙句にチキンのファストフード店にクリークの風景入る。小さな店で、10人も入れば満員だろう。Sと2人で、ベジタブルバーガーというコロッケのような揚げ物を挟んだものとフィッシュバーガー、オニオンリングにコカコーラライトを注文。Sは後でアップルパイを追加した。今回の旅でファストフード店というのは初めてで、タンザニアのランチボックスを除けば他はかなり豪勢に食べているからこういう食事が新鮮に感じる。味はまあまあで、ただコーラがやたらと薄いのは気になった。ライトだからか?..ともあれ、狭い店でもエアコンは効いていて、それはありがたい。
 食後、ドバイ首長の家(博物館になっている)に向かう途中、クリーク沿いに歩いていたら大きなレストランが営業していた。ありゃま、こっちのほうが良かった。歩いてみないと分からないもんだけど、とはいえ40℃の気温の中、長時間歩くのも大変だ。見つけたら入る、で仕方ないと思う。クリーク沿いは市内より若干気温が低いような気もするが、まあ気もする、程度のことでやっぱり汗だくになって首長の家に到着した。2ディルハムを払って入場する。中庭を囲んで四方の部屋に展示がある。部屋ごとに分野を変えているようで、ドバイの歴史と生活の変化、首長の写真(首長の生活など)、ドバイの切手やコインの展示、のように分かれている。首長の写真の部屋が一番冷房が効いていたような気がするのだが、一番留まって欲しいという博物館側の意向だろうか..考えすぎだな。展示物は、ドバイ博物館と一部重複があって、思うに首長の家、を前面に出した展示をする方が良いと感じた。例えば、首長の生活を写真で見せているが、家具なども展示されていればよりリアリティが増すと思うのだ。我々は、あまりの暑さに、冷房の吹出口の近くの展示物を最もよく見ていた。情けないが、生理的にそうなってしまうのだ。
首長の家 よい展示 昔の家 なぜか東京オリンピック

 首長の家を出ると、夕暮れ時になっていた。せっかくだからジュメイラ・ビーチに行こう、ということになる。高級ホテルが建ち並ぶリゾート地である。近くのショッピングモールまで歩き、そこでタクシーに乗る。市内への交通は混んでいるが、外へ出る方はそれほどでもない。でも、大きな交差点では渋滞していて、ジュメイラ・ビーチ・ホテルまではけっこうな時間を要してしまった。タクシー代は28ディルハム(900円弱)、メーター制で明快だし、距離、時間の割には安いと思う。ジュメイラ・ビーチ・ホテルは隣のバージュ・アル・アラブ(321mという高さを誇る)と共に観光ガイドなどによく掲載されている高級ホテルで、最低でも1泊3万円は下らないとか。というわけで出入りする欧米人は皆、身なりも立派で(夕方ということもあろうか)、我々の格好はいささか場違いである。タクシーは2台に分乗していたのだが、2台目が10分近く遅れてしまい、その間場違いな格好でずっと待っていた。2台目の運転手、我々とは違う道を選んでしまって、そこが混んでいたのだという。
 さて、ホテルに入って、もちろん泊まる訳ではないからバーで一杯飲むことにする。最上階付近にレストラ吹き抜けの小宇宙ンなどがあって、24Fにバーがある。エレヴェータを降りると前は下まで吹き抜けになっていて、電飾がきらめく空間は美しくも恐ろしく、高所があまり得意でない私は、さっさと1枚撮って廊下へと急いだ。バーは予想外に小さい。というのも、このフロアも客室があって、一部がバーになっている、というのが本当のところなのだ。6人も座れるところが無さそうだったが、バーの端まで案内され、そこから屋上に出たら大きなテーブルがたくさんあって座ることができた。外だからムッとして暑いが、昔習った理科の計算では、100mは上がったから0.5度くらいは地上より気温が低バーからの夜景いはずだ..などと下らないことを考えていた。実際には日も暮れて、風が少しあるので過ごせなくもない気温だ。屋上からバー方向を見ると、屋上のテーブルがあるところは船の甲板のイメージで、バーとその上の客室は艦橋のように見える。屋上もバーも真っ暗で、テーブル上だけがほのかに明るいから服装がいいかげんでも何とか誤魔化せるのはありがたい。屋上の端まで歩くと、下の客室の庭のような空間と、ドバイ市内方向の夜景が見えた。ビーチの方向はあまりよく見えなくて、バージュ・アル・アラブの先端部分が派手な照明とともによく見えた。
 ところでバーの価格だが、ビールが27-28ディルハムで、タクシー代くらいする。高いが、ここに来てそれを言うのは野暮だ。それより、メニューカードが見えないほど暗くて、酒を選ぶのにも苦労する。困っていたら、店員がペンライトを貸してくれた。こう暑いと、さわやかなものがいい。UAEには地ビールなんていうものはないので、コロナをオーダーした。テーブルにはおつまみ(注文以前に置いてあった。日本でいう所の「お通し」か)があってそのナッツが塩辛くて美味しい。昼に多量に発汗したから塩気が欲しいのだろう。コロナは目論見通り、ライムと共に、さわやかに飲めて満足。
 注文まで時間がかかってしまったこともあって、1杯で辞去することにする。これから市内でクリーク・クルーズを予約してあるのだ。市内への交通が混んでいるのは先ほど見て分かっているので、もう帰らねばならない。会計したら、何かのキャンペーン中で半額、であった。超高級ホテルのラウンジで1杯飲んで450円ほどを払ったというわけで、何だか有難いような有難くないような..下に降りて、タクシーを呼んでもらい、乗り込む。先ほどの2台目が通った、混んでいる道路に進んだ。案の定混んでいてなかなか進まない。仕事が終わって、市内へ向かう時刻らしい。店も夜中まで開いているから、つまりこれからが買い物の時間帯なのだ。クルーズの出航時刻は20時、しかしもう一つの案内にはホテルへの迎えの車が2015という記述もあっていいかげんだ。しかしこういう場合は早いほうを目標にすべきなのは言うまでもない。とはいえ、渋滞の中、どうしようもないわけで、ビールのアルコールの効果でいつしか寝てしまった(タクシーからSが撮った風景をここに入れておこう)。

 起きたら、市内への入口とおぼしき大きなインターチェンジで、そこを抜けるとすいすい流れ始めた。案内図によると、船は英国大使館の前あたりから出るらしい。ところが英国大使館の敷地が広大で、確かにクリークが右手にあるのだが乗るべき船がどれかが分からない。とりあえずタクシーは降りて、手分けして探すことにする。KK君とSが散開し、私は中間地点で待つ。こういうとき、荷物が多いと機動性に欠けて、自分だけサボっているようでイヤなものである。KK君の方角が正しくて、そこへと急ぐ。数百mも離れていて、出航は2015時、あと5分である。どんより暑いクリーク脇の空気を掻き分けながらそちらへと走る。息が切れた。出航ギリギリに到着、船内の冷房が寒いほどに感じられた。船は観光船だから窓は大きいが、船内が寒すぎて、外側が曇っている。まずは海の方向に走り出す。外海には出られないようで、先ほど見た首長の家あたりで引き返す。たいした時間はかかっていないので、これから上流(川ではないから言葉が適切でないが..)へと行っても時間がかからないままに終わってしまいそうだ。ところで、料理は片隅にビュッフェコーナーがあるが未だ取ってはいけないらしい。しばらくはソフトドリンクで過ごす。スタッフがインド人のようで、英語の語尾のrが何でも「・・・ル」と発音するのが分かりにくい(例えば、numberを「ナンバル」とか)。それでも、食事を取ってもいいとか、そういうことは分かる。しかし、見たところ、船上で調理していた様子は全く無くて、食事の前に飲み物を注文してもらいたかったみたいだ。昨晩のツアーも同様だが、酒類は別注文で有料なのである。料理はまあまあといったところで、昨日の方が美味しかったと感じる。
 食事は適当に片付けてしまう。暑い中走ったりして調子が良くないのだ。外の景色は、窓の曇り(よく見たら汚れも多い)、室内の映りこみでよく見えないから2階に行ってみる。ここはオープンデッキで、ムッとした熱気がすぐにまとわりついた。澱んだクリークの水は独特の臭いがするが、すぐに慣れてしまった。沿岸を見ると、至る所で工事をしている。ドバイはまだまだ発展を続けているようだ。写真を撮っていると、突然音楽が変わって、何となくイヤな予感が..今晩もベリーダンスのショウである。インド人のウェイターがアラビアンコーヒーを配って歩く。昨日のより薄くてまずい。それより、船の照明が暗くてダンスがよく見えないのは良くない。ダンサーは昨日の人に負けず劣らずスタイルも良くてダンスも激しいが、お客が少ないためか、周囲のノリがあんまりよろしくないのが気になった。暗くて、写真はブレまくりである。そういえば、フラッシュを持ってきているのだが、今回の旅行、ずっと大きなカバンに入れっ放しで、持ち歩かなかった。なんのためのアクセサリーなのだと思わず自問する。ダンザーは昨日と同様、客を呼んで一緒に躍らせる。最初に呼ばれたのはYM君で、あれよあれよと言う間に我々6人全員呼ばれてしまい、皆で踊る。私など、ダンサーの腰にあった薄紫のヴェールのようなものを腰に巻かれてしまって、それをヒラヒラさせて踊る羽目に。他、MY君はステッキを渡されて大いに盛り上がっていた。残念ながら欧米の方々が「お呼ばれ」を拒否しがちで全体には低調なショウになってしまった。こういうときは諦めて踊るべきだろう。と、2度も踊って気が楽になってしまった者は思うわけだが、最初は抵抗感があるかも知れない。
窓が曇る.. 至る所で工事中だ 最初にYM君が 呼ばれる人が増える
皆で踊りまくる! ステッキもらって大はしゃぎ 筆者もやっぱり.. 観光船

 終了後、周囲を見たら出航地に近いところまで来ていたので、クルーズももう終わりだろうと思って、下に戻る。水を飲んで、一息ついた。出航地に着いた。ちょうど2時間のクルーズだった。ここからホテルに戻るにはクリークを渡らなければならない。ホテルの方向に歩きながら、適当なところで向こうに渡してくれるアブラを探す。しかし夜は乗客が少なく、我々6人で1艘借り切りになってしまうから、たいていの船頭は吹っかけてくる。6人で20ドル、などと言うのだ。通常なら6人で3ディルハム、即ち1ドルくらいだから20倍だ。昼間だって1艘に100人以上乗るわけではないから、夜間割り増しみたいなものも含んでいるのか。これは値切ってもあまり引いてくれないので結局断った。また歩いて、ほぼホテルの対岸に来て、もうこれ以上歩いたら遠回りというところに来て、そこの船頭が6人で20ディルハムと言う。これは昼間乗る人数分を我々が負担しているような価格だからまあまあ納得できる。これに乗ることにする。対岸にはすぐ着いて、ホテルにはほどなく着いた。荷物を引き取って、送迎バスが来るまでロビイのソファでぐったりしていた。

 2315ドバイ空港にて時にバスが来て、空港に向かう。深夜だが街はまだ賑やかだ。10分で空港に着いて、早速チェックインする。人は多いが窓口も多いので列はすんなり進んだ。免税店で土産を買って、ついでにスポーツドリンクを飲む自分のためにスポーツドリンクを買おうとしたら財布の中身が予想より少なく、2000円くらいの買い物をクレジットカードでする羽目になった。他の人たちは行きに寄ったアイリッシュバーでビールを飲んでいたが、もはやその気力なし。私はベンチに座ってスポーツドリンクをちびちび飲んでいた。




●第12日 04年10月3日

 搭乗ゲートは22番、集合場所にしていたバーの向かい側とは全く偶然だが、歩く距離が少ないのはありがたい。待合室は混んでいる。それなのに、一部の日本人観光客は荷物を椅子に乗せて平気で座っている。こういう行儀はどうも不愉快だ。予定通りに搭乗となって、機内に入る。満席だ。どこかのグループで、一人だけ別の席だから替えてくれ、などとクレイムしている人がいて騒がしい。チェックインのときに言えばいいのに..そんなわけでなかなか皆が着席できず、落ち着かなかった。
 帰りは0230時発、関空着は1745時だから急速に夜が明けてすぐ夕方になるわけだ。最初の4時間くらい寝てあとはがんばっていれば日本の昼間と同じころを過ご食事は相変わらずたくさん出るせてちょうど良い、と計算するけどそんなわけにも行かず、ほとんど全行程をうつらうつらして過ごした。機はインド北部を抜けてタクラマカン砂漠上空を飛んだようで、窓側のああ、帰ってきてしまったなぁ。人はよい景色が見えたかも知れない。残念ながら私は窓とは無縁の真ん中のブロックだったので、風景を見るのは早々に諦めた。食事は1回目がローストビーフのサンドイッチで、味付けがなくて文字通り味気ない食事。ディナークルーズで食べていたのだからこんな時刻(ドバイ時間で午前4時ごろ?)に食べる必要は全くないのだが..出ると食べるというクセはなかなか直らない。2食目はビーフ照り焼き(わさび添え)にごはん、さらにパン・チーズがついて重たい食事。飛んでいる場所の時刻としては朝食みたいだが、もう時差と眠さで頭が働かない。照り焼きと言うがあんかけの焼肉といった風情で、わさびが時々刺激になるがあんまり美味しく感じられず、もぞもぞと食べていた。

 関空には定刻に到着した。アフリカからの帰りなので、検疫で申関空到着告しなければならない。便名、座席番号まで書くのは伝染病が発生したときのための用心だろうが、疲れているものの特に問題はなさそうだ。入国審査は閑散としている。窓口が少ないのに列が大してできないのはいかにも寂しい。利用者が少ないことを実感させる。入国して、荷物を引き取り、税関を通って国内線に改めてチェックインする。この間の動きはなかなか分かりやすくて、建物内のレイアウトは良いと思う。国内線のセキュリティを通り、中で食事でもするか、ということになった。久しぶりにカレーを食べたいのだが、売店は19時過ぎというのにカレーは終了、うどん・そばくらいしか残っていないという状態。遠くの売店まで歩き、ようやくありついた。680円、ああ値段だけ立派で実質は全く伴っていない。なんでこんなに寂しい国際空港なんだろう、とぼんやり考えていた。
 羽田まではずっと眠っていて、着陸のときに起きた。東京は雨。出発のときは暑かったから、一気に秋が到来したように感じられた。


終わり

★カメラ関係の話
 使用機材は今回初めて主力をデジタル化した。オリンパスE-1、標準ズーム14-54mmF2.8-3.5に、OM-4/3アダプタも持って行き、OMズイコーの100mmF2.8、タムロンSP180mmF2.5、OM1.4倍テレコンの組み合わせで遠景を切り取った。銀塩はGR1に、ライカCL、レンズはロッコール40mmF2、ウルトラワイドへリア12mmF5.6だ。こんなに持って行っても中型カメラバッグに収まるのは便利。超広角12mmは非現実的な描写だけどダイナミックな画像が得られておもしろい。GR1は人ごみの中で持ち歩くためと、カメラに詳しくない配偶者Sに撮ってもらうために全自動のカメラを持って行った次第。E-1は、特にタンザニアで真っ赤になるほど砂ボコリ(赤土)をかぶったが作動には全く支障が無く、タフさを発揮した。頻繁にレンズ交換をしたが、撮像素子へのホコリの付着は皆無だった。実に頼りになるカメラだ。今後も使って行きたい。




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