04年12月下旬−05年1月上旬
第1次(?)ペルー旅行
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●第9日 05年1月1日(土) プーノ→フリアカ→アレキパ→リマ

 大音響の花火の音で目を覚ました。電灯をつけたまま寝て新年の花火いたようだ。新年を祝う花火らしいが、打ち上げをやっている人もいれば、爆竹を連続で鳴らしている人もいる。宿の前ではやっていないが、とにかく音が大きい。部屋の電灯を消して、往来の写真を撮っておいた。花火をやっているところを見たい気もするが、一方そういうところを歩き回るのも危険な気がするし、何せ外は寒い。どちらとも決めかねてぼんやりしていたら花火は30分ほど続き、はたと止んだ。日記を進めて、また眠ることにした。

 7時半ごろに起きる。今日は14:45にフリアカ空港へのコレクティーボ(予約制乗合ミニバス)で移動する。予約制ミニバスなどと言うと格好いいが、その実、ボロい1boxワゴン車に7-8名を乗せるだけのことだ。便利なのは、オスタルフルーツを売るの前まで来てくれることで、バス停を探して大荷物を引いて歩くということが避けられる。安全面からもそれは避けるべきだと教わっているから、宿のロビイで待っているだけで良いのはありがたい。
 そのコレクティーボの時刻まではフリーである。ゆっくり朝食を取って、荷物をまとめて宿のおばちゃんに荷物を預ける。市内に出てみると、1月1日とあって商店はほバイクタクシーぼ休業しており、町は静まり返っている。道端にはあちこちに紙ふぶき、黄色い花びらや花びらを象った紙が散乱している。これらを撒き散らしながら花火をしていたのだろうか。昨日歩いた市場(露店の集まり)のあたりに行ってみると、案外たくさんの店が営業している。客は昨日より少なく、歩きやすい。港まで歩くと、冷たい風が吹いていてかなり寒かった。港には観光用のボートがたくさん残っており、いまはそれほど混んでいない時期なのプーノの港近くにある池だと思う。港の手前に大きな池があり、噴水があるのだが、貸しボートを漕いでいる人はごく少なく、風の音がするばかりだ。池を眺めていると体が冷えたので、売店が集まっているところに引き返す。Sがトイレに行きたいと言う。何と、腹の調子が良くないのだ。腹の調子といえば私の専売みたいなもので、Sがこういう理由でトイレに行きたいというのは珍事としか言いようがない。港に公衆便所があってそこに入る。ペルーではこういう公衆便所をバーニョと言うがスペイン本国では通じない方言らしい。無料のものはなく、たいていチップの番人がいる。番人が紙を補充したり掃除したりするのだが、このチップトイレというもの、「緊急時」にはいささか面倒だ。私はプラハでこの「緊急」になってしまって、入ったはいいがトイレを出るとき小額コインがなくて多目に払ってしまったりしたことがある。今回は2人で歩いているから多少そういう危険は低減されている。さて、ここのトイレは工事現場にあるような移動式のもので、外に1回分と思しきトイレットペーパーがゴムに挟まれて置いてある。これを1つ取ってトイレに入るのだ。お金を徴収する人がいないので不思議に思っていたら、近くの売店のおばちゃんがしっかり徴収しに来た。売店と兼業なら退屈しなくていい。

 そのまま港近くの売店を見て歩く。客は店それぞれに1-2人といったところ。Sが土産用にコカ・キャンディを10袋まとめ買いする。これはコカの葉エキスが含まれた飴で、高山病に効くとされているが果たしてその効果があるのか、試しに1袋別に買って食べてみた。うーん、こいつは美味くない。が、話のネタにはいいので、私も買うこと黄色い花びらをかけられるにしよう。とはいえまだ9日目、荷物を増やすのは後でいい。Sが買った10袋も買わせなければよかった..というのも、大きなカバンを持っているのは私、Sは小さなバックパック1個で、お土産は必然的に私のカバンに入るのである。まあ、買ってしまったのは仕方ない。ところでコカ・キャンディの効果だが、今は高山病ではないので、効いたかどうかは全く分からず仕舞いであった。カフェイン等に敏感なSCanon製とはとても..は、ちょっと心拍数が上がった気がすると言っていたが。
 他にRCコーラとチョコを買って、店のおばちゃんに黄色い花びらは何に使うんだ、と聞いてみたら、頭の上からかけられた。なるほど、新年の装いということなのだ。このまま払い落とさずに今日を過ごすことにする。店にはカメラも売っていたのでショウケースを覗いてみると、キヤノンのカメラと称する偽物があった。キャノンのサンライズカメラ、レンズ銘がJAPON LENS、だって..絶対にキヤノン製ではあるまい。面白そうなので1台買って帰ろうかと思ったが、無駄もいいところだから買わなかった。どうせ偽物ならもっと手の込んだものがいい。このカメラでは、税関の人も鼻で笑うであろう。記念に1枚撮影してロモ・サルタードおいた。
 店が定食も出すというので、ここで昼食にする。Sがポジョ・ドラード、金の鶏、と訳せるがこれはフライドチキンらしい。悩んでいたら隣のテーブルの人が英語で教えてくれた。私は今回3回目のロモ・サルタードだ。ポジョはその名の通り、ポジョ・ドラード黄(金)色にカラリと揚げ、チリ・ペッパーで味付けされている。香ばしくて、ジューシーで美味しいが、量が多すぎる。元々肉があまり得意でないSにはちと厳しいメニューである。ロモ・サルタードはまあまあ普通の味か。ただ肉が固くて顎が疲れる。この国民的料理はこれでクスコ、アグアス・カリテエンテス、プーノと3都市目なのだが、それぞれ味が違う。地方で、というより、作る人によって違うのだろう。以前日本で食べたロモ・サルタードは高級料理と言えるほどの値段だったが、そういやあれもけっこう肉が固かった。肉が固い、このことに関しては日本も含めて4回とも共通かも知れぬ。ところで、料理を出されるとき、テーブルに置いてくれる紙が、どうもどこかで見たような紙であることに気付いた。これは、トイレットペーパーである。灰色の、ゴワゴワした紙はおよそ食卓に似合わないと思う。もちろん、トイレから持ってきたわけではなかろうが、心理的にこれで口を拭くのは憚られる。ともあれ、固い肉と格闘して食事は終了。ポジョの方が美味しかったが量が多くて飽きてしまった。うーん、今回の食事はちと外れか。

 量が多いと言いつつ食後にアイスクリームを買う。コーンに小さなアイスの玉を4つも入れるのだが、3つ目でコーンが一杯になる。そこへ、4つ目を押し込むのでコーンが割れてしまう。その割れたコーンは店の女の子が食べてしまうのだが、何だかわざと失敗しているのではないかと思ってしまう。2度目で4つ目の玉が無事入り、それを食べた。チョコチップ入りのバニラ(ちょっとキャラメルっぽい香りがある)なのだが、予想外にさっぱりしていて美味しく頂いた。アイスを食べながら市街方向へと歩き、市街の入口で右折して今まで歩いていなかった道路を選ぶ。商店が並ぶ繁華街とは異なり、建物は少々汚く、いろいろな廃棄物の臭いがする。どうもペルーの人はそこらじゅうにゴミを捨ててしまうようで、鉄道から眺めた風景でもゴミは多かったが、歩いてもそれは実感できる。臭う一角はとにかく急いで通り過ぎるしかない。適当なところで左折してみると、タン鳥を売るザニアでも見られた、ジャンクパーツ屋がたくさん店を開いていた。コードとかACアダプタとかTVの基板とかブラウン管とか、そんなものを分離して売っているのだ。自転車のタイヤとかならまだ使い道もありそうだが、電気系はどうするのだろうか。半田付けを外して使いまわすのかねぇ。何しろ外見はゴミと変わらないほど汚れているし。
 ジャンク屋の次セビチェ屋には動物を売る人たちが集まっていた。子犬1匹5ソレス(150円)、ひよこは2羽で1ソルだ。この一角はたいへん繁盛していて、街中で犬を多く見かけるのも頷ける。コピイCD屋もたくさんある。1つ試聴してみたら、一昨日アマンタニ島で見たDVDの最初の曲だった。有名な曲なのだろう。DVDは無いというので、そのCDを買う。1.5ソレス(45円)也。さらに歩くと、セビチェ屋があった。これも有名なペルー料理で、魚やイカをタマネギと和えたマリネのようなものだ。ここは海はないから魚は淡水魚のようで、イカやタコは入っていない。せっかくなので食べてみることにする。単純なマリネではなく、いろいろ香辛料が入っていて、刺激が強い食べ物だ。しかし美味しい。サツマイモが入っていて、その甘さと酢漬けの酸っぱさ、スパイスの香りが個性を主張している。タマネギが辛いのは他のペルー料理でもよくある。これはなかなかいける料理だった。

 天気が回復して、暑くなってきた。ちょうどジュース屋とかフルーツ屋があるところを歩いている。ちょっと飲んでみたいがジュース屋などは作ったものをずっと置いているようであんまり清潔には見えない。スイカが大きくて美味しそうなので、Sが一切れ買う。これならその場で切ってくれるから私の胃腸でも何とかなるだろう。タネが大きくて食べにくいのだが、甘くて美味しいスイカだった。スイカで味わった清涼感も束の間、すぐに暑くなって、なるべく日陰を選んで歩く。若干調子がよくなくて、公衆便所に入ることにする。受付のようなところがあり、少年が番をしている。1ソル渡して、少年が紙をくれる。これで足りなかったらどうするのかが心配だが、何とかするしかあるまい..トイレは極めて狭く、荷物を置くスペースもない。便器は洋式ではなく、和式に近い形で、しゃがんでする形式だ。カメラバッグは膝の上に乗せて、何とか用を足す。いやはや、カメラ類を少なくしておいて本当によかった。
 アルマス広場まで来た。日陰になっているベンチでしばし休憩する。先ほどの露店の集まっている地区は賑やかだったが、中心部は人通りも車も少なく、静かなものである。物売りの少女が通りかかる。買うのは断ったが、ついでにSが新年おめでとう(フェリス・アニョ・ヌエボ)とスペイン語で言ったら、嬉しそうに挨拶を返してくれて、抱きつく真似をした。知り合い同士なら、しっかり抱き合うのが新年の挨拶のマナーなのだ。しばらく休んで、向かいの写真屋に入る。カメラは元々期待できないので、現地で売られているフィルムをカメラ好きの友人たちにお土産として持ち帰ろうと思う。コダックのポジ(日本ではダイナ・ハイカラーに相当)を3本買う。ポジフィルムは高額だから、在庫が店頭に1本しかなくて、ごめん、ちょっと取ってくるといい置いて店主が出て行ってしまった。その間、店には我々だけしかいない。日本人は安全だと思われているのか、取られるような貴重品がないのか、まあ信用されているということにしよう。店主、戻ってきたらかなり息切れしていた。普段売れないポジが3本もまとめて売れるとあって大慌てだったのだろう。
大きなスイカ 心ある(?)いたずら おもちゃ屋 正月のアルマス広場

 オスタルに戻る。宿のおばちゃんに荷物を出してもらう。階段の下にある小部屋で、真っ暗だ。よく見たら小さなベッドがあって、そこに荷物が置いてある。おばちゃんの寝室(仮眠室?)なのだろうか。礼を言って、荷物を引き取る。コレクティーボは予定より少し遅れて到着した。トヨタの12人乗りコレクティーヴォも新年仕様の1boxワゴン車だ。運転席の窓に黄色い花びらがついているのは新年仕様である。車は日本の中古車を輸入し左ハンドルに改造したものだ。というのも、「使用上の注意」というステッカー(もちろん日本語)が右のドアに貼ってある。後部座席のドアに至っては左側、即ちこの国では車道側にしかドアがない。恐ろしいバスだ。中には既に運転手を入れて9人が乗っており、我々が加わって11人、荷室はないから荷物は屋根の上に山のように積まれる。Sは後部に、私は最前列中央(運転席隣)に座る。ダッシュボードに膝が当たって痛い。さらにこれから1人を迎えに行くようだが、運転が荒くてその場所まで5分ほど走るだけで、もう痛さに耐えられない。最後の1人を乗せるところでSの場所と交代した。その場所は左側のドアの横にある補助席で、ボロボロのグラグラ、おまけにドアについている窓が開かないので蒸し暑い。グラグラなのは、西洋人も座っているからたぶん大丈夫だと自分に言い聞かせ、ここからフリアカ空港までの45km、約1時間を我慢することにした。
 車は坂道を強引に登り、プーノ市街を右手に見る高台の道路を走り始めた。市内を離れると、あとはひたすら直線だ。風景はなかなか結構なものだが、暑さがたまらない。西日を受けて、左側の人は暑いのだ。そして窓は開かない..後ろの人が、右側の窓を開けてくれ、とリクエストする。多少風が入るが効果なし..汗をたらしながら1時間余を過ごした。コレクティーボは2人で30ソレス(900円)、距離の割に安い乗り物ではあるがこの居住性ならタクシーの方が断然快適であった。運賃は倍だがそれだけの価値はある。

 フリアカ空港に着いた。正式には、アエロプエルト(空港)・インタナシオナル・インカ・マンコ・カパクと言う。インカ・マンコ・カパクとはチチカカ湖の島に降臨したとされるインカ帝空港の外観国初代皇帝である、とどこかに書いたが、その銅像が空港の前に立っている。その伝承の真偽はともかく、乗り継ぎで降りたジョージ・ブッシュ空港に比べればずっとセンスのよいネーミングだと思う。空港は国際空港と銘打たれているが小さなものだ。窓口はランペルーの2つだけしか開いておらず、他は全く使われていない。そのランペルー航空も、これからの時間帯には123便と132便(便名が紛らわしい!)の2つのリマ行きしかない。我々が乗るのは途中でアレキパに降りる132便で、実はちょっと問題がある。このフリアカ−リマ間の航空を、クスコ−プーノの移動日程に合わせて一度変更したのである。予約はインターネットだが、変更は電話でやらなければならず、変更した後で予約結果をプリントアウトしてみたら、なんと2004年1月1日になっていたのだ。もちろんそんな過去の日を確保するわけはなく、ランペルーの予約情報が間違っているのだが、そのまま今日に至っている。さて、乗せてもらえるだろうか。チェックインの列に並ぶ間、カウンターへ進む列をセキュリティチェックする係員がいて、名前、便名、パスポート番号をカードに記入して提出しなければならない。そのせっかく記入したカード、係員は一瞥しただけでゴミ箱に投げ入れた。ちょ、ちょっと、いったい何のためのカードなんだよ..さて、囲いの中に入り、カウンターにたどりつき、パスポートを出したところ、無事にチェックインできた。2004年はさすがに間違いと理解してもらえたのか。よかった。
 トイレに行き、顔を洗った。妙に冷たく感じるのは、日焼けが激しいからだ。今日は極力日陰を選んでいたはずなのに、こんなにヒリヒリするのはさすがに緯度が低い国だと思う。外に大きな土産物屋があるので、そこに行ってみる。すっかりペルーの貨幣価値に慣れたので、土産物が高く感じる。同じものを日本で買うとこれのさらに何倍もすると思うのだが、食事などを基準に考えるとバカ高である。何も買わなかった。

 セキュリティを通り、待合室に入った。早めに入ったのでベンチが空いていた。TVの正面で、映画「デイ・アフター・トゥモロー」がランペルー132便流れている。見たことがあるので、スペイン語吹き替えだがなんとなく意味が分かる。見回すと、待合室は狭い。元々狭い上に2便分の客がいるので余計狭い。というのも、先に出るはずの123便の機材が来ていないからで、我々の乗る132便の列と2つの列ができていて、便名が似ているので困る。しばらくしていると飛行機が到着する。これが123便なのだろうと思う。1つの列が進み始める。客のささやきを聞くに、132、という数字が..まさか。搭乗口に行って係員にこれは何便の列が進んでいるんだ、と問うと132、との答え。慌ててSを呼び、飛行機へと小走りで向かう。どうやら、先に出発するはずの123便用の機材より先に132便のが来てしまったらしい。飛行機に着いたらすっかり息が切れた。ここも、標高は3800mを超えているのだ。ペットボトルが..
 席は6A・Bで珍しく前のほうだ。すぐに飛び立った。先の123便は今の時点で45分遅れ、この132便は7分遅れだ。離陸するとすぐに雲の上に出る。夕日が美しい。急速に暮れて、アレキパ上空にすぐ到達する。アレキパはペルー第2の都市で、標高が2300mと適度な高さ(暑くもなく、高山病にもなりにくい)があってお金持ちが多く住むという。ここで15分ほど止まり、客がかなり入れ替わった。早めに飛び立つ。機内食を食べてこれで今夜の夕食にする。

 リマには定刻の10分前、20:30に到着した。ところが、荷物が出てくるのが遅くて、結局21時過ぎに出口に。江田インに送迎を依頼しているのだが誰もいない。時間が経ってしまったのと、前の123便が似たような時刻に着いたりして混乱があったのか、仕方ないのでタクシーに乗ることにする。ペルーのタクシーはメーターがなく、乗る前に運賃を交渉しなければならない。ま、数字くらいならスペイン語も分かるから、それほど困難なものでもないが。その結果25ソレス(後で聞くとちょっと高い)という価格で決まり、地図と住所を頼りに走り出す。ところが、住所の示す場所は全く違う場所で、いや確かに近くではあるが、宿ではないところに来てしまった。何度も周囲をウロウロし、別のオスタルで道を聞いてみてくれたり、運転手さんにはかなりご迷惑をおかけした。面倒なので、歩くよ、と言ったら運転手氏に、それは絶対ダメだ、夜道を荷物を持って歩いてはならない(早口のスペイン語なので推定)と何度も言われた。なるほど、それはそうで、それなら、と今更ながらに公衆電話を探すことになった。これも暗いところでは危ないので、明るく、見通しのいいガソリンスタンドの敷地にある電話を使う。先に通話していた現地の日系人のおばちゃんが運転手氏と話している。おばちゃんはこちらを振り向いて曰く、ここらへん、あまり安全でない。気をつけてください、夜歩く、荷物あぶない、気をつけてください、と。江田インに電話して、運転手氏に代わって、道を詳しく説明してもらい、次は無事、宿の前に着くことができた。門の前に、宿の主人が立っておられた。ここまで、30分ほどもかかって、迷わなければ15分以内だから倍以上の時間がかかっている。割増を言われるのではないかと思ったら、宿の主人が運転手氏に、いくらなんだ、と鋭くスペイン語で質問。すかさず我らは25ソレスでーす、と唱和する。それで決着。運転手氏には災難だったと思う。本来なら今ごろは次の客を乗せているはずだろうから。
 しかしこちらもヒヤヒヤした。そもそもは最初に、空港で電話すべきだったのだ。状況を確認しないまま見切り発車で行動することの愚かしさを痛感した。宿に入り、一息つく。私は洗濯機を借りて汚れた服を洗うことにする。リヴィング兼朝食室で宿泊中の女性Cさんといろいろ話をした。ペルーには着いたばかりでクスコ方面に行くのに高地はちょっと不安だという。そこで、持っていたボリヴィア製高山病薬を差し上げた。江田インの枝光さんによると、この薬は効き目が弱い方だからいいんじゃない、とのこと。ペルー製の薬(元は緑内障治療薬)は血管の拡張が激しく指先が痺れたりするらしい。Cさんの予定を聞くと、なんと2ヶ月だという。日本人もこういう長期の人がいるんだなぁ、と感心。

 TVには日本の衛星放送が入っていて、インドネシアの地震の後遺症がとんでもないことになっている。このニュース、クスコ-アグアス・カリテエンテス間の列車の中で配られた観光客向け新聞で読んだが、ここまでひどいとは知らなかった。宿の犬、ペコちゃんは元気がなさそう。クリスマスに続き、昨夜、正月の花火の音にまたも参ってしまっているとのこと。枝光さんにプーノで見た黄色いパンツの話をすると、正月は黄色いものを身につけると幸せが訪れるということになっているらしい。枝光さん、腰からびよーんとパンツの一部を出して見せてくれた。Cさんと各地の旅行の話をして夜遅くまで盛り上がった。


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