04年9月下旬−10月上旬
第1次(?) タンザニア旅行
●第9日 04年9月30日(木) ザンジバル→ダルエスサラーム→ドバイ
10時半に出発なのでゆっくりしていて良いのだが7時頃に目が覚めてしまった。食堂に降りて行ったら他の人たちはまだ来ていなくて、そういえば時刻の約束はしていなかったような気がする。しばらく待つと、皆が集まったので朝食を取る。今日もジュースを2杯一気に飲む。毎日、喉が渇いて仕方がないのだ。今日はタンザニア最後の日で、ほぼ移動だけの日だ。皆、口数が少ない。部屋に戻って少し横になり、0940時にチェックアウトする。10時半の出発まではしばらくストーンタウン内を歩いて香辛料などを買う。他には買い物はせず、ただ見るだけであった。
10時半に例の「高齢者送迎中」のワゴン車で出発。ツアー会社の人が今日も付き添いで来ていたが、この人には結局オプショナルツアーは全く依頼しなかった。だけど、そんなことは関係なく明るい人で、車中楽しく過ごした。空港には10分ほどで着き、早速チェックインする。航空券が手書きで字が読めないのか、搭乗券には名前が書いていなかった。国際線ではパスポートと照合するからこんなことは許されないが、国内だからこれでいいのか..そんなことはないと思うが。空港税5000シリングを払い、待合室に入る。待合室はガランとしていて、椅子があるところは一部だけ、後は空き地で店舗は1軒だけである。エアコンが一応稼動しているので窓は空いていないが、少々暑い。売店でファンタ・ワイルドストロベリーなるものを購入。どぎついピンク色で、舌がその色に染まってしまった。パッションフルーツ味は日本でも売れそうだが、この味はダメだ。Sは売店でCDを買う。ザンジバル音楽のCDだが、もちろんどんなものかは予備知識がないから帰国してのお楽しみ、ということになる。
搭乗のアナウンスは放送ではなくて生の声で、まあここにいる人は皆その飛行機に乗るのだから問題はない。今日は早めに機に向かったので窓側が空いていた。今日の機材は前と同じATR-42だが、新しいようで機内がきれいだ。しかしシートがところどころで違うタイプのものがあって、修理する際に違うのを付けてしまった、というところか。1120時に離陸。予定時刻は45分だったから25分の早発であった。ダルエスサラームまではわずか20分の飛行であり、機内サーヴィスは全くない。海がすぐ見えて、これは機上から見てもきれいだ。薄く曇っていて、窓も汚れていてコントラストが低いのは残念だ。
すぐにダルエスサラームに着く。飛行時間が短いから、出発予定時刻より前に着陸した、ということになる。空港の外に出たら、ウタリィから使いの少年が来ていた。ジェニファーから行けと言われたから来た、というのだが何をしたいのかさっぱり要領を得ない。我々はこの後ドバイに向けて飛ぶわけで、ウタリィには用はないのである。国立博物館に行くという案もあったが、MY君が、行きのダルエスサラーム行き便で知り合った留学生のキマロ君に電話するから、と言っていたこともあって、出かけるのはやめて食事にする。空港のフラミンゴレストランに入る。ウタリィからの少年も来てしまって、ちょっと気の毒なんだけど、用はないので帰ってもらうことにする。英語がいまひとつで、何をしたいのかが相変わらず分からない..そうだ、ジェニファーに「ツアーアレンジは良かった、満足した」と伝言してもらうか。果たして伝わるかどうか..
さて、メニューはビュッフェ形式で、好きなものを盛って食べる。カレーが3種類、チキン、サラダなどもたくさんあってどれも美味しい。ピルスナー・アイスというビールを注文し、皆楽しく会話が弾んだ。あまりにもがつがつ食べてしまって苦しいほどだった(私だけか)。食後、タンザニアの現金が尽きたのでクレジットカードでチェックをお願いする。6人で45ドルであり、安い。明細が来たのを見ると、書類は手書きで、なんと5ドルと書いてある(6人で割り切れないだろうこれは..)。これにサインしても良いのだが、さすがにこんなに違うと寝覚めが悪いから間違いを指摘しておいた。すごく感謝される。それもそうで、後でこの間違いが発覚したら担当店員の立場は大変悪くなる。40ドルというのはここでは大金だ。良いことをしたというほどのことでもないが、こういうのは正直な方がいい。しかしこの伝票書き換えで10分ほど余計にかかってしまった。ポレポレ(ゆっくり)の精神で待っていた。
下に降りたら、キマロ君は他の約束の人がいたらしく、その人と談笑中だった。その人はこれからダルエスサラームに泊まるので宿を知らないか、というのだが、我々が泊まっていたホテルはさすがに高すぎ(50ドル)で、紹介するのは止めておいた。皆が話している間に私は売店に行く。タンザニア各地で見た「アフリカフェ」を買うのだ。タンザニアで取れた高級豆を使ってドイツの技術を導入して作られたインスタントコーヒーなのだが、これがなかなか美味しいのである。さらさらのスプレードライ方式なのだが、香りが高く雑味が少ない。日本の輸入元のホームページによると、豆の産地であるアフリカの人が、加工技術がないばかりに高い輸入コーヒーを飲んでいるのは良くない、とタンザニアの初代大統領ニエレレ(1000シリング札の肖像がこの人だ)の肝いりで製造が始まったという(詳しくはhttp://www.africafe.jp/にて)。2500シリングの缶を1個(自分が飲むための)、1000シリングの缶を2個(Sとうちの実家用)、会社で配る1杯用の小さい袋を20袋(1袋11円!)を買った。日本でも買い求めたいと思う。缶が大きくて荷物が急に増えてしまった。買い物を済ませ、キマロ君のサイバーショットで記念撮影をして、ちょうどよく搭乗時間近くなったので手荷物検査場に向かうことにした。
前にも書いたが、手荷物検査をして、その後で航空会社のカウンターでチェックインをする。エミレーツの窓口は長蛇の列で、なかなか進まない。出国審査でも待って、ロビイに上がるのに50分もかかった。お腹の調子がよくなくて、トイレに入ったら便座がない。所謂、空気イス状態で用を足した。ロビイには免税店が何軒かある。しかし安くない。先ほど、外で買ったアフリカフェ(2500シリング)が4ドル(4000シリング)とはどういうことだ。外の売価には付加価値税20%が含まれているから、本体は2100シリングくらいなのである。これではボッタクリもいいところだ。服を売っている店で、タンザニア国旗をあしらったTシャツを買った。但し、ケニア製である。そういえばチョコレートやビールなどもケニア製がけっこう見られる。東アフリカ諸国では、やはりケニアの経済・産業に負うところが大きいのだろうか。タンザニア国内でけっこう運行数が多いプレシジョン航空も、実はケニア航空の傘下だし、元国営だった国立公園内のロッジも、今は欧州の会社が経営しているらしい。急速に自由化する中で、産業の実権が海外に取られてしまうのは、日本の工業が中国に移転して行くのとはわけが違う。まあ細かい実情を知らないからとやかくは言えないが..
ロビイは、ケニア航空のナイロビ行きが我々が乗るエミレーツのすぐ前に出るため、たいへん混んでいる。ここのロビイには冷房がないので、扇風機が回っているが、暑い。ロビイから、さらに待合室のような区画に入るのにまた手荷物検査があるので煩雑だ。フィルムはもう何回X線を通っただろう。ケニア航空が搭乗を始めて、待合室はガランとなった。エミレーツのEK720便の乗客は定員の5割を割っているくらいで、機内は空いている。機材は行きと同じで、A340-300だ。窓側ではなかったが、MY君が窓側の席を譲ってくれた。外は薄曇りで、ザンジバルもかすかに見えた。途中のキリマンジャロは反対側なので見えない。Sが反対側まで見に行ったが、行きと同じく、頂上が雲の上から顔を出している程度だった由。ナイロビには少し遅れて着いた。客が乗ってくると思ったら、どやどやと乗り込んできたのは清掃員で、それほど混んでいない機内を整理し始める。要らないと思うのだが、役目だから仕方ない。これで時間をかなり食ってしまったが、1835時に離陸、ドバイまでの飛行時間4時間42分という表示を足して時差を足すとほぼ定時到着のようだ。ナイロビでよほど余裕を取っているらしい。機内は満席になり、賑やかになった。ドリンクを配り始めたので、白ワインを所望し、しばらく日記を更新していた。夕食はチキンを選ぶ。しかし昼に食べ過ぎて、ナイロビまででも軽食を食べているのでもう入らない。パンとチーズは手付かずのまま返してしまった。食後のコーヒーを飲んでいるうちに眠くなってきて、しばらく寝ることにする。
降下中に目が覚めた。疲れが残っている。カメラにはISO100のフィルムが入っていて夜景を撮るには感度が全然足りないから景色を眺めるだけにする。タンザニアに比べると、明るくて家々にも余裕が(敷地が大きい)ありそうに見える。日付が変わって、0023時に着陸した。遅れはそれほどでもなかった。建物の端のほうに駐機したので、入国審査場まで長い通路を歩く。深夜なのに人は多い。入国審査場は、なんと32も窓口があって、それなのにそれぞれに100人以上の列が出来ている。外交官用のファスト・トラックの他に、エミレーツの優待会員か高額チケット所持者のためのファスト・トラックもあってこれには驚く。チェックインや搭乗が早いのはよくあるが、国の業務と航空会社のサーヴィスが連携している、というのは初めて見た。それにしても列が進まない。0055時に並び始め、入国は0145、つまり50分近く並んだのだ。一人30秒でも100人、いやもっと短い時間しか審査していないと思う。ということは200人くらい並んでいたわけで、32の窓口となるとここには約6000人の客がいたわけだ、それも深夜に。これぞ24時間空港という気がする。我々が通った窓口は日本に住んでいたという審査官が担当していて、私と同じ名前の親友が日本にいる、と言っていた。本当だろうか..後で聞くと、前に並んでいたMY君などは宇宙戦艦ヤマトのテーマソングを歌われたそうだ。審査自体は名前をデータベースに照合するだけで質問も何もしない。照合結果を待つまで、ムダ話をしているだけなのである。隣のブースの人が「またあいつ適当なことを」のような感じで笑っていたから、この審査官、名物なのだろう。
という調子で、全員が入国して荷物を引き取り外に出るころには26時(深夜2時)を回っていた。空港の入口(それと、入国審査場の2Fにも待合室のようなものがあった)には黒山の人だかりで、これはホテルや一般の迎えの人たちである。もちろんタクシーやホテルの客引きもいる。この中でリヴィエラホテルの人は果たして見つかるだろうか。向こうも、何千という観光客から我々を探すのは大変だろうが、でも日本人は目立つから大丈夫かね。と、考えていたらYM君の名前が書かれたプレートを持っているおじさんがいた。もう一組乗せなければならないからしばらく待ってくれと言われ、人だかりから離れて待つ。15分ほど待たされてマイクロバスに乗る。深夜2時を過ぎたというのに30℃以上の気温で、暑い。車内は冷房が効いて寒いくらいであった。ホテルには2630時に到着、ヘトヘトである。
ホテルの部屋は、ドバイクリークが見える側の部屋で、広くて清潔。エアコンが寒いくらいに効いている。このムダな冷房は、電気代が安いことも後押ししているのだろう。安いホテルではないが、旅の最後であり、疲れてもいるからこういうところに泊まって正解だと思う。冷蔵庫にあるコーラは7ディルハム(1Dhsは30円くらい)と高いので、外で何か買ってこようと思う。ホテルの人に聞くと、24時間スーパーを教えてくれた。喉が乾いたので、ポカリスエット、リポビタンD(それぞれ3.5ディルハム)を買い、洗濯が面倒になったので安いシャツ(20ディルハム)を手に入れる。ドリンクがコーラなどが1ディルハムつまり30円くらいと安いので、ポカリスエットなどは高級飲料なのであるが、それでも500mlで105円だから日本より安い。ホテルに戻り、Sがシャワーを浴びる。寒いと言うので、冷え性なSのことだからまた大げさな、と思ったら本当に水だった。外の気温と同じくらいである。そういえば大昔、茨城県のあるところで30℃の温泉というものに入ったことがある。外が寒かったので30℃でも入っていると暖かい気がしたが、30℃のシャワーでは当然寒い。早々に切り上げて出てきた。しかも、エアコンの設定は21℃というとんでもない温度になっている..これは27℃に変えて、寝ることにした。時刻はなんと午前4時20分であった。
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