04年12月下旬−05年1月上旬
第1次(?)ペルー旅行
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●第5日 04年12月28日(火) アグアス・カリエンテス→マチュピチュ→アグアス・カリエンテス→クスコ

 マチュピチュの2日目である。7時半のバスに乗るべく、早起きして急いで朝食を取る。パンと飲み物だけの簡単なもので、パイナプルジュースが甘くて美味しいが、ぬるい。パンもクスコの宿の方がずっと美味しかったなぁ、とつぶやきながら食べていた。大きな荷物は宿に預けて出発する。この宿、受付や食堂が暗くて陰気だけど、宿の女主人はいたって快活だ。そういえば、クスコの宿も受付や食事室は暗かった。あまり明るい照明を使わないのかも知れない。今後泊まる宿でも観察することにしよう。

 7時半のバスにはギリギリ間に合った。今日は曇りで、山の上の方は雲(霧)に隠れている。こういうのも風情があっていい。つづら折りでのバスの運転は相変わらず荒っぽい。バスを降り、入口で入場券を買って、遺跡を見渡せるポイントに急いで向かう。視界が開けると、遺跡全体に霧がかかって、荘厳な風景だ。しばし立ち尽くし、撮影するのも忘れるほどだった。
 霧はすぐに晴れて、くっきりと全景が見えるようになった。今日は、遺跡の裏手(と言うべきか?)にあるワイナピチュに登る。遺跡の中をずんずんと直進し、登山口に向かう。霧がかかっていたこともあり、草には露がつき、すがすがしい景色だ。さて、ワイナピチュとは若い峰の意味で、対するマチュピチュは老いた峰、だそうだ。ワイナピチュへの登山は往復2時間程度、という話だが、かなり急な登りで危険箇所も多いので、登山口には木戸が設けられて、入山・下山の記帳を求められる。我々は8時半に入山した。あまり遅いと捜索されてしまうらしいから、あまりのんびりしていてはまずいようだ。しかし近年、体重と脚力のバランスが悪くなる一方..果たして大丈夫だろうか。
霧のマチュピチュ 振り返ってみると 段々畑を下から見上げる 朝露に濡れる

 ともあれ、登り始める。最初は緑が多く、朝露がそこここの葉について美しい。日が昇るにつれて蒸し暑くなる。標高は2400m近いが、やはり緯度の低いところだと実感する。一旦登ったあと、視界が開けたら右側(東)が断崖絶壁のワイナピチュが見えた。鞍部に下ってから、ワイナピチュに取り付く形になる。断崖絶壁から遠ざかるように、左(西)へと石段が続いている。午前中だから西斜面を登るのは日陰になっていい。石段はたいへん急で、一つの段が高いから体重を実感する。鉄ワイヤやロープを掴みながら登る箇所も多く、けっこう難儀なところだ。それでも、汗をかきかき登って後ろを振り返ると、マチュピチュと付近の山々が眼下に広がり、疲れを忘れさせてくれる。ちょっと登っただけで印象がずいぶん変わるから、こまめに写真を取っておくべきだと思い、たくさん撮るのだが、汗でファインダーは曇り、息が乱れてカメラはぐらぐらする。こんなんでちゃんと写っているのかいなと思いつつも、懲りずに撮りつづけていた。
登山口の木戸 ワイナピチュの断崖 谷底から水蒸気が 眼下に広がるマチュピチュ
何枚も撮る 頂上付近の遺構


 標準で1時間の登りのところを、1時間15分かけて、頂上手前の建物のところに到着。これも遺跡だと思うのだが、ガイドブックやネット情報でも詳しい話はあまり見られない。マチュピチュの人がここに来て儀式でもやったのではないかと思うがもちろんそれはでたらめな想像だ。ああ、ガイドさんに昨日聞いておくのだった。
 ここからさらに頂上まで登ることができる。岩穴を抜けるのは体が大きく荷物が多い私には難儀だ。途中で何人かすれ違ったさらに大柄な西洋人はここを通れないのではないか、などと下らないことを考えながら息を切らしていた。ここから先、一部の道が東の斜面に出るので、数百mの断崖が見えて高所が苦手な私にはかなり怖い。いや、恐怖症がどうこうではなく、実際手すりなどないから、転倒すれば終わりだ。さらに上の岩場に取り付くが、ここまで来ると実はマチュピチュがあまりよく見えない。足元の岩で視角が遮られるからだ。苦労の割に報われないし、怖いし、ということで頂上の岩まで行くのは断念した。冒険好きのSには申し訳ないことをしたと思う。
岩穴を抜けてさらに登る 朝露が美しい 岩場を登る
おっかなびっくり 頂上付近は岩場に視界を遮られる

 さて、体重の重い私は下りの方が危ないのだが、何とか岩場をクリアして小さな棚のようなところで一休みした。今は10時過ぎで、昨日我々がマチュピチュに到着した頃である。遺跡には、色とりどりの人影が見えて、今日も盛況のようだ。下りは順調で、1時間ほどで降りた。 
 登山口のあたりに来ると雨が降り始めて、木戸の先の休憩所で雨宿りをする。雨が収まったので、遺跡の外に出て、昨日と同様、スナックバーでチーズバーガーを食べる。今日は運動して空腹なので、ポテトとインカコーラも別に頼んで、Sと分けて食べる。高級ホテルであるから、値段は高いけどコーラも冷えていて美味しい。ゆっくり食べて、ゆっくり休憩して、再び遺跡に戻る。再び雨が降ってきた。雨の遺跡もなかなかけっこうであるが、眺めていると益々激しくなって来た。斜めになった大きな岩の陰に隠れるが、体が大きくて雨宿りにならない。右肩は雨で、左肩は岩を伝う水に濡れて、結局濡れ鼠状態だ。ここで諦め、外に出る。濡れたまま下りのバスに乗る。乗客は皆、多かれ少なかれ濡れていて、バスの窓はすっかり曇ってしまった。風景は見えないけど、感慨深い帰途だった。
雨のマチュピチュ 雨宿り 1番列車が到着 雨のマチュピチュ もう帰ろう

 アグアス・カリテエンテスに着いて、宿に荷物を取りに戻る。疲れた足に坂道がきつい。Sはトイレを借りて着替え、私はそのままにする。宿のお姉さんに礼を言っドーナツ屋て、出発する。帰りの坂道は足がガクガクで、荷物と一緒に転がってしまいそうだった。坂を降り切って、広場に近いところのカフェで休憩する。Sはマテ茶、私はカフェ・コン・レーチェ(つまりカフェ・オ・レ)を注文する。こんな飲み物だけですごく待たされたが、カフェで急がせるのは野暮もいいところ、日記を書きながら過ごしていた。コーヒーは香り高く、ペルーに来て一番美味しいコーヒーだった。店を出ると、路地にドーナツ売りのおばちゃんがいる。屋台の周りには通りがかりの地元の人がいて世間話をしている。通りがかりというか、完全に座り込んでいるのだが、ケチュア語なのか、さっぱり分からないけどのんびりした雰囲気は伝わってくる。3個で1ソルと言うのでドーナツを買う。ドーナツというには軽い、気泡の多い生地で、サクッとした食感だ。生地自体は甘くなくて、蜂蜜をかけて食べる。暖かくてなかなかの味だった。

 広場でニセのインカ風噴水を見て、駅に向かう。駅近くでとうもろこしを売っていてSが食べたいと言っていたのを思い出し、屋台に寄ってみたらちょうど最後の1本が売れてしまった由。アンラッキーであった。ここから駅というかプラットフォームはすぐ近くなのだが、レールを伝って歩いて行くのはダメだそうで、どうやら防犯のために警戒しているらしい。土産物屋のテント街を抜けて、高いフェンスに囲まれた駅の敷地に向かう。入口で切符を念入りにチェックされ、中に入る。大きな待合室がある。が、ここに列車が横付けされるわけではなく、やっぱり、先ほどの狭いレール脇を歩いて行くのであった。何やかやで発車間際になってしまったので、ゆっくり列車を眺める時間がない。全部同じディーゼルカーなのにそんなもの必要か、と言われそうだが、まあこういうのは好きな者には必要なのである。
 諦めて、車内に入る。そろそろ出発かと思い腕時計を見たら窓の内側が湿気で曇っている。私は普段、腕がかぶれるので腕時計をしないのだが、旅行先では日本のようにどこでも時計があるとは限らないから、この旅行のために腕時計を買ったのだ。盗まれてもいいようにたった100円の時計だ。こんなに曇ってしまっては困るが、100円となれば止むを得ない。さて、座席番号は57・58番で隣り合わせであるものの、なんと左側の座席だ。行きの右側と同じく、谷の山側で景観が良くない方である。残念。そういえば、この列車は2人席が全て進行方向を向いている。しかし座席は固定で回転できない。となると、アグアス・カリテエンテスの先でどこかループ線を作って方向転換をしているわけだ。そういう点、なかなか考えてやっていると思うのだが、やっぱり列車は上下左右によく揺れる。トホホ..
広場には像が ウルバンバ川 立派な待合室 曇ってしまった100円時計

 帰りはすぐ夜になるから別に左側でもいいや、と強がりを言っていたら、けっこう日が長い。悔しさ倍増であった。山や谷を見ながら、マチュピチュは何故あそこに建設されねばならなかったのか、そして、何故人々は去ったのか、ととりとめもなく考える。とにかく、近くに集落らしい集落もないのだ。時々、補修もされていない遺跡がいくらか見えた。列車が止まらなければ、観光地にもならないのか。とはいえマチュピチュに比べるとインパクトが小さいのも事実だ。
 ところで、帰りは食事のサーヴィスはなく、ドリンクのみである。しかも、冷たいものだけ。私はインカコーラ、Sは水にする。ペルーのミネラルウォータは何種類か飲んでいるが、いずれもあまり美味しくない。ところが、ここで出た水はマチュピチュの写真をあしらったきれいなラベルで、何より美味しいのが嬉しい。この後各地でこれを探したが結局見つからなかった。クスコにはあってもよさそうなものだが。日記をつけようとするが揺れが激しく、疲れもあってしばらく眠ってしまった。帰りは、上り坂だからずっとディーゼルエンジンが唸りっ放しで、かなりうるさい。社内は皆疲れて、車窓風景にも飽きて、ほとんどが眠っている。その眠りを破るがごとく、突然、民族衣装を着た人が車内を練り歩く。といっても一人だが。「プルルル」と唇を震わせながら歩くのは滑稽でもあり、ちょっと怖くもある。秋田のなまはげが子供を驚かすようなイメージか。しばらくして、ファッションショーが始まった。といっても、車掌がアルパカ製品のセーターなどを着て歩くのであるが、セーターとかなので「単に私服に着替えただけ」に見えてしまうのは笑えた。そういえば、車掌は男と女の組み合わせで、いずれもスラッとしてカッコいい人が多いと思っていたが、こういうわけか。終了後、お約束の販売が始まるが、セーター1着130ドルとは高すぎる。あまり売れているようには思えなかった。
突如、睡眠を破られる ちょっと不気味 山の斜面にも家が

 あとはひたすら単調な車中であったが、最後、クスコのスイッチバックに入るとき、車内の照明を消して夜景鑑賞。なんと、こクスコ到着れもほとんど右側有利で、昼も夜も景色の悪い側に座ってしまったわけだ。次に来るなら行きは左、帰りは右で指定したいところだ。定刻1920時に遅れること数分、列車はゆっくりとクスコのサン・ペドロ駅に到着した。クスコの初日に迎えに来ていた人が駅で待っていた。オスタル・コリウアシに送ってもらい、明日の迎えを0720時と確認して別れた。受付に私宛の書類が届いてないか、と聞いたら届いていないという。明日の朝になってしまうのか。とりあえず荷物を置いて、食事に出ることにする。坂を下る途中、インカ・ワリアーを覗いてみたらまだ営業していて、プーノの宿への紹介状、チチカカ湖ツアーのレシートをくれた。これこれ。これがあればツアーは(たぶん)大丈夫だ。この粗末な紙切れの効果を既に知らされているから、手元にあると何とも心強い。

 夕食はまた別の店にしよう、と街を歩くがアルマス広場周辺はやはり高い店が多い。高いといっても数百円で十分な量の一品料理が出るのだが、既に3-10ソレスで定食に慣れてしまった我々はそういう店には行けない体になってしまった。いくつか店を覗いて、変り種ということで、中華(ここではチャファと書いていることが多い)の店にする。ワンタンスープ、鳥のチャーハン、1品はペルアーノ(ペルーの、の意味)にしてアヒ・デ・ガジーナ。ワンタンスープは中華風というより、単なる塩味のスープという感じ。味はまあまあだ。鳥チャーハンは香ばしいが塩味がきつい。アヒ・デ・ガジーナは黄色いカラシベースのどろっとした、日本で言えばカレールウみたいなもので鶏肉を煮た料理だ。色合い・香りはカラシ風味だが食べてみるとマイルドな味である。これは美味しかった。これにもごはんが添えてあって量も十分で、満足した。宿に戻り、洗濯をして電気ストーヴの前でしばらく過ごす。夜半、裏通りの宿に帰ってくる人たちの話し声がうるさいと思っていたがいつしか眠っていた。
アヒ・デ・ガジーナ アロス・コン・ポジョ(鳥チャーハン) 乾かないなー


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