04年12月下旬−05年1月上旬
第1次(?)ペルー旅行
●第11日 05年1月3日(月) ナスカ観光→ピスコ
今日は、セスナに乗って地上絵を見る。左右にぶんぶん旋回するという話なので、乗り物酔いしがちな私はちょっと不安がある。朝食は極力食べないようにする。といっても、宿の食事はたいしたものではなかったが。
迎えの車に乗り、空港に向かう。市内から空港まではわずか5km、小さな空港で、従って小さな飛行機しか発着していない。リマからプロペラ機でここまで飛んで、セスナに乗り換えて観光後、またリマに戻るという強行軍のツアーもあるという(何百ドルかかかるリッチなコースだ)。エア・パラカスという会社の事務所に着く。ここで説明のDVDを見ながら、搭乗の順番待ちをするようだ。セスナは小さく、定員が操縦士含めて4か6人というから、客は常に奇数になる。2人単位の客が多いので、中には1人ずつ別々に乗せられる人がいるようだ。説明のDVDは、再生装置の調子が悪くて、音も映像も甚だ悪い。言語は英語なのに、分からないのだ。前のほうに座っているブラジルからの客がポルトガル語を所望していたがそれはできず、出来てもあの音質では厳しいだろう。
事務所を出て、道路向かいの空港の事務所に向かう。空港の中に、それぞれ会社の小さな事務所から出入りできてしまうのはセキュリティもへったくれもないが、襲われるほど飛行機も飛んでいないし、ハイジャックしてもセスナでは遠くには飛べないから、まあいいのかこの程度でも。空港の事務所に日本人の先客が2人いた。ミネアポリス在住の夫婦で、クリスマス休暇でペルーに来ているのだと言う。米国とペルーなら時差が少ないし、便利ですね、と言ったら、特典航空券で来たので、制限があって米国内で2回も乗り継ぎしました、とのこと。なんともお疲れ様で..挙句に、この夫婦、セスナ遊覧は「客は奇数」条件に引っ掛かり、夫婦別のフライトになっていた。さらに、ここの空港税まで請求されていた。ツアーを申し込むときに条件を詰めていないとこういうことになるのか。あるいは我々も請求されるのか、と昨日作ったツアー条件を明記した紙を握りしめて手続きの順番を待っていたら、我々には請求がなかった。とはいえ9時ごろに飛んで9時半くらいに終わる、というスケジュールは履行されていない。既に10時を回っているのである。他のフライトの発着があって遅れているのだ。午後のフライトは視界が悪くなりがちだというのでとにかく午前に飛びたいところだ。待っている間、ツアーの兄ちゃんのために日本語講座を開講。この人、軽いけど根はまじめだ。そのうち「9時に飛ぶつもりだけど状況によっては遅れるよ」くらいの説明ができるようになるだろう。
結局、10時半のフライトになった。リマへのバスは13時半で、シティツアーを申し込んだ人は、間に合うかどうか危うくなってきた。我々は断っているので問題はない。さて、セスナは6人乗りの大き目の方だ。我々は3列目の最後部に乗せられる。2列目にブラジル人2人、一番前は操縦士と先ほどのミネアポリスの奥様が乗る。一番前は景色が良いかというと、そうでもない。計器盤が大きくて、背が低いとあまり前が見えないのだ。3列目は極めて狭く、私は尻が入るかどうか不安だったが、人間その時に至れば何とかなるものである。ま、2列目のブラジル人たちは我々よりずっと大きいので、最後列という選択肢がなかったというのが真相のようだ。とにかく狭いので、レンズ交換ができないかも知れず、とりあえず持っているうちの一番望遠の77mmをセットする。広角で撮りたいときはGR1(28mm)で撮るつもりだ。
エンジンがかかり、機体はグラグラ揺れながら滑走路に出た。少しばかり走り、ひょいと浮かび上がった。エンジン音がうるさいが、予想よりは快適に思える。かんじんの地上絵は、少し霞みがかかり始めているがよく見える。ほとんどの絵柄の上で、右の人、左の人のために旋回しながら見せるので、かなり気持ちが悪い。直進するとホッとする。一部はどっちかしか見えないよ、と予告していたが、結局ほぼ全部を左右の客に見せた。サーヴィス精神旺盛であるが、それだけ気持ち悪くなって、あと10分長かったらちょっとまずかったかも..汗だくになり、手足の先がしびれて、シャッターを押すのがやっとだった。レンズ交換など以ての外である。ピントは無限遠に決まっているから、オートフォーカスは外してあり、その点迷うことなく撮影できたのは良かった。なお、地上絵を見た順番は以下だ(くじら−三角形−トラピゾイド(不等四辺形)−宇宙飛行士−猿−犬−コンドル−蜘蛛−ハチドリ−アルカトラス(カツオドリ)−ペリカン−手−木)。
ともあれ、年々風化して見えにくくなっているという地上絵は予想以上によく見えて、楽しめた。そして、帰りの水平飛行がありがたかった。着陸し、機を降りたら眩暈がした。どうも、ジェットコースターも含めてこの手の乗り物は苦手だ。ドバイの砂漠走行よりはかなりマシであったが。
事務所で休んで、市内に送ってもらう。オルメーニョのバスターミナルに寄って、今日のピスコまでのチケットを買う。1人55ソレスで、昨日の半額だ。ピスコは中間地点くらいか。このバスもロイヤルクラスで、実はもう少し安いグレードを希望したのだが、ピスコまではロイヤルしか走っていないという。今更他のバス会社を探して回るのも面倒だし、そもそも便があるかどうか分からないからこのバスにする。オスタルに着くと、運転手に3ソレス請求された。バスターミナルに寄る分は有料なのだと言う。こういうセコイ輩に小遣いを恵むのは気が進まないが、面倒なので払ってやった。
オスタルに預けていた荷物を引き取り、アントニーニ博物館に向かった。直射日光の下を歩くにはちょっと遠かった。何しろ日陰がない。ナスカの街は小さく、中心部以外はのどかなもので、6-70年代くらいのアメリカ車などが走っている。通りかかる人は少なく、静まり返っている。博物館は高い塀に囲まれ、開館しているのかどうか遠目には分からないが、やっていた。ここはナスカ付近の遺跡発掘の成果を展示するところで、平屋の小ぶりな博物館であるが、展示が分かりやすくてよかった。日本語の解説冊子もある。出土品や織物にある絵柄と、地上絵の関連がよく分かった。中庭には地上絵のジオラマがあり、コントラストを強調した地上絵の縮小図を上から見ると、さきほど飛んだ順番が思い出され、よい復習になった。
博物館を出て、バスターミナルに向かう。暑くて難儀なので、通りがかった軽自動車タクシーに乗る。バスターミナルまで2ソレス。リマで乗った距離・料金から換算すると少々割高に思うが、1ソルではトイレのチップ並みだし、難しいところだ。ターミナルにき、向いの食堂で昼食にする。ハエが多くて閉口する。定食はスープが固定で、鶏がらスープと言うべきか、いろんな臓物から足まで入っていて、味にクセがある。私は飛行機酔いが少し残っていて、あまり食べられない。結局半分ほど残してしまい、Sはほとんど食べた。2皿目は私がロモ・サルタード(今回4度目)、Sはチャーハン。ロモ・サルタードは肉が固くて「外れ」の部類と判定した。トマトが多目で、その点個性的だ。前にも書いたが、国民的料理というもの、地方や個人で調理法がずい分異なるようだ。Sはスープで満腹したのか、チャーハンを残してしまった。そうこうしているうちに、バスの時間が迫ってきたので、会計をして、ターミナルに向かう。
バスの客はわずか6人で、全員日本人だ。ミネアポリス在住のMさん夫婦もいた。なんでも、シティツアーまで行って、長引いたので昼食抜きなんだそうだ。これからリマまで7時間(実際にはもっとかかるだろう)、チョコバーとジュースで過ごすらしい。座っているだけだからまあ何とかなるか..私も、飲料を買うべく、ターミナル近くの露店に走る。飲み物の店で、コーラでも買おうかと思い、そこにいるおじさんにこれいくら、と問うたら、あ、オレ客なんだよね、と。確かに、その人も飲み物を手にしている。店主はどこかでおしゃべりしているようだ。まあ、店主も客も、皆知り合いみたいなものだから用心すべきこともないのだろう。仕方なく、別の屋台でオレンジソーダを買った。
バスは今日もやはり意味もなく15分遅れて出発した。客は結局6人だ。乗務員は昨日と同じ人で、あらもう帰るの、という顔をした。郊外に出て、平地を走るとしばらくして地上絵が多くあるところを横切る。地上絵研究家のマリア・ライヘ女史が建てたミラドール(地上絵観察のやぐら)が途中にあるはずだ。このバスも2階建てであるからそれなりに高いところに視点があるのだが、地上絵は「絵」として認識しがたい。石が一部どけられた、足を引きずって引いた薄い線、くらいにしか見えない。無論描いた当時より風化しているのだろうが、この線が空中から見るとあのような模様になっていると思うと、不思議ではある。ミラドールは一瞬で通り過ぎた。Sが撮影したら、フラッシュが閃光してしまい、しかも、スローシンクロモードなのか、窓の外は真っ白。この真昼間に、どうやったらそういう設定になるのか、まったく、地上絵より不思議だ。
パン・アメリカンハイウェイの直線部分を過ぎると、峠越えにかかる。昨日通った時は暗くて寂しいところであったが、明るい昼間に見ると遠くのオアシスの緑が美しい。それ以外は乾燥地帯で、道路脇の山肌はただ山を削っただけの荒々しいものである。バスはだんだん速度を緩めている。峠の登りやカーヴがきついのかと思っていたら、ついに停止してしまった。たった6人の客だから登れないということもあるまいが..つまりこれは故障であろう。エンジンが停まり、エアコンが動かなくなった。スモークガラスだが、すぐに室内は暑くなってくる。後ろの下部で何かゴソゴソ音がするので、外に出てみると、運転手がエンジンルームに入って修理中であった。先の見えないカーヴの途中に停まって、いささか危ないのだが幸か不幸か交通量も少なく、皆上手くよけて行く。客の6人全員が外に出た。我々と、Mさん夫婦はスペイン語はろくに出来ない。残りの2人のうち男性はスペイン語ができて、運転手に声をかけている。ラジエータホースから漏水したので、ホースを替えるのだという。商売敵のバスが何台か、クラクションを鳴らして通り過ぎた。せっかくのペルー最高級バスもこれでは形無しだ。修理は15分くらいでできる、という。待つ間、スペイン語ができる人、Cさんと話をする。以前、チリにいて漁業指導をしていたのだそうで、それでスペイン語ができるのだと言う。これからリマに行くのだそうだが予定は明確ではなくて、我々が途中ピスコで降りるのだと言ったら、それいいなあ、うちらもピスコ行こうか、と御令室様に提案していたが却下されていた。後で揉めなければいいが。さて、修理は予告通り終わって、バスは遅れを取り戻すべく、飛ばしに飛ばした。修理箇所は大丈夫か、というほどの速度で、先ほど抜いていったバスなどに追いつき、追い越して行く。こんなに飛ばしても都市部ではやっぱり渋滞して、着く時刻は大差ないのであろうが。
今日はピスコで降りるから、眠ってはいけないと思うのだが、うとうとした。イカやパラカスでかなり客が増えた。ピスコに到着。バスターミナルはナスカよりも小さく、狭い。バスを降りると宿の客引きが群がってきた。ターミナルの職員が犬を飼っていて、その犬、客引きの1人が気に入らないようで、ずいぶんと吠える。吠えられた人、ちょっと人相が悪く、実際は悪い人でもないのだろうが何だか滑稽な感じがした。明日のリマ行きのバスをとりあえず調べておく。職員さんがあまりに長電話で待ちくたびれたが、ようやく電話が終わり、列が進んで私の番になった。ロイヤルは豪華すぎるからその下のクラスはないのかね、と言ったら、どうもここに寄るバスはロイヤルのみのようだ。しかも明日ここを通る2便のうち片方は満席とのこと。他のバス会社を当たることにしよう。
ピスコと言えば、ペルーにはピスコという蒸留酒がある。その名の通り、ここピスコの名産であり、この地域で産出する白葡萄を使った酒だ。町は小さい。バスターミナルからアルマス広場はすぐそばで、宿の客引きを振り切り、歩いて宿を探すことにする。広場の周辺にはツアー会社がたくさんあり、その中の1軒に入ってバジェスタス島へのツアーの概要を聞いてみる。朝7時半ごろに宿に迎えに来て、昼頃には戻るらしい(午後は海が荒れるから午前で終わるらしい)。それで1人25ソレス(750円)だからリーズナブルだ。例によって、その後シティツアーもあるよ、と言われるがそれにはあまり興味は無し。とりあえず、宿を決めてから来るよ、と言い置いて出てきた。バジェスタス島ツアーの終了時刻が分かったから、バスも予約しておきたい。Sがそこらへんの人に、安いバス会社はないか、と聞いて行った先は、サン・マルティンというボロくて汚いターミナルの会社。なんとリマまで3時間以上乗って10ソレス(300円)とオルメーニョのロイヤルクラスの約5分の1だ。バジェスタス島ツアーの25ソレスが暴利に思えるほど安い。その分バスも相応のもののようだが、こういう経験もアリかと思い、16時のバスを予約した。
再び、街をあるき宿を探すが、なかなかよい条件のものがない。極端に安いところはやっぱり汚いし、それに、今晩はペルー最後の宿なので、もうちょっときれいなところにしよう、と歩きつづけて結局、先ほどのツアー会社近くのこぎれいなオスタルに決まる。2人で20ドルであった。まだ新しく、天井が3mくらいあって広々としていて、廊下にはアンティーク家具などがあって良いところだ。ここに決める。荷物を置いて、街に再び出る。バジェスタス島ツアーも申し込んで、所用は全て済んだ。
アルマス広場の一角から、繁華街が延びている。歩いているのはほぼ地元の人たちで、たいへんな賑わいだ。夕食は簡単に済ませようと思い、スーパーで飲み物を買い、公園の近くに店を出している屋台でハンバーガーを買った。フライドポテトまで一緒に挟まれているのが不思議な感じだが、フライドポテトと肉・野菜を一緒に炒めるロモ・サルタードのノリかも知れぬ。なかなか美味しい。実は公園でクスケーニャ(ビール)を飲みながら食べているのだが、屋台が出ているのに、公園内には他には食べている人がいなくて、ひょっとすると公共の場所での飲食はご法度なのかね、と思いながら素早く食べてしまった。明日の朝食は、珍しく「無し」という宿泊条件だったので、ポテトチップやクッキーで代用とする。スーパーでそれらを買って、オスタルに戻ることにする。帰りに、通りにいた屋台でパスタ入り鳥のスープを食べる。4ソレスと割高だが量も多く、2人で食べて丁度良いくらいだ。しょうがの香りが効いた薄味のスープは飽きが来なくて美味しい。パスタはペルー風に柔らかくなってしまったものだが、もうこれは仕方ないと諦めている。この方が量が多くなっていい、と思っているのだろうか。ともあれ、スープは美味しく頂いた。
宿に戻る。Sは疲れてそのまま寝てしまう。シャワーを浴びたいが、湯が出ない。安宿では往々にしてこういうことがあると聞いていたが、こういうことか。受付に水しか出ない、と言いに行くがしばらく出してみてくれ、というだけで何もしない。仕方なく、30分以上水を出して、少しぬるくなってきたところで浴びてしまった。その後、さらに1時間近く待ってようやく熱くなって来たので、Sを叩き起こし、シャワーを使わせる。待っている間は遅れていた日記を進める時間として使ったが、それにしてもシャワーを浴びるのに1時間半もぼんやりしているのは疲れた。
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