04年12月下旬−05年1月上旬
第1次(?)ペルー旅行
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●第2日 04年12月25日(土) リマ→クスコ

 今日は8時に出発する予定だ。7時前に起きた。疲れている割にアラームが鳴る前に起きて、我ながらペンションの中庭エライなぁと思っていたが、時計をよく見たら設定されていた時刻は07:45。1時間も間違えていた。危ない危ない。こんな起床時刻で8時に出られるわけがない..
 朝食をいただいて、準備する。朝食はソーセージ、スクランブルドエッグ、パンが2種、サラダ。ソーセージが酸っぱい。こういうものなのだろうか。量は少ないが、朝はあまり食べないからこれくらいで問題はない。8時に昨夜のドライヴァーさんが来て、空港に向けて出発する。朝の混雑があるようだが、裏道を抜けて10分後に空港に着いた。

 今日は10:25発のランペルー航空27便でクスコに向けて飛ぶ予定だ。クスコは3400mの高地にあり、地形・気象上の理由から、有視界飛行での着陸が必要で、かつ午前しか飛ばない。観光上はもちろん早い時間に入れることはありがたいが、国内線というのに2時間前にチェックインをしろ、というので朝一便などでは4時なんていう時刻に空港に居なければならない。実は昨日知り合ったMHさんがこの便で、24時過ぎて宿に着いて、早朝の出発だから大変つらい。我々は、それだけは避けたいと思っていたから、日本にいる間にラン航空のwebで一番遅い便を取っておいたのだ。それでも8時には空港に居るわけで、前の便(09:25発)に余裕で乗れるだろう、という時間帯だ。
 チェックインカウンターの前では簡単にチェックをしていて、E-チケットの控えとパスポートを提示して中に入れてもらう。カウンターは列が出来ているもののそれほど待つことはなかった。E-チケットの控えを見せることなく、パスポートだけで搭乗手続きをしてくれた。19A・Bの席で、機の左の窓側だ。時間が有り余っているので、空港内を歩くことにする。とはいえ工事中だから大して歩くところはない。2Fに行くと、ドラッグストア、ファストフード店、レストランなどがある。客は少なくてがらんとしている。2Fに上がるエスカレータが奥まったところにあって人大きい..の流れとあんまり関係ないところにあるのが原因なのか、ただ朝が早いために少ないのかは分からない。レストランのショウケースにあるケーキ類が巨大で驚く。昨夜、これでも小さい方ですよと言われたことを思い出した。ドラッグストアでボリヴィア製の高山病薬を買う。60ソレスリマ空港だから1800円くらいでけっこうなお値段である。中を開けてみると、説明書がない。箱にも飲み方とか、そういう重要なことが書いておらず、なんじゃこりゃ、と一言つぶやき、店に戻って店主に飲み方を教えてもらう。朝夜に1錠ずつか、1日に2錠(まとめて)とのことだ。この手の薬は血管を拡張させるものであり手足がしびれたり低血圧になってぼんやりしそうで、一度に飲むのは考えものだから前者で行こうと思う。
 店は大して数もないので、すぐに見終わってしまう。じっとしていると汗が吹き出てくる。リマは蒸し暑いようだ。セキュリティを通って待合室に向かう。狭くて、ゲートは少ない。行ったら丁度09:25の便の搭乗中で、このまま乗せてくれればいいのに、と思うがそういうわけにも行くまい。暑いから飲み物でも欲しいところだが、売店が未だ開いていなくて何も出来ず、ぼんやりしていたら、09:20に搭乗が始まってしまった。1時間近く早い。まさかこれから1時間、機内で待つということもあるまいが、どうなるか分からないままにバスに乗って飛行機に向かう。空港内を撮りたいが昨晩撮ってはいけないと言われているのでカメラはしまってある。機材はA320で、新しくてきれいだ。19A席は左側で、東行きの飛行であるから北側、つまり太陽がある側の窓である。雲が多いから風景が見えるかどうかは分からない。

 搭乗は早かったが、その後遅れて来た乗客を待っていたのでリマ上空、結局定刻10分前に飛び立った。つまり40分以上機内で待っていたことになる。リマ上空は曇り、市内の空気は悪く、霞みがかかったような感じに見える。すぐに雲の上に出てしまって景色は見えなくなった。太陽側の窓で雲の上を飛んでいるのは眩しくて仕方ないが、時々切れ目から見える下界の風景が見たくて外を見ていた。アンデス山脈にさしかかっているはずで、山々には植物はほとんど見られず、谷底にちょぼちょぼ見えるだけで荒涼としている。高いところは冠雪していた。
 機内では、冗談番組が放映されている。一般の通行人を怪しい設定で(ニセ警官が取り締まり中に危ない格好をしたり、過大な罰金を言ったりして驚かせるような)隠し撮りするものだ。面白いシーンもあるにはあるが、中にはどう機内食とインカコーラにも面白さが理解できないものもある。こちらの人と、笑いのツボが違うのであろう。ちなみに英語の番組だから内容が分からないというわけではない。機内ではこれを見て大きな声で笑う人がいて、賑やかである。そのうち、機内食が出た。国内線だから出なくても支障があるわけではないが、出るとやはり食べてしまう。ハムチーズのサンドイッチと、飲み物だ。飲み物はこちらの国民的な飲料、インカコーラにする。黄色い、怪しさ全開の飲み物なのであるが、これがすっきりしてコーラとは思えない味だ。甘いから喉を潤すにはいささかくどいかも知れない。しかし気に入った。サンドイッチは温めてあり、チーズが溶けていて、やわらかくて美味しかった。

 外はよく見えないが、途中でSに席を替わる。Sは交通の移動中はほとんど寝ているのが常だが、この飛行はさすがに景色が見たいらしい。気流がよくなく、飛行機は少々揺れた。クスコの手前から段々晴れてきて、下が見えるようになってきた。最後のところで再び席を替わって、着陸するまで外を撮影する。クスコは大きな盆地で、低い山の方向から大きく旋回して空港へと進入して行くのはなかなか迫力があって良い。
ところどころに見える街 クスコ上空 クスコ上空 大きく旋回

 滑走路が長く見えるのは高地という先入観なのか?、ただデータを知らないので正確なところは何とも言えないが、止まるまでに余計に時間がかかったような気がする。着陸して、すぐにゲートに着いた。降り立っていきなり高山病になる人もいるというが、ふらふらするクスコに到着わけでもなく、とりあえずはクスコ空港何とかなっているようである。早着だったが、迎えの人が来ていた。荷物が出てくるのに時間がかかった。天気は良くポカポカ暖かいけれど、風は涼しい。風景が良くて、前後左右、どこを見ても珍しいので嬉しくなってしまう。
 迎えの車に乗って宿に向かう。空港から市内まではずっと緩やかな坂で、街が盆地の斜面にあることを実感する。富士山の8-9合目に当たる高度にこんなに広くて大きな盆地があるというだけで何だか眩暈がしそうだ。私は富士山は8合目でダウンしてしまったので、3400mという高度は初体験なのである。街ではクリスマスのイヴェントが催されていて、ところどころ通行止めなどがあるようだ。我々の乗った車もあるところでストップをかけられ、しばらく待たされた。金管バンドが伴奏して、御輿のようなものを担いで子供や若い人が行進している。金管楽器、もうボロボロで音もあんまりよくないのだけれど、なかなか味があって良い。こんな高地で金管楽器を吹くこと自体が私には驚きなので、車の中から写真を撮っておいた。行進が終わると、車はちょっと遠回りをしてオスタル・コリウアシに到着した。オスタル(Hostal)とは、ホテルほどの設備・建物ではない宿泊設備で、日本で言えばペンションあたりに相当しそうな施設だ。
 ここはアルマス広場から徒歩数分、坂の途中にあるので眺めは最高だ。入口正面の食事室に入ると、橙〜茶色の瓦屋根が一面に広がっている。宿帳への記入もそこそこに、外を見ていた。コカ茶(コカの葉を湯に浸したもの)があるので飲む。お茶というにはあまり味がないのだが、コカの成分が高山病に効くのだと言われている。わずかとはいえ麻薬の成分だから麻痺させているだけなのではないかと思うが..
何やらイヴェントが 高地のブラスバンド奏者たち 宿の食堂室から 宿の食堂室から

 ところで、車に同乗していたセニョーラがツアーの手配をするけどどう、と言うので明日以降の予定を言ってみた。すると、明日マチュピチュに行きたい、などというのはとんでもない、明日はもう満員だ、こういうのは1週間くらい前に決めなければならない、とか何とかいろいろまくし立てられる。一応英語ではあるが、スペイン語訛りがあって慣れが要る。それでも、明日に行くならどうするか、というところをいろいろ考えてくれた。途中のオリャンタイタンボまでバスで行くか、自分の知り合いの乗用車で行くか、などと代案が出る。バスはローカルバスだから時間が正確でなく、列車に乗り遅れるかも知れない。知り合いの車は25ドルだ、というけどその分列車が安くなるかというとそうでもなくて..話しているとスペイン語訛りの英語と薄い空気で頭が痛くなりそうだ。ふと、それなら明後日の出発ならどうだ、と言ってみると、携帯電話でいろいろ電話して、それは上手く行くかも知れないとのこと。明後日から2日間のマチュピチュ行きと、クスコ−プーノ(チチカカ湖畔)の列車も取ってもらって、2人で490ドル。マチュピチュへの観光基地になっている、アグアス・カリエンテス(「熱い水」の意の温泉地)の宿はSが自分で探したいというからそれは除いての値段だ。安くはないが、元々鉄道が高いので、こんな値段になってしまうのである。クスコ−プーノ間など、380kmで98ドルもするのだ。新幹線みたいな価格だが、所要時間は10時間。ま、こんな比較は意味が無いのだが。ともあれ、一気にドル札が減ってしまった。
屋根、補修中 まだしつこく撮ってます 山肌に字を書くのが好きなようで

 部屋に案内される。7号室というところだが、中庭を通って階段を降りて昇った先にある。母屋とは別に2,3の部屋がある離れがあるという感じで、内装は山小屋の趣。なかなかきれいだ。プライヴェート・バス付き、朝食付きで40ドル(2人で)というのはペルーでは高い部類に入るようだ。夜は寒いらしく、ストーヴが常備されているくらいで、共同風呂では帰りに中庭を通るから寒いだろうし、この選択は正しいと思う。しばらくベッドでゴロゴロしていたら、息苦しくなってきた。高山病は、激しい運動でもなるが、動かなくなって(例えば寝る時)呼吸が浅くなっても症状が出るらしい。まずは慣れなければならない。

 14時近くに宿を出て、ゆっくり歩き始める。アルマス広場へは下り坂だが、帰りは当然上りだから帰りはつらいかも、などと話しながら歩く。夜、遠くまで行ったら安全性の面からもタクシーで帰るのが安心だろう。景色はきれいだが、通りはあまり清潔とは言いかねる。小便のような臭いがそこここでしている。犬猫の放し飼い(野良も?)が多いが、人間のものもあるような気がする。ごみも若干目立つ。歩いている人は現地の人もゆっくり目アルマス広場カテドラルで、特に飲んでいる人などはふらふらになっている。こういうのを見ると、私など高地にいる間は酒は無理そうに思える。
 坂を降り切るとアルマス広場だ。アルマス広場とはここクスコに限らず各地にあって、インカ時代、街の中央にこの広場が建設されている。広場には対角線に通路があるのが特徴で、空から見るとXの字のような通路が見える。クスコではこの広場付近が観光客の最も集まる場所だ。晴れたり翳ったりする太陽と、涼しい風のせいか、厚着・薄着の人が入り混じっているのが面白い。広場付近にはパトカーを停めて常駐している警察官(観光警察と言うらしい)がいるせいか、何となく安心できる空気がある。ただし、カメラを首からぶら下げるような物売り油断しきった人は見かけない。私は、カメラの土産物屋ストラップを小さく手首に巻き付けて、簡単にはひったくられないようにしているが、まあこれも、悪い奴らに取り囲まれたら首から下げているのと同じことだ。前後を注意し暗く寂しい通りを歩かないというしかあるまい。
 広場、路地とも物売りの現地人が多い。インディヘナのおばちゃんや少女はお土産品を持って歩き、あるいは「シャシントッテクダセ」と近寄って来る(撮るとモデル料(?)を取られる)。他にはタバコ売りや絵葉書売りの少年も多い。タバコ売りというのはちょっと珍しいと思った。先進国からの観光客はもうあまりタバコを吸わなくなりつつあるのではないかと思われ、彼らの売上げもこれから減ってしまうのではないかと..絵葉書は、聞くと1枚1ソルだという。30円くらいだから安いかと言うと、空港などでは3枚で1ソルなのであった。子供もけっこう英語を話す。生活の糧ともなればそれなりに学ぶのか。日本語はカタコトだ。スペイン語の呼びかけ「アミーゴ」が直訳されて「トモダーチ」と声を掛けてくるのはちょっとユーモラスだ。いやいやアミーゴ、それは今どき日本では流行らない、これからは「おい」とか「君ねぇ」言いなさい、とウソを教えるのは気の毒だから止めておいた。

 そこらへんを一回りして、インカ博物館に入る。ガイドブックに書いてあった入館料が倍の10ソレスに値上がりしていた。土産物屋はともかく、こういう価格は値切っても安くはならないから素直に払う。この博物館は外から見た感じよりずっと広い。スペインの海軍軍人の持ち家だったとかで、搾取の象徴と言えなくも無い。館内では撮影ができないのは残念だ。展示物は、プレ・インカからインカまで、さらに各地方のものを集めていて幅広い。プレ・インカだと古過ぎて時代背景のイメージが湧かないのだが、それにしても昔から手先が器用な人たちだったようで、土器の構造が非常に凝っていて複雑だ。心臓を象った入れ物などがあって、相当古くから人間の内臓に関心があったのだろうと思うが、これはちょっと気味が悪い。インカ時代になると金・銀・青銅が加わって俄然展示に幅が出てくる。動物のミニチュアなど、金細工や土器の小さいものが特にすばらしい。インカには貨幣が存在せず、金・銀は財産ではなかったというからこうした工芸品は大量にスペイン人に持ち出されてしまったそうだが、いかにも惜しい話だ。貨幣が存在しないため、インカの税金は公共工事の労働という形で供出されたそうだが、何だかあまりに概念がかけ離れていて我々の今の常識では理解しがたい。
 というような話をしながら歩くのだが、Sの様子がおかしい。立ったまま、寝そうなのだ。部屋が暗くて寒いのと、おそらく酸素不足で眠いのだろう。ようやく見つけたベンチで2-3分ほど休憩する。実は私も、だんだん疲れてきている。最初はスペイン語の説明文を読み上げていたのだが(Sは目がよくなくて壁の小さな字がよく見えない)、後半はそれも億劫になってやめてしまった。休憩後、少し元気になってまた歩く。最後の方に、ミイラや頭蓋骨の展示がある。ミイラは屈葬そのままの形で、乾燥した土地柄こういうこともあろうと思うのだが、頭蓋骨の脳外科手術跡、には驚く。頭蓋骨に大きく穴が開いていて、しかもそこから骨が再生してふさがりかかっているものもある。つまり手術後かなり生きていたわけで、高度な技術があったということだ。しかもインカには文字がない。結節縄とかいう縄の結び目で示す暗号のようなものがあったそうだが、それにしてもどうやって技術を継承したのであろうか。

インディヘナの人たち 外に出て、中庭を歩くとホッとする。陽が暖かい。博物館を出た。広場に戻り、オープンエアのカフェで一息入れようかということになる。ホットチョコレートと、ホウレンソウのパスタを注文する。パスタは小学校の給食のソフト麺のような、ふにゃふにゃでコシのないもので、どうも茹で過ぎているようだ。ホットチョコはシナモンが入っていて香ばしく、濃厚で良かった。
 広場の方を見ていたら、MHさんが通りかかった。朝一の飛行機で来たはいいが、そのままホテルで寝入ってしまったという。なんと15時に起きたというからせっかくの朝一便もこれでは逆効果であろう。未だ何も見ていないというから、先ほど見たインカ博物館インカの石組を勧めておいた。ただ、この時間になると閉館していたかも知れない..土曜に16時終了ってのは早い。ともあれ、後刻を約して別れた。
 会計をして、我々は12角の石を探す。クスコには、インカの石組が随所に残され路地ていて、その上にスペイン人が建物を造っている。その石組の中でも有名なものがこの12角の石、ということになるが、これに限らず、すばらしい石組は多い。時代によって積み方が異なるとのことで、詳しい考証は知らない。それほど整っていない形のものを上手く積んでいるもの、大きな石を敢えていびつな形に切って積んでいるもの、ほぼ一定の大きさに切ってびっしり積んでいるもの、のような感じに私は分類したが、いずれも手が掛かっていて精緻である。日本の城の石垣も大きくて立派だとは思うけど、ここは町全体がそういうやり方で造られたわけで、規模狭い道と、小型タクシーが違う。欧州に比べても、石の積み方の精度が段違い。仮に技術があっても、今ではコストがかかってこういう工法は実現しないだろう。この石組を見るだけでも、クスコに来た甲斐があるというものだ。
 街の路地は狭く、タクシーはスズキのアルトにデーウのエンジンを載せた小型車がちょこちょこ走っている。観光客は一人分くらいの幅しかない歩道を息を切らせて歩く。途中、マミヤ7で町並みを撮っている日本人を見かけた。格好いい。私は高山病を恐れ、軽量装備ということでペンタックスのMZ-Sに43/77mm、タムロン24mmというコンパクトなセットを持ってきている(タムロンはちょっと大きいが)。マミヤ7も中判としては小型ではあるがそこは6×7cmという大画面だから、遠目にも目立つし、何より超広角でじっくり撮っている姿が良かった。当方、酸素不足がちで、何枚か撮ると息が切れて仕方がない。シャッターを押す瞬間に、無意識に息を止めているので、わずかながら呼吸を乱しているのだ。それがだんだん積もり積もって、ハァハァ言っている。中判なんぞはとても持ち歩けるものではなかった。
 12角の石は人だかりがしていてすぐに分かった。巨大である。角が12箇所あるという以前に、こんな大きな石を組み合わせようという発想に恐れ入る。皆が触るからか、石の表面が劣化しているところがあって、近づくと「触るな」と土産物を売る現地人に注意された。私は触るより撮る方が好きだからそんな心配は無用だ。MHさんも来た。ありゃりゃ、でも観光客が歩き回る範囲は限定されているから鉢合わせしても不思議ではない。またまた別れて、後で行くレストランを探しながら一旦宿に戻ることにした。
12角の石がある路地 12角の石 石の間には全く、隙間がない 表面はボコボコ

 来た時とは別の坂道を登る。途中に定食7ソレス(210円)、という店があったのでここ安いねと言いながら歩く。宿の前の道へが階段を登って合流するのだがこれが格別つらかった。5-10段も昇れば息が切土産物屋れた。宿に帰り、Sは一眠りする。私は洗濯をする。まだ2日目なのだ夕暮れのアルマス広場が、3日間分しか衣服を持っていないから、連泊するところではこまめに洗うのだ。ストーヴがあるから早めに乾くだろう。

 19時にカテドラル前、という約束で、10分前に宿を出発し、ちょうど7つの鐘が鳴る頃に着いた。日が暮れて街灯が明々と点っている。人通りは多く、昼間同様警官も巡回していて安心だ。少し肌寒い。しばらく待つが、MHさんは来ない。これはひょっとするとまた寝てしまったのかと思うが、宿の名前を聞いていないから連絡もできない。まあ、一昔前は携帯電話もなく待ち合わせをしていたんだからどうということもあるまい、と思っていたら既に25分が過ぎ、さすがにおかしい。すると、現地の人がメモを持って現れた。MHさんの泊まっているオスタルの人らしい。高山病が悪くなり、夕食をキャンセルしたいとのこと、そういうことか!..まあ我々も階段でハァハァ言っているくらいだから明日は我が身かも知れず、それを了解してオスタルの人には礼を言って帰ってもらった。チップを出すタイミングを逸したが、そういう態度もなく、さっさと帰って行ってしまった。MHさんの方から既にもらっているのかも知れないが、そういえば我々が泊まっているオスタルの人も荷物を持って部屋に案内してくれたとき、そういうそぶりは全く無かったから、要求しない人もいるということだろう。ともあれ、MHさんが大丈夫なことを祈るしかない。

 アルマス広場で夜景を撮って、先ほど見たレストランに向かう。客がいなくて寂れているようにも見えるが、うるさい呼び込みがいないので却って安心かも知れぬ、という薄弱な根拠でこの店にした。店員はおばちゃん一人で、献立表を持ってくる。献立表、などと書くのは少々ややこしいのだが、というのも単に定食のことをMENUと言うので、MENUを持ってきてくれ、というとそのままその日のお勧め料理になってしまう可能性もあるからだ。それで、献立表を見ると、店の表に書いてある7ソレスメニュー(定食)が書いていない。全て、10-20ソレスの一品料理である。定食の献立表(これが全然スペイン語にならなくて困った..)を持ってきてくれ、と身振り手振り(店の外を指差したり)でお願いして、ようやく定食が書かれた紙をもらった。定食は、スープ(ソパまたはクレーマ)、セグンドス(メインのことだと思うが、正式にはメインの2皿目の意味)と飲み物のセットである。けっこうな種類があって、ペルー、メキシコ、イタリアなどに分類されてそれぞれ何種類かの料理が書かれている。ここはペルー入国後初めてのペルー料理にする。私はコーンのクレーマ、ロモ・サルタード(アルパカか、その他とあったので牛肉指定)、コーヒー。Sは野菜のソパ、マス(トルーチャ)の焼いたもの、コカ茶。
 スープのソパというのは通常のスープのようで、クレーマは生クリームを使ったものとは限らず、どろっとした食感のものを言うようだ。私が頼んだコーンのクレーマは、コーンの粒が入ったスープではなく、コーンの粉を使った粘度の高いスープだ。香料が効いていてなかなかいける。薄味でくどくない。野菜ソパは絶品で、ほうれん草、じゃがいも、にんじん、瓜のような野菜(?)、ミルク、卵などが入っていて滋味たっぷりという感じだ。瓜なのかどうか知らないが、種がたくさん入っていてこれがプチプチしておもしろい食感。コーンに比べて濃厚なのだがそれもそれぞれの野菜の主張が混じり合ってのもので、くどくなくていくらでも食べられそうに思える。ロモ・サルタードは牛肉、タマネギ、フライドポテトを炒めた物で、日本で食べた時はピーマンなども入っていたのだが、ここはこれだけだ。トマトピューレが時折強く味を出している。Sが頼んだマスはパサっとしていて、しかも色がついているからこれはサケではなかろうか..完全にサケという味でもないのだが。スパイスが効いていてこれもなかなかいける。メインにはいずれもライスがついていて、パサパサの長粒米だが料理と一緒に食べると美味しい。2人とも、美味しさのあまりガツガツ食べてしまって、ほとんど一気食いに近かった。
 コーヒーは濃くて、コーヒー好きの私でも残してしまった。コカ茶は青々としたコカの葉が数枚入っていてこれも濃そうな予感がしたがそうでもなくて、宿で飲んだ乾燥した葉より香りが生っぽい感じ。どちらが美味しいかというと..どちらもそれほど美味しいとは思えない。ただ葉を湯に漬けているだけだし。食事の途中から他の客も入ってきた。ペルー人のようだ。店員のおばちゃんは俄然忙しくなって、どうやら厨房(2階)を手伝いに行ってしまったらしく、会計しようと思うのだが降りて来ない。しょうがないので、厨房まで入って行って、ラ・クエンタ・ポル・ファヴォール(会計お願いします)と言う。14ソレスのところ、チップ込みで16ソレスを置いて帰る。2人で480円というわけだ。質・量とも満足した。
スープ(コーンのクレーマ) メイン(ロモ・サルタード) コカ茶 宿からの夜景


 帰りに帽子とクスコのステッカーを買って宿に戻る。昼間の紫外線が厳しいので、頭皮が日焼けしてしまうのだ。帰りの坂道は、やはり息が切れた。


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