はじめに

 南米には以前から行きたかったのだ。いや実は南極が希望だったのだが、配偶者Sは寒いところが苦手で、南極はおろかオーロラツアーもいやだというので、譲歩(?)して南米ペルーに行ってきた。9月にタンザニアに行って12月にさらにペルーとは、会社員人生を投げ出してないかとの指摘もあろうが、9月は新婚旅行、12月は勤続15年の休暇という位置付けなのである。しかし思うに、こんな名目がどうあろうと1-2週間くらいは毎年休めるという文化が欲しいと思う。実のところ日本は諸外国に比べて祝日が多い国のようだが、長期の休みは集中が激しいし、じっくり休んだという実感はほとんどない。そろそろ、各自が自分で休む習慣、休むことを気に病まない風土が出来ないものか..
 と、だいぶ話が逸れてしまった。南米というと、大昔、ブラジルに行く機会が実現しかけたことがある。しかし、その時ペルーの日本大使館占拠事件が発生して、企画自体が自粛ということになってしまった。それ以来、テロの危険(という先入観)や飛行機が1便で直行できないという不便さもあって私はもっぱら欧州ばかり旅行していたのだ。
 しかし今度は、思い切って南米に行くことにした。2人とも遺跡などを見るのが好きなので、ペルー1国に絞り、情報を集めて大まかな日程案を作った。往復の飛行機、ペルー国内の飛行機、最初の2日間の宿だけはインターネットで予約して、後は現地で手配するというスタイルで、本来私はここまで思い切ることはできないのだが、ペルーは交通機関が不安定で、必ずしも予定通りには行かないというので、敢えてオープンな日程案にしたのである。会社での事務引継書類に書いた日程表はなんと未定だらけ。これでは連絡のしようがない。我ながら呆れる。
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12/24 コンチネンタル航空6便にてヒューストンへ
      同、1107便にてリマへ
      リマ 江田インに宿泊 51-1-461-2682
12/25 ランペルー航空27便にてクスコへ
      クスコ オスタル・コリウアシにて宿泊
12/26〜1/2 未定
1/3 リマ滞在予定
1/4 リマ滞在予定
1/5 コンチネンタル航空1108便にてヒューストンへ
1/6 コンチネンタル航空7便にて成田へ、19時前には自宅着。
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 さて、この旅行、いったいどうなるのだろうか。世のバックパッカーたちからすれば当たり前のことなのだろうが、私はこういうのは初めてなのだ。これだけのことで興奮したり不安になったり、指折り数えた12月24日がやってきた。

(拡大する写真には枠がついています。また文中にも写真へのリンクがあります。)


第1日 04年12月24日 自宅→成田→ヒューストン→リマ

品川駅にて 綿密に計画し、乗る列車の時間も決めていたが乗り遅れてしまった。品川13:10発の快速列車に乗るのだが、その時刻に品川に着いてしまう結果になった。ペルーは交通機関が不安定で、などと書いておいて自分が不安定ではないか。これでは先が思いやられる。仕方なく、成田エクスプレス23号の指定券を買った。これに乗ると先の快速より成田着は早くなるのだが、早く着いてもあまり意味はない。久しぶりに乗って車内を見渡すと、普通車の座席レイアウトが変わっている。昔は4人のボックス席だったのだが、今はスウェーデンのX2000風と言うべきか、中央部が4人向かい合わせで、他は2人席がずらっと中央を向いて並んでいる。座席は固定で、回転することはできない。我々が座ったのは進行方向に対して逆向きの席であった。席の下が大きく開いていて、足を伸ばしたり荷物などが置けるようになっているのは良い。天気は曇りで、景色を見るでもなくぼんやりしていたら成田に着いた。

 コンチネンタル航空は第2ターミナルである。H15カウンター(業者が団体航空券を手渡すところ)で航空券を受け取る。正しくは航空券ではなく、E-ticketの明細書らしい。それが航空券サイズの紙で、この大きさに明細を印刷するなら航空券と同じような気がするが..Fカウンターに行ってチェックインする。ヒューストンへの便、リマへの便ともに窓側を指定する。リマへの便は深夜着だから実際には窓側である必要はあまりない。シート配列は3-3-3の9列だそうで、窓側の3列ってのは何だか窮屈な感じがする。9月に乗ったエミレーツのA340は2-4-2の8列、キャビンアテンダントが食べ物などをサーヴするにもこっちの方がやりやすくないか、とは余計なお世話だな。定員の8割くらいの混み方とのことだから多少余裕があるようだ。両替所で5万円をドルに替える。事前に持っていたのと合わせると1000ドルくらいになるのだが、足りるかどうかは分からない。まあ都市部ではクレジットカードでも問題ないだろう。日焼け止めを買って、近くの蕎麦屋で昼食(?)のような食事をする。今日は準備で忙しく、家であまり食べていないのだ。Sはきつねうどん、私はてんぷらそば、2人で2010円とは高い。通貨の安い国から来た人は卒倒するだろう。

成田、まだピークには早く空いている 出国審査を通り、免税店に行ったら日焼け止めが免税で売っていた。ありゃ、そういえばそうか、と納得する。店は有名ブランド品店もあるけど、9月にドバイの店を見ていると成田ですらあまり賑わっているようには思えない。店が分散してしまっていて便利ではないのだ。空港の構造・大きさが違うということもあるが。出発ゲートのD97コンチネンタル航空のB777に向かう。出発が予定より10分早まっているのでぼんやりしていてはいけない。ゲート近くの店でスペイン語のイラスト付き会話集を買う。この本はその後ずい分役に立った。

 16時半ごろに搭乗する。機材はB777-200、新しい飛行機のようで、機内外ともきれいだ。ただ、私の席の前のシートの縫い目がほつれていたりして、こういうところは雑な感じがする。シートの広さは標準的なエコノミークラスという感じだが、シートの背が高い。ヘッドレストに私(身長178cm)の頭が届かないどころか、ヘッドレストはその上にもさらに調整が効くようになっている。米国人向けに大きくなっているのだろう。その割に、米国人が体をもぞもぞさせるとシートもグラグラして何だか壊れそうなところが怖かった。シートは固めで、これはエミレーツの方が座り心地が良いと思った。離陸する前からそう思ったくらいなので、その後、11時間50分余の飛行はつらかった..出発前に機長が放送をする。皆様、メリー・クリスマス!本日は機内とヒューストンで2度のクリスマスを祝うことができますよ。そう、今日24日に出発してヒューストンに24日に着くのだ。日本に駐在していてクリスマス休暇で米国に帰る人は、帰宅後もクリスマスというわけなのだ。

 離陸の順番待1回目の食事ちをして、17:10に飛び立った。外は真っ暗である。成田周辺以外はどこも暗い。銚子の上空から太平洋に出た。雲があるものの揺れは少ない。とりあえず快適。しばらくして、食事が出る。私はビーフにする。赤身の肉で少しカサカサした感じだが柔らかい。エッグフライドライスと共に、味付けはまあまあよろしい。サラダが粗末で、こういうところに手抜きが感じられる。全体に量が少なくて、大柄な米国人には足りないのではないかと危惧するが、どうやらあと2回出てくるらしい。それはそれで多いぞ..1回を豪華にして回数を減らして欲しい気がする。こういうのは飛行時間で出す回数が決まっているのだろうが、以前乗った英国航空は12時間以上飛ぶけど2回目のスナック類は配るのではなく申し出てもらう形式になっていた。私はどちらかというと希望のない限りは放っておいて欲しいと思う。
 外は海、当然漆黒の闇だからすることがない。映画を見る。"I Robot"で、新しい映画ではないけれど内アンカレッヅ???容はなかなか面白い。設定の都合上、CGだらけの映画になるのは止むを得ないが、かなりリアルではあるけどやっぱり通常の風景とはつながりが良いとは言えない。それでも細部はよく作りこんであって、大詰め近く、サニー(ロボットの主役)がウィンクするあたりは前の伏線と繋がってなるほどと思う。映画を見終わって、しばらく地図表示(航路)を見ていたら、アンカレッジがアンカレッになっていた。日本人のスタッフがチェックしないのかね。面白いので、撮影しておいた。この時点でまだ3時間しか経っていなくて、まだ9時間近くも残っている。ああ、ヒューストンは遠い。

 日本時間で20時半ごろ、日付変更線を超える。日付変更線は米国領に沿って西に曲がっているから、実際にはもうちょっと先が180度線(24時・0時)なのだと思われる。時計をヒューストン時間に変えておく。2時間ほどうとうとして、大きな揺れで起きた。ベーリング海にいるのだ。外気温は-65℃で機内も幾分寒く感じる。眠気がなくなってしまい、しばらくTVゲームでブラックジャックやポーカーをして過ごした。最低額だけを賭けて、ひたすら長持ちさせる2回目の食事。それにも飽きた頃、ヒューストン時間の8時ごろに2度目の食事、軽食が出る。カップめん、サケのおにぎり、サンドイッチ、チョコレート..多い。カップめんは「ブタめん」という聞いた事のない銘柄で、「あっさり味でござる!」と書いてある。あまり美味しくないが、機内が寒いからありがたく頂く。サンドイッチはハムとチーズの2つで、チーズには何と万能ネギが刻んで入れてある。ヘンな組み合わせだが、これが予想外に美味しかった。食後にコーヒーをもらって、ほっと一息つく。

 そろそろ米本土にさし夜明けかかる頃だ。雲が厚く、ところどころに山頂が雲の上に出ているのが見える。雲が切れると、シアトル南東のレーニエ山が見えた。山々はそれぞれが幅広く、峻険には見えないが冬ゆえ真っ白になっていて、やはり高地なのだと思う。ここから先、コロラドあたりまで(?)ロッキー山脈なのだが至る所山というわけでもなく大きな盆地や谷もあって、それぞれが広い。こういう景色は見ていて飽きない。かなり進んだところでソルトレークが右に見えるはずだがあいにく雲の下で見えず。機はこのあとコロラド-オクラホマ-テキサスの各州を通る。コロラド州は長方形で、その対角線を通るような感じになり、格別長く感じられた。平らな大地にコロラド川が深い谷を作っていてすばらしい景観だ。アクラホマ州をちょっとかすってテキサスに入る。時計を見るとここから2時間で着くことになっている。ひたすら平原で、円形に刈り取られた畑に雪が積もっていて面白い。
レーニエ山川や湖の様子がよく分かるロッキー山脈(?)












コロラド川円形に刈り取られた畑








 空港まで1時3回目..間に迫ったところで3回目の食事が出る。地図ではまだまだ距離があり、1時間で着くのか心配なくらい残っている。食事はラザニアにした。暖かくて美味しい。高度を下げ始めたので食後のコーヒーどころではなくなり、オレンジジュースをがぶっと飲んで食事を切り上げた。入国カードと税関申告書の記入をする。毎度のことだが、意味のない質問にNoのチェックを入れる。犯罪を目的に入国しますか、ナチスに関わって民族を迫害しましたか、と質問されてYesと書くやつは居まい。米国の建前はどうにもズレているように思う。そもそヒューストン上空も、トランジットなのに入国して税関通って、また出国というのが煩雑に過ぎる。テロ対策の一環で指紋採取、写真撮影をするために入国させているわけで、不便だ。

 さて、ずっと平原、畑だったのが都市が見えてきた。ヒューストンである。緑が多い。冬なのと、曇っていて色がよく見えないものの森が多く、家々の敷地には余裕があってこういう点、米国はうらやましい環境だ。気流が悪くて揺れた。ラザニアが胃にもたれて気分が悪くなった。
 ヒューストン空港はそんなに大きくはない。搭乗ゲートから通路のスロープを降りると入国審査場があった。米国人以外は入国に時間がかかる。かなり待った。入口から冷気が入ってきて寒い。元々トランジットで興味もないのに、こんなところで待っているのは気分がよろしくない。イライラする。入国では質問などほとんどなく、ただ指紋を取って写真を撮るだけだ。係官も飽き飽きしているだろう。Sがふざけた顔をして写真に写っていたが、係官が笑ってくれてよかった。人によっては別室に連れて行かれかねない危険行為であろう。まあ日本人は毒にもならないと思われているのかな。バゲージクレイムに行くと、入国審査であれほど待っていたのに荷物が未だ出てきていない。なんだこの遅さは。税関を無申告で通る。バゲージクレイムから数十mのところに税関、手荷物検査場があってすぐに荷物を預けることになる。これだけのために入国したのかと思うと釈然としない。日本が緩いのかも知れないが米国は極端だと思う。

ヒューストン空港エラーが出ているぞ.. 空港の建物は殺風景で、地方空港の趣だ。リマ行きはC14ゲートということを確認する。行き先表示にバグが発生して警告画面が出ていたのには笑えた。メインの入口の近くに、G.ブッシュ元大統領の銅像が立っている。その周りはブッシュ氏の偉業を称えるパネルで、そういえばここはジョージ・ブッシュ・インターコンチネンタル空港と言うことを思い出した。施設や艦名に人名をつけるのは欧米では一般的なようだが、日ブッシュ氏の銅像本人には馴染みがない。どうもこういうのはね..文化の違いだから仕方ないが。
 戻って、メインの十字路のところ、天井が緩いドームになっていて竜鳴きの原理で自分の声や足音などが増幅されて聞こえるところがある。もちろんわざとそうしているのだろうがあまり気付いている人がいないようだった。ここが唯一、遊び心ある空間のようで、後はあまり見るべきところもないように思われた。
 両替所で4万円をペルーの通貨、ソルに両替する。1010ソレスになる。ドル経由なので2度手数料が取られて、本来1ソル=30円くらいのはずなのにレートが悪い。後日、クレジットカードで現地でキャッシングした明細の方がずっとレートがよかった。ゲートに向かい、しばらくぼんやりする。日本人もちらほら見られるが、周囲の会話はスペイン語が多くなってきた。15:40に機内へ案内される。出国カードはゲートのカウンターで渡してここで出国リマ行きの飛行機ということらしい。搭乗の列はなかなか進まない。というのも、いろんな所で発券された搭乗券が有効かどうかの照合をしているのだ。私の番になりチケットを見せたら、PCに番号を打ち込み、確認していた。半券は切らなかった。
 機はB757-200で、小さい。機内に入ったら大混乱である。収納スペースが少ないので、皆がいろんなところに自分の荷物を押し込もうとしてぐちゃぐちゃになっている。私はカメラバッグだから当然上に収納する気はない。大切な機材を盗まれたら大変だ。最後列までほうほうの態でたどりつき、着席した。座席は3+3の6列で、日本の国内線の雰囲気。こんな小さな飛行機で6時間以上も飛ぶのかと思うと新鮮というより不安だ。今は日本時間では25日の朝6時くらい、徹夜状態だから極めて眠い。離陸を待つ間からうつらうつらし始め、飛び立ったらすぐに寝てしまった。

 ペルー時間(ヒューストンから1時間日本側に戻す)の20時ごろに食事が出る。ビーフの炒め物、マッシュポテト、サラダ、シナモンのケーキ。どれもけっこう美味しい。しかし前のほうからサーヴされて、私は最後列だから冷めてしまっていた。Sに至っては料理がなくなってしまって、サンドイッチとポテトチップである。これって..2度目の食事を代用しているのであった。おいおい、ソーリーで済ませるにはいいかげん過ぎないか..食事をして少し目が冴えた。右に日本人の男性が座っているので少し話をする。以後MHさんと書こう。世界各地を旅しているらしい。なんと、今晩の宿が同じ江田インであった。翌日からの予定は決めていなくて、江田インにお任せしてしまったという。なるほど、そういう豪快な手もあるわけだ。出発前が忙しければそれもいい。また眠くなって、2時間ほど寝たら2回目の食事が出る。あああ、もういいよ、と言いたいところ。ターキーのサンドイッチ、ポテトチップ、ナッツバー、SとMHさんは同じ物を2度食べたことになる。ターキーは95%fat free、マヨネーズも1/2カロリーと書いてあるのは米国らしい。しかし家でパンを食べて、成田でそば、そして機内で5食も食べている。最初に食べた24日9時から28時間で7食..明らかに食べ過ぎだ。
 機外は漆黒の闇で、ところどころナトリウムランプの街灯が見えるのは地方都市だろう。ペルーは人口2800万、そのうちようやくリマに到着770万人が首都リマに住むというからたいへんな首都集中だ。実際、リマの市街は大きく、ナトリウムランプの橙色の粒が延々と並んでいる。夜景で、かつ着陸時でブレると分かっていながらも撮影しておいた。
 23:37に着陸した。6分遅れなのだが最初の23:31着という中途半端な予定も、よく考えると面白い時刻だ。リマ空港は拡張工事中で、空港の新しい建物は使えない。バスで入国審査場に案内される。仮の建物なのか昔の建物なのかは知らないが、広くなくて審査官のいるブースは6つと少ない。しかし時間はかからず、すんなり入国できた。その先、税関では申告する/しないは問われず、抽選ボタン(?)を押す。私は見事に赤ランプが点灯してしまい、荷物をX線検査機に入れられた。ただそれだけのことであって、中を開けて見るわけでもなかった。

 外に出ると、タクシーの客引きや迎えの人がたくさんいるのはドバイ空港と似ている。その中で、江田インの表示を見つけた。日系人の宿の主人とドライヴァーに付いて行く。車は日産の商用ヴァン(日本でいうところの4ナンバー)で、後部座席が狭い。道路はガラ空きで流れが早いが、他の車も含めて運転マナーはよろしくない。赤点滅の信号も止まらずに突っ込む。この時間はいいんです、との説明であった(ほんとか??)。クラクションもよく鳴らすし、何だか、タンザニアの運転に似ている。車内で、宿の主人とMHさんとペルーの日系企業について話していたら、何と、MHさんも東芝の人だと判明クリスマス用のケーキ。まあ首都圏だけで万単位で関係者がいるとはいえ、ペルーに来て同じ車に社員3人乗り合わせているというのは奇遇というより他にない。
 10分ほどで江田インに到着する。門は2重で、中庭を通って部屋はそれぞれ別棟になる。こういう点は厳重だ。部屋は8畳くらいでベッドは2つ、なかなか広くて、サンダルまで用意してあるのはありがたい。食事室のようなところで主人のおかみさん(この人は日本人)と話す。クリスマスに食べるパンのようなケーキ(パネトン)を振舞われ、いやもう7食も食べているので、と言うのだがやっぱりくれた。そんなに厚く切らなくてもいいです、と言ったらペルー的にはそれは少量なんだと言われた。なるほど。気泡が多くて、甘いけど柔らかくてさっぱりした味。ところどころにフルーツがあって美味しい。これにて、無事8食目を食べ終わった。

 外では、クリスマスを祝う花火(爆竹)が鳴り響いている。12月25日と1月1日は、午前0時を以って花火を鳴らす習慣らしい。時々火事になるので法的には禁止なのだと言うが。宿の犬(ペコ)が怖がってテーブルやソファの隅に隠れている。日本で生まれた犬なので花火が怖いのだそうだ。雑談ついでにペルー事情をいろいろ聞く。タクシーに乗ったらカギをかけて、車内でもカバンはたすきにかけて取られないぞという意思表示をする、とか。ただ、概して一般人は親切で、道を教えてくれと言ったら目的地まで案内してくれるとか。まあこれが誘拐犯ならカモネギなのだが、そういう判断は難しいところだ。交通機関はたいへん不安定で、何事も直前にならないと決まらないから情報収集はまめに、特に列車は客が少ないと突然運休になるからと注意された。うひゃー。
 風呂に入る。共同の風呂だが湯をためて、外に洗い場があるので日本式の使い方ができて嬉しい。風呂を上がって、部屋に戻ると、ペコが入ってきて、ベッドの下で寝てしまった。確かに、ここが一番音が聞こえにくい。いまペルー時間の02:50、日本だと25日の16:50だから起きてから31時間になる。明日の飛行機は極力遅い時刻にしているが、とにかく寝ることにした。


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04年12月下旬−05年1月上旬
第1次(?)ペルー旅行

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