01年4月下旬−5月中旬
第3次欧州旅行


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●第4日 01年5月3日(木) プリマス→ロンドン→パリ

 05:30起床。パリへの移動日である。4時間半の睡眠ではさすがに眠く、全然目が開かないような気がする。6時に食堂に下りていくが食欲は無い。連絡事項も上の空状態で、すぐに部屋に戻り、バファリンと胃腸薬を飲んでぼんやりしていた。07:15、ロビーに下りる。荷物が重く、あちこち段差に引っロビーは大混雑かかって余計疲れる。ロビーはTPOのメンバーで大混雑しており、それでも、普通の客と違って、個別に会計するわけではないから、まだマシであろう。カギを返し、すぐ外に出る。行きと異なり、なぜか2号車が指定されたが、何も考えず乗り込み、すぐ寝てしまった。07:30、定刻に発車。ちなみにこれでも後発隊であって、先発は1時間早く出ているはずだ。バス移動はやはりきつい。
 道路状態は順調のようだ。途中、インターチェンジを間違えて引き返すという失態もあったが、もともと余裕のある旅程なので、10ロンドンへ分程度のロスは問題なかったようだ。M4(高速道路の名前)に入ってしばらくして、あとロンドンに70マイル程度のところで休憩となる。朝食をほとんど食べていなかったので、ここでバーガーキングに入り、ダブル・ワッパーセットを食べる。朝から量が多すぎであるが、少し寝て体調が戻ってきたらしい。値4.95ポンド、ほぼ950円。うーん、高い。しかし、ワッパーはいつもの味で、楽しめた。ノルウェイでもバーガーキングは利用していたが、私はこの店が好きなのである(マックよりずっと)。日本からの撤退が惜しまれる。10:45、休憩所(現地では単にServicesと綴るだけ)を出発、ロンドン・ヒースロー国際空港はすぐである。12時ごろにはターミナル4に到着、飛行機は15時なので余裕はある。団体なので、既に座席番号の入った航空券を渡される。16Aで、窓側ではあるがこの番号では多分、翼の上だろう。天気も悪いし、別に構わないことにする。荷物を預け、出国審査、ほとんど、何もなく素通り状態であった。手荷物はしっかり検査していた。

 何だか食べてばかりだが、昼食にする。出発ゲートは1時間前にならないと分からないし、事前に配られている団体の航空券には、当然、それは記されていない。ヒースロー空港は巨大で、運が悪いと15分近く歩く羽目になるので(各所に、どこまで何分、と目安が書いてある)、あまり端っこの店にいるのはリスキーである。そして、どこも混んでいる。面倒なので、先発隊が食事しているパスタ店で、入り口に並んでいた。15分ほど待ち、席に案内された。少し暑い。ついビールも頼んでしまう。アイリッシュ・スタウトであるが、予想に反し、量が多くて困惑。たった500mlだが、量が多いと思うのは、やはり体調が完全でないのか..ならば、注文するな、と今にして思う。パスタも食べ終わり、ちょうどよい時分になったので、掲示板を見たら3番ゲートとあった。ゲートに行く途中、免税店(電器屋)を覗いてみたら、コシナのBessa-R(カメラ)が置いてあった。値札がついていないので、売り物でないのかも知れないが、普通のコンパクトカメラたちとは異質の存在で、ちょっと浮いていた。
 ゲートに着いて、案内を待つ。係員が非常口を指し示すので、なんだろうと思ったら、そこから地面に下りて、タラップタラップで搭乗で飛行機に乗れと言う。いや、私はその方が好きなので好都合であるが。ちょっと写真を撮る。機材はB757、3+3の革シートが並んでいる。シートピッチに余裕がある。なぜか。肘掛を左右にずらす仕掛けがあっるらしく、3列中央の座席をつぶして、ビジネスクラスとして運用できるようになっているのだ。なるほど、これなら乗客の数に応じて臨機応変にクラスを変えられる。なかなかのアイディアである。写真を撮っておけばよかった。それはともかく、私の16A座席は予想通り翼の上だったので、景色は諦め、早々に寝てしまおう。すぐ上昇して、水平にならないうちから食事が配られる。食事といっても、サンドウィッチと水などが紙袋に入れられたもので、食べたくなければ持ち帰ればいい。ランチボックスのようにかさばらないのはありがたい。食べずに、また眠ってしまった。

 気が付いたら、着陸していた。タキシングの間も、眠くてぼんやりしていた。これでフランスへの入国カードを書くのを忘れてしまい、入国審査の窓口の前で記入、忘れていたのは、たった一人であった。しかも、筆記用具の無い米国人にボールペン貸してくれと言われ、貸してしまう。人がいいな、私は。そうして出したカード、審査官は全く見もせず箱の中に放り込んでしまった。
 パリ・シャルル・ド・ゴーフランス初心者には、まるで迷宮ル空港は複雑な構造をしている。初めてで、個人旅行では迷いそうだ。フランス人は、公共の建物を作るとすごく前衛的なのだろうか、なんだか、この、スペース効率とか、人の流れとか、考えているのかどうか甚だ疑問である。長い地下通路を通り、円い建物の中空(?)をエスカレータで横切って、同じ経路をもう一度通ってみろといわれても、再現できないだろう。バゲージクレイムにたどり着くが、噂通り荷物が出てこなくて、さすがに紛失した人はいなかったが、ずいぶん待たされた。それで、バス乗り場へはエレヴェータでしか降りられず、ここも列、列、列。ここまで待つと、怒る気も失せる。こんなものだと思えば、待つのも苦痛ではない。悟ったというより、ただ眠くて思考が鈍っているだけだろうが..しかし、ここで油断すると危ない。カメラと楽器だけは死守せねばならない。バス乗り場は道路を渡った先にあり、車がビュンビュン走っていて怖い。前に行ったプラハのようだ。車の列が切れたら、さっ、今だ!とばかり、皆がゴロゴロとスーツケースを転がし、一気に渡る。これで目が覚めた。バスに乗って、正規なのかモグリなのか分からないが両替商が現れ、両替している。私はフランは持っているので、不要だ。
 出発する。空港から市内まで、道路は混んでいる。速度制限は110km/hで、車の数の割に皆、飛ばしている。土曜の朝の東名高速下り、のようにどの車線も同じ速度でずーっと走る感じだ。あまり気楽な道路とは言いがたい。そういえば、時代遅れと言われそうだが、昔、フランスは自動車のヘッドライトが黄色でなければならなかったはずだが、いまは、白に変わっている。非関税障壁ということで、止めされられたのだろうか。運転マナーは良くない。どの車線も混んでいるからか、左に右に、ぐいぐい車線変更して走っている。市内でもそんな運転で、バスも走りにくそうだ。
サリュ・プレイエル それでも、演奏会場のサリュ・プレイエルには予定より早く着いた。サリュ・プレイエルのプレイエルは人名で、サリュはドイツ語で言うザール、つまりホールのことである。ここで、現地合唱団と第9の練習をする。私は出番が無いので、見学。ホテルに直行しても良いのだが、大した時間差でもなく、ここにいることにする。ホールの楽屋口付近で写真を撮っていたら、楽屋口の管理人(?)氏が近寄ってきた。ものすごく早口で、かつ、当然フランス語でほとんど分からない。キミキミ、写真を撮っちゃいかんよ。キミはこのオルケストルといったいどういう関係なのかね。ええーっと、トロンペット(楽器だけ一応フランス語!)です。なに?、それでは、それを証明するものはあるかね。あー、これでいいか(カメラバッグに付けたツアーのタグを見せる)。おぉ、そうか、それならいい。後で聞くところによええい、もう食べられればどうでもいい!ると、この人、在任中盗難事故はないのが自慢らしくて、確かにその仕事振り、とくと拝見仕った次第。
 いろいろ歩き回るに、このホール、分かりにくい構造である。楽屋にも階段が2系統(片方でしか行けない部屋がある)あったりして、少々混乱する。軽い食事が用意されていたが、この部屋に行くまで散々迷い、たどり着いたら狭くて全員はとても入らない。もう面倒だ、地べたに座って食べる。食べ物はフランスパンにハムエッグを挟んだものであるが、これがすばらしく美味い。軽いショックを受けた。私はなんでも美味しくいただいてしまう質で、一般に評判のよくない英国でも別にどうとは思わなかったのであるが、サンドイッチ一つで、これほど差があるとは予想していなかった。さすがフランスである。

 練習が始まるが、ここにきて合唱の席の数でもめたりして練習開始、騒々しい。また、中高年の女性がよくしゃべること。失礼ながらこれは、洋の東西を問わないかも知れぬ。フランス語は話すのに向いているというが、なるほどと思うしゃべりっぷりであった。そんなわけで舞台の上はかなりの間、ごたごたしていた。録音がまた凝っていて、弦パート各1本、管に2本、合唱に4本、メインのマイクがセンターに2本、エコー用が高いところに2本、声楽ソリスト4人に各1本、大掛かりである。今回、録音は池田さんという専従の方に来ていただいているが、このホールはセッティング、ミキシングまでは部外者立ち入り禁止で、ホールの人が仕切る。結果をラインで出してもらって、池田さんが録音するというやり方。縄張りが厳然としてある、ということだ。米国のカーネギーホールもそうで、録音はテープを渡されるだけ。練習の写真すら撮れなかったことを思い出す。
 ホールの音響は良い。良い音も悪い音も、正確に空間に残って客席で聞き分けられるような感じである。最近わが国で流行しているわんわん響くホールとは違う。少し低音が足りないような気もする熱唱(発音ちょっとモヤモヤだけど)が、オーケストラ全体は客席のどこでもよく聴こえた。特に2階席が良い。2階席だけど、プルミエ・バルコンと称す(プルミエ(1er)は1番の意)。英国と同じで、地階・1階・2階・・・という数え方だ。合唱団は男声が少なく、バランスがあまりよくない。そして、ドイツ語歌唱だが、歌い方がフランス風でよく言えば滑らか、悪く言えばモヤモヤの発音で、力強さには欠ける。日本人に言われたくはない、だろうが..練習は、フランス語に堪能なMSさんの通訳付きで行われた。フランス語は、数字が言いにくいのだ。私の聞きかじった程度では恐縮だが、例えば「80」は「キャトル・ヴァン」(20が4つ)、「97」は「キャトル・ヴァン・ディ・セト」(20が4つ、10と7、実際には区切らないが)これは大変だ。指揮の河地さんはドイツ語専門で、ドイツ語の発音の訂正や、どう歌えという指示は出せるが、数字はさすがに通訳が必要。何しろ、第9の4楽章というのは長大で、小節数が940もある。何小節目から、と指示するのが一大事なのである。なかなか珍妙な練習風景を見ながら、写真を撮ったり、日記(つまり、コレ)をつけたりしていた。

 練習後、バスでホテルに向かう。またまた狭いロビーで大集団が大渋滞を起こしたが、何とかカードキーを受け取って部屋に移動する。ところが、504号室が5階にない。正確に言うと、5階に508号室以降しか、ない。どういうことかさっぱり分からないままウロウロしていたら、501-5ホテル到着07だけ別棟になっていた。ドゴール空港、サリュ・プレイエル、そしてこのホテル、私のような田舎者にはフランス、よく分からない。ホテルは長期滞在用で、我々の部屋はキッチンや大型の冷蔵庫があり、そこらへんで別棟になっていたりするのかも知れない。部屋には夕方のバスで先に着いていたスーツケースも運び込まれており、一安心。しかし、後で聞くと、2つ、運び込まれていない人がいて、不安の夜を過ごしたという。フランス、油断なりません。
 部屋は広いが、ベッドは2つ、ぴったりくっついていて、どうも、男2人で眠るには妙な空間であるが、仕方ない。それに、疲れた。洗濯をして、すぐ眠ってしまった。


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