04年12月下旬−05年1月上旬
第1次(?)ペルー旅行
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●第6日 04年12月29日(水) クスコ→プーノ

 チチカカスイッチバックを登る列車湖のほとり、プーノへ向かう。8時発、18時着という長旅であるが、実は380kmしかない。途中、4300mを越える高所を通る、定期列車としては世界最高地点を通る路線
(06年7月以降は中国の青蔵線が世界一)であるから、高山病の薬を飲んでおく。朝食を食べていると、遠くにアグアス・カリエンテス行きの酸素ボンベあり列車がスイッチバックを登って行くのが見えた。実際乗ってみてもゆっくりだが、遠くから見ると、盆地の斜面を行ったり来たりで、こりゃバスに客を取られるのも無理からぬと思う。

 朝食を終え、部屋でパッキングをして受付に戻る。ここには3泊したが、受付のところに酸素ボンベがあるのにいま気がついた。我々は幸いにして頭痛程度で済んでいるが、お世話になる人もいるのだろう。ところで、07:20の約束だが、迎えが来ない。宿に電話があって、5分ほど遅れる由。と言いつつ、20分も遅れて来た。発車まで20分で、あまり時間がない。駅はそんなに遠くないから大丈夫だろうがオスタルの玄関、遅れて来た理由も言わないし、謝罪もないのは気になった。車は大きい1ボックスで、同じ時間帯に食事をしていた米国人3人組と一緒なのか、ロビイにあった彼らの荷物もさっさと積み込む。ところが、ご本人たちは乗ってこない。つまりこれは、荷物を取り違えている。おい、この2つの荷物は我々のではない、間違いだろう、と言うが取り合ってくれない。駅に急ぐことばかり考えていて話を聞いてくれない。止む無く、車に乗って駅に向かう。ワンチャック駅には発車8分前に着く。本当は30分前に来てチェックインしろとあるのだが、問題なく乗れるようだ。荷物を荷物車に積むため、先に荷物用の窓口に行く。なんと、旅行会社の人は先ほどの米国人の荷物も持ってきて、私の荷物と一緒に窓口に置いてしまう。これは違うんだ、間違いだと主張するが列車に急げの一点張りだ。まずい。手元には3枚の荷物引換証があって、明らかに2つは他人のものなのだ。強引に改札を通されて、車両に入るわけにも行かず困っていたら、旅行会社の女性の携帯電話が鳴った。これはたぶん..案の定、荷物間違いであった。荷物窓口に呼び戻され、どれが貴方の荷物か?と言われ、引換証のうち不プーノ行き列車要な2枚を差し出す。朝から大騒ぎで駅構内を走り回る結果になり、高地ゆえ息苦しく、非常に不愉快になった。
 結局、遅れて来たことも、荷物を間違ったことも、一言も詫びなかった。次回あの宿に泊まることがあっても、彼女にツアーアレンジを依頼するのはやめよう。そもそもは彼女の遅刻がまずいのだろうけど、米国人たちも荷物を手元に置かないで放置していたのも間違いの元だったと思う。これが、人の出入が頻繁な大型ホテルならそんな無警戒なことはしないのだろうが、小さなオスタルということで彼らも油断したか。
 改札を入る私の写真を、プラットフォームで待っていたSがデジカメで撮っていたのだが、見ると、不機嫌な顔の私が写っていた。これも後でいい思い出になるだろうから、消さないことにした。

 さて、駆け込み乗車のような乗り方をしたので列車の全容を見ていないが、我々が乗った車両は一等のC号車、6・8番席である。この飛び番号はいやな予感がしたのだが、実際は4人向かい合わせ席の、並びの位置だった。座席は4人ボックス席、というのか、大型のソファで向かい合わせに座って、間には大きなテーブルがあるという形式。食堂車みたいなのが数両繋がっている、と思ってもらっていい。向かい側の2人はニューカレドニアから来た仏人の老夫婦で、仏語訛りが激しい英語で、ほとんど会話にならない。ペルー式英語に慣れてきたところで、仏語への対応は厳しい。日本から来た、と言ったら旦那の方が「フン」と言ったのに少しムッとする。結局この人たちとはほとんど会話しなかった。もっともこの人たち、夫婦間でもほとんど口を利かなかったから、元々話し好きでないのかも知れない。
 車内を見渡すと、約8割くらいの乗車率で、まずまず盛況と言えそうだが、週に3往復しか運行していないからたいしたことではない。何しろ380kmを10時間、バスだと7-8時間くらいで、しかも安いそうだから無理もない。インテリアは立派で、椅子もふっかりしていて良い。展望車もあるようだし、ヒマなら寝ていてもいいのだ。たまにはこういう無駄も必要だと思う。しばらく市内を走るが、スピードはゆっくりである。線路と周囲の仕切りがなく、道路には遮断機がなく、人や車がひょいっと渡るから速度を出しにくいようだ。線路の周りは汚い。ゴミをそこら中に捨てているのだ。そういえば、マチュピチュへの路線でも、線路脇にはゴミが多かった。川などを渡ると、河川敷にゴミが溜まっていて気分が悪い。日本も昔はこうだっただろうし、今も人目につかないところに不法投棄している人も居るわけだが、これはとにかく気になった。

 郊外に出て、ようやく速度が上がる。保線が悪く、揺れが大きい。この路線は1435mmの標準軌で、ヨーロッパ諸国や新幹線などと一緒のレール幅である。地盤が固くて手入れがしっかりしていれば、普通、150km/hくらい出してもいい規格なのだ。ところがこの列車ときたら、最高で60km/hくらいである。線路脇の電柱がだいたい6秒おきに通過するから、100m間隔だと、丁度60km/hということになる。今は登りだから遅いのかと思うが、10時間という所要時間からすると、どうもこれが精一杯のようだ。登り、と書いたが、この列車はクスコの標高3400mから、4319mのラ・ラヤ峠を越えて、終点プーノの3800mという標高のところを走る。これを見るととてつもなく急峻なところをスイッチバックしながらゆっくり登っている、という想像をしてしまうが、これが予想外で、登りは緩やかで車窓風景はたいへん広大、5000m超と思われる高い山もあるがかなり遠い。私はペルーというところを完全に間違って理解していたようだ。車窓風景を見るに、3000m超の非常に広い高地があって、その上に5-6000mの山々がある、という感じなのだ。日本人の感覚だと、3000mを超えるところには森林などなく、定住するところではないのでは、となってしまうのだがここは緯度が低いから4000m近くまで木が生えている。来て見ないと分からないものだ。郊外では放牧や、川で洗濯などをしていて、質素ではあるがのんびりとした人が多いようだ。

 しばらく、向かいの老夫婦に遠慮してカメラは控えていたが、郊外に出て風景がきれいになったところで我慢し切れず1枚撮った。すると、仏人の旦那もカメラを取り出した。夫人がちょっとニッコリする。お互い、きっかけを求めていたのか。相手のカメラはEOS-3000とあって、形からすると日本名kissのようだ。これにシグマの安いズームを2本。ずっと望遠ズームの方を着けていらっしゃった。ちとカメラ談義をするには普通すぎの装備だし、仏語はからきしだし、まあこれが、向こうがフォカで私がライカでも持っていれば無理してでもカメラ談義するのだが..双方の配偶者が欠伸をするであろう。というわけで、ずっと無言で座っているのも疲れるから、展望車に行ってみることにした。最後尾までは3両、通路は狭く、歩きにくい。他の車両を見ると、早くもテーブルに突っ伏して寝ている人もいる。あまりいい行儀でないし、これから景色がよくなる(はず)のにもったいないと思う。
 最後尾はバー・カーになっていて座席の定員外のスペースである。3分の2がバーで、残りが大型窓の展望室、後ろはオープンデッキになっている。展望室に吹き込む風、沿線の音が気持ちよい。列車は相変わらず60km/hをキープしていて、展望車にはこれくらいが丁度良い。この列車、沿線で停まるのはラ・ラヤとフリアカの2回だけで、ラ・ラヤは峠で街はなく休憩のための停車だから、フリアカでしか乗降はできない。沿線住民にとっては全く無関係な観光列車なのであるが、子供たちが歓声を上げて手を振ったり並走したりする。その姿を撮ろうと中望遠レンズを着けて撮るのだが、こんな遅い列車でも、近景ではなかなか狙いが定まらない(上下左右に大きく揺れるというのもあるが..)。日干しレンガの壁にサボテンが生えているのは面白い。焼いていないから年月を経て崩れてしまい、そこにサボテンが生えているのだ。他にもいろいろ珍しい植物などあるが、なかなか撮影は難しい。
クスコ郊外にて 洗濯は足で踏んで 車窓の様子 バー・カー(最後尾は展望室)
山あいをゆっくり走る 高度の割に険しくない風景 カベにサボテンが生える 列車の様子
風化した建物たち ヘンな植物 4000m近くなのに緑が多い 展望室にて

 展望車から、自席に戻ることにする。展望車、バー・カーのよくないところと言えば、禁煙でないこと、であろう。全車で唯一、タバコが吸えるとあって、愛煙家が集まってくるのである。席に戻る。外は相変わらずで、冠雪した山々が現れるものの、それはかなり遠い。出発から3時間以上経ち、4000mを超えて、木はなくなり、草原が広がっている。峡谷を走るという趣はない。ただ、のんびりと長い坂を登っている。今日は高山病の症状はなく、座っている分には少し息苦しい程度だ。しかし、写真を撮るために立ち上がり、窓からレンズを出してシャッターを押す、という動作で少しめまいがした。シャッターを切る瞬間に息を止めているために、呼吸が乱れるようだ。
 昼食の準備が始まる。つまり、出発後しばらくのときに取ったオーダーに基づいてナイフとフォークなどを置いて行くわけであるが、確か、予定ではほぼ中間地点(厳密には手前)でラ・ラヤ峠の最高地点であり、そこでは15分間の停車がある。今から準備してしまうと、昼食の途中で停車になってしまい、せっかくの最高地点での下車が面倒になる。どうするのかね、と思っていたら、ナイフとフォークを置くだけで30分くらいかかり、ラ・ラヤで停車する前に食事が始まる気配は全くなし。この場合、予想通りが良かったのか悪かったのか..Sが腹減ったと騒ぎ始める。でもね、今出てきてもすぐ停車なんだから諦めろと諭す。
コーン畑 少し険しくなってきた 高地での放牧 ようやく高地らしく


 12:35にラ・ラヤ峠最高地点に到着。定期旅客列車が走る路線としては世界最高地点の4319m
(当時)という標高は、日本に居ては物理的に体験できないところだ。なお、ペルーにはこれよりさらに高い箇所にも鉄道が通っているのだが、この時点では定期旅客列車は運行していない。ラ・ラヤは一応駅のような、しかし低いプラットフォームがあって小さな教会もある。駅舎はなく、そのまま広い草原の真ん中に停まっている、と見えなくもない。最高地点という感じはあまりしないが、空気は薄くて、体が妙に重く、頭はくらくらする。そこここに現地の人が土産物を広げていて、列車が着く週に3日の副業をしている。民族音楽のCDを持ったインディヘナのおばちゃんにアミーゴ、オニサン、カテクダサイ(お兄さん、買ってください)と言われるが全て断った。Sがどこで見つけたのか、菓子パンのようなものを買ってきた。肉や豆を味付けしたものが入っていて、なかなか美味しい。でも、これからすぐ昼食ではないか..ま、いいか。Sのこういう嗅覚は犬並みかも知れぬ。
 せっかく停車しているので、列車の全容を見ておく。後からバー・カー、1等車3両、調理・電源車1両、2等車1両、荷物車1両の計7両をディーゼル機関車が引く。2等車を見に行ってみると、青色のシートは背もたれが垂直で10時間の乗車にはきつそうであるものの、テーブルは大型で、スペースはそんなに狭くない。2等料金は1等の8分の1くらい(食事なし、を考慮しても差が大きい!)で、バスよりも安いらしいが、何せ所要時間が長いし、かなりの苦行かと思う。それが理由かどうかは分からないが、かなり空いている模様だ。隣の調理・電源車は1等客100名余の昼食のコースを作るため厨房と、残り半分がディーゼル発電機で、車端には乗務員の休憩所があった。客用の2等座席よりも粗末な椅子で、何だかたいへんな環境だ。いろんな車両を覗いていたら係員から、どこの客だと誰何された。なかなかセキュリティには気を遣っている様子で、それはありがたい。各車両に係員がいるのは無駄でもあるし、安心でもある。こうしてみると、日本の鉄道の、多数の乗客をさばく乗務員がかなり偉い人だと思えてきた。
ラ・ヤヤに到着 最高地点の教会 駅ではないが、物売り多数 物売りのおばさん 最高地点付近も広々としている

 この停車中に、食事のセッティングをやってしまうようで、着席したら食器とパンが揃っていた。ラ・ラヤを出て、10分でまた停車する。丁度13時で、時間で割ると全行程の中間地点だ。ここで対向の列車と交換する。編成は全く同じである。2等と調理・電源車の間の連結通路に、列車交換にて、展望車に群がる人たち幌がついていない。アサヒカメラの1月号にこの列車の記事が出ていて、連結幌が無い!とあったのはこの車両のことだったのだ。なお、私が乗っている編成はきちんと幌が付いていた。向こうの列車はガラガラである。色んな旅行パンフレットを見るに、ペルー旅行のコースとしてはクスコ・マチュピチュが先という傾向があるからその影響だろうか。そうだとするとこの列車の営業もかなり苦しいだろうから今後が危ぶまれる。ちなみに、我々が乗った時は片道98ドルのこの列車は、翌05年から116ドルに値上げになっている。ソルの為替相場が下がったとか、そういう理由ならともかく、ドル建ての値段をこんなに上げるというのは露骨だ。続いて欲しいものだが..

 パンがセットされて食事が始まると思っていたのだが、これが始まらない。13時半近くに前菜が登場。もうとっくに昼食という時刻ではないので、お腹が減って仕方がない。Sがトマトスープで、私はチキンフリッター入りのサラダだ。カリカリに揚げたチキンが乗った野菜に、甘辛いドレッシングがかかっている。残念ながら好みの味ではなかった。量も少ないし、すぐ食べ終わってヒマを持て余す。このコースはサラダとスープは"and"ではなく"or"なので、ゆっスープとパンくり食べても時間が余ってしまう。なんと、途中で居眠りしてしまった。
 メインが来た。Sは菜食主義者用のメニューで、リンゴとアンデスチーズをクレープで包んだものがスライスされた野菜の上に乗っている料理である。ちょこっとつまんでみたが、あんまり味がしない。皿に敷いてある野菜は美味しいが、その中にあるタマネギの臭いが強烈で、個性を主張しすぎである。私が頼んだものは牛ステーキで、チリソースが掛かっていてピリ辛で美味しい。肉は柔らかく食べやすい。ただ、付け合せのキヌア・リゾットとかいうものと温野菜は味が付いていない。キヌア・リゾットはワンタンビスケットの上に載っていて、これがカチカチで、ナイフとフォークで食べるのが甚だ困難である。向かいの仏人はナイフでちょっとつついただけで諦めてしまった。お互い、食べにくそうにしているのを見て苦笑いする。ここから会話が始まれば、と思うが残念ながら能力不足で会話にならなかった。
 最後にデザートだが、これがまた..遅いのである。汚れた皿を前にしてぼんやりしているのは苦痛だ。ここまで遅いと、会話を楽しむための雅びな時間、というわけには行かず、ただただ退屈だ。つまりこれは調理室のキャパシティが足りないのではなかろうか。何しろ、こうして待っている間に、他の車両へのメイン料理が運ばれているのだ。そう、我々は調理車の隣だからまだマシ、だったのだ。これには参った。また何度か居眠りをした。シェフのスペシャルセレクション、なるデザートは何かのムースにマンゴーとイチゴのソースで、大げさな名前にはちと負けている。まあ美味しいのだが、ソースが濃くて甘くて、繊細さに欠けるというか..向かいの仏人たちはソースまでしっかりすくって食べていたから好みの問題なのかも知れない。これでようやく食事が終わった。これでついに集中力が切れてしまった私は、すっかり寝込んでしまった。起きたら、コーヒーが置いてあった。これは香りも味もしっかりした美味しいコーヒーだった。時計を見ると、食事に2時間以上かけている。でも、2時間って、結婚披露宴で出される前菜2品・メイン2品くらいで丁度ではなかろうか。これがそれぞれ1品で2時間、はきつい。車中10時間のうちのヒマつぶしということにはなるだろうが、今ひとつだと感じた。
サラダ 野菜クレープ ステーキ デザート

 その後、しばらく眠って、16時ごろに目が覚めた。唯一の途中乗降駅である、フリアカが近い。展望車からフリアカを見ようと、後部へ歩く。ここらへんの標高は約3800mであるが、山はすっかり遠くなって、平原の中、ひたすら直進する。電線が撤去されてしまった電柱が立っていて、測ってみるとやはり6秒間隔。ずーっと、60km/hなのであろうか。並走する道路のトラックにも追い越されるのは少々癪ではある。それより、この上下左右の揺れを何とかして欲しいところだ。高地ゆえ食事中も含め車中はアルコールは控えたのだが、この揺れでは飲み物を快適に飲むことは難しい。ゆっくりでもいいから、保線を何とかしてもらいたいと思った。
ひたすら直線の、3800mの高地 お墓かな? 住んでいるのか住んでないのか.. 放牧の帰りか

 16:40過ぎ、フリアカが近づいたのか、徐行し始める。駅の手前は左右に露店が並んでいる。実際にはここは駅ではなく、駅に近い場所、でしかないから列車は停まらず、乗降客もいない。ただ、線路というきっかけで市が出来ているような感じで面白い。線路脇どころか、線路の中にまで商品を並べているのには呆れる。もっとも、商品と言っても、どこかで拾い集めた自動車や家電の部品を売っている、というようなものも多い。こういうところはタンザニアでも見かけたが、やっぱりそれなりに需要があるのだろうか。
フリアカ近く、人が増えてきた 線路の中にも商品が。 廃品のようなものを売る 子供が列車を追いかける

笑顔がいい フリアカに到着した。定刻の17時より少し前だ。ここは、この列車唯一の乗降扱いの停車駅で、列車に飽きた人はここからタクシーでプーノに向かったりするらしい。また、この地方の空港はこの近郊にあって、アレキパ方面への鉄道の分岐点でもある。大きな都市である。平らな土地で、ここが標高3800mの地にあるとはとても想像できない。駅の片隅には蒸気機関車が停まっていた。動くような状態ではないが、なにやらチェックをした跡があって、サビ止めも塗っているような感じだ。いずれレストアして展示でもするつもりなのだろうか。駅構内は広くて、貨物などはそれなりに運行している様子だ。ここでは15分停車する。乗降はそんなになく、これほど時間は必要ないと思われるのだが、実は停まっている時間が新鮮だったりする。60km/hでゆっくり走っているのに、揺れが大きくて、停まっている方が落ち着くのだ。日本なら、15分も停まると何があったのだと客が騒ぐであろう。停まっている間に席に戻ることにする。
 17:10ごろ、フリアカを出発。ここから終着プーノまでは40km、ここをまた40分以上かかるわけで、列車の速度は相変わらずである。ようやく全行程の9割か。長かった。いくらふかふかのソファとはチチカカ湖いえ、いいかげん、尻が痛い。プーノまで20分ほどのところで、左手にチチカカ湖が見えて来る。浅いところのようで、水面はトトラ(葦のようなもの)で覆われていて、湖というよりは沼のように見える。明日はこのトトラで作られた島や家を見ることになっているから、楽しみだ。プーノ駅の手前で例によって徐行するがフリアカほどではなく、定刻の18時にプーノ駅に滑り込んだ。1等3両、2等1両の客はたいした数ではないOKって..名前かい..のだが、プラットフォームが狭いので荷物受取りに難儀する。駅の出口にはホテルの迎えの人や客引きがひしめいていて、これまた出るのに時間がかかる。我々を探しているおじさんを発見したら、私の名前が"OK"になっていた。ファーストネームならともかく、ローマ字3文字しかない姓を間違えられたのは初めてである。面白いので、写真に撮っておいた。
 宿はオスタル・ウタマというところで、迎えの車に乗って向かったら大変近かった。繁華街に近く、狭い道路を多数の車・人が通るからいささかうるさい環境だ。迎えに来たおじさんはこのオスタルの人か、あるいは旅行業者兼務らしくて、チェックインする際に、シティツアーはどうだ、空港までのバスはどうだ、タクシーはどうだ、とか勧められる。Sはこういう話をされると交渉をしないと収まらない質で、部屋に案内されつつ価格交渉をする。タクシーの値段がガイドブックにあった値段より高いと息巻くのだが、このオスタルの人はタクシー運転手じゃないから、この人に言ってもしょうがない。結局何も依頼せず。Sは、息が切れてベッドに倒れこんだ。興奮して酸素が足りなくなったのだ。しばらく放っておいて、荷物の整理をして、日記を進めていた。

 Sが起き上がれるようになったので、アルマス広場近くの繁華街に出かける。ここはクスコに比べると田舎で、道路は狭い。道が狭いから交差点の見通しが悪く、小さな交差点でも信号が付いている。アルマス広場の周りに商店が集中するというわけでもなさそうで、リマ通りというところにレストランや銀行などが集まっていて、最も繁華なところは歩行者専用道路になっている。Sが高山病気味なので、手早く店を決めて入る。ラ・カソナという店で、入り口から想像するよりずっと広く、高級そうな店だ。店内はたいへん混んでいて、人気の店らしい。私もあまり食欲がないから、それぞれスープを頼み、セグンドスは2人で1品だけにした。Sはヌードル入りソパ、私は牛肉のソパ、セグンドスはトルーチャの塩焼きだ。この店の味は今までのペルー料理と異なって、極めて塩辛い。不味くはないのだけれど、どうもこれでは飽きが来る。ソパの中身は豊富だが、全部食べられなかった。トルーチャは大きく、少々生臭さがあって、ライムを搾ったりスープと一緒に食べたりしてごまかした。1品14-5ソレスと高いので過剰に期待してしまったのかも知れないが、塩味の濃さが残念だ。明日も早いので、ホテルに戻ってさっさと寝ることにした。
ヌードル入りソパ 牛肉のソパ トルーチャの塩焼き

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