01年4月下旬−5月中旬
第3次欧州旅行


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●第2日 01年5月1日(火) プリマス

 夜半、何度か目が覚めてしまったがよく眠れた。アラームが鳴る前に目が開いていたが、ベッドの中長蛇の列、食堂を一周するでぼんやりしていた。08:00丁度に食堂に行く。長蛇の列である。朝食はフルーツ、ヨーグルト、シリアルにミルク、コーヒー、紅茶くらいで、肉類はない。どうやら、我々TPOだけがそうで、一般の方はソーセージなども食べているようだ。我々は宿泊費をかなり安めの設定でお願いしており、朝食もその分簡素なのかも知れない。しかし、シリアル程度のために並んでいるのは、どうも空しいし、一般のお客様にも迷惑な話であろう。明日は食事時間帯を2団体に分ける由、多少は改善されるだろう。ようやく取ってテーブルを探すが今度は席が無い。椅子が人数分ぎりぎりというか、我々が通常の食堂のキャパシティを超える人数なのだ。なぜか1人分空いているSKさんの隣に座った。残念ながら、味もなにも、シリアルとヨーグルトではコメントしがたい。早々に終わらせた。

 天候は曇り、風が強く、寒い。ホテルの周りを歩いてみるが、何も無く、プリマス・パヴィリオンズ部屋に戻る。演奏会場はホテルのすぐ裏なので、便利ではある。10時からセッティングの予定なので、10分前に行ってみたら、なんと12時まで使えないという。どういうことかさっぱり分からないが、ともかく、午前中はフリーになった。
 プリマスはアメリカに旅立ったメイフラワー号の出航した港として有名である。港町であるが、なだらかな丘もあって、湾がきれいに見えるらしい。プロムナードという公プリマスの桜園に向かって丘を登ることにする。意外なことに、桜が咲いている。桜が植えてあることも珍しいと思ったが、それはよいとして高緯度なので、もっと遅いと思ったのだ。メキシコ湾流の影響で、緯度の割に温暖なのかもしれない。日本なら、今ごろは弘前あたりが満開か散り始めと思う。身を切るような風が吹いている丘の上から、湾が見えた。最も見晴らしの良い場所は城砦で、ロイヤル・シタデルと言われ、現役の軍施設であった。もちろん、入場はできない。古風な城砦に、電子式暗証ロックが対照的であった。作り直すところは一部ホウ・ロードからプリマス市内方向で良い、ということか。そこから、ホウ・ロードを下り、バービカン地区へと歩く。バービカンは「楼門」などの意味だが、これは今は、純然たる地区の名前で、軍施設ではない。また、これから先、ロンドンではバービカン・センターというホールで演奏するが、これはそのホールを含む新開発の文化・居住地区の名称らしい。
 さて、することがないので、港にある水族館に行ってみたら、なぜかここも12時から、であった。まさか、公共施設はどこも12時からしか営業しないのだろうか?。そんなことは考えにくいが、とはいえ平日午前中に水族館が繁盛するという可能性も低い。そんな話をしながパヴィリオンの中、カフェテリアにてら歩いていたら、まぁまぁ時間つぶしにはなったので、ホール(プリマス・パヴィリオンズ)に戻る。ホールの入り口にカフェテリアがあるので、ここで早めの昼食とする。ヴェジタリアン用トマト・パスタなるものを注文。コーヒーと合わせ5.05ポンド、安いとは言いがたい。しかしその後いろいろな店を見ると、ファストフードなどでもセット類はだいたい4-5ポンドで、日本人から見てポンドのレートが高いだけなのかとも思う。このカフェテリア、あまり人通りもなく、繁盛していない。食事をしているのは大半、TPOのメンバーであった。注文して出てきたものは、マカロニ、マッシュルームをトマトとチーズで味付けしてあって、なかなか美味しい。塩味が少し足りないので塩をもらって調節して食べた。量は、多い。

 食べ終わると12時、入場出来る。ホールの内部は、ホールというより多目的アリーナ、舞台上からのアリーナと言った方が正確。実際、入口にアリーナと表示されていた。800席くらいの可動式の座席があって、演奏会や講演会のほかに、展示会なども兼用でやれるようになっている。舞台の上に反響板はなく、舞台袖も暗幕を下げて客席と区切るだけ、簡単なつくりであった。残響がまったくなく、何だかすごいところに来てしまったなぁと感じるが、地方都市とはこんなものであろう。当時住んでいた北上市の市民会館も、音響的にはここと大差はない(02年現在、改修中らしいが)。

 ここで、今回の公演旅行の曲目を紹介しておこう。プログラムは2種類あって、
(A)ワーグナー/「ニュルンベルクのマイスタージンガー」前奏曲、グリーグ/ピアノ協奏曲、ブラームス/交響曲第1番
(B)ベートーヴェン/序曲「レオノーレ」第3番、同/交響曲第9番(合唱付き)
これをプリマス(A)→パリ(B)→デュッセルドルフ(A)→ロンドン(B)の順に演奏する。パリ、ロンドンではそれぞれ、地元の合唱団が参加する。プリマスはAプロだが、今日の練習はBプロも含めて全てを練習することになっている。時差ボケもあり、最初にざっと通してカンを取り戻すということか。第9か練習ら始まったので、しばらくはヒマで、聴く側に回る。ホールは上述の通りデッドな残響であるが、全体のバランスはよく、後列の管楽器もよく聞こえる。両脇の巨大な暗幕のせいか、低音は吸収されてしまってあまり聞こえない。高音金管である私は、あまりシャカリキになって吹くのは良くないと予想する。練習の調子は全体に、そして個人的にも本調子ではない。やはり時差ボケか。私はレオノーレ、国歌、グリーグ、ワーグナーとやっているうちに、ようやく後半で調子が上がってきた。グリーグのピアノ協奏曲で、ソリストの小川典子さんが弾くピアノはどこから引っ張り出してきたのか、手垢だらけで小汚い外観であったが、音はしっかりしていた。失礼ながら意外だった。小川さんはロンドン在住で、ヨーロッパを中心に活躍されている。有名なところでは、スウェーデンのマルメ交響楽団との録音がCD化されていて、日本でも手に入る。非常に力強いタッチと、それゆえ引き立つ繊細さが、妙な言い回しだが日本人離れしていて素晴らしい。このような人と協演出来るのは幸せだ。今日の練習もやはり上手く、そしてプロは本番、もっとすごいのである。当方も心してかからねばならない。

 19:10、練習が終わる。すぐに夕食に出かける。昨晩、私はホテルに着いてすぐ寝てしまったが、あれから市中で食事をした人たちがいるらしい。その人たちの紹介で、広東料理の店に行ってみる。が、かなり繁盛していて満席。支店を紹介すると言われて坂を下り、ユニオン・ストリートを越えたところの店に行く。ちょっと怪しげなキツイにおいが立ち込めているが、すぐに慣れてしまってまずはチンタオビールで乾杯。このビール、昔住んでいた日吉の寮の自動販売機で売っていて、よく飲んでいたのだ(アサヒが輸入していた)。懐かしい味である。プリマスにいながら日吉の生活を思い出す。妙な連想である。料理は誰かが適当に頼んだのだが、来るのが遅く、ビールを飲みながらも皆、口が重い。疲れているのだ。HE君は早くも居眠り。ようやく来た料理は美味しく、それが救いであった。ハウス・スペシャルと触れ込みの焼き飯、焼きそばが具だくさんで特に良かった。お勘定はチップ込みで1人15ポンド、やはり飲みながらの夕食はけっこうなお値段になる。
 22時に店を出た。概ね、2時間半近くを要したことになる。いまの状況ではあまり焦って食事する必要はないとは思うが、いかにも時間がかかる。この先、ずっとこんな調子なのだろうか。慣れたら慣れたで、日本に帰った時が少し怖い。ホテルに戻り、すぐ寝ることにする。演奏旅行恒例の、部屋での宴会もあるようだが、どうも私は疲れがとれないので、辞退する。夜半、HA君から2度電話あるも、結局部屋を出るには至らず、寝てしまった。


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