04年12月下旬−05年1月上旬
第1次(?)ペルー旅行
●第12日 05年1月4日(火) ピスコ→パラカス→バジェスタス島観光→パラカス→ピスコ→リマ
6時ごろ起きる。朝食代わりのポテトチップとクッキーは、眠くて味が感じられない。チェックアウトし、荷物を受付に預けてバスを待つ。迎えのマイクロバスは少し遅れて来た。バスは小さいが、バジェスタス島へのボートが出るパラカスまでは近いから、座席は粗末だが何とかなるだろう。道は悪く、バスは上下に激しく揺れる。ドアのたてつけが悪く、走っている間に開いてしまうのはどうかと思うが、車掌役のお兄さん(たぶんガイドだろう)がその都度閉めていた。天気は曇りで、風が涼しくてよい。
パラカスに着いた。車掌、ではなく旅行会社のガイドに案内され、港へと歩く。港は魚の水揚げ中でごった返している。見ると、イワシなどがあった。ボートに乗る。これはわりと高速のモーターボートで、十数人が乗るから縦に長い。他のツアーでは木の危なっかしいボートに同じような人数を乗せているのもあり、ちょっと怖い気がする。こういうのは旅行会社次第だから飛び込みで探すのもリスクが大きいと感じる。さて、分厚い救命胴衣を着用し、その上にカメラをぶら下げる。空は相変わらず曇っており、モーターボートの速度が上がると風が強くなり、肌寒い。船は最初に半島に沿って進み、砂の上に書かれた地上絵のようなもの(ナスカとはデザインが異なる)を見せてくれるが、あまりたいしたものには見えなかった。半島の先から沖に出て、バジェスタス島に向かう。かなりの沖合いで、午後は荒れるから午前中しか観光は出来ないところなのだと言う。縦に長いとはいえ多少大きい程度のモーターボートでこんな沖に出たのは初めてで、船酔いしやすい私には十分に怖い航海であるが、案外揺れは小さくて、あっという間に島が近づいてきた。島は切り立った崖に囲まれており、侵食された大きな穴があったりして、変化に富んでいて素晴らしい景色だ。崖にはいろいろな鳥やペンギン、アシカなどが無数にいて、この島々が外敵の近づかない安全な地であることを思わせる。島の上部は鳥のフンで真っ白になっているところと、鳥が密集して真っ黒に見えるところとあり、雄大な景色である。以前は島に堆積した鳥のフンを採取し肥料として運び出していたそうだが、その工場も既に朽ちていて、桟橋にもたくさん鳥が群がっていた。島の近くは波が砕け散って水の動きが複雑だが、ボートはそこを巧みに進み、左右それぞれの客に動物達を見せてくれる。近くまで寄ってくれるので、中望遠くらいがあれば十分に動物たちを捉えることができ、写真を撮るという目的でも満足できる結果になった。
帰り、頭に鳥のフンがかけられていたようで、まあこれはしょうがない。カメラは無事であった。島が遠くなって行くのが名残惜しく、皆、後ろを見ながら船に乗っていた。すぐ港に着く。他の客はシティツアーに行くようだが、我々は今晩リマから飛行機に乗るので、シティツアーなし、ということにしている。行きに乗せてくれたマイクロバスには乗れないのだが、ピスコ行きのローカルバスに便乗させてもらった。ツアー会社から話が行っているらしくて、無料だ。とはいえ有料でも1.5ソレスという低料金なのだが。いろいろなところ、バス停がないようなところでもよく停まる。地元の人たちの足なのである。料金は適当に割り算して小銭で払っているようで、車掌の手は小銭だらけとなって大忙しだ。我々のために、アルマス広場にほど近いところで停まってくれた。お礼を言って降りる。この時点でまだ昼なので、サン・マルティンのターミナルに行き、バスを14時に変更しておく。係のおじさんは呼吸器系が悪いのか、汗をたらしながらふうふう言いながら新しいチケットを発行してくれた。
繁華街の方に歩く。生ジュース屋でSが飲みたそうにしていたので一つ買う。私は衛生的にちょっとまずそうなので遠慮する。繁華街に着き、レストランを探す。涼しげな店を見つけて、ここで昼食を取ることにする。前菜のチーズクリームつきポテトは私の好みには合わなかった。メインはペルー式中華料理で、チャーハンとヤキソバにしたが、チャーハンもヤキソバも調味が薄すぎて何味なのか分からず..ちょっと失敗だったか。
オスタルに戻り、荷物を引き取る。荷物を引き取ったらもはや用は無いのだが、外が暑くなってきており、日陰にいる時間を少しでも長くしたいので、何となくソファでぼんやりして過ごす。それで別に文句も言われず、ゆっくり休むことができた。重い腰を上げ、ターミナルに向かう。途中でコーラを買った。冷蔵庫に入っている飲料は割高の料金になっているのだが、暑いから冷たい飲み物はありがたい。
バスは予定時刻になっても来ない。待合室は食べ物やゴミが散乱し、清潔ではなく、手荷物の安全に少々不安がある。あまり長くは居たくないところだ。結局、30分ほど遅れてバスが来た。社内は狭く、汚い。座席は汚れていて、座るのが憚られるほどだ。客は9割方乗っていて混んでいるが、座席指定なので問題なく座ることができた。窓が汚れていて写真を撮る気にはなれず。客の中に観光客らしき人は居らず、われわれだけのようだ。荷物や懐中が不安だが、しっかり抱えているしかあるまい。車内の写真を撮るのは憚られた。
ターミナルを出発し、パン・アメリカンハイウェイに出ると、バスはボロだけど乗り心地は悪くないし、速度も出る。リマまで3時間、とバス会社は言っているが、渋滞がなければそれも可能かも知れない。とはいえ、途中いろいろなところで停車があり、かなり客の入れ替えがある。その都度、ボロボロの紙幣や小銭で運賃のやりとりをしている車掌はたいへんな激務である。そんなわけで、停車を頻繁に繰り返したバスはいつしか遅れ始め、リマには18時過ぎに着いた。車中でノミにでも噛まれたらしくて、足の何箇所かがかゆい。椅子も固くて、体の節々が痛い。ま、何事も経験と思えば..
さて、サン・マルティンのターミナルは安いバスのせいか、タクシーなどは寄り付いてくれないようだ。どこか、大きな通りに出てタクシーを拾いたい。何となく、市内の東に着いているようで、かなりの距離を西に移動しなければならない。江田インに大きな荷物を預けておいてよかった。西日を頼りに歩くが、さんざん歩いて、空軍本部(たぶん)のあたりでついに日が暮れてしまった。建物の屋根に配置されている機関銃のシルエットや監視カメラが不気味だ。警備の兵隊さんに道を聞くわけにも行かないので、通りがかりの人に道を聞く。宿の名前や住所を言っても意味がなさそうなので、とにかくブラジル通りとか、大きな目印を教えてくれと言うのだがなかなか要領を得ない。結局、歩いているうちに通りがかったタクシーを止めて、江田インでもらった地図を示し値段交渉をする。6ソレスで合意し、乗り込んだ。車は古いジェミニである。ショックアブソーバがもう寿命のようで、乗り心地はよろしくないがとにかく歩かなくて済むのはありがたい。ブラジル通り(中央がバス専用、外側が一般車という広い道だ)に入り、かなり走ってマリーナ通り・スークレ通りの交差点に到着。タクシー(しかもリマのぶっ飛ばす)で15分もかかるような距離を歩いていたのだから無謀もいいところだ。タクシーの運転手氏は地図を見ながら、通行人に道を聞きながら江田インの前に車を着けてくれた。
夕食は、江田インの枝光さんに近くの食堂を紹介してもらう。もうソルがあまりないので、安い食堂しか入れない。3.5ソレスの定食を食べる。Sはポジョのフライ、私はアヒ・デ・ガジーナにする。美味しくてガツガツ食べてしまった。食後に出てきたお茶(甘い味がついている)がぬるくて、コップが汚れているような気がして何だか気味が悪い。後で胃腸薬が必要になるかも知れない。食事をして、帰るときに道端で犬のうんこを踏む。ああ、最後の最後で何ということを。道が暗くてこういうモノが落ちているのが分からないのだ。軟らかくて、出来たての様子。江田インで洗うことにしよう。
江田インに戻り、南米在住30年というAさん、先日から泊まっているMさん(タイで隠居中の)と話をする。ペルー経済についてAさん曰く、「乞食が金(きん)の上に座っている」のだそうで。ちょっと誤解を招きそうな表現だが、つまり国内資源、鉱物のみならず農業や観光も含めて資源があるのに、有効に活用できていないということらしい。急激な自由化で企業は他国資本に買われるか駆逐されているという話で、そう言えば昨年9月に行ったタンザニアでも航空会社は国外の会社の傘下にあり、ホテルも海外の会社が経営しているという状態だった。為替レート上他国通貨に支配されやすい国は、資本導入をどうすればいいのかと、考え込んでしまった。無論、10日ほど見ただけの通過者にそれが分かるわけもない。AさんとMさんの話はだんだん酔いが回ってきて繰り返しが多くなってきた。そろそろ潮時だろう。22時に江田インの車を出してもらい、空港に向かう。この送迎車は1回9ドルの料金がかかり、タクシーより高いのだが、運転は穏やかだし、道を間違えることがないのは安心だ。なお、タクシーでも空港に出入りするものは市内の移動よりかなり割高になるようだ。空港に入るための経費がかかるという。
夜のリマは車も減って流れが良いが、道には穴があったりしてやっぱり快適でないところもある。大きなショッピングモールが建ち並び町並みは急速にアメリカ化しているようだが、地方との格差が広がっているということでもあり、これでいいのかと思わないでもない。
空港に着いた。ペルーともお別れだ。空港税28ドルとは暴利な..手持ちが既に無いので、クレジットカードでドルを引き出し支払った。チェックインし、出国審査へと回る。出国審査の前に免税店があったりして妙な構造ではあるが、国際線の通路だからいいのか。まあ、そのうち改装されて変わるだろうからそれはいいのだろう。ピスコ(蒸留酒)入りのチョコレートを買って土産とする。キャッシングしたドル札が空港税と土産でちょうどなくなった。出国審査は列が長いが、自分の番では何も質問されず通過となった。出発ターミナルは仮の建物なのか、簡素な造りだ。待合室のようになったスペースは人で一杯で、どうやら飛行機は満席のようだ。体がだるい。ベンチに座ってぼんやりしていた。
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