01年4月下旬−5月中旬
第3次欧州旅行


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●第7日 01年5月6日(日) パリ→ベルギー経由→デュッセルドルフ

 今日で1週間になる。疲れもたまり、いろいろ事件もあって、後半気を引き締めてかからねば。適当な時刻に起きて、8時過ぎに食堂に行ったら、ガラガラであった。パリの朝食もこれで最後、ちょっと名残惜しい。腹ごしらえを済ませ、部屋に戻ってパッキングする。チェックリストに照合し、全て揃っていることを確認。小銭は国外で使い道がないので、枕銭として置いてきた。

 09:00、ホテルを出発。環状線を通り、先日来た時のシャルル・ド・ゴール空港方向へのオートルート天気はいまいちに出る。今日は、ベルギーに入国、リエージュを車窓から見てアーヘンからドイツに入り、デュッセルドルフに行く。天気が冴えないのと、眠いのとで写真を撮る気はせず、いつしか寝てしまった。ゆえに途中状況は分からないが、12時過ぎにベルギーに入国。しかし今は入国と言っても、国境のところだけ1車線になって狭いだけで、日本人であふれる売店実際は何も、チェックしない。それよりも、有料区間があるほうが珍しかった。自動料金収受も行われていて、実際使っている人もいた。日本では今ひとつ普及していないようだが。ベルギーに入って誤算だったのは、予定の地点のサーヴィスエリアで、レストランが廃業していたこと。おそらく、国境で一旦止まる必要がなくなり、車の流れが変わって客が減ったのだろうと思う。すぐに、次のサーヴィスエリアに向かって走り出す。また寝てしまったので私にとっては突然であるが、40分後、レストランのあるところに到着。しかし120人が押し寄せては食堂のキャパシティが追いつかず、ものすごく長い列になってしまった。それならと、トイレに行くのだがチップトイレストランも、長蛇の列レで、2フランまたは50ペニヒ(ドイツの)と書いてある。フランはホテルにチップとして置いてきてしまって、ポケットに1フランあるだけ、ドイツマルクは紙幣だけで、おつりは無いという。近くにいたMO君から1フラン借りた。これでホントに、文無しになった。しかし余計なお世話ながら、このチップトイレの係りの人、一日中トイレの前に座って、何だか感心というか何と言うか..
 しばらくして列が短くなったので、並ぶ。カフェテリア形式で、並んでいるものを選んで、取って行く。最後にメイン料理になるものは、係りに言って盛ってもらう。ベルギーのビールにカスタードクリームのデザート、肉団子(Boulettes、ブレット?とあった)にポテトフライにする。驚いたことに、各料理の内容を、全て聞いてからもらう人がいる。宗教的理由か、カロリー計算か、はたまた添加物を気にしているのか。主張すべきことは主張するのが欧米のやり方だから、気にしないことにする。料理をもらって、レジがまた別の列になっていて、いささかげんなりする。現地のトラックの運転ベルギーのサーヴィスエリアにて手たちは、レジに並びながら、もう食べ始める有様。うわ、これはすごいや。食べ終わったら、その皿は無かったことにするのだろうか。集合時刻にあと4分という時刻に、レジ通過。これはさすがに間に合わない。急いで食べる。塩味の効いた肉団子に、トマトソースがよく合う。ポテトもカリカリでおいしいが、大量で、最後にはカリカリでも何でも味覚がなくなってしまった。ビールを一気に飲み干し(クリアで、飲みやすい味)、レストランを出た。料金は、ベルギーフランで419フラン、レートが分からないが既にユーロ表示が併記されているので、10.39ユーロ、だいたい1200円くらい。まぁまぁ妥当なところか。もちろん、ベルギーフランなど持っていないので、クレジットカードでの支払いである。少し写真を撮って、バスに戻った。18分遅れて、出発。

 また眠ってしまい、気付いたらアーヘンに着いていた。ドイツに入って変わるものは、皆の言葉と、も分別しましょう!う一つ、ゴミ箱である。分別が厳しく、紙・プラステッィック・ガラス瓶は白・緑・茶に分ける。しかし、緑・茶って、どう考えても酒類のビンしか思いつかない。飲みながら運転して、いいのかね。さて、早速ドイツマルクの小銭を作らなければ、先ほどのトイレのようエコロジーの国な情けないことになりかねないので、アイスクリームを買って紙幣をくずした。3.6マルク(190円)もして、後悔した。それに、外は寒かった。そういえば、リエージュはどうなったのだろう。寝ていて気付かなかったか..そうではなく、昼食に時間がかかったので、通るのをやめ、ドイツに入ることにしたらしい。それは仕方ないが、ここから不可思議なことに、アウトバーンをケルンで降りてしまう。目的地は、デュッセルドルフ(もう少し北)ではないか。聞くと、ケルン市内を1周するらしい。SK氏の発案らしいが、リエージュをやめてケルンを追加というのが分からない。ケルンは、おそらくほとんどの人が後日のフリー日に行くはずであり、バスで1周しても、あまり嬉しくない。突然の変更だったらしく、バスの運転手(たぶん、フランス人)も困ったらしく、ケルン市内で2度も道を間違えた。それで大聖堂の下を2度通ったが、バスの窓の上部はスモークで黒く着色してあり、大聖堂は全然見えなかった。ま、明後日来れば良いことだ。またアウトバーンに戻り、デュッセルドルフでインターチェンジを降りそこない、市内でホテルに行くにまた迷う、で散々であった。SK氏がKYさんの仏語通訳で道順を指示していたらしいが、いろいろ大変だったらしい。ちょっとおかしいのは、なぜ団の人間が行き先を教えるのであろうか。バスの運転手、道順も調べずに(ケルンは別として)運転していたということはないだろうが、そうだとしたらプロ失格であろう。そうではなく、思うに、あっち行け、こっち寄れと余計なことを言ってしまったのではなかろうか。ホテル着は19:25、ほぼ10時間半の長旅であった。さすがにここは、航空機の方が良かったと思う。

 ホテルは郊外にあって、高級そうな部屋である。広い。ベッドに間に大きな机があり、ビールとグラス現地法人からの差し入れが現地法人から差し入れられていた。シューマッハー・アルトという地元のビールで、1人1リッター、グラスにはTPO European Tour 2001と刻印まで入っている。現地法人の気合が伝わってくる。こちらもがんばらなければ。TVをつけると、Welcomeとメッセージが出て、Videoはもちろん、プレイステーションまである(ただし、いずれも有料)。これは過分な待遇だ。感心しながら、部屋をうろうろしていたら、歓迎パーティの時間になったので、下に降りる。夕食も兼ねるため、食事も盛りだくさんであった。サケのクリームソースが最も人気で、肉団子がここにもあって、やはり塩味。ベルギーで食べたのより塩辛く、皆も敬遠気味であった。ドイツ人が朝、もっとも重要視するというパンは、いろいろな種類があったが、もったいなくて食べられないくらいきれいに焼けていた。ビールは地元の黒、ピルスナーの2種、癖が無く、するっと飲める危ないものであった。とはいえ、明日は本番で、早めに寝た方がいい。バスの中であんなに寝ておきながら、また眠くなり、皆より早めに引き揚げた。部屋で洗濯し、日記をつけて25時に就寝した。


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