01年4月下旬−5月中旬
第3次欧州旅行


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●第10日 01年5月9日(水) デュッセルドルフ→ロンドン

 06:30起床。今日は、ロンドンへの移動日である。食事は一般の方と同じレストランとなる。内容は昨日とほとんど変わらないが、オレンジの絞り機などがあって、長い列が出来ていた。朝食を終えてエレヴェータの前で待っていたら、降りてきた人は、なんと仕事の関係者Wさんであった。え、え、どうしたんですか(出張に決まっているが)と、うろたえてしまった。待ち合わせの人が来ているので、話をする間もなく、ホテルから出掛けていった。欧州の拡販キャンペーン中なのだ。どっちかというと、驚くのは向こうであったろう。私は仕事柄、海外出張は、ない。
 パッキングは出来ていたので、余裕があった。バスに乗り込み、空港へと向かう。市内から空港まで、約10分少々といったところで、国際空港がこんなに近くにある、というのは商業都市デュッセルドルフの強みであろう。逆か。便利だから企業が集まったのかも知れぬ。空港は改築中で、至る所工事中である。最初の欧州旅行でドイツに入国したのがここで、その当時に比べるデュッセルドルフ空港、モダンな空間?とモダンなつくりになっているような気がする。というより、モダンすぎて意味不明なオブジェなどもあり、夜行ったら不気味な空間ではないかと思うところもあった。荷物検査所は団体が来ると途端に列を成してしまった。観光地ではないから、それは仕方ない。今まで飛行機は2団体に分かれてきたが今日は1団体で、つまり120人が一緒に行動している。ゆえに、検査所も免税店も、日本人だらけになった。飛行機は11:00発、11:30ロンドン着で、大陸と英国の時差(1時間)のため、飛行時間が30分しか無いように見えるが、実際は1時間ちょっと飛んでいる。時間に余裕があるので、ここで餞別をいただいた職場のNさん、Kさんに返礼の品を購入することにする。かさばらなくて、いつも手元にあって便利なもの、となればボールペン、シャープペンシルあたりか。万年筆は餞別どころの金額ではなく、どうにもならない。同じ店にいたSHさんも同じように悩んでおられた。いろいろ見せてもらうが、欧米の人の好みらしく、ボールペンもシャープペンシルも、字がかなり太くなってしまう。シャープペンシルは日本では芯を探すのに苦労しそうだし、買って行く相手が、実に細かい字を書く人たちなので、これはウケないだろう。結局、名刺入れにした。餞別と同額で、丁度いい。柔らかい手触りの良質な(と思う)皮で出来ていて、自分の分も欲しくなってしまったが、私はあまり名刺を配らない立場なので、やめておいた。この店は出国審査前なので、海外への航空券を見せると免税になる。出国審査は各ゲートの待合室の前にあって、係員がそれぞれ必要だから面倒な気もするが、売店やゲートを国内・国際で分けるよりは良いのかも知れない。ここらへんは、大規模な国際空港とは趣が異なっている。出国審査は全く簡単で、すぐ通された。待合室で、日記を進めておく。理由は不明だが、15分ほど遅れての搭乗となった。通路側なので、つまらない。ロンドンまでは短い区間なので、食事はパリ便と同じく、紙袋にサンドイッチと飲み物が入ったセットだった。すぐ食べてしまい、眠る。すぐ起こされて着陸かと思ったらそうでもなく、出発が遅れたためロンドン上空で順番待ちをしていたようで、30分遅れて着陸した。

 前回、英国に入国した時は楽器持参だったので入国ではいろいろ聞かれていたが(先頭の人だけ)、今回はケン・グラハムさんがトラックで運んでいるので、普通の観光客と変わらない。その旨申告し、簡単に通ることができると思いきや、質問が多い。これなら、前回と同じく、先頭の人を英語の上手い人にして、説明してもらった方が早かった。しかし、お役人に楯突いても無駄だし、素直に質問に答えた。バゲージがなかなか出てこないので、両替所でドイツマルクをポンドに替える。たった40マルクだが、3ポンドになった。ないよりはあった方がいい。それに、来年からはマルクはユーロに切り替わり、使えなくなってしまうのだ。驚いたのは、コインの両替機があったこと。コインは両替の対象外というのが通念であり、たいていレストランやホテルでチップを多めにして無くすか、記念に各種1枚ずつ取って置く、くらいなもので、こんなものがあるとは、聡い人がいるものだ。
 バスに乗り込む。ここ6日間で右側通行に慣れたと思ったら、また左側通行に戻り、なんだか目まぐるしい。飛行機が遅れたので、その遅れどおり、ホテルに30分遅れで到着。ホテル到着一度に120人が着いたのでここも大混乱、中2階の会議室でカギを配布すると言っていたが、そこに上がるにも時間を要した。それで遅くなっているのに、なんと、ホテルのカギが出来ていないという。カードキーなので、各部屋2人分、情報を書き込んでいるらしいが、一部出来上がっていないという。一部って、どのくらいなんだろうと思っていたら、それは3分の1で、その中に私も含まれていた。さらに30分待ち、ようやく部屋に。事前情報ではあまり良い部屋ではないとのことだったが、改装されており、きれいだった。但し西日が暑い。このあと、18:30に第9の、合唱との練習があるのだが、それまでは時間があるので、ここで故障した40mmF2に代わるレンズを調達しなければならない。第9は出ないので、行かなくても良いかというとそうでもなく、楽器がそこに届いているので、いずれ行かねばならないのだ。時間はあるのでそれほど急がなくてもよい。ドイツを出るときにNT君と約束していたのだが、私はカギが出来るのが遅く、既にNT君は出発していた。独り、出かけることにする。ロンドンは初めてで、少しわくわくする。昼食を食べていないので、クイーンズウェイまで歩き、またまたお気に入りのバーガーキングでダブル・ワッパーのミール(日本ではセット、というところか)を食べて、地下鉄に乗る。ゾーン1という区間で、1.5ポンド。300円弱で高いが、こうなるとやはり、これはポンドのレートが異常なのではないか。食事がファストフード系で5ポンド、地下鉄で1.5ポンド、プリマスで中華料理15ポンド、そしてロンドンの最終日のパーティが50ポンドとなれば、これは1ポンド=1ドル程度で考えれば、日本の物価と同じような感覚になる。食事と地下鉄だけでは心もとないかもしれないが、現地法人にいる人の家賃が33万円(!)というのも合わせれば、これはそんなに外れたところではないと思う。思っても、安くはならないのが為替の常ではあるが。
 それはともかく、カメラ屋である。大英博物館の近くに、カメラ屋が集まっている一角があると聞いている(かなり、いいかげんだ)。例によって路上における地図・ガイドブック無参照主義の私は、とりあえずでトテナム・コート・ロードまで行く。地下鉄はずいぶん深いところにあり(丸の内線の国会議事堂前よりはマシ)、古い路線ゆえかトンネルが小さく、車両がトンネルの形通りに屋根が丸く、天井が低い。いまは空いているが、これで朝夕大柄な英国人たちが通勤していると思うと、ぞっとする。目的地には15分で着いて、まずは大英博物館を目指す。これはすぐわかって、さて、カメラ屋はと見回すと、なるほど、それらしき一角が何となくわかる。初めてで、「大英博物館の近く」というだけで分かってしまうのはカメラ好きの嗅覚か、とバカなことを考えていたら、NT君に声をかけられた。なんと、これは驚き、東京でカメラ関係の知人である、Cさんも一緒にいた。この人は浅草のHカメラ店の関係で知り合ったのだが、最近まで、某銀行ロンドン支店に勤務していたのだ。今は転職して日本にいるが、今回は来週開催されるロンドンのカメラ市に来たのだという。行くという話は日本にいるとき聞いていたが、まさか初日に遭遇するとは思いもよらなかった。カメラ好きの行動なんて、結局似ているのだろう。しかしこれは幸運、早速事情を話し、オリンパスOMが揃っている店を教えてもらう。カメラ・シティという店に行き、あるある、35mmF2.8、50mmF1.8、35mmF2、候補になるものは全てある。汎用性を考えて、50mmF1.8にする。状態の良さそうなものを選び、ショウケースから出してもらう。外観良し、レンズ前玉がホコリや汚れだらけだがこれはすぐきれいになるとみて(オリンパスEEクリーナ持参!)、中はどうかというとホコリが2個程度、これなら大丈夫だろう。ボディに付けて見ていいか、と問買ったレンズで早速撮るうといいよ、とのことなのでピントを確認すると、良好だ。一眼レフのレンズはこれが出来るから便利だ。レンジファインダー機のレンズは、撮ってみないと分からないのである。よし、これにしよう。値、65ポンド。Cさんがポンドは下がり始めているというから、まぁ12000円は切るかというところになるだろう。しかし日本での相場は数千円から1万円弱だから高いことは確かだ。カードで支払って近くのビルの中庭のベンチに座り、レンズをクリーニングしたら完璧にきれいになって、これは良い買い物であったと自画自賛。ついでに3人で何件か回ってみる。あまり出物はない。次週のカメラ市に備えて控えめになっているとも思える。日本のカメラは高い。ポンド高もあるだろうが、ニコンなどはライカレンズ並みに高い。これで売れるのか不思議なくらいだ。OMも日本の倍以上はしていて、嘆息するばかりである。

 時間が迫ってきたので、ホルボーン駅でCさんと別れ、NT君と地下鉄に乗る。今度は通勤ラッシュと重なり、また、何かの理由で止まっていたらしく、ものすごく混んでいる。それにしても、噂には聞いていたが、ロンドンの人は地下鉄に乗るのがヘタだ。整列位置が決まっておらず、みな散らばって立っていて、列車が止まるとドアにわらわらと殺到する。車内ドア付近の人も乗降者に配慮しないので、全然乗り降りが上手く行かない。いつまで経ってもドアが閉まらず、駅ごとに遅れる。遅れる、というか駅に発車時刻の表示などなく、何分後に次の列車が来る、と電光表示されている。これは面ヘンリー・ウッドホール白い。何分遅れているか、そんなことは表示しなくて済む。そんなわけでホテルには出発10分前に着いた。まぁ、楽器や着替えを持っていくわけではないので、問題はなかった。18:35、ホテル出発。今日の練習は公演を行うバービカン・センターではなく、元教会で、いまはスタジオ(ホール)のようなものに改装されたところで行う。テムズ川を渡って南側、あまり治安はよくないので建物から出ないほうが無難だという。バスはラッシュの中を走る。急加速・急制動の連続だ。気分が悪くなった。19:15にホール内部着いて、合唱のみで練習中なので少し待てと言われる。それでしばらくはホール外観を撮影していた。しばらくして合同練習になる。オーケストラの座席もセッティングされていて、休憩しすぐに始まる。合唱団(ロンドン・フィルハーモニー合唱団)に日本語を話す人がいて、日本語での歓迎の挨拶があった。合唱団は120人くらい。パリに比べると少ないが、この人たち、名前から想像できるが、セミプロの集団であり、これでも大丈夫なのだろう。そリハーサルの結果はすぐさま分かり、大丈夫どころか、プロ集団ではないかという上手さであった。とにかく声量があって、ハキハキしていて、ソプラノなど、音程が下がるどころか、少し高いくらいである。よほど余力があるのだろう。実に驚いた。4楽章途中から一気にやってしまったが、聴いていて気持ちの良い練習だった。ウチのオケとはとても思えない。いや、オケではなく、合唱団が上手いのだった(失礼..)。
 元オーケストラのフルート奏者で、今はロンドンで働くMOさんが車でホテルに送ってくれるというので、ご好意に甘えることにした。実は、第1次欧州旅行でも、ウィーンでお世話になったのである。いやはやありがたい。車は3年落ちのメルセデス・ベンツ300E、前のオーナーは長距離通勤で使用し3年で14万kmも走ったという。いったいどういう通勤なのか、それでも全くヤレたところはなく、かっちりした乗り心地であった。テムズを渡り、シティに入ると、もう車は全く走っていなくて、たった1時間前の混み方がウソのようである。皆、残業しないので、すぐいなくなるのだという。行きと異なり、ホテルにはすぐ着いてしまった。


(この間、日記の記述、写真、そして記憶なし。つまり、寝ていた可能性高し)

 夜、皆が練習から帰ってきたあと、SW君、MO君と食事に出かける。近くのマハラジャというインド料理屋である。プリマスでインド料理は時間がかかるという体験をしていたので少し心配。料理は、今回もブーナカリーのプラウン、エッグ・フライド・ライスも注文する。前菜はなし、ビールも小さいものにする。悪い予感は当たって、今度もずいぶんと待たされた。もう、不思議なくらい、待たされた。疲れているので、誰も話をしない。単発で何か話し、お愛想のように笑う。後から考えると、無気味な集団だ。間が保たない。それでも、出てきたカレーは味がよく、待たされた分、美味しいような気がした。そう思わないと、やっていられないと言う方が正確か。少し油が多く、もたれた。
 会計でもまたまた待って、ようやく店を出る。カレーでほてった体に夜風が涼しい。途中でスーパーに寄って酒を買おうとしたら、23時以降は売れませんと言われた。もうそんな時刻だったのか。仕方ないので、リプトンのグリーンティ&レモンという怪しい飲み物、水、それとヴァイタミン何とか(失念、スポーツ飲料のようなもの)という飲み物を買って帰った。グリーンティは、思っていたよりずっとマトモなもので、爽やかな苦味と、レモンの酸味が、カレーの後には丁度良かった。しばらく、日記をつけてから就寝した。


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