04年12月下旬−05年1月上旬
第1次(?)ペルー旅行
●第4日 04年12月27日(月) クスコ→アグアス・カリエンテス→マチュピチュ→アグアス・カリエンテス
マチュピチュへ向かう日だ。04:40起床のつもりで目覚ましをかけていたが、その前に何度も目が覚めてしまう。頭痛が治まらず、まさに軽い高山病の症状だ。クスコからアグアス・カリエンテスは高低差1400m、高度が下がって行く方向でたいてい快方に向かうらしいから、それを励みに動くことにする。
チェックアウトして、2泊分の80ドルを払う。朝食は5時からなのだが準備ができていないようで、しばらく待つ。タマゴを調理している頃に迎えが来てしまったので、パンだけで済ませてしまう。車は旅行会社のものかと思ったらタクシーである。昨日のツアーもそうだったが、タクシー代が安いからわりと頻繁にタクシーを使ってしまうようだ。日本では旅行会社の送り迎えがタクシーなんてのはありえないと思う。街に降りて行き、右へと路地を曲がって行くと、サン・ペドロ駅が現れた。それほど大きな駅ではない。駅周辺というのはたいてい引ったくりやスリが多いというのが定説だから、用心して歩くにしくはない。と言っても用心すべき長い通路も大きなロビイもなく、階段を登ったらすぐ改札だ。旅行会社の人が、ここで切符を出す。これはいい用心で、客に渡して無くしたり掏られたりするより、確実だ。悪人どもも、ペルー人には注意をしていないだろうからなるほどと思う。
さて、直前にリクエストしたので、行きは席がバラバラだ。帰りは隣同士になっているが。列車の発車時刻にはまだ余裕があるが、旅行会社の人は早くプラットフォームに入りなさい、と言う。外でウロウロして事故に遭わないように気を遣ってくれているのかも知れない。そのお言葉に従い、改札を通って中に入ると、外だけでなく中も狭い。列車を見渡せる位置から全体を写真に撮りたいが、引きが無くてそれができない。列車はヴィスタドームという全車両1等の観光列車で、天井にも窓がある。1両単位で完結していて、車両間の貫通通路がない。車両の隅まで客席を作って定員を増やそうということか。ここの鉄道は狭軌(914mm)で、車両がそんなに大きくできないのと、駅が小さいから長い編成が停められないという事情もあるようだ。小さい車両に60席余が並ぶから座席間のピッチも狭く、リクライニングもしない。大きな欧米人には、これが一等扱いではちとキツイのではないかと思った。我々の席は、私が56番(窓側)、Sが7番(通路側)で、とりあえず同じ車両であるがかなり離れている。発車まで時間があるのでしばらくSのところで話をしていたら、後からスペイン語を話す観光客が現れた。8番、窓際席の乗客らしい。おー、どうしたの、席替わって欲しいのかい?そっちが窓側ならいいよ、と言うので、もちろん窓側です、と答えて56番席にご案内し、丁重に礼を言って席を交代した。
06:15、定刻に発車した。これから、約110kmを3時間25分もかけて行くのだからえらくのろい列車である。それもそのはずで、クスコ駅を出た途端に、盆地から抜け出すために急勾配を登らなければならない。日本でもいくらか残っている、スイッチバック方式でゆっくり、ゆっくり、斜面を登って行く。ポイントが自動切換えでなくて、人が手でやっているのだが、毎度似ている人がやっている。よく見たら、本当に同じ人だった。窓側のSが見たところ、列車から飛び降りてポイントを切り替え、列車が発車したら、追いかけて飛び乗っているらしい。こんな高地でこれは激務であろうが、自動切換えの投資をするより人手の方が安上がりということなのだろう。少なくとも、観光列車ですら2-3往復しか走っていない路線(予約が少ないと運休するという!)では仕方がない。
斜面の周りは、市内に比べると建物も道路も悪く、貧乏している人が多そうに見える。子供達が列車を見送るのはよくある光景で微笑ましい。家々の屋根には牛が2頭(鳥もあるようだ)と十字架が並んでいて、これは家を建てたときに守り神として着けられるのだそうだ。沖縄のシーサーを思い起こさせる。先ほどは貧乏しているなどと勝手なことを書いてしまったが、子供達は楽しそうだし、犬も何匹か飼っている上に家も一戸建てだし、為替相場的に高い給与をもらっていても狭い家に住んでいる日本人だって、あんまり誉められた暮らしをしているわけではない。こうした比較は意味がないと分かっていても、やっぱり考えてしまう。海外旅行なんぞしていないで、家のローンを繰り上げで払ったりすべきでは..と、つい現実に引き戻される。
さておき、列車はスイッチバックを終えて盆地を抜け、聖なる谷へと進む。町が変わると、家々のレンガの色も変わった。車内では、朝食のサーヴィスが始まる。宿でパンを食べてきたからあまり食欲がないが、もらっておく。我々の席はすぐ前が運転台のある小部屋で、壁にテーブルが付いていないから、食事を乗せられない。どうやって食べるのかと思っていたら、小さなトレイをくれた。これを、膝の上に乗せて食べろということか。内容は、ハムチーズサンドとパネトン(リマでも食べたクリスマス用のパンケーキ)、フルーツサラダだ。飲み物はコーヒーにする。パネトンはクリスマス時期特有なのかいつも出ているのか分からないが、ハムチーズサンドは残念ながら美味しいとは言いがたく、もっとご当地風のものを出す方がいいと思う。と言いつつ全部食べてしまった。なお、この食事は途中で停車するオリャンタイタンボからの乗客にも配られるが、ここからの乗客は乗車時刻が遅く、明らかに朝食を食べてしまっているので、これは無駄になる。近くの欧米人が、「こんな時刻に食べられないよ」「なーに、こういうのは、昼食用にとっておくもんだよ!」などと会話していた。なるほど。次はウルバンバで泊まって、オリャンタイタンボまでローカル線に乗ってここで乗り継ぎなんてのも良さそうだ。
聖なる谷、と書いたがどこからが谷なのかは不勉強で分からない。標高3400mのクスコから、2800mのオリャンタイタンボまでを下る間、列車は平地としか見えないところを緩やかに走っている。日本ではこの標高なら山の上、なのだがここではのどかで広い耕地である。ディーゼルカーはエンジンをかけたまま、クラッチを切って長い間空走している。静かで良いが、線路の保守が悪くて、上下左右に揺れる。元々914mmという狭軌だから速度は出せないだろうが、高々60km/hくらいでこんなに揺れるのは考えものだ。バスのサーヴィス拡大に客を取られつつあるというのも頷ける。私は鉄道派なのでがんばって欲しいものだが..
オリャンタイタンボから先、ウルバンバ川に沿って走る。ここからは峡谷の風景で、高度が下がって来て山谷が峻険になるというのは感覚上は逆の現象で面白い。我々は進行方向右側の席なのだが、残念ながらこちらの席は外れで、どちらかというと川の右側を走ることが多く、こちらは山肌を削った壁が見えるばかりである。帰りの席はどちら側なのか、単に番号だけなのですぐには分からないものの、反対側になりたいものだ。
頭痛は高度を下げるにつれて快方に向かい、やはり高山病だったのだと思う。オリャンタイタンボから終点アグアス・カリエンテスまでさらに400mを下って、2400m付近になるらしい。マチュピチュはそこからまた3000m程度まで上がるらしいが、この分だと何とかなりそうだ。壁ばかり見てもつまらないのと、朝が早かったので少し眠る。列車が徐行し、何となく店が建ち並ぶところに止まったら、そこがアグアス・カリエンテスであった。以前はこの先のプエンテ・ルイナスまで列車が行き、そこからバスだったのだが、崖崩れで使えなくなって今はここが終点ということになっている。アグアス・カリエンテスとは「熱い水」という意味、つまり「湯」であり、温泉が出るところだ。プエンテ・ルイナスが使えなくなってここが終点になり、少し平地があることもあって、ここにはたくさんの宿や土産物屋が集まるようになった。日本式の駅のようなものはなく、線路の脇にすぐ店が並んでいるようなところで、待合室や事務所などは別のところに後付けで建てられているようだ。
我々は車両の端に座っているので、ゆっくり出ることにする。外を見ていると、ツアーの旗や名前を書いたボードを持ったガイドさんがたくさんいる。その中に、Sの名前らしきものがあるが綴りが間違っている。SHIという書き方、ヘボン式ローマ字はどうも欧米人には分かりにくいようだ。SIにすれば間違いも少なくなりそうなのだが、日本のパスポートはこの表記を認めていない。SHIはまだしも、CHIは英・独・仏で読み方が全然違うからTI、でもいいのではないか..などと思うのだ。まあ、日本人自体はすっかりヘボン式に慣れてしまったから今更、ということもあるだろうが、両方認めればいいのに。
と、話がずいぶん逸れてしまったので、ガイドさんのところから..ガイドさんは緑色の「エスパニョール」と書いた旗を持っていて、スペイン語ガイドのグループに我々は入れられてしまった様子。英語ガイド、で注文しているのだが。この人自身、英語はダメなわけではないので、話は通じる。とりあえず、バスに向かおうというので、旗の後に付いて行く。駅の先に川が流れていて、その橋を渡った先にバスの乗場がある。グループの中で大荷物を持っているのは私だけで、バスのトランクは開けず、荷物は運転手近くのスペースに置かれた。日本のマイクロバスよりはちょっと大きい程度の小型バスで、これはマチュピチュへのつづら折を走るように小さいものが選ばれているのだろう。車内で、点呼を取って手配内容の確認をする。昨日のクスコ市内と同じように、ここでもいろんな人がまちまちの条件で契約しているようだ。バスはほぼ往復が前提のようだけど、マチュピチュへの入場券は自分で買うとか、違いがある。ガイドさんの手元情報では我々は「チケットなし」に分類されていたので、例のレシートを見せてチケット込みだと力説する。するとガイドさんはあっさり、そうか、それは連絡ミスだ、チケットは用意しよう、と言ってくれた。一安心。
バスは川沿いをしばらく走り、次いで橋を渡ってマチュピチュへの登りにかかる。橋を渡った先に「マチュピチュ」の看板があって、各国語で「ようこそ」の意味の言葉が書いてある。日本のはirashaimaseであった。マチュピチュへの登りは13回の折り返しがあって左右どちらの席でも風景を堪能できる。絶景である。この景色だけでもここに来た甲斐があったと思ってしまう。残念ながら雨季ということもあって、時折降る雨のせいでバスの窓は汚れている。砂利道なのでこれは仕方が無い。時々、すれ違いがギリギリだったり、カーヴで下りのバスにぶつかりそうになったり、速度は遅いけど運転は荒っぽい。こんな悪路で、よく事故も起こさずにやっているものだ。
マチュピチュへの入口に着いた。マチュピチュ・サンクチュアリ・ロッジという高級ホテルがあって、ここがマチュピチュ唯一の宿泊施設であり、レストランでもある。遺跡内にはトイレもないし、飲食は禁止だから、全てをここで済まさなければならない。まずはトイレに行く。公共トイレはたいていチップ制で、ここもその例に漏れず、1人0.5ソルを支払う。荷物預かりは4ソレスもして、昨日食べた昼食より高い。まあここでは昼食のビュッフェが22ドルもするから全てが高いのだが。荷物を預けて、遺跡入口に急ぐ。ガイドさんから入場券をもらう。何度でも入出場可能とのこと。ま、トイレ・レストランが外だからそうでなくては困る。
遺跡内は1人20ドル(または72ソレス)という高額な入場料の収入でしっかり管理しているという。まずは、集団で説明を聞きながら遺跡への通路を歩いていく。右側は谷になっていて、絶景だ。通路を登っていくと、眼前にマチュピチュのほぼ全景が広がった。このまま帰っても後悔しないのではないかと思われるほどの良い景色だ。遺跡は、ここから上にも下にも広がっていて、入口としてもなかなか良い場所につながっている。遺跡内には既にたくさんの人がいて、これはアグアス・カリエンテスに泊まって朝早くから来ている人たちだろう。
まずは上に行き、太陽の門から入る。ここが最高地点である。階段を登るのだが、クスコに比べると大分楽である。天気は晴れている、と言えそうだが雨季だから急速に翳ったり雨がぱらついたり、不安定だ。雨具を持ってこなかったのだが、とりあえずは見学に支障はない程度で、むしろ景色に変化がついて面白い。市街地跡から、ガイドさんの本格的な説明が始まる。本来スペイン語のグループなのだが、私たちと他にも何人か英語を希望する人がいたので、西・英の2通りの説明をするという。ありがたい。説明時間が2倍になってしまうのはこの際良しとしよう。
さて、市街地跡と言うけれど、山の頂上付近にあるこの遺跡ではそんなに巨大な市街地があるわけではない。家々の単位も小さいものだ。そもそも、数百人程度がいたと推定されるこの空中都市は、その目的自体が定かではないのだ。占いのための選ばれた人たちが住んだとか、皇帝の離宮だったとか、どれもそう言われればそうかも知れないが、我々素人には判断は難しい。石造りの窓から谷を見ることができて、また感激する。市街地を抜けて、石切場に向かう。石を割る手法を説明するために、楔を打ち込んだ穴を穿った大きな石が置いてある。これはオリジナルではなく、現代の人が試してみたものだという。木の楔を打って、水を染み込ませて膨張する木の力で割った、という説明だったが、それで石組が正確にできるわけではなく、やはりその後に研磨する人もいたのだろう。なお、写真で見ると分かるとおり、ここはクスコに見られるような精密な仕上げの建物は一部だけで、表面はあまり整えない建物が多いようだ。しかし、石と石の間はしっかり組まれていて、やはりインカの一都市であることは分かる。
次に、神官の館、神殿、インティワタナ(日時計)と回るが、ここらへんは特に人気が高いのか、人が多い。朝から入場している人に加えて、ヴィスタドーム、さらに何分か後に着いているバックパッカー(列車名。2等の編成)の客が一気に登ってきているから当然か。昨日のコリカンチャのように、いくつかのグループのガイドさんの声が入り混じって、たいへん混乱する。西・英・独(仏はいなかった。偶然かも知れないが)に、遠くからでも「日」が入ると、耳がそっちを追ってしまってもうだめだ。こうして、ちょっとでも母国語があるとつい頼ってしまうから、外国語会話が上達しないんだろうな、とまた余計なことを考えてしまって、なおさら説明が上の空になってしまった。日本語を話す現地人に加え、日本人のガイドさんもけっこういらっしゃる。皆、日に焼けて逞しい顔になっている。緯度が低いから、日焼けが激しいのだろう。
ところで、うちのスペイン語ガイドさんは、何箇所かで話を聞いていると、ちょっとばかり繰り返しが多いようだ。前のポイントで説明した語句が、他でも出る。キーワード程度ならともかく、説明の内容が重複すると飽きが早い。まあ、英語もついでにやってもらっていて文句を言ってはかわいそうだが。このガイドさん、景色がよいポイントでは止まってくれて、ここはコダック・モーメントだ。などと言う。なんだっけそれ、と思ったら写真を撮れということらしい。一箇所だけ、ここはフジ・モーメントだ、コダックじゃない、とジョークのつもりだったのだろうが全然ウケなかった。カメラに詳しそうな人がちょっとだけニヤニヤしたけど、一般の人はフジもコダックもなく、ただフィルム、なんだろう。
インティワタナの裏側に回り、斜面を歩く。ここは大変急な段々畑になっていて、1枚の畑が狭い。畑ではない、という説もあるそうだが。仮に畑と言っておくが、それらの畑への通路がこれまた急で、躓いたら谷底へまっしぐら、という感じだ。高所恐怖症の気がある私は、こういうところを歩くのは気持ち悪い。飛行機から景色を見るのはいいのだが、高い橋や高層ビルはだめなのだ。まして、ここには手すりもない。ああいやだ。なるべく下を見ずに歩く。コンドルの神殿、生贄の台、技術者の居住区、石臼跡などを回って、説明が一通り終わった。既に13時を回っていて、そろそろ昼食を取りたいところ。と、ここでツアーは解散になる。さらに回るもよし、食事のため外に出るもよし、日帰りでクスコに戻る人は何時のバスが最終だと告知され、とかそこらへんの気遣いはしっかりしていてよかった。話が終わると、ちょっと拍手が沸いた。
我々は食事にすべく、入口に戻る。ガイドさんも近くを歩いていて、私たちがこれ何だろう、という顔をしていると説明してくれたりしてありがたかった。外に出る。サンクチュアリ・ロッジのビュッフェは高額なので、スナック・バーという売店に行く。それでもチーズバーガーが16ソレス(480円)もするから、ペルーの物価からするとものすごく高い食べ物だ。大きさは特大で、一時期日本にもあったバーガーキング(01年に撤退)のサイズよりさらに大きい。味付けはなく、塩、ケチャップ、マヨネーズを自分でつけて調整しながら食べる。肉も大きくて分厚く、なかなか美味しい。ただ、東洋人には量が多すぎかも。ちょうど雨が降ってきたところで、パラソルの下でゆっくり休憩した。雨といっても霧雨か、本格的に降る場合も、時間は短い。遺跡内には雨をしのぐ場所はごく一部しかないから、だいたいの人は現地でカッパを調達しているようだ。欧米人の巨体を包むには全く不足しているそのビニールの切れ端のようなものを見ると、いっそ休んでいるほうがマシであると思う。しとしとと降る雨の中、しばらくぼんやりとしていた。
14時過ぎに再入場する。今度はガイドなしなので、勝手に回ればよい。雨上がりの風景もまた良し、とにかく何度見てもいいところである。午前中にガイド付きで回っていたから、ある程度方向感覚がついているのもありがたい。もっとも、迷路のような通路があるわけでもないし、出口に繋がる通路は人が多いから遠目にもすぐ分かるのである。ガイドさんが説明していた言葉をSと2人で反芻しながら歩くのだが、けっこう食い違っている..ま、そんな不確かな内容を書き連ねるのもなんだから、ここでまた写真だけのコーナーにしてしまおう。
15時半にアグアス・カリテエンテスを出発する日帰り組が下山すると、遺跡の中は急に静かになる。そうすると何故か我々も帰りたい気分になっているのは変な話だが、要するに疲れているということか。帰りのバスはすっかり眠ってしまった。アグアス・カリテエンテスに着き、ここで宿を探す。バスの到着場所は行きとはちょっと離れていて、ウルバンバ川にかかる橋の近くだ。荷物が大きいからこれをゴロゴロ転がしながら歩くのもイヤなので、Sにツーリスト・インフォに行ってもらい、そこで宿を紹介してもらうことにした。予算30ドル。観光地としてまだ発展中のアグアス・カリテエンテスでは、30ドルでも中心部からかなり遠い坂の上の宿になった。まあ帰りは下りだからよしとしよう。小雨の中、坂を登るのは体に堪えた。宿につき、部屋を見せてもらう。最上階(といっても4F)の大きな部屋で、こぎれいだからここで決める。料金表を見るともっと高いようだが、30ドルでいいらしい。部屋に落ち着いて、しばらくぼんやりする。早起きして、遺跡を歩き回って、で疲れている。宿はアグアス・カリテエンテスでも斜面の一番上に近く、建物にはクスコのような統一感は見られない。宿の周りには簡素な家々もあったりして、ここはまだまだ発展中の街なのだと思う。
宿を出て、散歩することにした。坂を下り、橋を渡って駅の方向に歩く。大きなテントの下にたくさんの土産物屋があって、それぞれ面白いものを売っている。雨上がりゆえかテントの下は蒸し暑く、Sが価格交渉をしているのを見ているのも面倒になってきた。私だけ一旦出て、近くの食品店でゲータレードのぶどう味を買う。ぶどうはスペイン語でウヴァで、Uvaとあると紫外線フィルターかと思ってしまうのはカメラおたくに過ぎるであろう。ペルーではこうした飲料を冷蔵庫に入れて売ることは少ないのだが、この店はしっかり冷やして売っていた。ありがたい。Sのところに戻り、ランチョンマットを何枚か買い込む。1枚5ソレスは高いのか安いのか分からない。3ソレス定食を基準に考えると、若干高いのかも。
駅に行ってみると、列車が止まっている。こんな時刻にはないと思っていたのだが、これが豪華列車、ハイラム・ビンガム・トレインらしい。ハイラム・ビンガムとは米国の考古学者で、マチュピチュの発見者である。クスコ郊外のポロイ始発、マチュピチュ観光付きで500ドル超のまさにお金持ち仕様の列車で、帰りの夕食を出しやすい時間帯に出発(1830発)するものらしい。ちなみに、ポロイはクスコの盆地の外にあるから、クスコ付近でのスイッチバックは通らない。クスコからは車か何かでポロイまで行って、そこから豪華列車の旅になるのだろう。しかしあの線路状況で豪華夕食は果たして食べられるかどうか、ちと心配だ。
発車を見送って、宿に戻ることにする。宿の前の道はレストランがたくさんあってここらで夕食にしたいところだが、クスコの街同様、客引きが鬱陶しい。定食は皆10ソレスで、カルテルでも結んでいるのではないかと思うほど統一されている。こうなると店の雰囲気や先客がいるかどうかで判断するしかない。赤い照明が怪しげだがこぎれいで先客のいる店に決める。スープ以外にも前菜がついていて、それで10ソレスなら観光地としては安い。アヴォカドの前菜(詰め物をしたものと、ヴィネガー味のもの)にアスパラガスのクレーマ、トマトのクレーマ、ロモ・サルタード、アルパカのパエジャを注文する。高地じゃないからと調子に乗ってクスケーニャ(クスコの特産ビール)も注文する。高地じゃない、と言ったが2000mくらいなので、そんなに暴飲はできない。苦味が強く、さっぱりして美味しいビールだ。アルコール度数は普通か。
店は我々が入った相乗効果か、他の客がどんどん入り始めた。呼び込み兼ウェイトレスのお姉さんは大忙しで、呼び込みをやめればいいのに、まあとにかく客のオーダーも取れない始末。8人くらいいたグループが、怒って出て行ってしまった。これぞまさに本末転倒であろう。アヴォカドの前菜は作ってあったのか、比較的早く出てきた。詰め物入り、ヴィネガー味、それぞれ個性的ではあるが美味しい。ところがその後が続かない。客が多くなって厨房も混乱しているのか、遅く出てきたスープがぬるかったのは残念だ。Sの頼んだトマトのクレーマは最初味が濃くて美味しいと思ったが、塩味が強くて飽きそうだ。こっちのアスパラガスのクレーマはコーンをすりつぶした粉がベースのようで、アスパラガスのかけらが入っている感じ。味はなかなか良いのだが、やはり濃いのと、粉が溶け切っていなくて固まりになっているところがあって、どうも丁寧さに欠ける気がする。セグンドスは、まずSの注文したアルパカのパエジャが来たが、これがスペイン風のパエリアと綴りは同じでも全然違うもので、単なるステーキである。しかも固い。Sは肉が苦手なのでこれには難儀していた。アルパカ肉はコレステロールがなく、健康に良いそうだ。臭みもなく味も良いが、この料理自体に味付けがあまりなくて、これはスープが塩辛すぎたからか。私の方は今回の旅行で2回目のロモ・サルタードである。これも牛肉が固くて、しかも厚手に切っているから歯がおかしくなりそうだ。通常、一緒に炒められているポテトは別になっている。カリカリに仕上げられていて最初は美味しいが肉が固いので、ポテトよ、お前もかという心境。また、炒めたものの中にピーマンが入っていなくて単調だ。店によってけっこう流儀が異なるのも、国民的料理ゆえか。あと何回か食べてみたいところだ。
それにしても食べるのに疲れた。食後のコーヒーはシロップを湯に溶く方式で、これは初めてだ。結果は、香りが無く、美味くなかった..どうも今日の店は「外れ」であろう。会計したらクスケーニャビールの代金を忘れていて、とはいえその分とぼけて帰るのも後味が悪いから、その分を足して払った。ああ、ああ、顎が疲れて何だか体中だるい。日記もそこそこに、早めに寝ることにした。
第5日へ
旅行記トップへ