04年12月下旬−05年1月上旬
第1次(?)ペルー旅行
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●第3日 04年12月26日(日) クスコ市内

コリウアシの朝食 7時半に起床する。今日は早く起きる必要はないのだが、朝食時高山病の薬を飲む間を早めに勘違いしてアラームをセットしてしまった。慌てて食堂に行ったら、別にこんな時刻に終わるわけでもなく、ゆっくりと食べることが出来た。パンと卵、飲み物だけの簡素な食事だ。パンが香ばしくて美味しい。食事を終えて部屋に戻り、高山病の薬を飲んでぼんやりしていたらいつしか寝込んでしまい、気付いたら10時になっていた。いくらなんでも寝坊である。とはいえ疲れている上に寝不足で歩き回るのは高山病の元だから良しとしよう。

 アルマス広場への坂道の途中にあるインカ・ワリアーという旅行会社に入って、クスコ観光の手配をする。市内と、近郊4遺跡(サクサイワマン、プカプカラ、タンボマチャイ、ケンコー)で25ソレス(/1人、750円)、14時出発だからまだ大丈夫旅行会社。ついでに、博物館と郊外遺跡のセット入場券が10ドルで、これは実はそんなにお得ではない。というのも、今日市内で開いている博物館が1つしかないのだ。でも郊外の遺跡に行くわけだからこれも買っておく。さらに、29日にプーノに着くのが夜になるから、そこの宿(30ドル)と、ついでにチチカカ湖の1泊2日ツアー(30ドル/1人)も申し込んでしまった。こういうものは本当はいろんな店で見積りを取って価格を比べるのが良いのだろうが、それにもデメリットはある。ツアー会社を回る手間、見積りの時間、これがもったいない。我々とツアー会社の人のスペイン語・英語の噛み合わなさが一番の原因だが、ツアーの概要を紙にまとめてもらうのに時間がけっこうかかるのだ。そして、この「紙にする」ことが実に重要で、これは初日の江田インで教えてもらったのだが、「事務引継が
まるでなされない」、これが当地の実情なので、紙に書いて自分で保管しておくことが必要なのだ。紙に書いた事項を見せれば、「ああ、こういう約束で手配したんだね」ということを理解してもらえて、コトが進むらしい。こういったことを何軒にも渡って交渉するのも旅の楽しみではあろうが、それで時間を使ってはいささかもったいない、と寝坊しておいて言うと説得力に欠けるな..で、セット入場券と本日のツアーの申込みのレシートを受け取る。プーノの宿とチチカカツアーの手配書は28日か29日朝にオスタルに届ける、という説明だった。
 本日のツアーは14時15分前にこの事務所集合とのこと。さて、それまでにどこかを回るか、と思うが先に書いた通り本日入ることが出来る博物館はコリカンチャの1軒のみ。とりあえずそこまで歩くことにした。コリカンチャはインカの石組の上にサント・ドミンゴ教会が建てられたところで、アルマス広場からエル・ソル(太陽)通りの緩やかな坂を下っていった先にあって、距離がある。とはいえ下りだから息が切れるということはなくて、途中でいろんな店を冷やかしながら歩く。私の興味は当然、カメラ屋なのだがこれは完全に期待外れだ。何しろ物価水準が違うから、こういうところに高級なカメラ・レンズがあっても売れない。そもそも高くて仕入れることができないのだろう。所謂、レンズ付きフィルムや、それに近い簡素なコンパクトカメラがほとんどであった。ま、同行のSにしてみれば、カメラを買いに来たのではない、ということになろうが、カメラ好きがカメラ屋を覗くのは買う、買わないの話ではないのだ、と言っても理解されないだろう。幸い、買う方への興味は湧かなかった。

駐車は真ん中にサント・ドミンゴ教会(コリカンチャ) コリカンチャ前に来た。恐ろしいことに、道路の中央が駐車スペースになっている。右側通行が日本と反対だからって驚く人は今時もういないだろうが、道路の真ん中に車を停めるのには驚くだろう。道路から左手を見ると大きな建物があって、そこが博物館かと思うのだがそうではない。それはまた別料金の施設(サント・ドミンゴ教会)らしい。また道路に戻ったら、広い緑地の地下に博物館があった。撮影禁止ではないようだが展示自体がたいした事がない。昨日見たインカ博物館の方がずっと系統だっていて物も多い。それでも、Sに持たせているデジタルカメラで何枚か撮っておいた。
コリカンチャの博物館 いまはほとんど失われた金細工 脳外科手術跡 ミイラたち

 すぐに見終わってしまい、中心部に戻ることにする。行きとは違う道を通って、適当に道を選んで帰る。クスコは道は狭いがそれほど入り組んではいないのと、坂と太陽の方向で何となく自分の行くべき方向が分かるから歩きやすいと思う。途中、目に付くのはやはりインカの石組で、インカ風に見せかけたニセモノもけっこうある。インカの石組の上に、もうどうしたって勝ち目がないからいいんだ、と言わんばかりに積んだものなどもあって、見ていて飽きない。写真のネタには困らない街だ。
きれいに加工された石組 ニセモノです インカと後世の技術の違い

 昼食は、昨日入るかどうか迷った地元の店に入ってみる。店の名前、失念したのではなく、「無い」のだ。単に、看板が落ちてしまってそれを直していないというだけなのかも知れないが。
 店内は照明もなく本当に営業しているのかね、という雰囲気。定食はなんと3ソレス(90円)だ。我々が入ったときは他にだれもいなかったのだが、そのうちペルー人で混んできた。私は野菜のクレーマ、スパゲティボロネーゼ、Sはサモーラのソパ、パパ・レジェーナを注文する。クレーマはセロリとほうれん草の味がして香ばしい。他にもいろいろ入っているようだ。サモーラの方も野菜系のスープで、これまた盛りだくさん。スパゲティは昨日食べた他の店と同様、麺がふにゃふにゃだ。食品店で売っているパスタは普通の乾燥したものだから、単にゆで過ぎなのだと思う。ボロネーゼのソースは外見はミートソースだが、スパイスがペルー風で、独特の味で美味しい。Sが頼んだパパ・レジェーナは絶品で、ゆでたジャガイモ(パパ)をすりつぶしたものを衣にして、中に肉などが入っている。外はカリカリ、中はホクホクでこれは良かった。最後に、ドリンクが出てきてこれで90円か。2人で7ソレスということにして出てきた。
文字通り、「無名」の店 品目はポストイットで ペルー風(?)ミートスパゲティ パパ・レジェーナ

学校 一旦、オスタルに戻り、インカ・ワリアーの事務所に行く。先客がいたが、店主のヒラリーさんは半ば強制的に閉店にしてしまって、我々をアルマス広場まで連れて行く。そこでバスに乗るのかと思いきや、なんとタクシーを拾う。例の、デーウの小型車だ。調べたところ、スズキの軽自動車のボディに800ccのエンジンを載せたものだそうで、なかなか活発に走る。何と言っても小さいからクスコの狭い道にはぴったりである。それで、どこに行くかというと、なんとさっき行って来たコリカンチャである。そこに既に何台もバスが止まっていて、他のツアー客が大勢いた。ヒラリーさんがあそこの英語ガイドのグループに入れ、というのでそこに付いて歩く。入場料はツアーとは別で、入場券はまた買わなければならないのが面倒である。他にも買っている人がいたので、このグループ内でも手配業者によって対応がまちまちなのだろう。
 ガイドは女性で、スペイン語訛りの英語で熱心に、詳しく説明してくれる。ただ、訛りがきつくて理解が追いつかないのが難点。ドイツ人やノルウェイ人の方が訛っていても分かりやすいんだがなぁ、と思うがもちろんこれは単に慣れの問題で、これから幾日か経てばスペイン風英語に慣れるだろう。とはいえ問題は今、である。そのうち、隣のグループの説明の声と交錯してますます分かりにくくなってきた。そして、宗教的な内容になるともう訛りも何も関係なく、素養がないから分からない。参った。これでも一応昔は日曜学校に行っていたはずなんだが..いくらなんでも忘れ過ぎだと反省した。
 さて、コリカンチャとは「黄金のある場所」のことで、太陽の神殿などの神殿があったとされる。いま入場した建物はその神殿の礎の上にスペイン人が建てたサント・ドミンゴ教会である。神殿にあった金はスペインに持ち出され、今は全く無い。征服後に建てられた教会はその後何度か地震で建て直しを余儀なくされたが、土台として使われたインカの石組は全く損なわれずに現存している。ドミンゴ教会自体も遠目には立派だ。しかし、土台と比較するとかなり粗が目立つ。城壁のような場所では、石組を上から見ることが出来る。昨日来見ていた通り、石はそれぞれ不均一な形のものを組み合わせているが、上から見ても不揃いな形になっており、単に縦横方向だけ不規則なだけでなく、奥行きにも凹凸があって支え合っていることが分かる。精緻、という言葉以外に表現を思いつかない。城壁の内側や建物の壁の所々には突起があって、見張りのためにここを登ったとか、影で時刻を読んだとか、本当だろうか。
 教会の内部に戻ると、神殿(あるいは倉庫(?))の壁が残っていて、それも大変精密に出来ていた。市内で見た石組よりずっと緻密で、継ぎ目がぴっちりと合わせてある。わざとなのか、指先ほどの大きさの石が組み合わせてあるところもあり、驚くより呆れるほどであった。神殿の石はそれぞれ均一な大きさではないが、窓は正確に同じ場所にあって、一つの部屋から隣を覗くと、一直線に、同じ窓が他の部屋にも並んでいた。
 出口にはコリカンチャの復元模型が置いてあるが、神殿の中庭にはアルパカやとうもろこしの形の金細工(しかも巨大な)が置いてあったとされている。スペイン人が略奪して持ち帰りたくなるのもちょっと分かるが、いずれにしても残念なことである。
城壁を上から見ると 城壁内側の突起 ここまでするか.. 神殿(?)の窓 正確に作られた窓

 外に出て、バスの前でガイドさんが点呼をする。そこには我々の名前はない。ガイドさんは名前がないのならウチじゃない、とちと冷たいのだが、ここで引き下がってはツアー代が無駄になる。そうだ、あの「紙」、レシート(recibo)を出せばいいのだ。しかしヒラリーさんがこの人に連絡していなければ紙も意味がないのだが..ヒラリーさんに電話をすべく公衆電話を探していたら、先のガイドさんが、もういいよ、乗って乗って、と折れてくれた。丁度席が空いていたからよかったものの、これで満席なら是も非も無かっただろうと思う。
 ほどなく出発し、次はカテドラルに向かう。遺跡めぐりをしたいので、ちょっとここは要らないかと思ってしまうのだが、組んである以上仕方がない。なんとここもセット入場券とは別で、どうも穴だらけだなこのチケットは。宗教施設は経営が別、という解釈もできようが..
 カテドラルは外観から想像するよりはるかに大きく、壮麗で、そして寒い。巨大な石の建造物の中は、外とは隔絶して寒いのだ。説明は前にも増して熱心になり、内容は高度になり、もはやさっぱり分からない。さすがカトリック90%の国だと感心する。欧米人も、人によっては飽きてきたような顔をしている。立ちっ放しで説明を聞くのに疲れて、椅子に座る人も多いが、気になるのは、足元の台に足を乗せていること。あれは、祈る時に跪くためにあるのではなかったか。昔、東京カテドラルで演奏会を聴いたときに得た知識だが、今や欧米人もそんなことを気にしなくなってしまったのだろうか。

 ようやく終わった。それにしても、寒かった。昨日、インカ博物館でSが立ったまま寝そうになっていたけれど、ここでは私もそんな気分であった。と、宗教施設の中で失礼な感想を抱いてしまったが、実際寒かったのだ。なお、撮影は禁止だったので写真は1枚も撮っていない。ここで市内の観光は一区切りついて、次に郊外に出る。既に日が傾き始めていて、これから4つも遺跡が回れるのか、甚だ心許ない。14時発で6箇所、というサクサイワマン段階で察しておかねばならなかったのかも知れない。
 バスは我々の泊まっているオスタルの近くからどんどん坂を登って、サクサイワマンに到着した。クスコを見下ろす山の頂上付近にある要塞のような施設で、頂上とは言ってもなだらかで広いスペースがある。クスコ市街からは100m以上登っているだろうから、ここは標高3500mかもう少し高いはずだ。高い上に雲が多くなり、気温がどんどん下がってきた。説明を聞いていると寒くて仕方がない。ゆえに勝手に動くことにした。とはいえ、はぐれるのはまずいから、説明の人だかりの周囲を歩いて、遺跡を撮影するのである。ここは巨岩を組み合わせた石垣が特徴だ。スペイン征服時に建物は破壊され、基礎の部分しか残っていないが、この基礎部分は確かに破壊できないだろう。何しろ、高さ4m以上、重さにして300トン以上もあると推定される岩などもあるのだ。それが、加工されて、他の岩とぴったり組み合わさっているのだ。いったい、どこから、どうやってこの山の上に石を運んで来たのか。石切り場跡はかなり離れていて、どうにも説明が難しいらしい。
各方向に突き出した石組 ここは巨岩が多い 巨岩の石組 こんなに大きい

アルマス広場 一段落して、自由時間になった。そこで、城砦の中に入ってみた。この城砦の端部からはクスコ市街が見渡せる。石段を登ると、すぐにサクサワイマンから見たクスコ息が切れる。しかし自由に見て歩ける時間はわずか10分と短い。だから休み休み歩いているわけには行かないのだ。こういうとき、お任せのツアーというのは融通が利かない。次回来るときはツアーはやめよう。結局高地ゆえに、急ぐことが全く出来なかった。同じツアーグループの中にいた人を目印にして、あの人がいるからまだバスに戻る時間ではないだろう、と勝手に潮時を見計らう(向こうもこっちを目安にしていたらまずいが!)。すぐに時間がなくなり、渋々バスへと向かった。入口とは別のところにまた駐車場があって、そこに止まっている。ここから出ると次の遺跡に近いようだ。

 次はプカ・プカラだが、もう夕暮れ近く、バスの中から見ただけで通過。小さな遺跡なのかも知れないが、通過となるとあまり面白くない。交通の要衝にあって、クスコ周辺では真っ先に破壊されたのだそうだ。次にタンボ・マチャイに回る。聖なる泉とのこと。沐浴場であったとされ、水は今でも出ている。通年同じ量が出ていて、水源は未だ確定されていないという。石を使って水路を作り、動力もなしに山の上に水を引いているのだから不思議だ。Sが水の味見をしに行った。ちょっと茶色いので安全とは言いがたい。あまりおいしくなかったとのこと。まあ水道じゃないんだから..他にも同じ考えの人が多数いて、代わる代わる、水の味見をしていた。私はこういうことをするとてきめんに下してしまうのでやめておく。
 ここももう少しいろいろな角度から撮っておきたいがすぐに見学終了、駐車場に戻る。ここには多数の土産物屋がいて、色とりどりの織物がきれいだ。しかし時間がないので冷やかすこともできなかった。写真を何枚か撮っておく。
タンボ・マチャイ やっぱり飲んでみるのか.. 土産物屋も多数

 次に行くのはケンコーだ。ガイドさんの発音ではキンコー、のように聞こえる。生贄を使った占いの場所であったとか。巨大な岩の下に生贄を置く台がある。ここにたどり着くには暗い割れ目の中を通って行かねばならず、難儀だ。そして、不思議なことにこの割れ目を風が通る。生贄の台付近の通風を考えて作ってあるというのだが本当だろうか。台は、真っ暗でまったく分からない。日中でも陽が入りにくいからいつでも薄暗いのだろうが、今は夕方だから、もっと暗い。仕方なく、24mmレンズをつけて、ピントは1.5m固定にして、カメラ内蔵フラッシュを使って撮影した。結果は掲載の通りで、きちんと写っているのだけれど、現場で見られなかったというのはいかにも残念で、これじゃガイドブックを見ているのと変わらない。
ケンコーの巨岩 この割れ目から中に入っていく 生贄の台、らしい

 以上で遺跡巡りは終わり、市内へ帰ると思ったら、これまたお約束、というべきか毛織物の店に横付け。Sは薄い防寒着しか持っていないので、ここでセーターを調達する。アルパカの毛織物が人気で、確かに触っただけで柔らかくて暖かいのが分かる。価格はそれなりに高いが、リマなどで買うよりは安いらしい。価格交渉は当然必要で、Sは薄手のセーターを値切りに値切って60ソレスで購入。安いのか高いのか、品質との対比も難しいし、良く分からない。しかし食事の値段を考えると非常に高いから、現地人の感覚からすると高い買い物なのだろうと思う。クスコの人口の7割くらいがこうした織物産業に関わっているということだから、一大産業であることは確かだ。
 バスに戻り、市内へ帰ることになった。カメラ以外の買い物に興味がない私は、バスに乗るとホッとした。坂道を下り、アルマス広場で降りた。ツアーの一部の人は、これからまた夕食も一緒に食べるのだそうで、けっこう豪華ツアーになっているようだ。とすると、夕食時間に合わせてツアーが組まれているのかも知れない。次に来ることがあったら、もっと早めのものにするか、ツアーはやめて自分で移動したいものだ。

 Sが、昨日食べたところとは違う通りで食べようと言うので、アルマス広場を挟んで反対の方向に歩いてみる。しかし、店がない。確か、昼に歩いたときはレストランのある通りがあったはずなのだが、どうやら道を間違えているらしい。坂道を下っているということは、即ちオスタルから離れる一方、ということでもあるから、途中で諦めて戻ることにする。結局、昨日のレストランがある通りに戻る。昨日食べたレストランにも呼び込みの女の子がいた。店のおばちゃんの娘で、昨日はどこかに遊びにでも行っていたのか。その女の子も含めて、何人もの子供たちに取り囲まれ、うちの店にしなよ、と口々に叫ばれるのだが、メニューを見るとどこも当然同じような料理が同じような価格で並んでいる。これでどこにしろと言われても..それより懐中に気をつけねば。というわけで、Sが適当に決めた。理由は「女の子がかわいいから」だと..まあいいか。ペルー人のいいところ(?)はこういうときに諦めがいいことで店の看板、悪態をつくでもなく、すっと別の客のところに行ってしまう。くどくどと誘わないところがいい。
 それで、案内された店は2Fで、テラスのあるこぎれいな店である。テラスがあるよ、というのが売り文句の一つだったが窓際でもなんでもない席に案内された。客は既にいくらか入っていて繁盛しているようだ。献立表を見て、キノコのクレーマ、野菜ソパ、ミックスピザ(ピザはペルーでも人気メニューらしい)、ロコト・レジェーノを注文する。食前のアルコールがおまけでつくというので、高山病が怖いのだがワインとピスコサワーをもらうことにする。ピスコサワーのピスコとは、太平洋岸の町、ピスコで産する葡萄から作られる蒸留酒で、蒸留ゆえにアルコールは濃い。サワーは、日本の酎ハイ風ではなくて、ライム果汁とソーダで比較的濃い目に割って小さなグラスで飲むもののようだ。シェイクして作るのか泡が多く、味は甘い。
 酒と同時に、2品さらにおまけ(日本で言うなら「お通し」?)が出てきた。クラッカーにアヴォカドとタマネギベースのソースを添えたものと、ガーリックトーストだ。アヴォカドのソースは新鮮で、タマネギの薬味が効いていて美味しい。酒が進んでしまって思わずもう一杯、と言いたいところだがここは自制しておくロコト・レジェーノ。スープが出てきた。私が頼んだキノコのクレーマは献立表では単にマッシュルームとあったのだが実際にはポルチーニ茸のようで、香りが強烈だ。Sが注文した野菜スープも一口もらったらこっちのキノコの香りが強く、野菜スープの味がよく分からず..セグンドスはピーマンくらいの大きさの唐辛子に牛肉、にんじん、グリンピースなどを炒めたものを入れて、外側をじゃがいもで作った衣で包んだものだ。美味しいがこれは極めて辛い。肉厚の唐辛子は外見はパプリカみたいなものなので、つい軽い気持ちで口にするのだが、後で火を噴くような辛さが出てくる。付け合せのタマネギのスライスも辛くて、いやもうどれも辛くて参った。
 Sが頼んだピザはトマト味が少ない感じ。チーズのミルク感が強く、ちと飽きが来そうな味だ。自分の方の料理が個性豊かだったので、ピザが普通だと思ったのだろうけど。

 ちょっとアルコールが入っただけで、帰りの階段がひときわきつかった。オスタルに戻り、明日の荷造りをしてすぐシャワーを浴びて寝ることにする。頭痛がしてきた。平地で飲む感覚では絶対にだめだろう..と思いながらすぐに寝てしまった。


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