第11日 01年5月10日 ロンドン

 08:30起床。いよいよ最後の公演の日だ。朝食は中2階の会議室。英国に戻り、食事の質を気にする人もいたが、それは良い方に裏切られて、ソーセージ、卵、ベーコン、ポテト、シリアル、ジュース類、朝食、もう混まなくなってきた種類も味も一般的な水準と思われる食事であった。午前中はフリーであるが、私は休養に充てる。とにかく寝不足なのである。洗濯して、10時からまた眠る。

 11時半ごろ目覚めて、用意して下に。リハーサル中はほとんどヒマなので(第9が75分、私の演奏するレオノーレは15分、自ずと、リハーサル時間は決まる)、昼食はホールに着いてから、自由時間に食べればいい。1300時にホテルを出発し、バービカン・センターに向かう。途中、アストン・マーチンのディーラーが開店準備をしていた。こういう車を買う人は、この時刻からの営業でも問題ないのであろう。あるいは、昼休みの間は閉めていたのか。市内は渋滞していて、走行は快適ではない。昼は食べていないが、少し気分が悪くなる。バービカン・センターの入り口付近でバスもどこに止めてよいやらわからないらしい。構造が分かりにくく、道も狭バービカン・センター楽屋口いのだ。とにかく降りてしまえ、となった。楽屋口らしきところに行ってみるが、パスコード式のロックがあって、係員と同伴でないと、入れない。リフト(エレヴェータのこと。英国式の言い方)もなかなか来なくて、楽屋口に人が溜まってしまった。面倒なので、正面に回って入場した。ここも、一旦出ると入れない一方通行式のドアになっていて、セキュリティのためなのだろうが、周りを調べてみたら何の事は無い、一般の客席用の扉の鍵が開いていた。これは..単なるセキュリティ上の「抜け」ってやつだろうな。
 ホールは横に広い形で、客席の椅子(座面)が跳ね上げ式でなく、固定である。従って前後にはかなりの余裕がある。ただし、背もたれが低いので、姿勢はそれほど自由にはならない。英国人はコンサートで居眠りなど、しないのかも知れない。一列ごとにシートの色が変えてあり、落ち着いた色調で、なかなか良い雰囲気だ。残響はデッドで、シャカリキになるとあらが目立ちそうである。早速練習開始、であるが、録音のセッティングが出来ていない。本来はホールで仕切ることになっていたはずだが..録音の池田さんが、持参のマイクを使ってセッティングをする。突然だからかどうかは分からないが、中央1点のみ、2本で取るようだ。パリは舞台上にごたごたとマイクが並んでいたが、これは対照的で面白い。ここは合唱団の声量も大きく、確かに1点でも取れるかも知れない。結果が楽しみである(実際、上手く取れていた)。
 国歌、レオノーレの練習はまずまず。4公演目ともなると、まとまりも出てくる。あっという間に終わってしまい、後は第9になる。ここで、昼食のため外出する。バービカン・センターはホールだけでなく、居バービカン・センター、ホールの正面?入口住区などもある再開発地区である。真ん中に池があって、向かい側に最短距離で突っ切ることは出来ない。2階まで上がって回廊を歩き、反対側に出た。1982年竣工なので約20年、居住区は適度に古びて落ち着いた外観、都会の中にあるとバービカンの居住区は思えない静けさである。セント・ポール駅まで歩き、地下鉄でホルボーンへ。近くのカメラ屋でフィルムを買った。スペリア・エクストラ800、日本では単にスペリアで、宣伝文句もフォース・カラー・レイヤ、日本の「第4の感色層」と全く同じ。もうちょっと変わった言葉が踊っていたら面白いのだが。ここでもOMズイコーの40mmF2を見せてもらったが、ガタガタのレンズで、全然買う気にならなかった。駅に戻り、面倒なので近くのマクドナルドに入る。ここでも日本にないものを食べてみようと、ヴェジタブル・デラックスのミール(セット)にする。カレーコロッケに野菜をたくさん挟んだような内容で、まぁ、そのまんまな味であった。ところで、マクドナルドで食べていて思ったのだが、英国ではごみ箱が1つしかない。プラスティックの容器も紙も、分けないのだ。不思議なもので、ドイツから来たせいか、これがなんだか居心地悪いのだ。それだけ、ドイツにはごみ合唱合わせ開始箱がたくさんあったのだ。3日間ごみ箱を見るだけで、いつしか教育されていたことになる。食べ終わり、地下鉄に乗ってホールに戻る。丁度休憩に入ったところだった。夕食のサンドイッチが出ていて、一人ずつの包みではなく、大皿に盛ってある。後で食べる、というわけには行かないようだ。しかし、今食べてきたばかりなので、食べるのは止めて、水を飲んでいた。17:30、第9の合唱合わせが始まる。平日の夕方なので、残業をしない英国人とはいえ間に合わない人が30%くらいいるとのことだったが、それでも昨夜同様、声量があり何の問題もなかった。改めて、実力のほどを知った次第だ。ここで練習風景を何枚か撮っておく。横長のホールなので、2階席(日本式に、以課外活動の中学生たち下同様)の最後列から撮って50mmレンズで舞台全景がギリギリであった。1階席に戻ると、地元中学生の団体が30人ほど来ていて、練習を見学していた。14歳、課外活動で楽器を演奏するのだという。引率の先生は教育制度の概要まで、すごく丁寧(先生だから当然)に語ってくれた。プリマスのお客様もそうだったが、当地の人は、誠実な話しぶりが特徴的である。もちろん、話題がくだけたものでないという面もあるだろうが。

 そろそろ、着替える必要がある。ここの楽屋は舞台と同じ階にあって、近くて良い。舞台裏にはアーティスト用のバーもあって、広い。しかし楽屋自体は小さい部屋がたくさん並んでいる形式で、狭い。一部屋(5畳くらい)数人入ればいっぱいだ。着替え終わって、周りを探索する。合唱の人も、TPOのサンドイッチを食べている。これ、ウチのではないの?と思わないでもないが、食べきれず余っているので問題はない。TPOのメンバーは下手(しもて)側に集まっている。合唱団とは何となく、分離した形である。ま、TPOは下手が似合っているのかも知れぬ(冗談..一応)。
 ガヤガヤしているうちに本番が近くなり、慌てて舞台に上がった。客席は埋まっている。事前の情報では、チケットが余っていて数百くらいの空席が出来るかもしれないとのことだったが、そんな空きはなかった。最後の追い込みが功を奏したのだろう。最初に演奏会収益寄付のセレモニーがあって、それから英国国歌の演奏になる。吹き始めたら音程がむちゃくちゃ高くて驚くが、替え指などでごまかし、君が代でも唇で調整して何とか吹き終わる。楽器を見たら、主管を全く抜いていなかった。つまり、音合わせなしに舞台に上がっていたのだった。よほど舞い上がっていたのか、トランペット歴24年、こんなことは初めてである。国歌のあと、指揮の河地さんが一旦舞台袖に下がったので、クールダウンする時間が取れた。
 レオノーレ第3は、高いGの音が不安定ながらも何とかうまく行き、ギリギリセーフといったところか。録音にどう入っていることか..とにかく、これで私の欧州公演は終わったわけだ。大過なく、と言ったところだが、やはり体調管理、精神的な安定性などに課題を残したと思う。こういう演奏旅行はめったに経験できないので、そこはある程度仕方ない。公演旅行に限らず、考えるべきことはまだあるだろう。そんなことをつらつら考えていたら、レオノーレが終わったところでまたお客様がたくさん入ってきた。どうも、この会場でも満席に近いようだ。客席に潜んで写真を撮るこ先生、出番です!とは出来そうも無い。先に着替えて、待つことにする。
 第9は順調に進んでいる様子。TVとスピーカのモニタがあって、舞台の様子はよく分かる。2楽章になり、この楽章が終わった後で入場する歌のソリストたちを、ステージマネージャのHT君が呼び出しに行く。なかなか出てこない。ソリストの方々、パーティなどで話しているときはきわめて愛想がいいのだが、こういうときはプロの顔で、自分の精神集中が優先になる。ステージマネージャもたいへんである。2楽章終了には間に合って、ソリスト入場、しばし拍手が続く。3楽章も順調のようだ。この楽章で聴き所といえば、金管楽器奏者なら、4番ホルンのオブリガートソロであろう。4番ホルンのMT君は今日も完璧であった。このパートをこれほど吹ける人も、そういない。得がたい人材である。そのまま続けて4楽章に入り、これも順調。合唱はとにかく安定していて、聴いていて安心できる。一応アマチュアなのだが、どうみても、そんなレヴェルではなかった。

 本番が終了した。客席を覗いてみたら、満席になっていた。一応アンコールありで、「赤とんぼ」を演奏する。拍手が途切れるのではないかと、少し心配になった。全般に聴衆の皆さんは冷静で、4公演とも拍手はあまり長くないようだ(演奏がソレナリなのかも..)。聴いた感じでは上手く行ったように思えたが。すぐ撤収のところだが、記念撮影などもして、パーティ会場へ。最初はVIPと一般で2箇所に分かれて行われる。皆荷物が多いので、まずは会場に荷物置き場を作って、一杯飲んでからVIP会場に行ってみた。写真を撮るためである。一般の会場もそうだが、VIP会場も混雑がすごく、特にここはどこにエライ人が立っているか分からないので、油断ならな現地スタッフ(中央4人)を称えるい。何枚か撮って、退散した。一般会場も人だらけで、飲むのにも一苦労。
 しばらくして、スピーチが始まった。この旅行記の最初の方にも書いたが、司会者がいるパーティは一般的でないらしく、ここも司会者なし。MMさんが何となく司会役になって適当に人を呼び出し、スピーチさせていた。途中から、VIPも登場。西室会長が大汗をかきながら談笑していたのが印象に残っている。夜行便でロンドンに来て、明日また飛び立つのだそうだ。その過密スケジュールには驚く。今回の公演のためにもいろいろ尽力いただいたようだし、一ヒラ社員としては、素直に感謝する他ない。

 長々とパーティをやっていられるような状況ではなくなってきた。というのも、外に路上駐車しているバスが、警官から文句を言われたという。交通はほとんどない狭い道路だが、そこにバスが停まっていては迷惑であろう。早急に退出しなければならない。荷物置き場を設定したのは私なので、最後まで残っていたら、なんと、チェロが1台余っていた。なんだこりゃ。手の空いていた旅行会社のKさんが、じゃ、私が持ちましょうといってバスまで運ぶ。途中で持ち主の某氏が現れ、MMさんがどうしたんだよー、と囃し立てたら険悪な雰囲気になった。酔った上でのことだから、2人とも、そんなことしてないでまずバスに向かって欲しいところだ。楽器を運んでくれたKさんが、一番気まずそうにしていた。旅行会社の人は腹を立てることができない。お気の毒としか言いようが無い。
 深夜のロンドン市内は空いていて、すぐホテルに戻ってきた。パーティでほとんど食べることはなかったので、空腹感を覚え、皆でちょっとでかけようか、という話になった。ロビイで待っていたらなんと指揮者の河地さんまで含む10人くらい?(もう人数を数える気力もなかった)の団体にふくれ上がり、この人数でいっぺんに店に入れるのか、いやそもそも店が営業しているのか、と思ったらやはりほとんどの店は閉店していた。クイーンズウェイをうろつき、1軒だけ開いていたレバノン料理の店に入る。全く知識が無いので、適当に注文したらあまりおいしくなかった。25時、もう誰もが言葉少なである。ビールで流し込むようにして、店を出てきた。


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