01年4月下旬−5月中旬
第3次欧州旅行


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●第8日 01年5月7日(月) デュッセルドルフ

 今日から会社は出勤日である。心配しても仕方ない、連絡先は教えてあるがおそらく面倒なので電話もかかってくることはなかろう。今日は3公演目の日であるが、天気が良いので、午前中(フリー)は出かけることにする。食堂はまた混んでいて、席がない。プリマスと同じく、空いていたSK氏の隣に座った。料理はソーセージ、卵、サーモン(生)になぜか、餃子、そしてシリアルにパン数種、フルーツ。盛りだくさんで、旅程が進むほど豪勢になってくる。だが、隣の人が言うには、ロンドンでまた最初のレベルに戻るだろうとのこと。部屋に戻り、YM君のところに電話する。ここデュッセルドルフは、ローベルト・シューマンが一時、住んでいたところである。その史跡を訪ねるサイクリングツアーを敢行しようというのだ。YM君も、シューマン好きなのである。時刻を決め、レセプションに降りていったら、ちょうど自転車を借りているところだった。レンタル料、保証金、全く不要とのこと、ありがたく活用させていただく。地下駐車場の片隅に自転車置き場があって、9台の自転車が置いてある。借りたのはNr.8,9の2台で、この2台だけ、カゴつきである。ロックを外して乗ってみる。自転車など、何年ぶりだろう。しばらく慣れるまでに時間がかかった。面白いのは、この自転車、ブレーキが右(前)しかなく、橋から旧市街方向左手のブレーキレヴァーがない。おかしいなと思ったら、ペダルを空走状態から少し後ろに戻すと後輪にブレーキがかかる仕組みになっていた。最近は日本でもそうなのか、ドイツならではなのかは分からない。練習のため、地下駐車場を1周してから外に出る。ギヤは4段変速で、けっこうなハイギヤード設定。1・2速で普通の市内走行には十分だ。ちょっと坂になったり、向かい風では3速以上に入れられない。ハイギヤードというより、自ライン川分の体力の問題かもしれないが。
 ホテルから通りに出ると、適度な風と朝日が爽やかである。天気は晴れ、今までの旅程では最も良い。あまり速度は上げず、ゆっくりと走る。自転車好きのドイツらしく自転車道も整備されているが、並んで走るほど広く作ってはいない。自転車道の中も右側通行で、ふらふらしていると対向のドイツ人から右を走れ、と怒鳴られる。ぼんやりと走っているわけには行かなかった。住宅地には日本人もちらほら。ホテルが日本人街に近いところにあるらしいので、そのせいだろう。住宅地を抜け、ライン川に向かって進む。橋に向かって緩やかな坂道になっていて、息が切れた。休憩を兼ね、橋の上から写真を撮る。ラインは増水していて茶色。今年は雪解けが遅く、こうなっているとの説明だった。

 橋を渡り、左手に今日の演奏会場であるトーンハレがある。車道を横切ることができないので、橋をトーンハレ渡り右から橋の下をくぐり、ホール裏手に出る。この建物は元はプラネタリウムだったとのことで、たしかにドーム型の建物である。写真を撮って、次はこの近くにあるローベルト・シューマン・ザールを探す。残念ながら、その一角は工事中で、ずうずうシューマン像しくも工事現場に入り込んで聞いたら、シューマンザールは建て替えていて見られないとのことだった。次は、ホフガルテンにあるシューマン像である。探している途中、池のほとりで水鳥を眺めていたら、いつのまにか、囲まれてしまった。人が来るとエサがもらえるという条件反射か。フィルムは食えないからなぁ。ごめんな。小川を越える橋を渡ったところに、シューマン像があった。木陰で暗くて、ひっそりとした場所にあり、うら寂しい感じがシューマンらしくていい、と勝手に解釈した。マンフレート序曲でも聴きたいところだ。
 次は旧市街、ケーニヒスアレーから2ブロックほど入った、住宅地ともオフィスともつかない3階建ての家々が建ち並ぶところに、かつてシューマン夫妻のレリーフ1852-54年まで、シューマン夫妻が住んでいた家がある。53年に、ブラームスがピアノソナタの楽譜を持って訪問した場所でもある。途中、シューマン眼鏡店なる店舗も発見し、今日は午前中から嬉しくて仕方が無い。シューマンの家は、記念館になっているわけではなく、現在も普通の建物として使われているらしい。記念のレリーフが建物上シューマン夫妻の住んでいた家部とドア横にあるだけだった。

 さて、ここで11:20になり、そろそろ帰らなければならない。市街地に戻り、面倒なのでマクドナルドでテイクアウトにする。ここでも日本にないものを頼む。マック・ファーマーという、ダブルチーズバーガーに野菜を足したようなもののメニュー(日本で言うところの、ポテトとドリンクのセット)を注文。さらに、シェイクを別に注文してそれだけは店内で飲む。疲れたので、甘味が心地よい。12時を過ぎたので、いよいよ急がなければならないが、それほど分かりにくい街ではないので、行きと違う道を選択し、旧市街からライン川に抜けて北上し、さきほどの橋に到着した。橋までの坂がきつい。慣れないサドルが固くて、尻も痛くなってきた。が、橋を渡ればもう少しの辛抱である。橋の上は風が涼しく、橋後半の傾斜を利用して一気に市街へと突入、と行きたかったが人通りが多く、すぐ減速した。汗だくでホテルに帰り着いた。駐輪場に停めて、荷物を持ち上げたら、コーラのコップから中身が漏れていて紙袋はぐちゃぐちゃになっていた。部屋に戻り、12:50。出発は13:30なので、問題はない。コーラをホテルのグラスに移し変え、紙袋等は捨てる。ハンバーガーやポテトは無事だった。唯一無事でなかったのは、マック・ファーマーが入っていなくて、ビッグマックだったこと。ドイツ人も、こんなミスをするのかね。

 すっかり冷め切っていた昼食を食べ終わり、出発する。トーンハレはバスで行くには近すぎるので、弊社の旗まで用意して..すぐ着いてしまった。楽屋口から妙な形の階段を上ると舞台で、元プラネタリウムという生い立ち通り、中は円い空間であった。狭そうに見えるが、1700人くらい入るらしい。チケットの売れ行きを聞くと今日も満席らしいから、リハーサル中に写真を撮っておく。客席からちょうど24mmシフトレンズで収まる空間だったが、もともと丸いから全てを魚眼レンズで撮ってもいいな、などデュッセルドルフ、リハーサルと考えていた(魚眼は持っていなかったが)。ホールの響きはそれほど長くなく、良好に思えるが舞台上の空間が高いので、パリと同じくオーケストラ内部の、舞台前後の連絡は悪そうである。国歌、マイスタージンガーと練習が進み、個人的にはまずまずの出来。ドイツ国歌はハイドンの弦楽四重奏曲「皇帝」の第2楽章の旋律だが、戦前のナチス時代と歌詞を変えて、旋律はそのまま使われている。今回の演奏は、旋律前後をそれぞれ2回繰り返すのだが、後半1回目の終わりがどうしても尻すぼまりで盛り上がらない。何だか寂しいね、何か出来ないかとKK君と相談し、指揮者の河地さんに無断で、そこにEs-Durのスケールを入れて、本番だけ演奏することにした。ちょっと、悪いことを企んでいるようで、うきうきするが、だれかに言うとバレて怒られそうなので、本番が終わるまで秘密である。自分の出番が終わって、ブラームスを聴く。4楽章の例の箇所がやはり未だずれているが、何とか..なるかどうか?。休憩後グリーグのピアノ協奏曲。ピアノの小川典子さんから、肩の力を抜きましょうとアドヴァイスがある。そうか、そうかもしれない。これは有用なお言葉であった。ピアノ協奏曲のリハーサルはあっけなく終わった。2楽章などは冒頭のオーケストラ部分だけで終了、あとは本番だけだ。こういうのも、注意力が高められて良いかも知れない。

 食事休憩になる。日本人の多い(一説には1万人とも)当地らしく、日本食の弁当である。鳥のから揚げとサケの弁当だ。なんでもおいしい単純な私だが、これは格別のものがある。余った弁当も、HA君と2人で分けて食べてしまった。食べた後は何もしない。少し午前中の疲れが出た。10分ほど居眠りして、すっきりする。19:30、開場。お客様がどんどん入ってくる。昨日で50席を残すまでになっていた本番前というから現地法人の努力には頭が下がる。演奏でその熱意に応じたいものだ。20:00、予定通り開演(ここはドイツだ)。ドイツ国歌、例のいたずらは何とか上手く行って、ひそかに満足。マイスタージンガーは無難だったか。木管は練習より上手く行っていた。グリーグ、最初はどうも度胸が無くて引いてしまうのだが、何とか大事故もなく終わったか。1楽章が終わったところで盛大な拍手が来る。プリマスでもそうだったが、わりと、当地の人たちは楽章間にこだわらず、拍手をする習慣のようである。ただし、しなくてよいところ(次の楽章に連続で入るような箇所)ではしないから、やはり基本は抑えているのだろう。3楽章では最後の最後でずれたような気がして、少し不安なまま終わったが、ま、それは悔やんでも仕方が無い。後で録音を聴いてみよう。ここで出番は終了、控え室に戻る。客席は満席で、控え室にはモニターがないので、どうなったか分からず、日記をつけて過ごした。後で聞くと、4楽章のアレも上手く行った由、めでたし、めでたし。

 今回も楽器を全てトラックに積むので、楽屋口に下りる。搬出係は決まっているので、後は任せてバスの中でぼんやりしていた。ホテルに戻り、荷物を部屋に置きパーティ会場に。23時開始とあって簡単なパーティで、乾き物とビール。会場はパーティ用の部屋ではなく、その前のロビーであった。疲れたので、写真を撮って、しばらくして部屋に戻った。眠いが、日記をつけて寝る。日記、といっても既に1日遅れ、昨日の分を今日書いている。何とか追いつかなければ。


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